西暦2015年段階の概念:佐藤篤代(21)
西暦2015年3月31日:火曜日

【エゴが罪悪感を作った理由】

①【異世界ごと】の持ち出しによるごり押し『異世界の普通』の正当化傾向
②罪悪感はスケープゴートにも罪の意識があるという『性善説』が採用された、エゴが作った後期段階の世界で生じる
③スケープゴート糾弾目的の為の冷静さ持ち上げ感情否定傾向
④但し書き

【①【異世界ごと】の持ち出しによるごり押し『異世界の普通』の正当化傾向】

西暦2015年3月27日:金曜日の新聞一面トップ
http://www.yomiuri.co.jp/world/20150326-OYT1T50136.html?from=ytop_main1
フランス南東部のアルプス山中で24日に墜落したドイツの格安航空会社ジャーマンウィングスの旅客機を巡り、仏検察当局のブリス・ロバン検察官は26日、仏南部マルセイユで記者会見し、機長がコックピットの外に出た後、副操縦士が意図的に機体を降下させたとの見方を明らかにした。
検察官は、副操縦士を殺人容疑で捜査する考えを示した。
以上

『西暦2015年段階の概念:佐藤篤代(20)罪をでっち上げる世界』にも書いたように、仕事をする上であらゆる確認作業は欠かせない。確認作業を怠るとこのように飛行機は墜落する。多くの人命を預かる副操縦士のメンタルチェックがきちんとなされていれば、こんなことは起きなかった。
また、整備の問題でも同じだ。ボルトのチェックをほんの少し怠るだけで飛行機は墜落する。だから日本では確認作業はし過ぎるくらいに完璧にすることが義務でありそうしていると最近もテレビ(実態)でやっていた。実際に日本でも確認のズサンさによる飛行機墜落や電車事故は多々あった。

どんな仕事であれ、確認作業は欠かせない。仕事により、確認作業を怠れば人命を危険にさらす結果にすらなるのだ。医者ならやってはいけない医療ミスになる。

公務員も同じだ。確認システムがズサン過ぎる管理体制のせいで、【消えた年金問題】や税還付金問題が生じた。これは税金で給料を貰っている立場として、ありえない、あってはならないズサンさなのだ。確認システムを疑われる信じがたいミスであり、大問題どころの話ではない。

実際に、(無論別の仕事だが)本物:佐藤篤代は確認作業を怠ったせいで、後が大変になった経験もある。自分がミスしなくても関わってる者がミスする場合が多々ある。機械が壊れていたという場合もある。だから、関わる全てを確認しなくてはならないことも多々ある。だから正解なきっちりとした確認作業の大切さは身にしみていたのだ。

その仕事の基本中の基本である確認作業を北隣の【近藤】に否定され、普通じゃないと言われたから唖然としたのだ。

【異世界ごと】としか言いようがない。

そうでなければ【人間レベル】なら『いじめ』や『嫌がらせ』だ。しかも小学校教師と役所系公務員が『いじめ』ている。

西暦2015年3月26日:木曜日に
西暦2015年段階の概念:佐藤篤代
(20)罪をでっち上げる世界
をブログ掲載したが、記事の写真掲載が一番目だけ出ないように掲載妨害されるという状態になったので、本物:佐藤篤代の余程顔写真と一致させたくない勢いがあると見える。余程不味い【異世界レベル】の偽者の領域があるのだろう。
じゃなかったら何ですか?



【②罪悪感はスケープゴートにも罪の意識があるという『性善説』が採用された、エゴが作った後期段階の世界で生じる】

西暦2015年3月、一連の罪の投影に関する概念記事を書いてきた中で、1つはっきりしたことがある。

罪悪感は終盤の段階にエゴが作った主人公(偽者)が主に経験する。

それは、実質的にスケープゴートを投影されるせいだ。

【異世界レベル】の各主人公(偽者)は、不都合なマイナスの要素をスケープゴートへ押し付けてあらゆる方向性から糾弾するようにエゴが世界を作る。
それは、最後の主人公(偽者)で終わらせないようにさせる為に、最後の主人公(偽者)の要素をスケープゴートに押し付けて悪人の要素に仕立てあげることにより、最後の主人公(偽者)の自由を奪うためだ。

