西暦2015年段階の概念:佐藤篤代(5)
西暦2015年1月21日:水曜日

【スケープゴートの世界構造】
①スケープゴートへのマイナス要素の押し付け
②サイドストーリーのスケープゴートの投影


【①スケープゴートへのマイナス要素の押し付け】

【スケープゴート】とは
http://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%B1%E3%83%BC%E3%83%97%E3%82%B4%E3%83%BC%E3%83%88
スケープゴート(scapegoat)は、「身代わり」「生贄(いけにえ)」などの意味合いを持つ聖書由来の用語。「贖罪(しょくざい)の山羊」等と訳される。
現在の意味はこのやや宗教的な意味合いから転じて、不満や憎悪、責任を直接的原因となるもの及び人に向けるのではなく、他の対象に転嫁することで、それらの解消や収拾を図るといった場合のその不満、憎悪、責任を転嫁された対象を指す。簡単な使われ方として、事態を取りまとめるために無実の罪を着せられた「身代わり」や、無実の罪が晴れた場合の「冤罪」などが存在する。
政治の一つの手法として使われる意味合いとしては、方針や主義に不利益とされる小規模な集団や社会的に弱い立場の人間をスケープゴートとして排除するなどして、社会的な支持や統合を目的とするといったものもある。
以上

世界にはスケープゴートが必ず作り出される。

力ある強者が弱者をスケープゴートにするというパターンが殆どだ。常に「弱い位置」にある者を標的にし、罪、悪、あらゆるマイナスの要素を「弱い立場」にある者に押し付ける。

それは、心理学にも、【A・Course・in・Miracles】の「罪の投影」概念にもあるように、「自分には罪はない、罪は外側にある」と外側に罪を擦り付ける『投影』という心の仕組みが世界構造だからだ。

あらゆるマイナス要素を、自分ではなく外側に擦り付ける、責任転嫁、投影の世界構造だからだ。

何故、マイナス要素をスケープゴートへ押し付ける世界構造なのかの原因は、心理学や【A・Course・in・Miracles】レベルでは『知る過程レベル』に留まる。

これまでに本物:佐藤篤代が知ったこのスケープゴートの世界構造の根本的原因は、「1つの自己※」を騙すためにエゴが作った、全【異世界レベル】の主人公【偽者】の「高い位置」を守る為のマイナス要素の押し付けだ。
【終わらせる為に作用する何か】が、エゴが作った全ての偽者を限界へ持っていき、欺きを終わらせる為に、『芋づる式漏れ』作用を引き起すことで漏れたマイナス要素を、各偽者用の領域にエゴがスケープゴートを作り出して押し付けたことが原因だ。
(※この部分、日記の方で改竄されていた)

この点については、別の概念記事に書いてあるので詳しくは書かないが、
マイナス要素の『芋づる式漏れ』により、各偽者は信頼を失うと欺けないので、そのマイナス要素を自分のものとするわけにはいかなかった。
だから、可能な限り他者のものとすげ替え、マイナスの要素をスケープゴートに押し付けた。それで各偽者は「自分の高い位置」を死守してきたワケだ。

「自分の高い位置」を死守する為に、各偽者は糾弾可能なマイナス要素を押し付けたスケープゴートを徹底的に悪者に仕立て上げる。
悪者に仕立て上げられなくなると「可哀想な癒され救われるべき存在」とし、助け、救い、癒しを強調して偽者の「高い位置」を保とうとする手段とする。
無論、エゴがそのように世界全体を作る。

スケープゴートは全偽者に欠かせない「自分の高い位置」を守る為の手段なのだ。
その為の方法も巧妙に変化していく。

だから、スケープゴートを作り出し糾弾することにより「自分の高い位置」を守ろうとする世界の傾向は終わらない。漏れて仕方ない部分は採り入れながら、知覚ある世界が続く限りこの傾向は続くのだろう。

スケープゴートにマイナス要素を押し付ける矛先は、以下の3パターンの傾向が顕著な例だ。
(1)若者
(2)フリーター、無職、ニート、引きこもり、ホームレス、精神病患者などの社会的弱者
(3)犯罪者、犯罪グループ

一見して、マイナス要素を押し付ける格好の餌食だ。
だから、エゴはあらゆるマイナス要素をこれらの型に押し付け、糾弾の矛先が向きやすいように事件を作り出す。
これらの事件は煽動の為にある。
これらの型には一切魅力がなく、良い特別な感情が生じにくいので、矛先が向けやすく、責めやすい型だからだ。

