西暦2015年段階の概念:佐藤篤代(6)
西暦2015年1月28日:水曜日

【原因と結果の法則】
①幾重にも隠される根本的原因
②原因のない結果はない
③根本的原因と完全な最終的問題解決


【①幾重にも隠される根本的原因】

この【原因と結果の法則】概念は、いかようにも浅く表面的にエゴが作り出す。
「どこまで深く根本的原因へ近づいていけるかな( ・ε・)?」と考えながら読み進めるべきだ。
根本的原因へ近づけば近づける程、以下は異なる内容が見える。

歪みをどこまで取り除いていけるかが問題だ。そしてそれは受け入れ体制の問題だ。


目の前にやってくる結果には、必ず何らかの原因がある。

何らかの原因がなければ結果はない。

原因のない結果はない。

これが有名な【原因と結果の法則】だ。

心理学、成功法則、スピリチュアル…【A・Course・in・Miracles】でも、根底に必ずこの【原因と結果の法則】があるのであり、各分野で各レベルにおける説明がなされている。

その【原因と結果の法則】が説明されていなく、この法則に基づかれていない論理は、原始レベルだ。
必ずどの分野にも原始レベルがある。

心理学から【A・Course・in・Miracles】に至るまで、原因はごく表面的なものから説明される。

心理学ならば、生まれ育った環境が人を作るという原因であり、育ち生きていく過程で心が受けた全てに原因を見出だす。
これでもごく表面的な原因だ。
だが、世間一般的には、この心理学レベルの【原因と結果の法則】ですら理解されず、スケープゴートへの糾弾の為に度々原因を無視されるのだ。

成功法則ならば、潜在意識により強く埋め込まれた考えが原因だ。
習慣的思考が現実を作り出す。習慣的に考えられた思考はより強く潜在意識に埋め込まれている。潜在意識に、より強くインプットされた思考が現実化するという考え方だ。
だから、人生、生き方を変える為にはプラスの思考を潜在意識にインプットするという訓練がなされる。願望があれば潜在意識にインプットする訓練をして願望実現させる。だが、潜在意識には嘘はつけないので、本当の願いが別にあるという場合が多々あり、願望インプットをしても、本当の願いの方が実現される。
故に、まずすべきなのは、自分の潜在意識に満たされた無意識下の習慣的思考を模索し、本当に望んでいることは何かを探る作業も欠かせない。無意識下の潜在意識に占めた思考の点検が欠かせないということだ。
このように、成功法則では、潜在意識に占められた思考が原因という考え方だ。
これもまだ心理学レベルよりは進んだものの表面的な原因だ。

スピリチュアルでは、成功法則の延長的な内容も含まれ、輪廻が原因とする考え方もある。思考レベルより超えて魂レベル、「決められた運命」青写真の運命レベル、創造者レベルに原因があるとする。

そして【A・Course・in・Miracles】では世界の起源のレベルに原因を見る。神からの分離が原因と見る。世界は神ではなくエゴが欺きの目的で作った幻想であり、全ての幻想を終わらせなくてはならない。だが、神概念が歪みなので、これまでも書いてきたが、後々機会があれば歪みの指摘も含めて書く。

このように、各分野全てに各レベルの【原因と結果の法則】が根底にあるのが判る。【A・Course・in・Miracles】にはその説明も書いてある。

世界は【原因と結果の法則】で構成されているのだ。

そして、原因は限りなく浅くエゴが作り上げることが出来る。公的に、一般的に、世間的に広く扱われている原因が、このエゴが欺きの為に、根本的原因を隠すために作り出した浅い原因だ。

だから、世界の中で、強者には根本的原因は決して見出だせない。

強者は表面的原因レベルの解決が成功し過ぎるからこその強者だからだ。その先に掘り下げていくと必ずある次の段階の原因へは向かわない。向かう必要がないからだ。

故に、強者には両極におけるあらゆる対極の解決法は完全には解決できないと見出だせない。必ず再発するが、再発してもまた同じ方法で解決すればいいとなる。強者は全てにおいて表面的に解決できてしまうからだ。だから、根本的原因へは決して向かえない。

