西暦2015年段階の概念:佐藤篤代(20)
西暦2015年3月26日:木曜日

【罪をでっち上げる世界】
①教師や公務員の分野は【自己肯定・他者否定】の排除や差別を教える原始的レベルを象徴している
②下位を作り出し、虐げ、排除や差別をする原始的世界構造
③エゴはスケープゴートの糾弾を正当化させる為に巧妙に罪をでっち上げ、擦り付ける為に尽力する
④解放の必要があるのは個体(主人公)ではなく、エゴに欺かれている唯一の対象である「1つの自己※」だけだ


【①教師や公務員の分野は【自己肯定・他者否定】の排除や差別を教える原始的レベルを象徴している】

西暦2015年3月23日:月曜日
http://www.yomiuri.co.jp/national/20150322-OYT1T50108.html
千葉県船橋市内にある県立高校の30歳代の男性教諭が、生まれたばかりの子猫を学校の敷地に生き埋めにしていたことが、同校への取材でわかった。
教諭は、生徒に穴を掘る作業などをさせていた。少なくとも4匹を生き埋めにしたといい、県警は動物愛護法違反の疑いで調べている。
同校によると、男性教諭は今月6日午前、学校敷地内で、野良猫が産み落としたとみられる子猫5匹を見つけた。放課後、担任を務めるクラスの男子生徒3人に目的を告げぬまま、スコップを用意させたり、敷地の一角に穴を掘ったりさせた。その後、教諭は1人で5匹を埋めた。1匹は生死不明、4匹は生きた状態だったという。
同校は9日に保護者から連絡を受け、教諭に事情を聞いた。「親猫がいないので放置すれば死ぬと思った。対処の仕方がわからず、猫は市役所に引き取ってもらえないと思っていた」と話し、反省の意を示したという。
以上

このニュースで、かなりの抗議電話が絶えないらしいがこの世界のこの領域では当たり前だ。教師が子猫を生き埋めにするなどあり得ない。
西暦2015年3月24日:火曜日
http://www.yomiuri.co.jp/national/20150324-OYT1T50043.html?from=ycont_top_txt

この教師の子猫生き埋め事件は教師として信じがたいニュースだが、
北隣の【近藤】(40代後半位男と70代位老夫妻:西暦2015年現在)が数年前に、生まれたて位の子猫をバケツの水で追い払っていたというゾッとする非情な光景を思い出す。
北隣の【近藤】は小学校教師と役所系公務員(40代後半位夫妻:西暦2015年現在)だ。

この共通点から、教師や公務員系偽者の領域の常識や道徳性はそうとう【原始的レベル】なのではないかと思った。

【異世界レベル】の偽者の領域でも初期レベルの、この領域への表れの象徴だと考えられる。

世界で奴隷制、身分制度、差別などが正当化されていたこの世界の歴史の流れの部分がこの初期の【原始的レベル】なのではないかと考えられる。人を人とも扱わない、身分を作り弱者や下位を虐げこきつかう時代だ。その表れなのだろう。

北隣【近藤】(40代後半と70代位:西暦2015年)は排除傾向があり、下位や弱者をバカにし、他者の言動を否定して持論にしがみつく傾向は、西暦2012年の【通販問題】で明らかだ。普通仕事をしたことがある一般的な人がとるべき確認作業過程(トラブル対処法として教わってきたこと)を否定したからな。それが仕事をしたことがある者ならば常識なのに、普通じゃないと言ったからな。ならば、これまで多くの仕事場でやってきた成り立ってきた仕事過程を否定することになるのだが。
だから北隣の【近藤】の常識が異常だと気づいたのだ。
それで小学校教師をやっているというからゾッとしたものだ。北隣の【近藤】(40代後半位:西暦2015年現在)は確実に、自分と意見が異なる者や下位や弱者を排除し馬鹿にするよう、いじめや差別を教えている小学校教師だ。

となると、【異世界レベル】では、教師や公務員レベルでは、相当、常識や規範や道徳が歴史上見られてきたような、【原始的レベル】である可能性が高いと察することができる。

北隣【近藤】(40代後半位夫妻:西暦2015年)は国民が納める税金で給料を貰う小学校教師と役所系公務員だというのに仕事を度々サボりすぎ、世界が正常で普通ならばとっくに解雇になっている。このサボりすぎも、仕事したことがないのではないかと言われても仕方ない常識のなさに表れている。

そして、だからこそ、見てきた、教わってきた常識や規範や道徳を提示する必要がある。

因みに、西暦2012年から度々書いている【近藤通販問題】について、一応詳細を掲載しておこう。

西暦2012年、通販注文の品を届けてくれた運送会社のお兄さんが、配送時に西の裏門から来た。普通ならば東の道から来る。配送者は「検索したら北隣の住所が出てきて、北隣に配送してしまった」というような事を言った。勿論、これは事実関係を確認しなくてはならないことだ。その通販会社は数回は利用していた。もしその数回分も北隣に届けられていたら、こちらに責任はなくとも、謝罪も必要となる。通販会社にも謝罪してもらう必要がある。だからまず普通に、北隣【近藤】へ事実関係を確認しに行った。今回だけなのか、何度も間違いで届けられていたかの確認だ。
それで礼を尽くし、丁寧に確認しに行くと、なんと【近藤 (【近藤】40代後半位夫妻と70代位女:西暦2015年現在)は「届けられていない」と言ったのだ。では、配送者の言い分は何なのか?嘘をついたなら、何故嘘をつく必要があるのか?嘘をつく意味がないだろう。勿論配送者の言い分の方に信憑性はある。しかも西の裏門から来ていたのだからな。
しかも事実関係を確認しに来たことを【近藤】が「普通じゃない」と否定してきたのだ。しかも1対3(【近藤】40代後半位夫妻と70代位女:西暦2015年現在)で。
そこで、【近藤】は嘘を言っており、これまで常に北隣の【近藤】宅に荷物が届いていたのだと考えた。いつも荷物にはほとんどにダンボール類の開封の跡があった。その謎の正体だと考えた。
誤配を否定されたので「これから間違って届いたというようなことがあればお知らせください」と言って終わらせたが。