まさに、エゴが作った主人公(偽者)を持ち上げるために、マイナス要素を押し付けて引きずり下ろす手段としてのスケープゴートというわけだ。

低い者が低ければ低い程、高い者をより高く魅せやすい。闇が濃ければ光が一層輝くというヤツだ。


【スケープゴートにマイナス要素を押し付ける矛先】
(1)若者

スーパーで菓子の容器に爪楊枝をさしたり万引きを装ったりする動画がネットに投稿された事件で、無職の19才の少年が逮捕された。これもスケープゴートへのマイナスの押し付けだ。
http://www.yomiuri.co.jp/national/20150119-OYT1T50038.html
(西暦2015年1月19日:月曜日)

だが、ある新聞記者は、『編集手帳』欄で、"有名病"として「発言力を増すため、有名になりたかった」という少年の供述を「若さと未熟さ」を原因としたいかのように非難だけで片付けた。

この新聞記者は「自分は年季が入って説得力ある共感を広げる発言力がある」としたいかのごとく書いているが、この事件を単に「若さと未熟さ」だけで片付けているこの新聞記者こそが、物事の表面だけしか見ていない未熟者だと言われても仕方がない位に無知だ。

【人間レベル】でなど言わざるを得ないのに辟易するが、【人間レベル】で言えば社会を作るのは大人だ。

子供(未成年)が犯罪を犯すならば、子供が犯罪を犯すような社会を作っている大人に責任がある。

そして、新聞記者は多くの人々が読み影響を与えるし、場合によっては世論も作り出す。世論を操作することもできてしまう立場にあるのだ。

そんな、世論に影響を与える新聞記者などの大人が、物事の表面だけしか見ていない点が問題なのではないのか?未成年の犯人を「若さと未熟さ」で責められる立場にはないと言っている。

大人がこのように物事の表面だけしか見ようとしない無知だから、未成年犯罪者が生じる。

では『現代用語の基礎知識2015』から世界の社会構造の「自分が自分が」の無知で偏りのある片鱗が見える部分を抜粋しよう( *・ω・)ノ
『だからアメリカは、1%の金持ちと99%の貧乏人に分かれているわけです。日本社会も、そういう方向に動き出している。TPPで、それが一気に加速化するでしょう。
じゃあ、みんなが幸せになれるわけではないですね。
しかもその金持ちが言論界でも政界でも強い力をもっているから、社会全体が権利者寄りに誘導されてしまうでしょう。
その人たちに不利になるような法律はつくらず、その人たちが常に裕福になる社会…なんか、ほんとうにマンガみたいですね』
以上

世界は平等でもないし、理解もない。みな「自分が自分が」で「自分の高い位置」を守ることしかやっていない。

「自由を平和を平等を」と提唱してどんなに綺麗事をかざしても、その綺麗事が自分を美しく魅せる為の「自分の高い位置」を守る行為でしかない。

だから薄っぺらい表面だけの取り繕いの世界の社会構造なのだ。

発言力のある権力者達が世の中を作るが、その権力者達が、「自分の高い位置」を守る為に薄っぺらい表面だけしか見ない無知なのだから、未成年犯罪者の発生を防げる筈がない。

みな「弱者を理解しよう」と言いながらそれは口だけであり一切理解する努力はしていない。していたら、未成年がこんなに犯罪に走る社会になる筈がない。

大体、弱者と同じ経験をしていない恵まれた強者が弱者を理解できる筈がない。幸せで、楽で、恵まれて生きてきた者に、何故弱者の気持ちが理解できるのか?似たような同等の経験をした者にしかその弱者は理解できない。

人間は経験していない者の立場と心情を理解できない。それが程遠ければ程遠い程理解できない。

漫画『ガラスの仮面』で「二人の王女」の舞台でマヤとアユミは自分とは真逆の役をやることになった。その時、「環境が人を作る」と言われ、二人は生活を交換して役作りをした。
「王女は生まれながらにして王女だったのではなく、王女として扱われて育ったから王女となった」のだ。
これは心理学レベルをよく表している。