強者は、表面的に成功し過ぎるので、水面下に幾重にも隠されている根元、根源、起源レベルの根元の問題と原因には達することが出来ないのだ。

だから、世界の表舞台に立つ強者達が掲げる全てが、表面的で浅い。強者達が表面的な問題と原因しか扱わないからだ。だから、世界の公、一般的、世間が必ず表面的なのだ。
そして、それが根本的原因を隠したいエゴの狙いだ。

一方、弱者(じゃくしゃ)は常に問題を抱え、解決しようとしても表面的解決では解決できないか、解決しても再発の問題を抱える。

だから弱者は問題解決法を模索する。
だから様々な問題解決法を模索する。

これが駄目なら次…と、あきらめなければ延々と本当に問題が解決できるまで弱者は模索する。
だから、同時に根本的原因へ近づいていける。

問題を解決するには原因を突き止めなくてはならない。

弱者は必要に迫られ、必然的だから、原因を追及していく覚悟をしやすくなる。

故に、根本的解決の為の根元、根源、起源の原因へ向かえ、到達可能なのは、弱者だけだ。

表面的問題解決が成功しやすい強者には不可能だ。成功したらそこでストップ。先の原因の段階には進めない。

知恵、知識で解決できるレベルは全て表面的原因を扱う表面的解決に過ぎないのだ。

だから【原因と結果の法則】はいかようにも浅く表面的な内容に作り上げることが出来るのだ。



【②原因のない結果はない】

西暦2015年1月25日:日曜日
http://www.yomiuri.co.jp/national/20150125-OYT1T50000.html
イスラム過激派組織「イスラム国」とみられるグループが日本人2人の殺害を予告している事件で、人質となっているフリージャーナリストの後藤健二さん(47)とみられる男性のビデオ映像が24日、動画サイトに投稿された。
映像の中で男性は、横たわる湯川遥菜さん(42)とされる男性の写真を手にし、「私は後藤健二です」などと英語で話す男性の声が流れた。政府は事実関係の確認を急いでいる。
映像は、日本時間24日午後11時過ぎに公開された。「後藤健二の家族と日本政府が受け取ったメッセージ」と題する2分52秒の内容だ。
オレンジ色の服を着た後藤さんとみられる男性が登場し、「安倍(首相)、あなたが(湯川)遥菜さんを殺しました。あなたは私が捕らえられているという脅しを真剣に受け止めず、72時間以内に行動しませんでした」などと説明する音声が流れた。
その上で、「彼ら(イスラム国)はもう、金銭を要求しません」などとし、ヨルダンで拘束されているとみられる女死刑囚、サジダ・リシャウィの釈放を求めた。この死刑囚は、2005年11月にヨルダンの首都アンマンで起きた同時爆破テロ事件の実行犯の一人として生き残ったとされる。
以上

表に出回っている情報は偏っている。一方的に「イスラム国」を、世界中で非難し叩いているが、ある特集ニュースによると、イスラム教スンニ派はイラン政府に迫害されている。「イスラム国」もそのスンニ派だ。
「イスラム国」の非情さや残忍さが表面的に大きく採りあげられ、そういう背景のニュースが極端に少ない。
イラン政府のスンニ派迫害等のなんらかの原因から、過激派が生じるようになったのだろうと普通考えるだろうに。最初から突然変異的に過激派が生じるなどはない。
必ず原因が隠されている。
【人間レベル】で言ってもだ。

このように必ず背景に理由があるのが心理学レベルでは当然だ。

原因のない結果はない。

弱者は強者に虐げられ、耐えきれなくなった弱者は武器を持ち強者に立ち向かう。それで犠牲者が生まれ、その加害者を被害者が憎む。憎しみの負の連鎖だ。その連鎖に終わりはない。根本的原因が見過ごされているからだ。