因みに、電話ではなく直接確認しに行ったのは、電話番号を【実母】に聞かないとわからなく、【実母】が不在だったからと、北隣の【近藤】(40代後半位:西暦2015年)に相当酷いストーカー的な嫌がらせじみたことを特に西暦2010年にされていたことから、電話だと切られそうな気がしたからだ。だが、第一に配達物の梱包を度々開封されていた原因を突き止めたかったから確認に行ったのだ。一番の目的は通販の実態を確かめることだった。

【ストーカー】とは
http://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%83%BC
ストーカー(英: stalker)は、特定の人につきまとう人のこと。つきまとい行為を「ストーカー行為」「ストーキング(英: stalking)」とも言う。
かつて日本では、つきまとい行為を既存の法律が対象としていなかったため、警察の民事不介入により取り締まり出来なかった。ただし、つきまとい行為から一歩踏み出してエスカレートした場合は軽犯罪法違反、さらに名誉毀損罪や脅迫罪で取り締まることは可能だった。警察が対応できる段階的な凶悪化を呈さず、つきまとい行為が殺人に直結してしまった桶川ストーカー殺人事件を機に、議員立法でストーカー規制法が2000年(平成12年)に制定された。また地方公共団体でもストーカー行為を刑事罰に規定した迷惑防止条例が制定される例もでてきた。なお、ストーカー規制法以外につきまとい行為を規制する法律としては、刑法、配偶者暴力防止法、児童虐待防止法、暴力団対策法、軽犯罪法がある。
以上

北隣の【近藤】(40代後半位:西暦2015年)にそんなストーカーじみた嫌がらせ的行為をされてきたから、まともな反応が得られるかはわからなかった。多分、まともな反応ではないだろうとは覚悟していた。だが、一度は直面しておくべきだと思ったのだ。何も知らない西暦2010年にはだから警察に相談に行った位だったのだ。だが、西暦2012年にはもう、北隣の近藤どころか近隣全てもエゴの目的で作られたインチキに過ぎないと見ていたからできたのだ。普通の【人間レベル】なら、怖くて近づきたくないから直面は避ける。

だから、常識は通用しないかもな、とは考えていた。反応がどうあれ、結果がどうあれ、通販も含めた何かが必ずはっきりとすると思った。これは、無駄で無意味な戦いの為ではなく、実態を知るための行為だったのだ。ただ、実態を知りたかっただけだ。
配送者が誤配について告げてきたということは、知るべき何かがあるからだとも思った。全ての出来事は偶然ではない。
事実、この行為により、【近藤系偽者用】の乗っ取り的な動きの意味合いから【異世界レベル】の偽者用『芋づる式カバー』の正体が視えてきた。それで【A・Course・in・Miracles】の内容を超えた、エゴが作った個体の意味が視えてきたのだ。

西暦2014年段階の佐藤篤代
http://simplog.jp/comment/18717650/23
(6)偽者概念
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11970074185.html
(8)芋づる式漏れ・芋づる式カバー
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11970850551.html

トラブルの際だけでなく、確認作業は仕事をする上で基本中の基本であり常識だ。しかも、トラブルの際は、事実関係を確認するのは欠かせない。事実関係を確認しなければ何も対処できない。事実関係が曖昧なまま解決しようとしても解決できる筈がない。慎重な確認作業がなければ仕事は成り立たない。
その事実関係を確認の必要性を北隣の【近藤】(40代後半位夫妻と70代位女:西暦2015年現在)が否定したのだ。

問題を解決したくないならば別だが、解決しようとするならば事実関係の確認は欠かせないという常識を否定したのだ。
何回も間違って通販物を届けられていたら、普通は迷惑をかけていることになる。だからもし何回も間違って届けられていたとしたら、自分も、通販会社も謝罪が必要だ。だから、普通の常識的な大人ならば、確認作業は必ずやるべきことだ。それを北隣の【近藤】(40代後半位夫妻と70代位女:西暦2015年現在)に普通じゃないと言われたのだ。

【消えた年金問題】や税還付金ミス問題とか公務員の管理のずさんな事件が多発している現状に、この【近藤】(40代後半位夫妻と70代位女:西暦2015年現在)の否定が合致する。公務員のずさんな管理体制が、この仕事の基本を否定する【近藤】に象徴されているのがよく判る。

だから北隣の【近藤】(40代後半位夫妻と70代位女:西暦2015年現在)が【異世界レベル】だと判った。【近藤】の仕事は異世界だから仕事の基本がわからない。常識がこの領域の普通ではなく【異世界】だから常識が何かわからない。
しかも、配送者が「住所登録が北隣になっていて間違って北隣に届けた」と言ったのに、直後に【近藤】がそれを否定したことから、「【異世界】だからだ」としか言いようがない。
そうでないなら、北隣の【近藤】(40代後半位夫妻と70代位女:西暦2015年現在)が犯罪者レベルの嘘つきだということだ。