これは全く違う環境で育った者を理解することはできず、自分も同じ立場に置かれ、経験しないと解らないという判りやすい例だ。

全てにおいてこれは同じことが言える。
経験したことがないものは理解できない。

エゴが作った世界全体で言うと、最初は楽園から作られたので、これまで作られてきた偽者の領域での全てを理解できるのは、最後に作られた偽者である本物だけだ。
全てを経てきており、全てが採り込まれているから、全てが理解できるようにエゴが作るだけだ。

真実は何度も何度も繰り返し目の前に突きつけられてきている。だから、本当は知っている。だが、受け入れられないから受け入れ拒否をし、記憶を消してきている。実際は何度も繰り返し突きつけられてきているから、受け入れた後での世界では一発で解り、理解できるように見えるだけだ。
単に、受け入れられた要素はエゴが隠せないから、エゴが世界に作らざるを得ないだけなのだ。

一発で理解できる前に、何度も繰り返し経験してきているのだ。
これは全体における流れの話だ。

要は、事前に受け入れられているか、いないかだけなのだ。

だから偽者の領域では、初期であればある程、概念的に原始的だ。それは、最後の領域から漏れた概念が、初期には受け入れられない為に隠し易いので、エゴが隠すからだ。だから、初期の偽者用の領域であればある程、偽者自体が採用する概念や常識や規範や社会構造が浅く原始的なのだ。
多々スケープゴートへの救いも含めたあらゆる手段での糾弾が目的となる。

そして、社会の為、国民の為、人々の幸せの為、犯罪をなくす為、平和、平等、救い、貧困格差をなくす為、国際調和の為と大義を掲げながら、実際にやっているのは「自分の高い位置」を守る為の行為だから、世界の中で完全な解決はなされない。

実質的にマイナス要素を外側へ押し付けることしかなされていないから、次々に世界に生じてくるマイナス要素を完全に解決することができない。

マイナス要素を【終わらせる為に作用する何か】が『芋づる式漏れ』にさせる理由は、主人公(偽者)の「高い位置」を守る為にマイナス要素をスケープゴートへの『投影』で処理しようとするエゴの実態を見せる為なのだろう。

だからテロも戦争も犯罪も人為的な不幸もなくならない。実際は本当に解決しようと思っていないので、実質的に本当の原因を探っていかないからだ。

エゴはマイナス要素は掃き溜めであるスケープゴートへ押し付ける。
この世界構造が実態だからだ。

見るのは、そして作り出すのは、解決へ向かうはずのない表面的な原因だけだ。
そして表面的な原因とは、常に糾弾の為に作り出されるものでしかない。

解決を望まないから、原因をでっち上げているだけだ。根本的な原因は隠しておきたい。自分がマイナスになる、貶められる、自分に罪や原因を追及される可能性が出てくるからだ。
目的はスケープゴートを作り出して、マイナス要素を外側に押し付けることだから、根本的な原因は逆に隠したい。

解決しようとしないから解決できる筈がない。世界はこの社会構造で構成されているのだ。

何故、未成年は犯罪を犯してしまったのか?何故、有名になりたかったのか?何故発言力を増す必要があったのか?
ーそれを突き詰めて問おうともせず、薄っぺらい表面だけを見ていないと言えない「若いと未熟さ」という原因に押し込める。押し込め易いからだ。

この薄っぺらい表面だけの原因に押し込めるのは、【大人が無知】だからだ。

こう書くと「何故、何故、何故!?」と子供に問い詰める【無知の極みの大人】が発生するが、心の仕組みを理解していないからそう問い詰める。

「何故!?」と言うだけで、単に糾弾するだけの大人も多々いる。
心理学レベルの心の仕組みすら知らないから「何故!?」と無理矢理当人に聞き出そうとする。「 聞くことが理解だ」という勘違い大人もいる。
このタイプは「何故」という言葉を糾弾の為に利用しているだけで、その本当の理由を求めていない。本当の理由など知りたくもないから「何故!?」と言って糾弾する。
「何故!?」と問い詰めていれば被害者になれる。自分は悪くない。相手に罪を押し付け相手が加害者だ。
ここでも「自分の高い位置」を死守する行為だけが行われている。

本当に問題を解決したいとは思っていないから、本当の原因を探っていくつもりも毛頭ないワケだ。
必要なのは常に「自分の高い位置」を死守することだけだからだ。

だから、スケープゴートが必要なのだ。

根本的な原因を突き詰めて探っていくと、全ての問題解決の方へ向かっていく。
だが、世界に必要なのは問題解決ではなくスケープゴートへの責任転嫁なのだ。
だから、問題は表面だけで解決されたようにみえ、また異なる形でか同じ形で再発する。根本的な問題解決は図れない。