そして、日本が初めて標的になったのは、やはり集団的自衛権の限定容認を安倍晋三首相が強引に閣議決定したからだという可能性が高いのは否定できない。

元々、テロ国家からの標的になる可能性が出てくると言われていたのだ。この点をニュースで指摘しないのもおかしい。

識者からは安倍晋三総理が的確な対処をしていないと湯川氏死去ニュースより前から言われていたが、後藤氏のメッセージとされた内容は、あながち実態なのではと思わせる。

権力者達がほとんどが自分たちや国の都合がよい方向へ持っていこうとする為に事実を隠す傾向が強い世界だからな。

都合が悪いものは隠す。
この世界の強い傾向だ。
それは、この世界がエゴが欺きの為に作ったので、欺きの目的の為にエゴにとって都合が悪い全てを隠す世界だからだ。

その世界の作り手であるエゴが、動かしやすく、正当化しやすく、弱者を支配しやすい強者、権力者を、エゴが都合がよいように言動するように動かさない筈がないだろう。

まず、エゴは強者を都合よく動かす。
エゴだけの作用が働いていたならば、世界には永久に強者の楽園が続いていた。

そして、そのエゴが作った世界は全て終わりへ向かっているので、エゴとは正反対の【終わらせる為に作用する何か】作用により、そのエゴの目的と世界の実態がどんどん垣間見え、トリックの全てが暴かれていくのだ。

全てを終わらせる為には、欺かれていた全てのトリックと目的が暴かれ、知られなくてはならないからだ。

世界はエゴが作ったインチキに過ぎないと、完全に知らなくてはならない。
そうでなければ何も終われない。



【③根本的原因と完全な最終的問題解決】

以下は、西暦2014年段階の概念記事にも書かれている内容だ。繰り返しになる部分ばかりだが、この概念記事には必要なので重複でも書く。

最終的な根元の問題を解決し、全ての表面的問題解決と再発の繰り返しのサイクルを終わらせる為には、大元の根本的原因を突きとめなければならない。

本物:佐藤篤代が突きとめた、これまでの所までの根本的原因は、【A・Course・in・Miracles】がベースとなった考えであり、「エゴに欺かれている対象の、欺かれて世界に留まっていたい願望」にあると考える。
これは【A・Course・in・Miracles】では「神からの分離」として「起源の問題」とされている。
しかし、神概念は歪みだと判ったので、この基本の考え方だけを本物:佐藤篤代は採用している。

その、エゴに欺かれていると思われる対象は、【A・Course・in・Miracles】では、神から分離した神の息子達だが、本物:佐藤篤代は複数ではなく何らかの「1つ」だと考え、それを「1つの自己」と呼んでいる。
【A・Course・in・Miracles】の「起源の問題」は歪みとして捉えているので、【A・Course・in・Miracles】の「1つの自己」とは意味が異なる。

この「1つの自己」がエゴに欺かれ世界に留まりたいという願望を終わらせない限り、世界の中の全ての問題は延々と続く。この点において、あくまでも大まかなベースの考え方は【A・Course・in・Miracles】と同じだ。

だから、エゴとは正反対の作用【終わらせる為に作用する何か】は、「1つの自己」の欺かれたい願望を完全に終わりへ向かわせる為に作用している、と観察上これまでに気付いた。この考えは、【A・Course・in・Miracles】の「聖霊」概念が大まかなベースとなっている。

「1つの自己」の願望を完全に終わりへ向かわせる為には、世界に一切未練が残らないように幻滅させればいい。

それで、【終わらせる為に作用する何か】は、世界へ魅了するあらゆる要素を幻滅へ持っていくように作用する。

エゴが世界へ惹き付ける最大の手段は、エゴが作った各世界の主人公(偽者)だ。
だから、主人公(偽者)はより最初に作られた程完璧な理想像に近い。

その為、【終わらせる為に作用する何か】は、その主人公(偽者)の全てを、欺きが不可能になるまで魅力を崩し、幻滅させ、特別な感情と信頼を失わせ、限界へ持っていくように作用する。
同時に、世界が、エゴが作った紛い物のインチキである実態に直面させる。

それで、「1つの自己」はどんどん各主人公(偽者)である個体にも、あらゆる個々の存在にも、世界にも幻滅してゆき、世界に留まり欺かれていたい願望はなくなっていく。
逆に、こんなインチキ全てを完全に終わらせたいという願望に転じる位に幻滅させれば、世界に留まりたい願望も終わる。

世界に惹き付けておける手段が完全になくなった時、エゴはもう欺けない。そこで、エゴは欺く為に作ること自体をやめる。エゴが作ることを完全にやめた時は、全ての欺きが通用しなくなった時だ。
そして、その時点こそが、知覚ある世界の終わりであり、知覚の終わりであり、繰り返しのサイクルの完全な終わりだ。
知覚ある世界の中の全ての問題の完全解決はこの時点にある。