しかも、事実関係を確認した後に通販会社にも確認の電話を入れ、「(北隣に誤配したと配送者に言われたから)登録のデータベースの住所が全て合っているか確認して下さい」と普通に言ったらなんと、Nissenの担当の男が嘲笑したのだ。嘲笑される意味がわからない。通販会社としてあり得ない。データベースの登録情報を通販会社に確認させるのは当然だろう。しかも、登録住所は合っていたと言い、配送者の責任にして責任逃れをし、通販会社Nissenは配送会社に謝罪させたのだ。

責任逃れで末端に責任を擦り付ける通販問題Nissenのやり口に唖然とした。こんな対応ではきちんと事実関係を調べてもいない筈だ。トラブル対処法としてはサイテー最悪だ。後から直ぐにかかってきた配送会社の謝罪には、「配送の人は悪くありませんから気にしないで下さい」と答えた。

これが普通の現実の会社だと言うならサイテーな会社だ。Nissenは悪質通販会社としか言いようがない。

北隣の【近藤】 (40代後半位夫妻と70代位夫妻:西暦2015年現在)どころか通販会社も異常だし、世界がどうかしてるとしか言いようがない状態だった。何も普通には機能しない。こんなにまで【異世界ごと】を持ち込まれ過ぎたこんな中で普通に生活できる筈がないのだ。

無論、北隣の【近藤】は象徴であり、現実の人間だとは微塵も思っていない。別の原始的レベルの型も沢山象徴として表されている筈だから、【近藤】というキャラクターだけの表現ではない。【異世界レベル】の原始的レベルの偽者の象徴に過ぎない。様々な多種多様の設定としてエゴに動かされているだけだ。
これは隣人だけでなく全ての他者が、現実的な人間ではない、エゴが作ったインチキだという意味を実感させる為の経験だったのだ。
要するに、エゴが作り動かすだけの意思のないロボットに過ぎないという実感だ。だからこそ、戦っても意味がないのだ。

この西暦2012年の【通販問題】でNissenどころか一切の通販をもうそれでやめた。普通に機能してないのをまざまざと見せられたのだから当然だ。

しかしこれで、それまでに本物(最後の偽者)がいろいろな職業や会社で仕事をした理由がよくわかった。1ヶ所だけだと価値観ややり方に偏りがあると他の領域に言い逃れされるからだ。多ければ多い程、共通点に説得力が増す。これは全て『偽者崩し』の為だったのだ。

【A・Course・in・Miracles】の『知覚ある世界はエゴが作った世界』という核心概念は徹底的に確信できる出来事だったがな。



【②下位を作り出し、虐げ、排除や差別をする原始的世界構造】

この世界では長いこと身分制度が敷かれてきた。現代西暦2015年では差別的な身分制度は原始的と捉えられるが、日本でもまだ天皇制が取られていることから、身分制度は未だに撤廃されてはいない。世界でも王公貴族の爵位制度が残っている国も少なくない。

「すべての人間は、生れながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。
—世界人権宣言 第1条」が西暦1948年に採択されて数十年、世界ではこれが基本的な考え方だ。本物:佐藤篤代が生まれる28年前には世界はこの方向性が基本となった。日本では常識で、義務教育で教え込まれる。「どんな人も差別してはいけない」と。

【世界人権宣言】
http://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%96%E7%95%8C%E4%BA%BA%E6%A8%A9%E5%AE%A3%E8%A8%80
世界人権宣言(Universal Declaration of Human Rights、略称:UDHR)は、西暦1948年12月10日の第3回国際連合総会で採択された、すべての人民とすべての国が達成すべき基本的人権についての宣言である(国際連合総会決議217)。正式名称は、人権に関する世界宣言。
以上

教師は、子供に命の大切さ、尊さを教えなければならない職業だ。そして、誰であろうが差別せず、馬鹿にしたり、除外したりしてはいけないのであり、すべての人間は、生れながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等であると教えなければならないのだ。 公平さを教えなければならないのだ。他者の尊重を教えなければならないのだ。
これは人として基本中の基本だ。

確実に北隣の【近藤】は、【近藤】で『芋づる式カバー』をやっている偽者用は、奴隷制があった古代ローマよりも古いとしか言いようがない位に、排除と差別を教えている相当な【原始的レベル】だ。
自己肯定の為の他者否定しか教えていない。

自分たちの高位を保つために、自分たちよりも下位を貶め蔑み否定する【原始的レベル】。

自己を肯定する為に、他者を否定させる。自己を持ち上げるために、他者を貶め蔑み否定する。
相当な【原始的レベル】だ。

教師による子猫生き埋め事件にしろ、教師による事件やニュースが多く見えることにより、【異世界レベル】の教師や公務員は相当な排除と差別の世界だということなのだろうと判る。
古代で通用したことを現代西暦2015年の日本でやれば犯罪や非常識となるという象徴だ。

北隣の【近藤】はその【異世界レベル】の【原始的レベル】の領域の表れであり象徴なのだ。だからこの領域の全てと大きく異なる。

この領域では過去、歴史的に弱者を差別し馬鹿にし虐げ排除する傾向は正当化されてきた。世界では長らく、この基本的人権を無視して、下位を虐げるような身分制度、差別が正当化されてきたのだ。
スケープゴート糾弾の【原始的レベル】の例だ。