エゴは自由を奪うことにより、最後の主人公(偽者)が知った事実を提示できなくさせようとしたのだ。

最後の主人公(偽者)の要素を拘束できる悪人のような対象にすれば、エゴにとって欺きが不可能になる不都合な事実が【異世界レベル】で漏れないとエゴが判断したのだろう。

因みに、このエゴにはコントロールできない【異世界レベル】の漏れを、『芋づる式漏れ』と最後の主人公(偽者)である本物:佐藤篤代は呼んでいる。

西暦2014年段階の佐藤篤代
http://simplog.jp/comment/18717650/23
(6)偽者概念
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11970074185.html
(8)芋づる式漏れ・芋づる式カバー
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11970850551.html

次第に、エゴが作った世界の思考システムが【原始レベル】から移行していくにつれ、「悪人は生来悪人。悪人は許しがたい悪人。悪人に理由はなく、悪人だから悪いことをする」という【原始レベル】では通用しなくなる。

どんどん、本物:佐藤篤代の領域の心理学やその他の概念が漏れていくにつれ、「悪人は生来悪人ではない。悪人が悪いことをするようになったのには必ず理由がある」と理解と同情が欠かせなくなる。これが「性善説」の始まりだ。そして悪人にも更正と癒しが可能だとされる。この段階になると、悪人には罪悪感が生じさせられる。

この段階の主人公(偽者)の領域の悪人は、「性善説」に則り、生まれながらにしての悪人などは存在しないのだから、悪いことをしたり、罪を犯せば罪悪感が生じるとして作られる。

知覚を作るのはエゴだけだ。
エゴは欺ける判断から全てを作る。他の知覚と同様に罪悪感もエゴが作る。

ここで、ピンと来なくてはならない。
【A・Course・in・Miracles】では、神の息子(神の創造物)の神からの分離という思考による誤創造の起源が罪悪感の原因だとある。だが、神の息子はエゴに騙される前に罪悪感を感じている。しかし、神は知覚を作らない。故に、知覚など想像がつくはずがないのだ。罪悪感など想像がつくはずがないのだ。
故に、やはりどの角度から見ても【A・Course・in・Miracles】にある神からの分離という起源は矛盾だらけだ。歪みでしかない。

最初、エゴが世界を作った、始まりの世界は楽園だったのは間違いない。だから、悪人などはおらず、だから罪の意識、罪悪感などの感情は世界になかったのだ。言うならば何も知らない無知な赤ん坊の思考パターンだ。「悪感情はない、だが何も知らないから残酷」、そのような思考パターンが原初の世界だったのが判る。

楽園にいたアダムとイブが知恵の実を食べて堕落した神話が、原初の世界を象徴しているのだろう。

この無知さを考えると、丁度大学時代にやっていた漫画『るろうに剣心』(西暦1994年~1999年)の瀬田宗次郎を思い出す。史実上の人物、新撰組の沖田総司がモデルだ。以前、日記にも書いたことがある。

【るろうに剣心-明治剣客浪漫譚-】
和月伸宏による日本の漫画作品。1994年(平成6年)から1999年(平成11年)にかけて集英社の『週刊少年ジャンプ』で連載。アニメ化・実写映画化などと様々な形でメディアミックスも行われている。略称は「るろ剣」。
http://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%8B%E3%82%8D%E3%81%86%E3%81%AB%E5%89%A3%E5%BF%83_-%E6%98%8E%E6%B2%BB%E5%89%A3%E5%AE%A2%E6%B5%AA%E6%BC%AB%E8%AD%9A-

この『るろうに剣心』の敵役、瀬田宗次郎は、「楽」以外の感情が欠落している。だから残忍だ。

人間は、喜怒哀楽の感情が基本だ。
一応インターネットの辞書引用をしておくが。

【喜怒哀楽】辞書引用
http://www.weblio.jp/content/%E5%96%9C%E6%80%92%E5%93%80%E6%A5%BD
人間が持っている基本的な4つの感情。喜び、怒り、哀しみ、楽しみ。
以上

人間が持つ4つの基本的感情:喜怒哀楽が1つでもないならば、それが生まれつきならば、それは感情の偏りであり、感情の欠落だ。

喜怒哀楽の4つの内1つでも人間の基本的感情を経験したことがないならば、その感情は理解できない。『るろうに剣心』の瀬田宗次郎は、だから無邪気で残忍だったのだ。

要するに、楽園にいたアダムとイブはこれと同様に、喜怒哀楽の内「楽」以外の感情を知らなかった【原始的な思考パターン】だったのだ。だから実際は残忍だった筈だ。無邪気な残忍さだ。他の感情を知らないからだ。経験したことがない領域は理解できない。