要するに、問題はマイナス要素の責任転嫁の為に生じると言える。責任転嫁する為に、自分は被害者的な立ち位置にいる必要があるか、あるいは「特別」となる為に救済者になる必要がある。


【スケープゴートにマイナス要素を押し付ける矛先】
(2)フリーター、無職、ニート、引きこもり、ホームレス、精神病患者などの社会的弱者

西暦2015年1月19日:月曜日から始まった新ドラマ『デート~恋とはどんなものかしら』もそうだが、世界というものは、犯罪者、無職、ニートや堕落者等をスケープゴートにして「自分の高い位置」を守ろうとする構造が基盤だ。

社会的義務を果たす、社会の構成員であるということから外れた者は除外し、差別し、蔑み、糾弾する世界だ。
それはエゴが知覚ある世界が現実だと信じさせ、呪縛させる為だ。
エゴにとって、この知覚ある世界は現実だということを死守しなければならないからだ。

だからエゴは、「社会的義務を果たす、社会の構成員であることから外れた者」をスケープゴートにさせ、糾弾する。
外れることに恐怖を抱かせることにより、更に世界へ縛り付ける。

スケープゴートが糾弾されている様を見せつけることにより、「自分はああはならない、なってはならない、絶対になりたくない」と外れることへ恐怖を植え付け、がんじがらめに社会の構成員へ縛り付ける。

もはや呪いのごとく世界へ呪縛されているのだ。


スケープゴートにマイナス要素を押し付ける矛先「(1)若者」、「(2)フリーター、無職、ニート、引きこもり、ホームレス、精神病患者などの社会的弱者」は度々「(3)犯罪者、犯罪グループ」へと移行させられる。
(3)は(1)と(2)に含まれるマイナス要素をエゴが「害のある危険人物」とさせる必要があるからだ。

「これらのマイナスの要素を持つ者は、非難され、糾弾されるに値し、拘束・隔離する必要がある」という方向へエゴが持っていくためだ。
だから犯罪をより凶悪で残忍に作り上げる。
これで闇は更に深くなるからこそ、光が一層輝く。
この全てがこれらのスケープゴートを突き落とすことでエゴが作った『光としたい主人公【偽者】』の「高い位置」を死守するためにあるのだ。

光に惹き付けさせ続ける為に、エゴは闇を濃くさせる。


【スケープゴートにマイナス要素を押し付ける矛先】
(3)犯罪者、犯罪グループ

西暦2015年1月20日:火曜日、日本人2人を人質にとり、日本政府に身代金を要求する事件が発生し、それはイスラム過激組織「イスラム国」による犯行とみられる。「イスラム国」が初めて日本を標的にした事件だ。
http://www.yomiuri.co.jp/world/20150120-OYT1T50090.html?from=ycont_top_photo

世界が矛先を求めているということだ。
善と正義を強調させる為には、悪、マイナス要素を押し付けたい標的が必要。
だから「イスラム国」は世界中からの糾弾の的となり、「許しがたいテロ」と首相は激しく非難する。
「許しがたい!」と叫ぶ方が正義を獲得し、大義名分を得て、糾弾できる。

だからこのように、世界の中に、犯罪者、犯罪グループが作られる。

フランスの新聞社銃撃テロで、「表現の自由を守れ」と世界中で盛り上がったが、フランスの新聞社はイスラム教の創始者ムハンマドを風刺する風刺画を掲載して大問題となっている。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150118/k10014766481000.html
(西暦2015年1月18日:日曜日)

イスラム教の過激派関連が犯人ということで、フランスではイスラム教自体を非難する方向へ向かってしまった。
だが、イスラム教全体が仕組んだテロではなく、一部の過激派なのだ。
イスラム教自体が悪いわけではないのに、フランス新聞社はイスラム教自体を非難する創始者の風刺画を掲載した。