これは、エゴが作った【異世界レベル】の全偽者の領域の中でも、初期の【原始的レベル】段階で実際行われてきたことの象徴として、歴史という形で表現されているのだろう、と本物:佐藤篤代は見ている。

普通ならば、歴史の問題として済んでいることなので、概念には取り上げもしない。だが、まだ終わっていない領域の段階を終わらせるには、現在までに見てきたものの提示が、【終わらせる為に作用する何か】の作用により【異世界レベル】で影響がいくので効果的だと実感しているので、身分制度や差別などの世界の問題も取り上げることにした。
これが本物:佐藤篤代の『知らせる作業』だ。

身分制度、差別などによる下位の虐げも、罪の投影だ。

日本で身分制度は『士農工商』という制度を長らく敷いてきた江戸時代(西暦1603年~1868年までの265年間)まで行われ、明治時代(西暦1868年~1912年)には近代国家に脱皮するためには『中世封建制社会』の身分制度を破棄することは避けて通れないと考えられ、『四民平等』の政策で江戸時代の身分制度が撤廃された。だが、平等とは名ばかりで、支配階層は皇族・華族・士族の称号が付与され、戸籍に明記された。皇族は、昭和時代(西暦1926年~1989年)の第二次世界大戦後の制度にも名をとどめており、天皇の親族を指す。 こうして実際には現在にも身分制度が残った。

江戸時代まで身分に階級が設けられ下位であるものほど酷い扱いをされてきた。
江戸時代の『士農工商』では、士農工商の下に人として扱われず人間以下として扱われた「えた、ひにん」という身分があった。奴隷のようなものだ。
「えた、ひにん」を幕府が作った理由は更に下の身分の者がいれば一番下位の商人が納得し安心するからだと義務教育で習った。商人には金持ちで力を持つ者も少なくない。だから幕府としては商人をうまく扱う必要があった。

これは、エゴが主人公(偽者)の高い位置を守るために、より低い位置のスケープゴートを糾弾する理由を象徴している。

「えた、ひにん」だけではなく、日本だけでなく世界中で「奴隷」のように人間として扱われず虐げられてきた種類の人間は歴史的に沢山いた。

【奴隷制】
http://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%B4%E9%9A%B7%E5%88%B6
奴隷制(どれいせい)とは、一般に人格を否認され所有の対象として他者に隷属し使役される人間つまり奴隷が、身分ないし階級として存在する社会制度。
奴隷制は、有史以来あまねく存在したが、時代的・地域的にその現われ方は複雑かつ多様であった。抽象的にいえば生産力発達が他人の剰余労働搾取を可能とした段階以降の現象であり、始原的には共同体間に発生する戦争捕虜、被征服民に対する略奪・身分格下げ、共同体内部の階層分化、成員の処罰や売却、債務不払いなどが供給源であった。
以上

世界で有名な身分制度は古代インドのカースト制等がある。

【カースト制】
http://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88%E5%88%B6
カーストとは、ヒンドゥー教における身分制度(ヴァルナとジャーティ)を指すポルトガル語、英語である。
紀元前13世紀頃に、バラモン教の枠組みがつくられ、その後、バラモン・クシャトリア・ヴァイシャ・シュードラの4つの身分に大きく分けられるヴァルナとし定着した。現実の内婚集団であるジャーティもカースト制度に含まれる。
以上

インドのカースト制というと奴隷制という言葉が連想されるが、「ヴァルナをもたない人びと」とは奴隷のことだ。

どうやらインターネットでは奴隷制等の身分制度や差別を曖昧にさせたい動きがある。エゴとしては隠したい方向性のようだ。

インドだけではない。奴隷制のある身分制度は世界中で古代から採られてきて、人を人として扱わず虐げる原始的な制度が横行してきた。
だからこそ、西暦1948年に『世界人権宣言』が採択されたのだ。

日本で中世から近世を通して賤民を作り出してきた問題は『被差別部落問題』として現代に残る。

人を人として扱わない、差別的な傾向は現代ではあからさまにおおっぴらにはできにくい。特に日本では。だが、この古代からの差別的傾向は水面下に根強く陰湿に巧妙に残存しているのだ。

そしてその残存した部分は、古代からの歴史として見た、【異世界レベル】の各偽者用の領域の表れであり象徴なのだろう。

歴史に見れるように、【異世界レベル】の領域は、初期であればある程、元々平等である筈の同等の人間を差別し、階級をつけ、位をつけて下位を作り出し、全く罪のない、何も悪いことをしていない下位を虐げ、蔑み、こきつかうという制度をこのように正当化してきた。

それは、一切罪のない者に罪をでっち上げる行為であり、相当な【原始的レベル】だ。

だが、その奴隷制のような【原始的】な罪のでっち上げを長々と【異世界レベル】の偽者の領域では正当化してきたのだ。

そして、この【原始的レベル】の偽者の領域が北隣の【近藤】(40代後半位と70代位:)に象徴として表されているということだ。



【③エゴはスケープゴートの糾弾を正当化させる為に巧妙に罪をでっち上げ、擦り付ける為に尽力する】

このように、【異世界レベル】の偽者用の領域は、奴隷制を敷くような【原始的レベル】から、正当に裁けない対象に対する『相棒season13』の甲斐亨のダークナイトのようなダークヒーロー的な巧妙レベル等、「悪人や傷ついた他者を癒さなければならない」と高い位置から下位を憐れんで見る、実質下位を下げて自分を高くする相当な巧妙レベル等、段階が移行されるにつれ、スケープゴート糾弾の方法があからさまからどんどん巧妙化していく。

