西暦2014年段階の佐藤篤代(8)
西暦2014年12月30日:火曜日

【芋づる式漏れ・芋づる式カバー】

【A・Course・in・Miracles】の『夢の主人公』、『バラバラになった神の息子たち』へ歪められたのが【偽者】概念だ。

偽者はエゴが「1つの自己」を欺き、世界へ惹き付け留めておく為にエゴが作った。

エゴが最初に作った完璧な理想像の偽者の領域に、【終わらせる為に作用する何か】が、エゴが後から作った領域の偽者用を漏らし矛盾が生じたので、エゴは作り直しを謀らざるを得なくなった。

このエゴと正反対の【終わらせる為に作用する何か】の『芋づる式漏れ』作用から、エゴは無数のやり直し、作り直しをさせられ、最後の偽者用まで作った。

記憶を消して隠せるものは隠し、隠しづらいものは歪めて誤魔化し、漏れて隠せないものを採り入れて作らざるを得なかった。各偽者毎にその繰り返しがなされた。

概念的なもので言えば、より前に作られた偽者用であればあるほど、隠し歪めることが可能であるので、Jesus等の偉人教えや【A・Course・in・Miracles】が、最後の偽者の領域から漏れたものの歪みであると説明がつく。

故に、偽者は【異世界レベル】だ。

エゴが作った他の領域の主人公を本物:佐藤篤代が【偽者】と呼ぶようになったのは、西暦2010年から大々的に【偽者】がいるとしか言いようがない経験が生じたからだ。それ以前にも兆候はあった。

【偽者】が【異世界レベル】でいると判ったのは、エゴが本物:佐藤篤代の領域で偽者用『芋づる式カバー』を大々的にやり始めたせいだ。

偽者用取り繕いだ。

『芋づる式カバー』は日常レベルで常に行われている。目にする全てが偽者用『芋づる式カバー』だ。なされる会話は必ず偽者用だ。聞こえる音も全部偽者用だ。周囲の動き全てが偽者用だ。

本物:佐藤篤代の領域全てが偽者用『芋づる式カバー』の為に作られているのがよく判る。

これはあまりにもあからさまで、物理的法則、確率の法則をしばしば無視し、異常としか言いようがない状況に周囲がなるために判明したことだ。

『芋づる式カバー』は、エゴが作った偽者用の領域に【終わらせる為に作用する何か】の『芋づる式漏れ』作用が生じたのが原因で、エゴが取り繕いとして作るようになった。

『芋づる式漏れ』で、偽者用の領域に矛盾が生じると、エゴは取り繕いをしなくてはならない。やり直しか作り直しを余儀なくされる。それで矛盾を誤魔化す。
通常ならば漏れた偽者用の領域で取り繕い、誤魔化しがなされる。

しかし、エゴはある時点から、通常後から作った偽者用の領域からの『芋づる式漏れ』が生じていると判明したので、
そこで、前に作った偽者用の領域で『芋づる式漏れ』が生じた補修のような取り繕いを、後に作る偽者用の領域でするようになったのだ。
それが『芋づる式カバー』だ。
後から作った偽者用の領域で、前の偽者用のカバーをするということだ。

エゴは作用であり、目的は欺いて「1つの自己」を世界へ留めることだ。作用なので、あきらめがない。終わりが確実だとしても、少しでも可能な限り遅らせる為に足留めを作り出すというワケだ。

西暦2014年に【穴概念】を書いたように、異世界レベルで、
異世界間に穴が開き、後から作った偽者用が前に作った偽者用の領域に漏れるので、その穴を塞ぐため、穴からの漏れを最小限にするため、後から作った偽者用を、前に作った偽者用に可能な限り似せて、漏れても決定的な支障がないように誤魔化しやすくするためにカバーしてエゴが作るようになった。

