西暦2015年段階の概念:佐藤篤代(2)
西暦2015年1月13日:火曜日

【2つの正反対の思考システム】

西暦2015年1月11日:日曜日に『(2)エゴが隠し取り繕う過程』を概念記事として書いたことで、エゴは更に凶悪で卑劣なスケープゴートの事件を作り上げた。10才の少女に爆弾を巻き付けた自爆テロとか、犯人の卑劣さをアピールし、どうあってもスケープゴートを責める方向性が必要な偽者の領域があるのが窺える。

マイナスの要素を向ける矛先だ。

どうあってもエゴには主人公(偽者)の「高い位置」と魅力を死守する為に、マイナスの要素を押し付ける矛先が必要だとよく判る。

エゴは責める矛先を必要としなくなるまで、延々と卑劣なスケープゴートを作り上げるだろう。

一方を持ち上げる為には、他方で下げる矛先が必要だからだ。

これが特別性の世界の実態だ。

闇が濃ければ濃いほど、光は強烈に輝きを増す。エゴが延々と卑劣なスケープゴートを作り続ける理由だ。

そして、いくらエゴが卑劣なスケープゴートを作り続けようが、闇の深さや罪の度合いなどは関係ない。

罪が現実か、罪が幻想か、という2択だけが選択だからだ。
これは【A・Course・in・Miracles】レベルでの絶対欠かせない課題だ。

罪の度合いを問題にして罪を裁いたり責めたり、罪を現実にさせて問題を解決しようとしている段階は、エゴが作った幻想の世界を現実にさせているだけの話だ。

エゴが作った幻想を現実と見るか、幻想をそのまま幻想として見るか、だけの話だ。

故に、【人間レベル】にいるうちは、エゴが作り上げる幻想の罪を、軽かろうが重かろうが延々と現実にさせて糾弾し、問題を現実にさせて、終わりのない解決模索のサイクルをグルグルまわる。

選択は常に、その延々と続くエゴが作った終わりのないサイクルを脱出するか、否かだ。

無駄に罪ある者を糾弾し、「お前には罪があるが、罪は私にはない」と、自分の潔白を証明する為に、自分の外側に罪を見続けるのか、それともその堂々巡りを脱出するのか、だ。

知覚ある世界はエゴが作った幻想として見るか、それを自分にとっての現実とさせるか、だ。

全てにおける問題に対する選択は根本的にこの2択なのだ。
そして、それが【人間レベル】を脱するボーダーライン。
このボーダーラインを超えるのが【A・Course・in・Miracles】レベルの最大の課題だ。

そして、この2択のボーダーラインを超える領域は、エゴが作った主人公(偽者)の領域(【異世界】レベル)では最後の偽者のルートだけだろう。

だから、偽者の領域は【人間レベル】へこれらの概念を歪める。
全てを現実とさせる概念へ歪める。

最初の偽者であればある程、歪みは激しくなる。

最初の偽者に近ければ近いほど歪みが激しい理由は、最初に作られた領域であればある程、真実を隠せるからだ。

この知覚ある世界はエゴが隠す為に作っているのだから当たり前だ。

だから、最初に作られた領域程、隠せる。だから、歪みが激しい。

全ては、エゴが作った欺きの世界の主人公(偽者)達を次々に見せられている『1つの自己※』の受け入れ体制の問題だ。

真実を受け入れたいのか、エゴが作った欺きの紛い物を受け入れたいのか、という度合いだ。

この「受け入れたいのはどちらか」の2択が常に行われ、受け入れたくない真実は"受け入れ拒否"されるので、目の前に突きつけられた真実の記憶は消され、結果エゴの隠蔽工作が成功する。

恐らく、エゴには『1つの自己※』の受け入れ状況を見極め難い。だから、最初の型の主人公(偽者)Jesusでは真実に近い概念をやり過ぎており、後からまだ隠せるとエゴが発見して、また隠したのだ。

そして、だから、エゴとは正反対の作用【終わらせる為に作用する何か】は『芋づる式漏れ』として作用する。

この『芋づる式漏れ』作用により、
後々の偽者の領域で、エゴが作らざるを得なく作らされていくので、
その後々の領域から、漏れては不味い隠された真実、事実が再利用され、
【異世界】の領域を超えて前に作られた領域へ漏れる。