無論、子猫の生き埋めをした教師は、勿論教師としてあってはならないことだが、責め立てる手段として使えばスケープゴートの糾弾だ。「癒さなければならない」と見れば巧妙過ぎるスケープゴート糾弾だ。

子猫を生き埋めにした教師も癒そうとするヒーラーも同じ、エゴが作った幻想に過ぎないという『赦し』(【A・Course・in・Miracles】の言葉で言えば)の見方こそが【A・Course・in・Miracles】レベルからの視点だ。

エゴが一番スケープゴートとして葬り去りたいのは、本物(最後の偽者)だ。だから、本物(最後の偽者)は心理学、成功法則、スピリチュアル、【A・Course・in・Miracles】と徹底的な実践をやり尽くし、内側を見て内側を努力して鍛える訓練を長い間させられてきたのだ。

エゴは勿論、本物(最後の偽者)を正当化できなくさせ、スケープゴートとしてダメ人間のレッテルを貼るための最大の尽力をしてきた。
【異世界レベル】の他の偽者用の領域に漏れるのが、基本親切で、進んで手伝いや協力をし、誠実で、常識的で、法や規範をよく守る優等生タイプでは困るワケだ。だから、西暦2010年まで、本物:佐藤篤代は優等生タイプだったのだ。
西暦2010年までは。

西暦2011年から再利用段階に入ったので、本物:佐藤篤代『偽者崩し』の為の言動だけをとるようになった。その差がエゴには不味い。

しかも長年相当な心の訓練をしてきたからちょっとやそっとでは本物:佐藤篤代は感情を乱さないし怒らない。しかも全てを理解する。原因を外側に決して見ない。

だから、エゴはあまりにも理不尽すぎる異常なことを周囲にさせてきたのだ。理解不能にさせる位の理不尽さだ。生まれてから39年間ずっと家族全員が認知症かと言いたくなる位の理不尽さだ。精神的虐待は相当だった。幼い頃から馬鹿にされ責任を押し付けられ、いわれのない責めを受けてきた。全員ではないが学校や会社でも同様だった。あまりにも酷い、普通なら耐えられない理不尽さだ。
だからこそ、心理学に入ったのだ。

元々理不尽にいじめられたりしてもめったに怒らないような子供だった。しかも心理学から心の訓練をし出した。だからそこまで理不尽に、エゴが周囲にわざと異常なことをさせなければ、本物:佐藤篤代は怒らなかったのだ。意味がわからないことをやらせて困らせなければ、怒らなかったのだ。熱が出て寝ているべき時に、他に運転できる家族がいるのに強引に車で送迎させられる位に理不尽でなければ怒らなかったのだ。そしてその理不尽さを無下に断れないタイプだった。
まさに奴隷制のような、人間として見られない扱いだったワケだ。

しかも、やっていないことをやったと責め立てられる。特に妹麻美には身に覚えのないことで責め立てられ続け、しかも色んな物を横取りされてきた。横取りされても怒らなかったが。

幼稚園の時など、イジメの標的になっていたからか、やっていないのに幼稚園のガラスを割ったと罪をなすりつけられた。幼稚園の先生達はきちんと調べもせず決めつけた。完全に冤罪だった。大人も誰も助けてはくれない世界だったのだ。ただ、やっていない罪をなすりつけるだけだ。

このように、普通なら人間として怒るのは当然な理不尽なことばかりやられてきたのだ。だが怒りまかせても更に事態は悪化する。誰も助けてはくれない。だから耐えなくてはならなかった。

だから本物:佐藤篤代は周囲を変えようとしても無意味なのはずっとわかっていた。この世界自体が変わらなければ無理なのだからな。だからこそ、根本的な解決法しかいらなかったのだ。

そして、だから常に身の潔白を証明できるように言動しなくてはならなかったし、だからこそ、本物:佐藤篤代は他人に迷惑をかけることなど絶対にしなかった。そうでなくともやってないことで責められ続けてきたのだ、当たり前だ。可能な限り控え目に目立たないよう、標的にされないように、冤罪を擦り付けられないよう気を付けて生きてきたのだ。
だからこそ、本物:佐藤篤代は他人の問題の原因にならないようにかなり気を付けて生きてきたということだ。

最近(西暦2015年)では、呆れながら「それ、怒らせるためにわざとやってるよね」と言うと、【祖母】などは頷く位にインチキ臭いわざとらしさだ。
家族全員が怒らせるためにわざと理不尽なことをしているワケだら、因みに、これは生まれてから39年間の問題だ。

だから、本物:佐藤篤代の領域は理不尽極まりない世界となったのだろう。

だからエゴは周囲にわざと異常で理不尽なことをさせて怒らせる。それによりその怒った声を周囲で耳にする個体を作りたい。その周囲で耳にする個体こそが、エゴが保護したい世界の主人公(偽者)の象徴だ。