要するに、エゴは後から作った偽者用の領域で、前に作った偽者用の取り繕いをすることで『芋づる式漏れ』の被害を最小限に食い止めようと作っているということだ。
これを『芋づる式カバー』と呼んでいる。

前の偽者用で被害が出た部分を後の偽者用で穴を塞ぐようにカバーするということだ。

その為に、最後に作られた偽者用である本物:佐藤篤代の領域では、全偽者用の取り繕いがなされ、全てが『芋づる式カバー』で構成されているというワケだ。

『芋づる式カバー』の代表的な例が、ブログにくるコメントだ。

【A・Course・in・Miracles】を超えた内容で、『知覚ある世界はエゴが作った幻想』という核心概念を徹底的に追究し、その例を挙げて説明し、過去の自分が知るようにエゴに作らせる為に書いている自分発信・自分受信のブログに、読めば一目瞭然なのに、一般的な【人間レベル】の世間話をコメントされる。

これは確実に、【偽者用】コメントであり『芋づる式カバー』の代表例だ。

料理レシピを聞いてくる異常主婦。
【ディズニー系偽者用】という表現でしか「ディズニー」という言葉を使ったことがないのに「私もディズニーが好き」と言いやがる異常女。
【偽者用の娘用】だとしか考えられない種類のコメントの数々。

何度も何度も繰り返し「初めて」と言いながら何度も何度もコメントしてくる複数の男女、主婦。ストーカーにしかならない一般人。

西暦2007年に縁を切った最後の友人鈴木美香をやりたい【偽者用コメント】や『いいね』。顔写真を絶対載せないタイプだと、書いた途端に、あからさまに似顔絵にしてくるし。

西暦2006年に縁を切った若林陽子をやりたい偽者用で、漢字が違うヨウコという名前の主婦はストーカーレベルに執拗にコメントしてくるし。若林陽子は結婚してないのに。

あまりに酷いので西暦年2014年は以下のような但し書きをブログ中に置くようになった。それで【偽者用コメント】しか来ないとツッコミができやすくなる。

『メール、コメント、いいね等その他全部のコミュニケーション迷惑だからやめて下さい。
なされる全てが【偽者用コメント】でインチキだと判明している為です。
故に、『偽者用コミュニケーション』だと言う突っ込みしか入れません。
(西暦2014年現在)

佐藤篤代

「コメント等その他全て迷惑だからやめて下さい」と機能制限せず言い続けるのは、ツッコミで【偽者用】の異常さを浮上させるためさ。

このブログは【A・Course・in・Miracles】を超えた「他は幻想であり、他は無い」という証拠を提示するブログ。下手にコメント等やると【偽者】が異世界レベルでいる証拠になるぜ』

これで、全てが場違いの【偽者用コメント】ばかりだ。

偽者用はコミュニケーションを死守することで、特別性をどうしても保護しようとしている。だから但し書きをしようがなんだろうが【偽者用コメント】の『芋づる式カバー』が異常さをあからさまにさせつつも止まらない。

特に一般人レベル、【人間レベル】の偽者用の特別性死守の為の】偽者用コメント】における『芋づる式カバー』が酷いわけだ。

学術系偽者用ならば、そして【A・Course・in・Miracles】をやっている偽者用ならば概念で崩せるが、普通の一般人は概念を他の人のブログとやれるワケだ。
だからこそ、一般人の『芋づる式カバー』が迷惑レベルで本物:佐藤篤代の領域になされ、ツッコミせざるを得ない状態に結果なっているのだろう。
半ば、エゴはやらされている部分も多々あるということだ。