再利用された真実や事実が漏れると、各偽者の領域を見せられている『1つの自己※』にも、今のところまではエゴが隠したい【異世界】から漏れた真実や事実が見えてしまう。

そこで、漏れた真実や事実を目の当たりにして、『1つの自己※』に無意識の2択がなされる。

漏れた真実や事実を受け入れるか、それともエゴの欺きの世界に留まっていたいから記憶から消すかの2択だ。

それで、受け入れれば、エゴはもう隠せないから、『1つの自己※』が受け入れた真実や事実を採り入れながらまだ隠せる部分を隠した欺きの世界を作り直し、見せる。

真実や事実を受け入れられなければ、エゴはいくらでもまた隠して世界を存続させられる。

部分的に受け入れ、部分的に受け入れられない場合は、受け入れられて隠せない部分を採り入れながら、隠せる部分を隠しながら、エゴは漏れた真実や事実を歪める。

概念も漏れた全て、最後に作られた偽者の領域から再利用されたものであり、可能な限り隠せるだけ隠されて、前に作られた各偽者の領域で歪められたということだ。

要するに、【終わらせる為に作用する何か】の作用により、『全てを終わらせる為に欠かせない要素』は全領域を巡りめぐっているワケだ。

エゴにより歪められた概念ほか全ての歪みをどんどんそぎ落としていくという意味だ。

故に、全ては『1つの自己※』の受け入れ体制にかかっているというわけだ。

その【終わらせる為に作用する何か】による『芋づる式漏れ』作用でなされるのは、欺きが有効なエゴの思考システムの中に、欺けなくなる思考システムがどんどん挿入されていくということだ。

通常ならば、エゴが作った世界なのだから、全てはエゴの意図通りだ。思考プロセスはエゴの思い通りだから、通常ならば、エゴにとって欺けなくなるような歪みを歪み、矛盾を矛盾と認識できる思考プロセスには作られない。

どんなに簡単な論理で、正常に考えれば一目瞭然の矛盾でも、エゴが作りたい思考プロセスにしか作られない。
だから、エゴが作った世界にいくらエゴに不都合な矛盾が生じても、エゴが作った主人公(偽者)は「それは矛盾だ」とツッコミしない。エゴの作り物だからだ。

要するに、この知覚ある世界は、
どんなにエゴに不都合な矛盾が生じても、
簡単な『1+1=2』論理でも「矛盾だ」と考えられないようにさせられている【エゴの思考システム】の世界なのだ。

だから、【終わらせる為に作用する何か】はエゴが作った全ての主人公(偽者)の領域へ矛盾を生じさせながら『芋づる式漏れ』作用を引き起こす。

【終わらせる為に作用する何か】はエゴの作った世界の法則、ルール、常識などに矛盾が生じるように『芋づる式漏れ』を引き起こす。
そして主人公(偽者)がそれを「『1+1=2』だった筈だ」と次第に矛盾だと気づかざるを得ない思考システムを主人公(偽者)の領域へエゴに作らせていく。

『1+1=2』だと一目瞭然に突きつけるツッコミ論理を主人公(偽者)で作られることで、見せられる側である『1つの自己※』にも『終わらせる為に欠かせない要素』を一目瞭然で突きつけられ、どんどん受け入れざるを得なくなっていくワケだ。

こうしてエゴが作った各主人公(偽者)の全域が『終わらせる為に欠かせない要素』を考えられる思考システムにより完全な終わりへどんどん向かわされる。

『矛盾に気づける思考システム』をやれない偽者の領域は、どんどん矛盾に耐えきれなくなり限界へ持っていかれる。そして新たな型の偽者が作られる。最後の偽者までその繰り返しだ。

『矛盾に気づける思考システム』はエゴの作る世界自体の存続を揺るがすから、エゴは極力作りたくない。だが、いずれ作らざるを得なくなる。作らないと騙し続けなくなるからだ。

そして作らざるを得なくなった時点で、エゴが作った主人公(偽者)自体が、エゴが作った世界の根底を揺るがす矛盾ツッコミをやらざるを得ない状態を作られる。

その間にエゴの誤魔化しで沢山の嘘の矛盾ツッコミを見せられるが、どんどん核心的な矛盾ツッコミをやらざるを得ない最後の主人公(偽者)が最終的には作られる。

だが、核心的な矛盾をツッコミするためには、矛盾を矛盾と認識し、
「『1+1』は絶対『10』じゃないし
『11』はマジック論理だし
『田』は誤魔化しだし
『1+1=2』じゃないのかよ!」
とツッコミできるだけの論理的な思考が必要だ。

だから、どんどんこれらの矛盾に気付き、わかりやすく提示し、核心を突く論理的な思考ができるような思考システムへと、エゴが世界の主人公(偽者)を作らざるを得なくなるように、【終わらせる為に作用する何か】による『芋づる式漏れ』作用がなされる。

これが【A・Course・in・Miracles】の概念である『エゴの思考システム』と『聖霊の思考システム』の元になったのだろう。

『芋づる式漏れ』は基本、後に作られた領域(異世界)から前に作られた領域(異世界)へなされるからだ。

※『1つの自己』とは【A・Course・in・Miracles】で言う意味とは違う。
西暦2014年段階の概念参照
(3)特別性を完全に棄てる
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11970070077.html

西暦2015年1月13日:火曜日
佐藤篤代



この本物:佐藤篤代のブログは、
『the Foundation for Inner Peace』の
【A・Course・in・Miracles】
原書second editionの概念をベースにしたブログだ。

本物:佐藤篤代がブログで言う核
【A・Course・in・Miracles】の核心
・知覚ある世界はエゴが作った幻想
・他は無い・他は幻想
・エゴが世界に留める為の最大の欺きの手段は特別性だ。
故にエゴの欺きから脱するには特別性を棄てなくてはならない。
・知覚もエゴが作った。
エゴの作った世界の終わりとは知覚の終わりだ。