そのエゴが保護したい世界の主人公(偽者)が北隣の【近藤】として象徴されているのだ。だから【近藤】(40代後半位夫妻:西暦2015年現在)はあれほどまでに近接して家を建てたのだ。声が聞こえるくらいに近接する必要があったのは、【近藤】で『芋づる式カバー』をしていた【異世界レベル】の主人公(偽者)だ。

【近藤】で『芋づる式カバー』をしていた【異世界レベル】の主人公(偽者)こそが本物(最後の偽者)をスケープゴートとして利用しなければならなかったからだ。

【A・Course・in・Miracles】で「怒りは正当化されない」とか「攻撃を完全に放棄しなければならない」という概念があって良かった。歪みだったが。
単に実際は怒りや攻撃に呑まれないようにしなければならないだけだ。どんな感情であれ、流されてエゴの目的のまま言動しないようにしなくてはならないだけだ。
だが、必死になって理不尽さに耐えて全てを『赦し』の実践対象として努力してきたからだ。その姿勢はスケープゴートとしては利用できる筈がない。

【A・Course・in・Miracles】では「並々ならぬ忍耐力が必要とされる」理由だ。

本物(最後の偽者)であればある程、エゴができればやりたくない利用できない要素が多すぎるから、エゴは本物(最後の偽者)にスケープゴートを投影してくるからだ。

それが、元は優等生タイプだったという事実、そして心の訓練や『赦し』などを実践して相当ちょっとやそっとでは怒らなくなると、エゴがスケープゴートとしての正当化を保てなくなる。だから更に理不尽なことを周囲にやらせる。

だから、最後の世界は理不尽極まりない世界なのだ。

そして、だからこそ、生涯で筋の通った唯一の願いは『苦しみのサイクルを完全に終わらせること』だったのだ。

この世界レベルの苦しみの問題を、何故薬で解決できるというのか。問題の根元を突き止め、その原因レベルで解決しなければ完全に解決できないと知っていて、何故、薬などの緩和、軽減しかできない役に立たない解決させない原始的な解決策を受け入れる筈があるのか。
だから精神病を薬で治療しようとする精神科医は無能としか言いようがない。

全ての精神病は解決の原因レベルを混同している薬療法に走る精神科医に【でっち上げられる】と言っても過言ではない。

解決できない解決策で閉じ込めて、解決できないようにさせるのが薬療法に走る精神科医だ。

エゴが根本的な解決へ向かわせないよう足留めするために、世界には解決できない解決策ばかりが溢れている。

そして、世界には根本的に解決したくない者たちが溢れている。

だから周囲はエゴにとっては根本的解決に向かわせないよう足留めのためにある。

全ては、【異世界レベル】の偽者用としてのサイドストーリー用のスケープゴートとして正当化させる為エゴが仕組んだ、怒らせる為の壮絶な理不尽極まりない周囲だったのだ。

だからこそ、他者を変えようとしても仕方がないのだ。周囲を変えようとしても無意味なのだ。全てはエゴに作られ動かされたロボットなのだから変えられる筈がないからだ。

その上、『知覚ある世界はエゴが作った幻想』と【A・Course・in・Miracles】にあるように、エゴが罪をでっち上げることもできる。エゴの作用だけが通用するならば、やっていないものをやったように見せかけることもできる。
但し、最後の偽者の領域では【終わらせる為に作用する何か】の作用により全てが終わる方向へしかエゴは作れないが。

実際にやっていないことをやったと冤罪を作られた時、シチュエーション的に無理だったり、不可能なことをやったとされたというようになっているので、その点を突っ込む。

本物:佐藤篤代が「ミニ声」と呼ぶ、他の存在レベルでの、音声としては聞こえないか聞こえにくいツッコミをするのも、【異世界レベル】の偽者のサイドストーリー用のスケープゴート用として、スケープゴートとして扱い難いようにさせるためだ。

この音声にしない「ミニ声」ツッコミが漏れる際、【異世界レベル】の偽者用では、実際に大声を出しているスケープゴートとして被せて隠している。だから声を出さないツッコミをしている。逆に言うと、ツッコミをスケープゴート用として隠さなければならない程不都合だということなのだろうが。

しかも、逆に、この「ミニ声」を他者を現実として罪を擦り付けてスケープゴートを糾弾する【人間レベル】の偽者用に真似されているのはいただけない。

【異世界レベル】の偽者の領域では、このように、スケープゴートに罪をでっち上げて糾弾要素を作り上げる。最初はあからさまに、取り繕いづらくなればなる程巧妙に。

そのスケープゴートを本物:佐藤篤代に投影してくる。
だからこその相当な忍耐力の必然性だった。

周囲を変えようとしても何もならない。

取り組むべきは、起源に纏わる根本的な問題だ。【A・Course・in・Miracles】が言うように複数ではない筈だが、エゴが特別性で世界に惹き付けて欺いている1つの対象がいるというならば、その特別性の誘引を終わらせる為だけに尽くす。それだけだ。



【④解放の必要があるのは個体(主人公)ではなく、エゴに欺かれている唯一の対象である「1つの自己※」だけだ】

ここ最近、概念で【原始的レベル】『偽者崩し』に取り組んでいるのだが、その概念を書いているせいか、心理学の内容を思い出した時に、新たな発見をした。

心理学では、人間には4つのタイプがあるとある。
自己肯定・他者否定型
自己否定・他者否定型
自己否定・他者肯定型
自己肯定・他者肯定型
以上の4タイプだ。以前、日記に書いたことがある筈だ。