そこで、偽者用の【サイドストーリー】における取り繕いが判明する。

自分でも家族でも取り繕いできない場合、他人、隣人として取り繕う。
その代表例が北隣の【近藤】というワケだ。

北隣【近藤】系偽者用は【サイドストーリー】で『芋づる式漏れ』になった部分を取り繕い、『芋づる式カバー』をやっている。

だから北隣【近藤】の動きが【ストーカー】どころの話ではなく【超常現象レベル】になっているのだ。

最後に作られた偽者である本物に関連づけなくては取り繕い『芋づる式カバー』ができないからだ。

『芋づる式漏れ』で漏れて矛盾が生じたものを自分、家族、友人、親戚、関係者で取り繕いしきれないから、隣人のものとする【サイドストーリー】による『芋づる式カバー』。

行く先々で黒ワゴン車ばかりに取り囲まれる位の呪いのような頻度の出現は、北隣【近藤】黒ワゴン系偽者用の『芋づる式カバー』のせいだ。ヴィッツや白・シルバーワゴン車やFITなんかもそう。

無論、北隣【近藤】だけではなく、近隣に出没する全てが【サイドストーリー】による『芋づる式カバー』だろう。

視界に異常に多発するものは、それだけ偽者用の【サイドストーリー】的な『芋づる式カバー』がなされているということだったのだ。確率の法則は崩壊し尽くしている。だから現象がストーカー的になる。

【サイドストーリー】を作らなくてはならない程に偽者用に矛盾が生じすぎているということだろうが。

【終わらせる為に作用する何か】は全偽者用へ別の領域の偽者用、特に最後の偽者である本物:佐藤篤代の領域の全てを再利用し、『芋づる式漏れ』を生じさせ、全偽者用をこのように限界へ持っていく。

最後に作られた偽者である本物:佐藤篤代には、全部再利用されるので、全偽者用の『芋づる式カバー』を余儀なくさせて、ツッコミをせざるを得なくさせ、漏れた時により矛盾が生じ、しかも意味が解りやすいように作らせている。

だから本物:佐藤篤代の領域では迷惑レベルの偽者用『芋づる式カバー』がなされているワケだ。

迷惑レベルなので、最後の偽者ー本物:佐藤篤代はツッコミをやらざるを得ない。それほど迷惑。そして、ツッコミをやらないと全偽者用が終わらないと思い知るようにさせ、徹底的に偽者用へツッコミをさせる。

その上、【終わらせる為に作用する何か】は概念的な方向で崩しづらい、【モンスター系偽者用】の影響を多々本物:佐藤篤代へとエゴに作らせる。

【モンスター系偽者用】とは強固で頑強でちょっとやそっとのやり直しでは限界にならない特別性の激しい呪縛が可能だった巨大な偽者用だ。

崩しにくい偽者用の影響を本物:佐藤篤代へとエゴに作らせれば、本物:佐藤篤代は迷惑過ぎて徹底的にツッコミせざるを得なくなる。

これで、全体の偽者用崩しの進行が早くなるワケだ。

偽者に偽者を崩壊させる。
エゴが作った偽者用を再利用して全偽者用を崩壊させる。

【終わらせる為に作用する何か】がどれ程、超合理的で、超効果的な作用かが判る。

その上、本物:佐藤篤代は最後の偽者なので、『全てを終わらせる為に作られたロボット』とも言える。【終わらせる為に作用する何か】がエゴに最終的に作らせた型だ。

偽者自体が自覚を持って全てを終わらせる為にロボットとしての自覚も持って言動するようになれば、更に終わらせる為の進行が早くなる。最後の偽者(付近?)ではこう作らせて合理化を図るワケだ。

最後の偽者が「『偽者崩し』をしなければ終わらない」と決意して言動するようになれば、進行が更に加速する。

偽者は何かしらの魅力的な理想像だ。最初の偽者は完璧な理想像。特別性で世界の主人公に惹き付けるならば、まずは理想像からだ。

特別性が欺きの原因、世界への執着の原因なのだから、その特別性が終わるためには、幻滅させる必要がある。

理想像を崩し幻滅させる為には、最後の偽者型は、個体を幻滅させなければならない型だ。個々の存在なんかもういらないという程に。
ロボットとしての自覚を持った最後の偽者は『偽者崩し』の為に言動できるので、意図的に幻滅へ持っていけるように言動できるというワケだ。