それは普通ならば、イスラム教過激派を更に恨みに駆り立てさせ、更なる憎しみにより、テロを悪化させる煽動行為だ。

全て「自分が自分が」という「自分の高い位置」を守ろうとする為にスケープゴートを作り出して貶める世界の構造がそうさせているのは間違いない。

「自分には罪はない、お前に罪がある」という世界の投影構造がそうさせる。

「自分は正しい、お前が間違っている」という世界の構造がそうさせる。

自分の非を認めようとしない、自分の愚かさや醜さを認めようとしない、自分の間違いを認めようとしない世界の構造がそうさせる。

「自分だけは正しく、罪はない」として「自分の高い位置」を死守させる為の世界構造がそうさせる。

だからこそ、「自分の高い位置」を守る為、自分の正しさ、罪のなさ、美しさを証明させる為に、自分よりも低い、貶める為の糾弾対象を必要とする。
だからスケープゴートを作り出す。

この傾向は、アメリカやフランスに、より顕著に強く表れているが、日本も同じ、どの国でも同じだ。

フランスの殆どは「表現の自由」を守ろうとしているのではない。「表現の自由を守る」という大義名分をかざしながら「自分達の高い位置を守る為にスケープゴートへの糾弾」をしているだけだ。

だからあのように「表現の自由」を掲げて盛り上る。盛り上るだけ盛り上り、実質的に「表現の自由」を守る為の対処をしていない。
目的がスケープゴートの糾弾だからだ。
だからあのように過激に「表現の自由を守れ」と叫んでいるのだ。

このフランスのように、「自由を求める」運動をしながら、実際にやっているのが「スケープゴートへの糾弾」でしかない場合が世界に溢れすぎている。

糾弾する者は、どうしてテロをやるに至ったのか、犯人の事実を知ろうともしない。
理由も知ろうともせずただ糾弾する。
悪は悪であってもらわないと困るのだ。
そうでなければ、本来の目的である「糾弾することで自分の高い位置を守る」ことが果たせなくなるからだ。

悪が悪になれず、「悪が理不尽さが生み出した悲しい連鎖」だとしかなれない場合、「高い位置を守る」方法が変わり、同情と理解と救いと助けと方向が変わるが、やっていることは糾弾と変わりない。
単に「自分の高い位置を守る」方法が変わっただけだ。

世界は取り繕いの為にある。
だから、「自分の高い位置を守る」為の方法がどんどん変わっていく。

これは前述の通り、エゴが作った【異世界レベル】の偽者達が「自分の高い位置を守る」為に世界で取り繕うのが理由だ。

偽者達の信頼と特別性を死守する為に、世界はこのようなスケープゴートへマイナスの要素を押し付ける構造なのだ。

本物:佐藤篤代は『偽者崩し』の為にツッコミをする。だが、世界の矛盾に対してツッコミしているだけだ。

それを【人間レベルの偽者用】が取り繕いでやろうとするから単なるスケープゴートへの悪口と糾弾となるのだ。

【人間レベル】で『人間と認識する対象』に対してツッコミをしようとしたら、単なる悪口と糾弾だということだ。

だから、【偽者】用はスケープゴートが必要になり、それで糾弾の対象となる『スケープゴート像』を作り上げる。


【②サイドストーリーのスケープゴートの投影】

ここからは、【A・Course・in・Miracles】を超えたレベルの内容だ。

本物:佐藤篤代は、【終わらせる為に作用する何か】によりエゴが最後に作らされた主人公(偽者)だ。
全ての世界の最後に作られた。

【終わらせる為に作用する何か】は『芋づる式漏れ』作用により、魅力で惹き付けてきた全偽者の魅力と理想像が崩され、信頼と特別性を失わせ、全偽者の領域を限界へ持っていく。

その為に、全偽者はどんどん型を崩さなくてはならなくなっていった。

故に、本物:佐藤篤代は偽者の理想像崩しの為にあると言える。

本物:佐藤篤代の領域から『芋づる式漏れ』になるのは、概念だけではなく、偽者と偽者の領域の楽園を限界へ持っていく為のへマイナス要素も多々ある。

偽者は騙す為にエゴに作られる。だから、最初は楽園であり理想像から始まる。

これまでも書いたしこれからも書くが、偽者への特別性の呪縛は初期であればある程頑強なのだ。だから初期は何度も繰り返し世界をやり直しできる。
ちょっとやそっとでは限界へは至らない。

そこで【終わらせる為に作用する何か】はエゴが作った全てを再利用し、全偽者の領域へあらゆる矛盾を生じさせ、どんどん世界を疑うようにさせていき、主人公(偽者)への特別性の呪縛も薄れさせていった。