生まれながらにして感情の偏りがあれば、他の感情は理解できない。経験しなければ理解は不可能だ。そして、理解できないということは無知でしかない。だから残酷さがある。その無知な無邪気な残酷さで他者を、しばしば弱者や下位を排除する。

残酷さは無知だからだ。
無知故に弱者や下位を理解しない、理解できないからだ。だから残酷だ。
自分が弱者や下位になったことがないために、弱者や下位を理解できないから理解できない対象を排除する。
この原始性が楽園後だったのだ。

経験したことがない為に無知だからこそ、原初、そして初期の世界の主人公(偽者)は、自分を肯定して他者を否定する、心理学でいう4タイプ中の
【自己肯定・他者否定型】だったのだ。

楽園に、楽園ではないマイナスの要素(実態)がある未知の領域が漏れて表れたのが、アダムとイブの知恵の実を食べたエピソードに象徴されている。

これが楽園の終わりとなり、マイナスの要素を知らずに楽園で何不自由なく生きてきた原始の世界の主人公(偽者)は、未知の領域から漏れた世界のマイナスの要素(実態)を何とかして取り繕ってきた。
無論、取り繕ってきたのは全てを作ったエゴだ。

漏れた世界のマイナスの要素(実態)を主人公(偽者)のものとすると、主人公(偽者)がマイナスとなり、魅力が減退し、特別性の誘引というエゴの最大の目的を果たせなくなる。
だからこそ、マイナスの要素をスケープゴートへ押し付け、自分が持っていなかったから理解できない(理解したくないしさせたくない)マイナスの要素を擦り付けられたスケープゴートを世界は原始から糾弾してきた。

要するに、【自己肯定・他者否定型】である原初、初期の主人公(偽者)は、感情が欠落しているか、感情的に未熟だったということだ。罪悪感を抱えて生きる者の気持ちなど、理解しようともしないし、理解できない。感じたことがないからだ。

だから、原初、初期の各主人公(偽者)は、マイナスの要素を擦り付けられたスケープゴートを糾弾し、排除することしか考えない。
「異物排除、イレギュラー排除」と音声を発生させて淡々と業務をこなす排除システムのように、プログラムされた「イレギュラー要素」を含む対象を何の同情も理解もなく排除しようとする。
そしてその「イレギュラー要素」は、高い位置を保とうとする主人公(偽者)が貶め排除したい下位、弱者の要素だ。

だから、原初、初期の世界の魅力溢れる主人公(偽者)は残酷だ。この思考システムに弱者や下位の理解という文字はない。
西暦1789年フランスで起きた市民革命(フランス革命)で処刑されたフランス王妃マリー・アントワネットは、餓えた市民の現状に対し「パンがないならお菓子を食べればいいじゃないの」と言ったそうだ。下位を理解しようともせず、王公貴族が裕福ならいいという【自己肯定・他者否定型】の無知故に無邪気で残酷な例だ。だから市民の怒りを買い処刑された。革命を起こした市民を理解しようともせず自分は何も悪くないと言い張り何も実態を知ろうとも理解しようとしかなかった結果だ。

原初、初期の世界の絶対的な目的は、隠しきれないマイナスの要素(実態)の押し付けの為の「スケープゴート糾弾」だ。
歴史上の王公貴族が薄汚い餓えた市民を見て「汚ならしい卑しい下賤の者」と眉をひそめたりするのも同等だ。
だから、この思考システムに弱者や下位の理解は絶対に組み込まれない。その世界で正当化されたスケープゴートの排除と差別と糾弾が通用しなくなるまでどうあっても死守する排除の思考システムだ。

故に、初期の世界の主人公(偽者)に罪悪感はない。エゴが必要としなかった位に罪は外側へ擦り付け可能な領域だからだ。主人公(偽者)は自分の中に罪を見る必要がなかったのだ。初期故にそれでも欺けた。

しかしながら、原初、初期の主人公(偽者)の領域には、他者の理解、特に弱者や下位の理解という思考システムが一切なかったが為に、スケープゴートを排除する方法は残忍だった。だが、世界がそれを正当化してきた。まだその正当化が通用していた。