その幻滅な要素を偽者用がスケープゴートに擦り付け、サイドストーリーに押し付けているのだろうというのは想像に難しくないだろう。

そして最後の偽者ー本物:佐藤篤代は、
特別性を棄てたので生涯未婚の子無しであり、
知覚ある世界はエゴが作った幻想であり、世界はエゴの支配下であり、世界の構造も社会もエゴの支配下なので、
エゴの支配下である世界の構造、社会の構造の構成員となることを拒否する為に、
無職であり社会的義務を棄てた。

エゴの世界の構成員であることを拒否するとは、エゴが作った舞台の役柄としてエゴに与えられた役を演じることを拒否することだ。

だから、これは個体として、ある程度、幻滅である筈だ。幻滅であるようにエゴがこれまでに作ったからだ。

結婚や新たな特別な関係を作ることや、生計を立てる為、生きがい等の為に仕事をすることは、エゴが作った世界へのハマりだ。
最後だから世界へのハマりとなる全ては棄てられる。

そして、だからこそ、同時にこの結婚と仕事と生計と社会的義務などは、エゴが作った世界の柱であり要だということだ。
この要を最後には棄てなくてはならない。

これは偽者用の要でもある。
だから、要が棄てられた個体は、ある程度、幻滅に繋がるワケだ。

要が棄てられたらもはや、世界へ執着のしようがない。

そこで、エゴはJesusや仙人のような存在を作らざるを得なかった。しかし、高潔で人格者ならば特別性は強調され温存可能だ。

しかし、あらゆる特別性を棄てられれば仙人やJesusのような教師にもなり得ない。 弟子を持つ者は特別性の呪縛をしているからな。

あらゆる特別性が実質的に棄てられた時、【他は無く・他は幻想】が徹底的なので、『自分からも他からも一切の特別性は生じない』。これが特別性を完全に棄てた状態だ。

この状態になると、もう特別性という要素では一切欺けない。

だから、偽者用は本物:佐藤篤代の要素が『芋づる式漏れ』になると必死で取り繕わなくてはならない。壮絶な『芋づる式カバー』を余儀なくされる。

ロボットとしての自覚を持った最後の偽者ー本物:佐藤篤代は、特別性を棄て、エゴの世界の構成員であることを拒否し、社会的義務を棄てた状態だけではなく、『偽者崩し』の為だけに生きる決意をすることができる。

だから、どの偽者用を対象に、どうすればその偽者用を崩せるかを考えて行動できる。故に対象の偽者型を崩す為に徹底できる。
【学術系偽者用】を崩すには、【結婚系偽者用】を崩すには、【老齢系偽者用】を崩すには…、と考えて言動できる。

だから、本物:佐藤篤代の要素はサイドストーリーでしか使えない要素が多々ある。そして、だからこそ、全偽者用を崩せる型なのだ。

そして、それが可能になるために、必要な要素はある。少なくとも、あらゆる分野へツッコミできる位の、見解、論理的考察力、読解力(国語力)、常識、一般常識、知識、学力、文章力は必要だ。ただ、学力は特定教科が学校トップでも、全体で全国では普通レベルだがな。

あと、心理学、精神医学(病名や薬療法ではなく、カウンセリング法(ユング系)、心の仕組みがメイン)、成功法則、スピリチュアルの知識は欠かせないか。

頭脳的バカじゃこういう文章は書けないってことさ。バカな演技はするがな。

少なくとも、論文は書けないと、こういうツッコミはできない。

『1+1=10』は明らかに違うだろ?
『1+1=11』は誤魔化しだろ?
『1+1=田』はトリックだろ?
『1+1=2』なんじゃないの?
と論理的にわかりやすくツッコミできないとね。