【終わらせる為に作用する何か】は、その為に、エゴが作った全てを再利用して、エゴが次々に作った各主人公(偽者)を限界へ持っていき、何度も新たな主人公(偽者)型を作り直させて、全ての主人公(偽者)を終わらせる。

本物:佐藤篤代も、エゴに最後に作られた主人公(偽者)であり、その為の再利用手段というわけだ。

そしてその為に、【終わらせる為に作用する何か】はエゴが全領域、全主人公(偽者)用に作った全てを再利用して各主人公(偽者)の領域へ別の【異世界レベル】の主人公(偽者)用の領域のものを漏らすように作用する。それでどんどん矛盾が生じ、全てが限界へ持っていかれる。

この【異世界レベル】の漏れを、本物:佐藤篤代は『芋づる式漏れ』と呼んでいる。

西暦2014年段階の佐藤篤代
http://simplog.jp/comment/18717650/23
(8)芋づる式漏れ・芋づる式カバー
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11970850551.html

【終わらせる為に作用する何か】はエゴが作った全領域を限界へ持っていくように、『芋づる式漏れ』作用により、エゴに作らざるを得ないようにさせていく。
そして最後の主人公(偽者)まで作らせる。

故に、最後の主人公(偽者)は全てを終わらせる為にエゴが作らされたと言える。

その為、最後の主人公(偽者)自体が、それ以前に作られた全主人公(偽者)を、自分を含めて崩す為に尽くすように作られている。
それが、本物:佐藤篤代が人生をかけて尽くしている『偽者崩し』だ。

本物:佐藤篤代の領域では、エゴの目的としては、全他の主人公(偽者)の取り繕いの為の『芋づる式カバー』がなされる。エゴは作用なので、終わりへ向かうのを可能な限り遅らせる為だ。

だから、前に作られた全ての主人公(偽者)用の影響ばかりが本物:佐藤篤代にくるので、主人公(偽者)の特徴を知りやすい。
その為に、各主人公(偽者)を崩す為にどのように言動すればよいかを見極めて、考えて、全『偽者崩し』の為だけに時間と労力を使うことができる。

最後の主人公(偽者)は全『偽者崩し』の為にエゴが作らされたからだ。

例えば、誕生日も『偽者崩し』の為に再利用するし、再利用される。

目の前にやってくる兆候に気付き、いかにしてこの本物:佐藤篤代の取り繕いをしようとする偽者を崩せるかを考えて行動し、それに利用可能な全てを再利用する。それは誕生日すらも再利用できるということだ。

誕生日は『偽者崩し』の大チャンス。かなりの広範囲の偽者が崩せる。
崩すにはやり方だ。

誕生日が祝うためなんかにある筈がない。
エゴが作った幻想でしかないのだからな。
誕生日は『偽者崩し』の再利用の為だけにあるのだ。
全てを終わらせる為だけにあるのだ。
そう捉えられないヤツは、世界を現実と捉えている証拠だ。

「知覚ある世界はエゴが作った幻想」とか口では誰でも言える。
だが、少なくとも他人もだが自分の誕生日を特別な日として祝う為に誕生日をやりバースデーケーキをやってるようなヤツは、エゴが作った幻想を現実としか見ていない。

エゴが作った幻想全て、
何のために使うのか、
何のために行うのか、だ。

その目的により、エゴの作った幻想を現実とさせる為にか、それら全てを幻想として見て終わらせる為にだけ使い行うのかが決まる。それだけの話だ。

どうやれば偽者崩しができるか、どうすればエゴの欺き全てを終わりにでき、全てを終わらせられる方向へ向かえるか、世界にあるように見える全てを使うとき、行うとき、本物:佐藤篤代はそれしか考えていない。

そのために利用できるものは何でも再利用する。
それだけだ。

これは自分があるヤツにはできない。

『偽者崩し』は自分がある者にはできない。自分独自の人生を生き、この世界にハマり込んで生きている者には不可能なのだ。

この世界にハマり込んで生きるとは、作り手であるエゴの【隷属】として、世界の構成員として生きる選択をすることだ。そして、社会的義務を果たして生きることだ。

【社会的義務系偽者】は本物:佐藤篤代のマイナス要素をサイドストーリーのスケープゴートへ押し付けて糾弾する傾向が強い。

逆に利用できる本物:佐藤篤代のプラスの要素は自分のものとして採り入れる。
『いいトコ取り』というヤツだ。
利用できなくなるとスケープゴート用にして糾弾する。

この【原因と結果の法則】も利用できる部分を利用し、歪め、利用できない部分はスケープゴート用として糾弾する要素として歪めるだろう。

だから、この【原因と結果の法則】は、【A・Course・in・Miracles】レベルにもいない【社会的義務系偽者】が利用すると地雷を踏むように構成しておく。無論、『偽者崩し』の目的だ。