奴隷制や武士の江戸時代の切捨御免のように、世界がスケープゴート排除を正当化していた時代も歴史に表れている。

【切捨御免】
http://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%88%87%E6%8D%A8%E5%BE%A1%E5%85%8D
切捨御免とは苗字帯刀と並ぶ江戸時代の身分事象である。別名を無礼討とも。
近世において武士が耐え難い「無礼」を受けた時は、切っても処罰されないとされる。これは当時の江戸幕府の法律である『公事方御定書』71条追加条によって明記されている。 ただし、その判定は厳格であり基本的に命懸けの権利であった。証拠が認められない限り死刑となる可能性が大きかったため、処罰を免れる例は極めてまれであった。
斬り捨て御免は正当防衛的な行為と認識されていた。しかし、それはあくまで建前であり、喧嘩による斬り捨て御免も「無礼討ち」として処理されていた。西洋では近代以前には決闘による名誉回復があったが、これに対して日本の切捨御免は、幕藩体制を維持するための観点から認められていたと考えられている。
以上

このようにスケープゴート排除が正当化される世界、時代の残忍な方法は、この領域の西暦2015年でやれば犯罪だ。
原初、初期の主人公(偽者)は、この領域の西暦2015年では犯罪となるようなスケープゴート糾弾、排除をしてきたワケだ。それが歴史に象徴として表れている。

このように、原初、初期の主人公(偽者)は、無知なのだ。単に、スケープゴート糾弾や排除は残酷であり弱者や下位を虐げ、踏みにじる人間として最低な行為だということがわからない。世界が正当化してきて、正当化できてきたからだ。

だから、原初、初期の主人公(偽者)には罪悪感がある筈がない。
自分は自他共に世界にも肯定され、他者を否定しても自他共に世界が正当化するからだ。
奴隷制や切捨御免のように、あんなに横暴で残酷な弱者や下位の虐げであるスケープゴート糾弾や排除をしても罪の意識をエゴが作る必要がなかったのだ。
世界の全てが【自己肯定・他者否定】を正当化してきたのだ。

だからこそ、初期の主人公(偽者)の世界では【自己肯定・他者否定型】には罪悪感が生じない。

このような世界がスケープゴート糾弾や排除を正当化する状態下、周囲は異常であり、正義も実質的な正当性も潔白も通じない。世界は異常だ。異常が常識であり正当性を持ち正義とされる。だから一番正常でまともな人間が異常とされる。
村八分による冤罪もこのパターンだ。

周りが異常で、それが正当化されたら、一番正常でまともな人間は不当に排除されるワケだ。
それはドラマにも多々表現されるし、実際に警察組織や公的機関の隠蔽体質は大問題となってきたが、これが警察組織等の公的組織だったら、警察組織の不正を大多数の権力を持つ者達が隠そうとするなら、正常な告発者はあらゆる手段で社会的に抹殺される。あらゆる公的組織、会社、全ての組織に言える。国レベルでもある。よくあることだ。

学校でも、教師が【自己肯定・他者否定】ならば、率先して差別し、排除する為にイジメを奨励する。公平と他者理解を教えるべき教師が生徒をイジメの標的にすることも多々ある。だから生徒達は我が物顔でイジメをやりつくす。だから、イジメはなかなか表に出ず発覚しない。

本物:佐藤篤代も小学生の時、中里という教師にイジメとしか言いようがないことを度々された。標的にされたとしか言いようがない。実際に相当厳しすぎる虐待教師だった。ちょっとしたことですぐ激昂し、授業そっちのけでお説教だ。
巧妙に弱者を排除するような教師だった。
学校を通して本を注文した時、名前を呼ばれて返事をキチンとしたが、立ち上がる椅子の音と同時だったから、その教師に返事をしていないとされ、無視されて注文した本を渡してもらえなかったこともある。そして居残り説教だ。こちらの説明は一切聞かない。椅子の音でかき消されただろうが何だろうが返事をしていないとされた。もはや暴君でしかない。
小学生にだぞ。
だから、この経験から、本物:佐藤篤代は自分の言い分などは教師にも理解してもらえないから、誤解が生じないように、因縁をつけられないように言動しなければならないと小学生ながらに気を付けるようになった。
それだけではないが、例としてこれだけで充分だろう。あまりに攻撃的な教師だった。何かしら因縁をつけられていたとしか言いようがない。その教師は体罰が大問題とされる現在西暦2015年では懲戒免職となる体罰もやり過ぎていた。