最後の概念を提示する偽者である本物:佐藤篤代は、決して特別性が生じない型でなくてはならなかった。最後にはほとんど自分を憎む位にマイナスだ。
個体へうんざりさせ、「どの型でも同じ」、「個体になど意味はない」となる方向へ持っていかなければならなかったのだ。
そのマイナスは「全てエゴが作った幻想に過ぎない」という【A・Course・in・Miracles】の概念が超えられて熟知されたロボット概念でゼロとなる。
それで『全てが同じ』という視点になり程度がなくなる。

因みに、マイナス要素と言っても、最後の偽者はこのように概念提示をしなくてはならないので、論文が書ける程度に文章がかけなくてはならない為、全てにおいてマイナスなわけではない。
『偽者崩し』の為に、最大効果的に、最後の偽者をエゴが作らされていると考えればいい。

その点を踏まえながら、故に、最後に近いほど、主人公(偽者)にはマイナス要素が多く含まれている。

そのマイナスの要素が全偽者の領域へ最大効果的に漏れていくワケだ。楽園で理想像の領域であればある程、そのマイナスの要素を主人公(偽者)のものとはしたくない。だから、エゴは漏れたマイナス要素を、他者、要するにサイドストーリーのスケープゴートへ押し付けたのだ。

本物:佐藤篤代のマイナス要素が漏れても主人公(偽者)のマイナス要素ではないとできるうちは、サイドストーリーのスケープゴートへ押し付ける。これが全偽者の領域で繰り返されてきた。

隠せなくなってから、スケープゴートのものとはできなくなってから、マイナス要素を主人公(偽者)に採り入れざるを得なくなるワケだ。

全偽者は、本物:佐藤篤代の領域で『芋づる式カバー』を行う。以下参照。

西暦2014年段階:佐藤篤代
(8)芋づる式漏れ・芋づる式カバー
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11970850551.html

その為、本物:佐藤篤代には各偽者の影響だけではなく、偽者の関係者やスケープゴートの影響までくる。

以下示す実例は、【偽者】の領域におけるスケープゴートへの糾弾と責任転嫁の傾向がよく見える。相当なスケープゴートへの糾弾が横行しており、【偽者】の領域にはスケープゴートが不可欠だという実態がよく判る。

西暦2015年1月中旬
先日、【祖母】と外食した際、2種類のセットの内、食べきれないと文句を言うので、いつもはとても無理だが食べられそうだったから、1つの方を半分以上を食べてあげた。
その前から何故か、店員の態度が荒く、隣の初老の男がチラチラこちらを見て、何か変だなと思ってはいた。別にこちらは単に普通に振る舞っていた。雰囲気が変だから、スケープゴートが投影されているなと警戒していつも以上に丁寧に振る舞っていたくらいだ。
するとレジで、店員が「お腹一杯になりました?」と聞いてきた。「え?何でそんな質問?」と訝しげに思いながら【祖母】が答えないから、変な空気になりそうだったから「はい」と笑顔で答えた。すると、店員はそのあと何のアクションも取らず、おかしな空気になった。その場では、全く意味がわからなかった。
ショッピングセンターに入ってる大きなレストランだったからレジでそんな風に話しかけられること自体が変だった。

後で全体を考えて、横取りしたスケープゴートが投影されていたのかと思った。それなら店員の言葉の意味が判る。
店員は横取りされてあまり食べられなかった設定に対して言っていたのだ。

【偽者】用のスケープゴート用設定。糾弾の為の【偽者用設定】だ。恐らくその設定での主人公(偽者)は別の客としてレストランにいた奴だ。大方、チラチラ見ていた初老の男か、その連れだろう。

本物:佐藤篤代はサイドストーリーのスケープゴート用設定を被せられていたのだ。

『投影』という言葉を使えば解りやすいだろう。実際のシチュエーションではない設定がそのシチュエーションに被せられていて、登場人物はその被せられた設定に従って言動するというワケだ。

こういう普通は意味がわからないモノを周囲全体で芝居の如くやられることが多い。みな、周囲が【偽者用設定】で言動するからだ。時にそれはあからさまになる。

【偽者】用設定の『芋づる式カバー』の芝居だ。

因みに、西暦2013年のバースデーケーキは、きちんと「あつよ」という名前で予約したのに、「おばあちゃん」というプレートにされていたように、かなりあからさまな場合もある。どう聞き間違えても「おばあちゃん」と間違うのは不可能だ。