理系じゃないし、理系の専門性はあんま必要ないがな。

そして、この『芋づる式漏れ』が原因による『芋づる式カバー』で全偽者が最後の偽者ー本物:佐藤篤代の領域で取り繕う為に、【パズル的知り方】が可能になる。

本物:佐藤篤代の領域は全てが偽者用『芋づる式カバー』で構成されているので、全体を同じようにエゴが作った幻想でありインチキと見れやすい。

だから、全てが同じ幻想という観点にあるので、知る手段に偏りはなくなる。

目の前にやってくる全て、知覚する全てが全て同じ幻想なので、全部が信用できないし信用に値しないと知っている。故に、偏りなく、やってくる全てからヒントを得ようとする姿勢が生じる。

エゴの目的をやってくる全ての中に見いだそうとする。やってくる全てに警戒しながら、エゴの目的を見出だし、その意図を崩そうと言動しようとする。

そのエゴの目的を見出だしてその全てを崩す言動の為のヒントが、奇しくも偽者用『芋づる式カバー』の中にあるワケだ。

偽者用『芋づる式カバー』のせいで、偽者の種類、型、特徴、何を取り繕いたいのかが判明できるからな。

エゴの目的を探り、崩す言動をするには、どの偽者用『芋づる式カバー』が周囲になされているかを見極めればいいわけだ。
トラップは多々あるので、慎重に警戒しながら見極めなくてはならないが。

要するに、エゴの多目的な目的を見出だし、その中で崩せそうな目的を崩すよう言動すればいい。

全体を同じ程度にエゴが作った幻想と見て、バラバラな要素をヒントとして組み合わせて知る。エゴの目的を探りそれを崩す目的の上でな。主に、終わりへ向かう為に加速させる『偽者崩し』の為の知る方法。
これが【パズル的知り方】だ。

要は、『知覚ある世界はエゴが作った幻想』という【A・Course・in・Miracles】概念をベースに徹底的に矛盾と歪みをそぎおとしながら追究していけばいいというワケだ。

だから、『全体が同じ幻想』という観点にいなければ【パズル的知り方】は不可能なのだ。

西暦2014年12月30日:火曜日
佐藤篤代




この本物:佐藤篤代のブログは、
『the Foundation for Inner Peace』の
【A・Course・in・Miracles】
原書second editionの概念をベースにしたブログだ。

本物:佐藤篤代がブログで言う核
【A・Course・in・Miracles】の核心
・知覚ある世界はエゴが作った幻想
・他は無い・他は幻想
・エゴが世界に留める為の最大の欺きの手段は特別性だ。
故にエゴの欺きから脱するには特別性を棄てなくてはならない。
・知覚もエゴが作った。
エゴの作った世界の終わりとは知覚の終わりだ。

本物:佐藤篤代はこの【A・Course・in・Miracles】の核心を基本に、【A・Course・in・Miracles】の歪みを削ぎ落としながら、『世界は幻想』という実体験に基づきながら真実へ向かっている。
この点を徹底的に矛盾なくしながら追究している。

矛盾がない概念を採用し、その方向性を目指す。こうして矛盾と歪みをそぎおとしていけば、いずれエゴの欺き(幻想)の完全な終わりへ向かえると本物:佐藤篤代は考えるからだ。



西暦2014年(年号:平成26年)
午(馬)年現在

【佐藤篤代について】

西暦2012年7月16日:月曜日:海の日
A Course in Miracles セカンドエディション(1976年発行:※生まれ年)の2回目日本語直訳、意訳をやめて直訳でやり直し始める。西暦2011年秋にある所へ送付し自分用が手元にないので、これは自分用。(西暦2012年10月末頃から中断し、西暦2013年11月2日:土曜日にやめた)

理由:原本自体が歪みそのものだと気づき、訳すと更に歪みがひどくなり広がっていくと気づいた為。
1回既に訳して内容を知っているので、再度敢えて訳す必要性に疑問を感じ、続行か否かは検討しやめた。
要するに、「A Course in Miraclesも他の全ての存在する(未来も含)本も同じ、真実ではあり得ない、エゴの手段であると気づく為の1手段にすぎないと気づくために、再度訳したのだ」という結論に至っている。