【社会的義務系】はエゴが作ったこの知覚ある世界の構成員となる選択をしたエゴの【隷属】だ。
ならば、【社会的義務系】はこのエゴが作った世界の中で生きるという選択をした者がやらなければならないことをやるべきだ。

本物:佐藤篤代の最大のマイナス要素である、無職にしかできないことを【社会的義務系偽者】がやらざるを得なくなり、正当化する為に、エゴが世界を都合よく作り変える傾向がある。

その取り繕いの最大の例が、『仕事のゆるさ』だ。

北隣の【近藤】の異世界的な仕事のゆるさの理由だ。これほどまでにサボっていたら普通ならばとっくに解雇されているレベルの仕事のゆるさだ。

無職にしか出来ないことを【社会的義務系偽者】が無職でなくても可能なように世界で取り繕うこの傾向は見過ごせない。

【社会的義務系偽者】は、無職である本物:佐藤篤代が無職だからこそできることを、仕事を失わせず、社会的義務を保ったまま強引にやらざるを得ないのがここから窺える。

この点に『偽者崩し』の効果的要素を見るワケだ。

だから、『偽者崩し』の為に【社会的義務系】全般が仕事のゆるさを取り繕えないようにさせる。
普通は無職でしか出来ないことは、無職でしかできなくさせる。

本物:佐藤篤代が無職である最大の理由のうちの1つは、【社会的義務系偽者】『崩し』の為でもあるとよく解る。


魂をかけて本気で仕事して生きていたら、スケープゴートへマイナス要素を押し付けて糾弾するなど、時間の無駄は絶対にしない。

そんな暇があったら、自分の仕事と生きることに時間と労力を尽くす。

自分のすべきことに集中し、スケープゴートに気を取られている暇などはない筈だ。
本物:佐藤篤代はそういう生き方だった。【人間レベル】にいた時も、現在も。

ゆるい仕事をしている【社会的義務系】は本気で仕事をしていないし、本気で生きていない。
何のために生きているのか?
自分より劣る者を糾弾する為なのか?
自分より下の者を馬鹿にする為なのか?

スケープゴートをあらゆる方法で糾弾する暇があったら、ゆるい仕事を正当化してないで、魂を込めて、魂磨り減らして生命かけて仕事して生きるのに時間と労力を使えよ、【社会的義務系偽者】。

社会的義務を果たして生きる選択をした者ならば、それで本物と言い張るならば、【社会的義務系】はそう生きなくてはならない。

仕事とは与えられてしぶしぶやるものじゃない。
よりよく仕事をするため、更によくするため、より合理的に効率的に成果があがるように自分ですべきことを見出だし、それに全力を尽くすことだ。
本物:佐藤篤代が【人間レベル】にいた頃目指していた仕事は作家だったから基本そういう姿勢でしか仕事に臨めなかったが、バイトやパートをやっていた時も同じ姿勢で仕事をしていた。

ゆるい仕事をする者は全力を尽くして仕事をしないからゆるい仕事しか出来ない。やることなど探せばいくらでも出てくる。

要するに、ゆるい仕事をしている者は天職を尽くす、天命を尽くして全力で生きる意欲がないのだ。何の目的もなく、ただのうのうと生きているだけ。

何の為に仕事をしているのか?
何の為に生きているのか?