だが、当時は本物:佐藤篤代は【自己否定・他者肯定型】だったので、そうやられるのは自分が悪いのだから自分が変わらなければならないのだと自分を責めて、教師を責めなかった。

だが、実質的に公平な視点で見る今、西暦2015年に見ると、教師というものは生徒の事実や心を理解しようともしないという経験しかない。
自己中心的な【自己肯定・他者否定】を象徴している。

北隣【近藤】(40代後半位女:西暦2015年)も小学校教師だ。新聞に入ってくる教員異動情報に初めて名前を見つけたが、その虐待教師中里がいた学校と同じ学校へ転任になっているのを見て、やはり全てが象徴だと実感した。
やはり虐待教師中里と同等の【自己肯定・他者否定】だと象徴している。
キーワードは『メーイ(名医)を保つ』。
名医はやはり【原始的レベル】の【自己肯定・他者否定】型ばかりだというパズルのピースのようだ。

教師は基本、教えなければならない「他人を否定したり、イジメたり、バカにしたり、差別してはいけない。弱者を虐げてはならない」という公平さを実質的には教えていない。
実質的には、弱者を差別し、イジメるように、暗に教えている教師ばかりだ。

これは世界がスケープゴートを糾弾する為に作られている構造であるからだ。

だから、どんなに愛や公平さや平和を教えていたてしても、実際は弱者や下位の差別や下位を落とすことを教えているのだ。


【②スケープゴート糾弾目的の為の冷静さ持ち上げ感情否定傾向】

本物:佐藤篤代が見てきた概念を提示すると、【異世界レベル】の各主人公(偽者)の領域に漏れた故の取り繕いが象徴的に見える。

心の訓練について最近、西暦2015年3月に書いたせいか、変な取り繕いが見えたのでツッコミしつおく。

西暦2015年3月27日:金曜日
http://www.yomiuri.co.jp/job/news/20150329-OYT8T50000.html?from=ytop_ymag
創業者で父の大塚勝久会長(71)と、長女である久美子社長(47)の間で激しい対立が続く大塚家具の株主総会が27日午前、東京都江東区で開かれた。
勝久氏を取締役から外すとした久美子氏率いる会社側提案の議案が賛成多数で可決され、長女側の勝利で決着した。同社の発表によると、賛成票は全体の約61%にのぼった。
以上

これは、大塚久美子社長は常に冷静に応対し、大塚勝久会長は感情的に親子ゲンカを株主総会に持ち出していたからだけ、大塚久美子社長が勝利しただけだ。

自己中心的な家族経営のごり押し会長が負けるのが当然なだけだ。大体、あんな大きな上場株式会社が家族経営だったことが驚きだった。普通、上場したら、会社は公的になり、家族経営ではなくなる。

大塚家具ショールームには23才~24才位の時に見学に行ったことがあるが、とても1日ではまわりきれない広さだった。だから、受付で担当がつき、見たい箇所を事前に申告して案内してもらう。自分で買うためではなく、会社の先輩が家具購入予定があったから、それを口実に見学できた。
丁度東京で、多分東京ビッグサイトで、家具フォーラム的なイベントがあり、会社で行くように言われて行った帰りだった。本物:佐藤篤代は家具ショールームに勤めていたことがあったのだ。栃木県から電車で片道二時間以上かけて行った。

だから、家具業界にいたからこそ判るが、大塚家具のような会社がリーズナブルなニトリや東京インテリア的な会社のような方向性をとっても普通うまくいかないだろうと考える。巨大なショールーム体制を残して、入りやすいリーズナブルな方向性をやるなら、全く別口でやるべきだと思う。広すぎて、自由な出入りになる意味がない。家具はカタログ買いが多かった。自由な出入りで安価で現品でしか買わないような客はニトリとかに行く。
家具は単価が高い。しかも単価が高い家具の需要は落ち込まない。本物:佐藤篤代がいたショールームでは、単価が高い家具を買ってくれた客に一万円以下位の商品ならプレゼントしていた位だ。そして家具で一万円以下の商品はめったになかった。だから、本物:佐藤篤代は大塚久美子社長のやり方は失敗に終わるパターンに見える。