本物:佐藤篤代の領域全てはこのように【偽者用設定】で構成されている。

このようにサイドストーリーのスケープゴート用をよく投影されるので、本物:佐藤篤代は常に警戒し状況を見極めて、【偽者】用のスケープゴートへの糾弾が失敗するように、その場合は至極まっとうに丁寧に常識的に振る舞う。その為に笑顔も向ける。

普通ならば普通にやるがな。

【偽者】用『芋づる式カバー』設定状況に応じて、その場の主人公を見極め、『崩す』ように振る舞う。


このように、【偽者】はスケープゴートを糾弾したくて仕方がないのだ。
本物:佐藤篤代そのままを利用しづらいときは必ずサイドストーリーとしてスケープゴートを投影してくる。

それを言っている。【人間レベル】で人間と認識する対象にツッコミをしようとすると、単なる【無知な糾弾】としかならない。

糾弾したい相手がいるならば、その糾弾したい相手が何故そのようになったのか、何故そのような事をするのかに対して【無知だから】
『責める』、『糾弾する』という
【原始的な方法で反応】するしかない。
要するに、心理学レベルにもいない偽者用というワケだ。

心理学レベルでも心の仕組みを知っていたら、悪人、犯人、非常識な人、嫌な悪い事をする人に対して、嘲笑ったり馬鹿にしたり責めたり糾弾するという原始的な方法で反応しない。
理由について考えたら責めたり糾弾できないと知っているからだ。

要するに、【人間レベル】において、
『人間が現実』として人間と認識する対象を責めたり糾弾する者は、
全て【何も知らない無知】ということなのだ。

【偽者】は【人間レベル】が多いから、
この単なる【無知だから他者を責めたり糾弾しているだけ】に成り下がる型が多く、それは信頼を死守する為にスケープゴートへの糾弾を必要とするからこそ、更に自分の無能さを露呈する結果にハマり込むという地雷を自ら埋め込んでいるワケだ。

結局、【人間レベル】ではスケープゴートへの悪口や責任転嫁にしかならないということをよく覚えておくべきだ。
【人間レベル】では『人間は現実』だからだ。

【A・Course・in・Miracles】の核心『知覚ある世界はエゴが作った幻想』だという視点の前では、偉人も悪者もスケープゴートもみな同じエゴが作った幻想でしかない。

人間を現実と見て、違いを見て、違いを現実にさせている、犯人や堕落者等を糾弾したり助けや救いが必要と見る視点は、『知覚ある世界はエゴが作った幻想』とは見ていない。

全て、誰であろうと同じ、エゴが作った幻想でしかない。全部同じだ。
そこに一切程度はない。
この点を多々誤魔化されているのだと知れ。


西暦2015年1月21日:水曜日
佐藤篤代




西暦2015年段階の概念:佐藤篤代
http://simplog.jp/comment/19063121/23

(1)エゴの隠す特質
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11974654245.html
(2)エゴが隠し取り繕う過程
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11975807518.html
(3)2つの正反対の思考システム
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11976707775.html
(4)知覚ある世界はエゴが作った幻想
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11978246696.html

この本物:佐藤篤代のブログは、
『the Foundation for Inner Peace』の
【A・Course・in・Miracles】
原書second editionの概念をベースにしたブログだ。

本物:佐藤篤代がブログで言う核
【A・Course・in・Miracles】の核心
・知覚ある世界はエゴが作った幻想
・他は無い・他は幻想
・エゴが世界に留める為の最大の欺きの手段は特別性だ。
故にエゴの欺きから脱するには特別性を棄てなくてはならない。
・知覚もエゴが作った。
エゴの作った世界の終わりとは知覚の終わりだ。

本物:佐藤篤代はこの【A・Course・in・Miracles】の核心を基本に、【A・Course・in・Miracles】の歪みを削ぎ落としながら、『世界は幻想』という実体験に基づきながら真実へ向かっている。
この点を徹底的に矛盾なくしながら追究している。

矛盾がない概念を採用し、その方向性を目指す。こうして矛盾と歪みをそぎおとしていけば、いずれエゴの欺き(幻想)の完全な終わりへ向かえると本物:佐藤篤代は考えるからだ。