ゆるい仕事をしている者には、その目的が明白である筈がなく、全力で生きているとは言えない。

エゴが作った知覚ある世界で、エゴの【隷属】として、世界の構成員として社会的義務を果たす選択をしている【社会的義務系偽者用】達は、スケープゴートにマイナスの要素を押し付けて糾弾する暇があるならば、自分の仕事と人生に作らざるを集中すべきなのだ。


これは【社会的義務系偽者】崩しの為の提示だ。

これを、同じように社会的義務を棄てた偽者用に向けて言っても仕方がないことが判るだろう。
同じように棄てた段階にいる偽者用に仕事の姿勢について提示しても仕方がない。段階的にクリアしているから、社会的義務を棄てているわけだからな。
だから、棄てた段階の偽者用にはほとんど効果はない。

『偽者崩し』とは、対象毎に、偽者型毎に、崩すのに効果的な事実提示をすることなのだ。効果的な提示内容は偽者型によって大きく異なるということだ。

この事実提示は【終わらせる為に作用する何か】が終わらせる為に最大効果的に作用して再利用する。

このように、【終わらせる為に作用する何か】はエゴが作った全てを再利用して、エゴが作った全てを終わらせる為に作用する。

そして、全てを終わらせる為に『知るべき内容』を主人公(偽者)に追究させて知るようにさせ、言わせたり書かせたりすることにより、このように【知るべき内容の循環】を再利用で行っている。

『芋づる式漏れ』作用により、全てを終わらせる為に『知るべき内容』は、全主人公(偽者)の領域を循環し、その内容をエゴは作らざるを得なくなる。
エゴは隠せる内容を隠して歪めながら、どんどん取り繕うが、何度も繰り返し突き付けられていくうちにどんどん隠せなくなっていく。
隠せば逆に疑いが強まり、余計にエゴは欺き難くなるからだ。だから、エゴは欺く為に、可能な限り避けたい内容を作らざるを得なくなる。

だから、最後に作られた主人公(偽者)である本物:佐藤篤代は、このように、終わらせる為に『知らせる作業』も行わされているのだ。
そのようにエゴは作らざるを得ない。

そして、最後の主人公(偽者)故に、本物:佐藤篤代が知り提示する『知るべき内容』は最終的な内容だ。

これが、現時点、西暦2015年1月に本物:佐藤篤代が知っている、根本的原因と完全な最終的問題解決への道だ。

西暦2015年1月28日:水曜日
佐藤篤代
【原因と結果の法則】



西暦2015年段階の概念:佐藤篤代
http://simplog.jp/comment/19063121/23

(1)エゴの隠す特質
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11974654245.html
(2)エゴが隠し取り繕う過程
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11975807518.html
(3)2つの正反対の思考システム
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11976707775.html
(4)知覚ある世界はエゴが作った幻想
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11978246696.html
(5)スケープゴートの世界構造
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11979880043.html

この本物:佐藤篤代のブログは
【A・Course・in・Miracles】の核心「知覚ある世界はエゴが作った幻想」を矛盾なく徹底的に追究し、
【他が幻想であり、他がない】
と証明する、
『世界の起源を扱う』、
『人間レベルではない』、
【自分発信、自分受信】
の自分が知るために自分が自分に知らせる為のブログだ。

敵はいない。
味方もいない。
全部同じだからだ。
全てが同じエゴが作った幻想でしかないからだ。

本物:佐藤篤代は『エゴが作った幻想』という見方でしか何も見ないから、敵も味方もいない。

この『全てはエゴが作った幻想』という視点でしか『全部同じ』としては見ることはできない。

この本物:佐藤篤代のブログは、
『the Foundation for Inner Peace』の
【A・Course・in・Miracles】
原書second editionの概念をベースにしている。

本物:佐藤篤代がブログで言う核
【A・Course・in・Miracles】の核心
・知覚ある世界はエゴが作った幻想
・他は無い・他は幻想
・エゴが世界に留める為の最大の欺きの手段は特別性だ。
故にエゴの欺きから脱するには特別性を棄てなくてはならない。
・知覚もエゴが作った。
エゴの作った世界の終わりとは知覚の終わりだ。

本物:佐藤篤代はこの【A・Course・in・Miracles】の核心を基本に、【A・Course・in・Miracles】の歪みを削ぎ落としながら、『世界は幻想』という実体験に基づきながら真実へ向かっている。
この点を徹底的に矛盾なくしながら追究している。

矛盾がない概念を採用し、その方向性を目指す。こうして矛盾と歪みをそぎおとしていけば、いずれエゴの欺き(幻想)の完全な終わりへ向かえると本物:佐藤篤代は考えるからだ。