本物:佐藤篤代はこの【A・Course・in・Miracles】の核心を基本に、【A・Course・in・Miracles】の歪みを削ぎ落としながら、『世界は幻想』という実体験に基づきながら真実へ向かっている。
この点を徹底的に矛盾なくしながら追究している。

矛盾がない概念を採用し、その方向性を目指す。こうして矛盾と歪みをそぎおとしていけば、いずれエゴの欺き(幻想)の完全な終わりへ向かえると本物:佐藤篤代は考えるからだ。



西暦2015年段階の概念:佐藤篤代

(1)エゴの隠す特質
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11974654245.html
(2)エゴが隠し取り繕う過程
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11975807518.html

西暦2015年(年号:平成27年)
未(ひつじ)年現在

【佐藤篤代について】

西暦2012年7月16日:月曜日:海の日
【A・Course・in・Miracles】セカンドエディション(1976年発行:※生まれ年)の2回目日本語直訳、意訳をやめて直訳でやり直し始める。西暦2011年秋にある所へ送付し自分用が手元にないので、これは自分用。(西暦2012年10月末頃から中断し、西暦2013年11月2日:土曜日にやめた)

理由:【A・Course・in・Miracles】は本という型なので真実を完璧に表現できない。エゴは視界レベルで作り直せると気づいた為。
エゴはあいまいな記憶の水面下をいかようにも作り変えられる。時にはあからさまに作り変える。

同じ理由から【A・Course・in・Miracles】原書は全部はブログ掲載はしない。

この佐藤篤代が手紙を送った宛先のA Course in Miraclesに関連する組織とはthe Foundation for Inner Peace(Mill Valley;アメリカのカリフォルニア州)とthe Foundation for A Course in Miracles(Buecking Drive;Temecula:アメリカのカリフォルニア州)のみ。手紙のみのやり取りだった。
だが、後半ではやり取りは上記組織の個体ではなく、他の存在達こと過去の時点の自分達だけだと考えていた。実際は組織には届いてないと思われる。
西暦2009年から西暦2012年6月29日(金曜日)付の手紙で一切のコンタクトを終了し、以後、今後一切どのA Course in Miracles関連組織とは関わらない。

佐藤篤代はあらゆる全ての思想的布教や教えの組織も含め、A Course in Miraclesに関するあらゆる機関、組織、同人誌を含めた全ての出版、講演、workshop、慈善事業、ボランティア、あらゆる公的活動には一切関わっていないし、永久に関わらない。その他相談的なもの、カウンセリング、ヒーリング等同等の行為にも一切関わっていない。また、イエス キリスト的な偉人系、隠れ偉人や仙人系でもない。

佐藤篤代は生涯本籍変わらない。小学高学年で新築した際1年位近い親戚の家にいた以外、ずっと同じ場所に住んでいる。栃木県宇都宮市。

西暦2013年に新車購入全プロセスは終了済。日本車(国内車)。

佐藤篤代はパスポートを生涯取せず、海外渡航歴なし。

佐藤篤代は生まれてからずっと大病なし、入院もなし。

本物の佐藤篤代は36才(西暦2012年)から風邪も引かない。何らかの症状は代用の偽物の一過性の影響に過ぎないので病気ではない。アレルギーもならない。

本物の佐藤篤代は清潔。潔癖。

まだパソコン持ってなく、基本はスマートフォンがメインでブログ書いてる。あとは祖母の携帯電話をたまに使用。スマートフォンは機種交換し現在XPERIAに。

西暦2012年冬から今ずっと通販してない。めったにしていなかったが。西暦2014年1月19日:日曜日にNissen登録削除しもう通販しない。通販は他でもやってない。
(西暦2015年1月現在)

本物:佐藤篤代は43才になったら、ピンクと可愛い系(フリルやリボンやハートや星等マーク含め)や短いスカートやパンツ系をやめる。
現在の髪型をガラリと変え茶髪もやめる。前髪はなくし、髪色は黒。 現在の髪型(おかっぱ、前髪パッツン、茶髪 )は35才(西暦2011年夏の終わり)から継続中。
暖色系は極力やめ寒色系を主にする(白アイボリー系は多少やる)。ババアはババアらしくする。若づくりやらない。

西暦2007年12月から西暦2008年秋までが第1次インターネットblog活動。西暦2012年1月17日から現在に至るまで第2次インターネットblog活動。それ以外何もない。

本物は将来性のないニート
(西暦2015年)。
佐藤篤代は西暦2015年1月17日(土)で39才。※まだ38才
日本人(血縁すべて日本人)。
生まれてからずっと中肉中背。
普通の容姿。
西暦2009年から無職。それ以前は全部バイトかパート。
生涯未婚で子無し。

メール、コメント、いいね等その他全部のコミュニケーション迷惑だからやめて下さい。
なされる全てが【偽者用コメント】でインチキだと判明している為です。
故に、『偽者用コミュニケーション』だと言う突っ込みしか入れません。
(西暦2015年現在)

佐藤篤代

(西暦2015年1月13日:火曜日)
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