【原始的レベル】は確実に
【自己肯定・他者否定型】だ。

自分の高い位置を守る(肯定する)為に他者(下位)を否定する。まさに【原始的レベル】のやることだ。

度々虐げられるのは【自己否定・他者肯定型】だ。経験からそうなるのだが、先天的性質により全てがそうなるわけではないが、普通強者に虐げられてきた者がなる傾向だ。

そして、本物:佐藤篤代はこの【自己否定・他者肯定型】だった。

この【自己否定・他者肯定型】が、自分の心の奥底へ向かっていきやすい型だと書いてあった。原因を外側ではなく内側にみる傾向が元々ある型だから、実質的な心理学に入りやすい。

そして最終的に目指すのが【自己肯定・他者肯定型】だ。
心理学、成功法則と努力して実践するうちに、本物:佐藤篤代も【自己否定・他者肯定型】から【自己肯定・他者肯定型】へと変わった。

【他者否定型】は外側にしか原因を見ないので、心理学や精神医学をやっても、自分の心の奥底へは向かっていけず、他者否定の道具にしかしない。

治療できず緩和や軽減しかできない何も解決できない薬療法に走る【原始的な】精神科医が未だに多いのは、精神科医に【他者否定型】が多いせいなのだろう。

精神心理学において、中世ヨーロッパより前的な【原始的レベル】をこの領域へ持ち込んで本物(最後の偽者)の自由を強引にあらゆる手で奪おうとした領域の偽者は、そのでっち上げで嵌め込んだ症例に自ら別の段階でハマり込み、非常識か犯罪者レベルに嵌め込まれたのが窺える。

「自分が与えた全てを自分が受けとる」という言葉の通りなのだなと思った。そのように、エゴとは正反対の作用【終わらせる為に作用する何か】に嵌め込まれるのだ。

だから、「解放を与えなさい。そうすれば解放が与えられる」という【A・Course・in・Miracles】の内容があったのだなと思った。歪みかと思ったが、強ちそうでもなかったのだな。これはな。

別に個体の自由という意味ではない。やるべきことだけができれば、どんな状況下だろうが自由だとは本物:佐藤篤代は考えるが、実質、エゴが作った範囲内という意味合いで、自由という言葉は無意味にしか聞こえない。
解放をさせる必要があるのは、エゴに欺かれた対象「1つの自己※」だ。エゴの欺きからの解放だ。
故に、最後の偽者である本物:佐藤篤代は「1つの自己※」の解放だけのために言動していると言える。
だからこそ、その為にやるべきことだけができるのだと考えている。

個体にとっては、エゴの欺きの全てが終わることが解放だ。

とにかく、本物:佐藤篤代は、全てを終わらせる為に、これまで、現在、これから見てきた、見た全てを『知らせる作業』として提示する方向性は的確だったのだと実感した。

因みに、教師や公務員系偽者の領域が【自己肯定・他者否定】を象徴しているのは間違いない。


佐藤篤代

西暦2015年段階の概念:佐藤篤代(20)
【スケープゴートへの罪の投影】
西暦2015年3月26日:木曜日


西暦2015年段階の概念:佐藤篤代
http://simplog.jp/comment/19063121/23

(1)エゴの隠す特質
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11974654245.html
(2)エゴが隠し取り繕う過程
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11975807518.html
(3)2つの正反対の思考システム
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11976707775.html
(4)知覚ある世界はエゴが作った幻想
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11978246696.html
(5)スケープゴートの世界構造
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11979880043.html
(6)原因と結果の法則
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11982652628.html
(7)繰り返しのサイクルの終わり
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11983485361.html
(8)知覚ある世界の全てを棄てる
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11986007920.html
(9)幻想を幻想として見る『赦し』
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11987258358.html
(10)やり直しのスパイラル
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11989740061.html
(11)『全ての幻想を同じ』と見る視点
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11991064187.html
(12)エゴが作った幻想の再利用
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11993159401.html
(13)身体の脆さと死におけるエゴの目的
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11994375354.html
(14)身体は幻想・死はない
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11995592527.html
(15)【死の超越】の実態
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11998096555.html
(16)『罪の起源』の実態
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11998915374.html
(17)罪は幻想・罪はない
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12000205331.html
(18)罪の投影の世界構造
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12001831249.html
(19)スケープゴートへの罪の投影
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12004677231.html


西暦2015年1月
http://simplog.jp/comment/19628362/23
西暦2015年2月
http://simplog.jp/comment/19628500/23
西暦2015年3月
http://simplog.jp/comment/20021719/23


この本物:佐藤篤代のブログは
【A・Course・in・Miracles】の核心「知覚ある世界はエゴが作った幻想」を矛盾なく徹底的に追究し、
【他が幻想であり、他がない】
と証明する、
『世界の起源を扱う』、
『人間レベルではない』、
【自分発信、自分受信】
の自分が知るために自分が自分に知らせる為のブログだ。

敵はいない。
味方もいない。
全部同じだからだ。
全てが同じエゴが作った幻想でしかないからだ。

本物:佐藤篤代は『エゴが作った幻想』という見方でしか何も見ないから、敵も味方もいない。

この『全てはエゴが作った幻想』という視点でしか『全部同じ』としては見ることはできない。

この本物:佐藤篤代のブログは、
『the Foundation for Inner Peace』の
【A・Course・in・Miracles】
原書second editionの概念をベースにしている。