※本物:佐藤篤代が言う「1つの自己」とは【A・Course・in・Miracles】の意味とは違う

西暦2015年(年号:平成27年)
未(ひつじ)年現在

【佐藤篤代について】

西暦2012年7月16日:月曜日:海の日
【A・Course・in・Miracles】セカンドエディション(1976年発行:※生まれ年)の2回目日本語直訳、意訳をやめて直訳でやり直し始める。西暦2011年秋にある所へ送付し自分用が手元にないので、これは自分用。(西暦2012年10月末頃から中断し、西暦2013年11月2日:土曜日にやめた)

理由:【A・Course・in・Miracles】は本という型なので真実を完璧に表現できない。エゴは視界レベルで作り直せると気づいた為。
エゴはあいまいな記憶の水面下をいかようにも作り変えられる。時にはあからさまに作り変える。

同じ理由から【A・Course・in・Miracles】原書は全部はブログ掲載はしない。

この佐藤篤代が手紙を送った宛先のA Course in Miraclesに関連する組織とはthe Foundation for Inner Peace(Mill Valley;アメリカのカリフォルニア州)とthe Foundation for A Course in Miracles(Buecking Drive;Temecula:アメリカのカリフォルニア州)のみ。手紙のみのやり取りだった。
だが、後半ではやり取りは上記組織の個体ではなく、他の存在達こと過去の時点の自分達だけだと考えていた。実際は組織には届いてないと思われる。
西暦2009年から西暦2012年6月29日(金曜日)付の手紙で一切のコンタクトを終了し、以後、今後一切どのA Course in Miracles関連組織とは関わらない。

佐藤篤代はあらゆる全ての思想的布教や教えの組織も含め、A Course in Miraclesに関するあらゆる機関、組織、同人誌を含めた全ての出版、講演、workshop、慈善事業、ボランティア、あらゆる公的活動には一切関わっていないし、永久に関わらない。その他相談的なもの、カウンセリング、ヒーリング等同等の行為にも一切関わっていない。また、イエス キリスト的な偉人系、隠れ偉人や仙人系でもない。

佐藤篤代は生涯本籍変わらない。小学高学年で新築した際1年位近い親戚の家にいた以外、ずっと同じ場所に住んでいる。栃木県宇都宮市。

西暦2013年に新車購入全プロセスは終了済。日本車(国内車)。

佐藤篤代はパスポートを生涯取せず、海外渡航歴なし。

佐藤篤代は生まれてからずっと大病なし、入院もなし。

本物の佐藤篤代は36才(西暦2012年)から風邪も引かない。何らかの症状は代用の偽物の一過性の影響に過ぎないので病気ではない。アレルギーもならない。

本物の佐藤篤代は清潔。潔癖。

まだパソコン持ってなく、基本はスマートフォンがメインでブログ書いてる。あとは祖母の携帯電話をたまに使用。スマートフォンは機種交換し現在XPERIAに。

西暦2012年冬から今ずっと通販してない。めったにしていなかったが。西暦2014年1月19日:日曜日にNissen登録削除しもう通販しない。通販は他でもやってない。
(西暦2015年1月現在)

本物:佐藤篤代は43才になったら、ピンクと可愛い系(フリルやリボンやハートや星等マーク含め)や短いスカートやパンツ系をやめる。
現在の髪型をガラリと変え茶髪もやめる。前髪はなくし、髪色は黒。 現在の髪型(おかっぱ、前髪パッツン、茶髪 )は35才(西暦2011年夏の終わり)から継続中。
暖色系は極力やめ寒色系を主にする(白アイボリー系は多少やる)。ババアはババアらしくする。若づくりやらない。

西暦2007年12月から西暦2008年秋までが第1次インターネットblog活動。西暦2012年1月17日から現在に至るまで第2次インターネットblog活動。それ以外何もない。

本物は将来性のないニート
(西暦2015年)。
佐藤篤代は西暦2015年1月17日(土)で39才。※まだ38才
日本人(血縁すべて日本人)。
生まれてからずっと中肉中背。
普通の容姿。
西暦2009年から無職。それ以前は全部バイトかパート。
生涯未婚で子無し。


メール、コメント、いいね等その他全部のコミュニケーション迷惑だからやめて下さい。
なされる全てが【偽者用コメント】でインチキだと判明している為です。
故に、『偽者用コミュニケーション』だと言う突っ込みしか入れません。
(西暦2015年現在)

佐藤篤代

西暦2015年段階の概念(6)
【原因と結果の法則】
(西暦2015年1月28日:水曜日)
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