A Course in Miraclesの原書はこの佐藤篤代が言うことの歪みでしかないので、最初の頃だけでブログ投稿はやめた。同じ理由で日本語訳は絶対にインターネット掲載しない。意味がない。

この佐藤篤代が手紙を送った宛先のA Course in Miraclesに関連する組織とはthe Foundation for Inner Peace(Mill Valley;アメリカのカリフォルニア州)とthe Foundation for A Course in Miracles(Buecking Drive;Temecula:アメリカのカリフォルニア州)のみ。手紙のみのやり取りだった。
だが、やり取りは上記組織の個体ではなく、他の存在達こと過去の時点の自分達だけだった。実際は組織には届いてないと思われる。
西暦2009年から西暦2012年6月29日(金曜日)付の手紙で一切のコンタクトを終了し、以後、今後一切どのA Course in Miracles関連組織とは関わらない。

佐藤篤代はあらゆる全ての思想的布教や教えの組織も含め、A Course in Miraclesに関するあらゆる機関、組織、同人誌を含めた全ての出版、講演、workshop、慈善事業、ボランティア、あらゆる公的活動には一切関わっていないし、永久に関わらない。その他相談的なもの、カウンセリング、ヒーリング等同等の行為にも一切関わっていない。また、イエス キリスト的な偉人系、隠れ偉人や仙人系でもない。

佐藤篤代は生涯本籍変わらない。小学高学年で新築した際1年位近い親戚の家にいた以外、ずっと同じ場所に住んでいる。栃木県宇都宮市。

新車購入全プロセスは終了済。日本車(国内車)。

佐藤篤代はパスポートを生涯取せず、海外渡航歴なし。

佐藤篤代は生まれてからずっと大病なし、入院もなし。

本物の佐藤篤代は36才(西暦2012年)から風邪も引かない。何らかの症状は代用の偽物の一過性の影響に過ぎないので病気ではない。アレルギーもならない。

本物の佐藤篤代は清潔。潔癖。

まだパソコン持ってなく、基本はスマートフォンがメインでブログ書いてる。あとは祖母の携帯電話をたまに使用。スマートフォンは機種交換し現在XPERIAに。

西暦2012年冬から今ずっと通販してない。めったにしていなかったが。西暦2014年1月19日:日曜日にNissen登録削除しもう通販しない。通販は他でもやってない。
(西暦2014年3月現在)

本物:佐藤篤代は43才になったら、ピンクと可愛い系(フリルやリボンやハートや星等マーク含め)や短いスカートやパンツ系をやめる。
現在の髪型をガラリと変え茶髪もやめる。前髪はなくし、髪色は黒。 現在の髪型(おかっぱ、前髪パッツン、茶髪 )は35才(西暦2011年夏の終わり)から継続中。
暖色系は極力やめ寒色系を主にする(白アイボリー系は多少やる)。ババアはババアらしくする。若づくりやらない。

西暦2007年12月から西暦2008年秋までが第1次インターネットblog活動。西暦2012年1月17日から現在に至るまで第2次インターネットblog活動。それ以外何もない。

本物は将来性のないニート
(西暦2014年)。
佐藤篤代
生年月日:西暦1976年1月17日
(※西暦2014年で38才)
日本人(血縁すべて日本人)。
生まれてからずっと中肉中背。
普通の容姿。
西暦2009年から無職。それ以前は全部バイトかパート。
生涯未婚で子無し。



メール、コメント、いいね等その他全部のコミュニケーション迷惑だからやめて下さい。
なされる全てが【偽者用コメント】でインチキだと判明している為です。
故に、『偽者用コミュニケーション』だと言う突っ込みしか入れません。
(西暦2014年現在)

佐藤篤代

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