本物:佐藤篤代がブログで言う核
【A・Course・in・Miracles】の核心
・知覚ある世界はエゴが作った幻想
・他は無い・他は幻想
・エゴが世界に留める為の最大の欺きの手段は特別性だ。
故にエゴの欺きから脱するには特別性を棄てなくてはならない。
・知覚もエゴが作った。
エゴの作った世界の終わりとは知覚の終わりだ。

本物:佐藤篤代はこの【A・Course・in・Miracles】の核心を基本に、【A・Course・in・Miracles】の歪みを削ぎ落としながら、『世界は幻想』という実体験に基づきながら真実へ向かっている。
この点を徹底的に矛盾なくしながら追究している。

矛盾がない概念を採用し、その方向性を目指す。こうして矛盾と歪みをそぎおとしていけば、いずれエゴの欺き(幻想)の完全な終わりへ向かえると本物:佐藤篤代は考えるからだ。

※本物:佐藤篤代が言う「1つの自己」とは【A・Course・in・Miracles】の意味とは違う


西暦2015年(年号:平成27年)
未(ひつじ)年現在

【佐藤篤代について】

西暦2012年7月16日:月曜日:海の日
【A・Course・in・Miracles】セカンドエディション(1976年発行:※生まれ年)の2回目日本語直訳、意訳をやめて直訳でやり直し始める。西暦2011年秋にある所へ送付し自分用が手元にないので、これは自分用。(西暦2012年10月末頃から中断し、西暦2013年11月2日:土曜日にやめた)

理由:【A・Course・in・Miracles】は本という型なので真実を完璧に表現できない。エゴは視界レベルで作り直せると気づいた為。
エゴはあいまいな記憶の水面下をいかようにも作り変えられる。時にはあからさまに作り変える。

同じ理由から【A・Course・in・Miracles】原書は全部はブログ掲載はしない。

この佐藤篤代が手紙を送った宛先のA Course in Miraclesに関連する組織とはthe Foundation for Inner Peace(Mill Valley;アメリカのカリフォルニア州)とthe Foundation for A Course in Miracles(Buecking Drive;Temecula:アメリカのカリフォルニア州)のみ。手紙のみのやり取りだった。
だが、後半ではやり取りは上記組織の個体ではなく、他の存在達こと過去の時点の自分達だけだと考えていた。実際は組織には届いてないと思われる。
西暦2009年から西暦2012年6月29日(金曜日)付の手紙で一切のコンタクトを終了し、以後、今後一切どのA Course in Miracles関連組織とは関わらない。

佐藤篤代はあらゆる全ての思想的布教や教えの組織も含め、A Course in Miraclesに関するあらゆる機関、組織、同人誌を含めた全ての出版、講演、workshop、慈善事業、ボランティア、あらゆる公的活動には一切関わっていないし、永久に関わらない。その他相談的なもの、カウンセリング、ヒーリング等同等の行為にも一切関わっていない。また、イエス キリスト的な偉人系、隠れ偉人や仙人系でもない。

佐藤篤代は生涯本籍変わらない。小学高学年で新築した際1年位近い親戚の家にいた以外、ずっと同じ場所に住んでいる。栃木県宇都宮市。

西暦2013年に新車購入全プロセスは終了済。日本車(国内車)。

佐藤篤代はパスポートを生涯取せず、海外渡航歴なし。

佐藤篤代は生まれてからずっと大病なし、入院もなし。

本物の佐藤篤代は36才(西暦2012年)から風邪も引かない。何らかの症状は代用の偽物の一過性の影響に過ぎないので病気ではない。アレルギーもならない。

本物の佐藤篤代は清潔。潔癖。

まだパソコン持ってなく、基本はスマートフォンがメインでブログ書いてる。あとは祖母の携帯電話をたまに使用。スマートフォンは機種交換し現在XPERIAに。

西暦2012年冬から今ずっと通販してない。めったにしていなかったが。西暦2014年1月19日:日曜日にNissen登録削除しもう通販しない。通販は他でもやってない。
(西暦2015年1月現在)

本物:佐藤篤代は43才になったら、ピンクと可愛い系(フリルやリボンやハートや星等マーク含め)や短いスカートやパンツ系をやめる。
現在の髪型をガラリと変え茶髪もやめる。前髪はなくし、髪色は黒。 現在の髪型(おかっぱ、前髪パッツン、茶髪 )は35才(西暦2011年夏の終わり)から継続中。
暖色系は極力やめ寒色系を主にする(白アイボリー系は多少やる)。ババアはババアらしくする。若づくりやらない。

西暦2007年12月から西暦2008年秋までが第1次インターネットblog活動。西暦2012年1月17日から現在に至るまで第2次インターネットblog活動。それ以外何もない。

本物は将来性のないニート
(西暦2015年)。
佐藤篤代は西暦2015年1月17日(土)で39才。
日本人(血縁すべて日本人)。
生まれてからずっと中肉中背。
普通の容姿。
西暦2009年から無職。それ以前は全部バイトかパート。
生涯未婚で子無し。

メール、コメント、いいね等その他全部のコミュニケーション迷惑だからやめて下さい。
なされる全てが【偽者用コメント】でインチキだと判明している為です。
故に、『偽者用コミュニケーション』だと言う突っ込みしか入れません。
(西暦2015年現在)

佐藤篤代

西暦2015年段階の概念:佐藤篤代(20)
【スケープゴートへの罪の投影】
西暦2015年3月26日:木曜日

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