※本物:佐藤篤代が言う「1つの自己」とは【A・Course・in・Miracles】の意味とは違う



西暦2015年(年号:平成27年)
未(ひつじ)年現在

【佐藤篤代について】

西暦2012年7月16日:月曜日:海の日
【A・Course・in・Miracles】セカンドエディション(1976年発行:※生まれ年)の2回目日本語直訳、意訳をやめて直訳でやり直し始める。西暦2011年秋にある所へ送付し自分用が手元にないので、これは自分用。(西暦2012年10月末頃から中断し、西暦2013年11月2日:土曜日にやめた)

理由:【A・Course・in・Miracles】は本という型なので真実を完璧に表現できない。エゴは視界レベルで作り直せると気づいた為。
エゴはあいまいな記憶の水面下をいかようにも作り変えられる。時にはあからさまに作り変える。

同じ理由から【A・Course・in・Miracles】原書は全部はブログ掲載はしない。

この佐藤篤代が手紙を送った宛先のA Course in Miraclesに関連する組織とはthe Foundation for Inner Peace(Mill Valley;アメリカのカリフォルニア州)とthe Foundation for A Course in Miracles(Buecking Drive;Temecula:アメリカのカリフォルニア州)のみ。手紙のみのやり取りだった。
だが、後半ではやり取りは上記組織の個体ではなく、他の存在達こと過去の時点の自分達だけだと考えていた。実際は組織には届いてないと思われる。
西暦2009年から西暦2012年6月29日(金曜日)付の手紙で一切のコンタクトを終了し、以後、今後一切どのA Course in Miracles関連組織とは関わらない。

佐藤篤代はあらゆる全ての思想的布教や教えの組織も含め、A Course in Miraclesに関するあらゆる機関、組織、同人誌を含めた全ての出版、講演、workshop、慈善事業、ボランティア、あらゆる公的活動には一切関わっていないし、永久に関わらない。その他相談的なもの、カウンセリング、ヒーリング等同等の行為にも一切関わっていない。また、イエス キリスト的な偉人系、隠れ偉人や仙人系でもない。

佐藤篤代は生涯本籍変わらない。小学高学年で新築した際1年位近い親戚の家にいた以外、ずっと同じ場所に住んでいる。栃木県宇都宮市。

西暦2013年に新車購入全プロセスは終了済。日本車(国内車)。

佐藤篤代はパスポートを生涯取せず、海外渡航歴なし。

佐藤篤代は生まれてからずっと大病なし、入院もなし。

本物の佐藤篤代は36才(西暦2012年)から風邪も引かない。何らかの症状は代用の偽物の一過性の影響に過ぎないので病気ではない。アレルギーもならない。

本物の佐藤篤代は清潔。潔癖。

まだパソコン持ってなく、基本はスマートフォンがメインでブログ書いてる。あとは祖母の携帯電話をたまに使用。スマートフォンは機種交換し現在XPERIAに。

西暦2012年冬から今ずっと通販してない。めったにしていなかったが。西暦2014年1月19日:日曜日にNissen登録削除しもう通販しない。通販は他でもやってない。
(西暦2015年1月現在)

本物:佐藤篤代は43才になったら、ピンクと可愛い系(フリルやリボンやハートや星等マーク含め)や短いスカートやパンツ系をやめる。
現在の髪型をガラリと変え茶髪もやめる。前髪はなくし、髪色は黒。 現在の髪型(おかっぱ、前髪パッツン、茶髪 )は35才(西暦2011年夏の終わり)から継続中。
暖色系は極力やめ寒色系を主にする(白アイボリー系は多少やる)。ババアはババアらしくする。若づくりやらない。

西暦2007年12月から西暦2008年秋までが第1次インターネットblog活動。西暦2012年1月17日から現在に至るまで第2次インターネットblog活動。それ以外何もない。

本物は将来性のないニート
(西暦2015年)。
佐藤篤代は西暦2015年1月17日(土)で39才。
日本人(血縁すべて日本人)。
生まれてからずっと中肉中背。
普通の容姿。
西暦2009年から無職。それ以前は全部バイトかパート。
生涯未婚で子無し。


メール、コメント、いいね等その他全部のコミュニケーション迷惑だからやめて下さい。
なされる全てが【偽者用コメント】でインチキだと判明している為です。
故に、『偽者用コミュニケーション』だと言う突っ込みしか入れません。
(西暦2015年現在)

佐藤篤代

西暦2015年段階の概念:佐藤篤代
(5)スケープゴートの世界構造:佐藤篤代
西暦2015年1月21日:水曜日
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