老舗がリーズナブルな方向性をやって失敗して倒産する例は多々ある。見てきた方向性でいくとその典型的例になりそうだ。

だから、大塚久美子社長は人柄や人望ややり方で勝ったのではない。テレビで見たがその冷静で淡々とした態度は、成熟を表してはないない。

これを見て、「冷静であればいい」という間違った傾向が【異世界レベル】の偽者の領域に広まったのだなと思った。これは象徴的に表されたのだろう。

だが、冷静にやればいいというものではない。

感情を押し隠して冷静に装うことができる、本心を隠して仮面をつける人間は沢山いる。大塚久美子社長もその部類にしか見えなかった。このパターンは詐欺師に多い。

故に、冷静さは感情の成熟とはイコールにはならない。

実際、成功法則において言えば、成功者は感情的な場合が多い。人を動かすには、心からの真摯な熱意と情感、情熱が効果的だからだ。
これは感化の問題でもあり、人は他人の感情に感化されやすいからだ。

成功者が感情的に未熟な場合も多々あるが、信頼を得る人望ある成功者の場合、熱意と情感は感情の未熟さにはならない。信念のある者は情感も豊かな場合が多い。

感化の問題ゆえに、無機質さや機械的な態度は共感を生まない。

歴史的に演説などで民衆の心を掴むような偉人は淡々となど語っていない。情感豊かに、信念と情熱を持って、情に訴えかける。

成功法則で言えば、人の心を真に動かすのは、淡々と語る天才ではなく、心から情熱を持って訴えかける信念を貫くバカなのだ。
無論、これが正しいとは言わないが、これが成功法則だ。感化という問題ゆえに間違えると扇動になったりもする。この法則を心得ている詐欺師も多々いる。

おおざっぱに言えば
『成功法則=信念、情熱、決意』だ。

結局、知覚ある世界はエゴが作った幻想でありインチキだからもう信じてはいないが、これが本物:佐藤篤代が見てきた成功法則の段階の一部ということだ。

心理学的に言えば、情感を仮面の裏に隠して冷静さを装い機械的な者は、感情をコントロールするのが上手いのでもなく、心の本質的な訓練がなされているのでもない。単に情感を押し隠しているだけなので、仮面が通用できなくなれば情感の未熟さが露呈する。
情感を隠していないというならば『るろうに剣心』の瀬田宗次郎のように、感情が欠落しているのだ。
それは同時に、他の感情の経験がない故にその感情について理解ができないが為に生じる無邪気な残忍さに繋がる。

心の訓練と冷静さはイコールではない。

冷静さは仮面である場合が多々あるので、見抜けなければ騙されるだけだ。詐欺師に多い理由だ。見抜けるのは実際に心の訓練をした者だけだ。

因みに、他者に嫌がらせをしたり、イジメたり、バカにしたり、差別したり虐げる者、下位を落とす者は心の訓練などやっていない。やっていると言うならばでたらめな意味のない方法をやっている。

心の訓練とは、感情を押し殺して冷静さの仮面の下へ隠すことではない。それは単に感情の隠蔽工作に過ぎない。そしてそれは本心を隠す訓練だ。自他共に欺くための訓練でしかない。

どうやら、ブログに書いた、本物:佐藤篤代が見てきた概念を提示すると、変な風に取り繕いが始まる。今回は感情否定に走り冷静さを持ち上げる変な取り繕いが見えたから書いた。

恐らく、【異世界レベル】の主人公(偽者)を感情否定の冷静さで持ち上げて、感情的な者を否定しバカにすることでスケープゴートを糾弾で落とす為の手段として、エゴが利用したのだろう。

エゴは常に、スケープゴートを糾弾して落とす為にマイナスの要素を利用するという例だ。

大塚久美子社長の冷静さ持ち上げは、感情的な大塚勝久会長のようなタイプをスケープゴートにさせて糾弾の為にエゴが利用したパターンだ。



【③但し書き】

西暦2015年3月、ブログの至る所、特にAmebaに置いている但し書きをSimplogにまとめて書いたので、掲載しておこう。

あまりにも強引に、あからさまにインチキ臭く、しかも巧妙に【異世界レベル】の偽者用コメントなどの影響がくるので、否応なしにだ。

とても【人間レベル】でのいたずらや嫌がらせレベルの話ではないのでな。そういう内容ではない。

「本物:佐藤篤代の概念内容以上を書いてみろよ」と書いて、メッセージに『気』の内容書くやつがあるかっつの!ブログ見えてりゃ明らかに場違いだと解るだろーが。
『気』がこの世界レベルで、しかもスピリチュアルでも物質レベルだという自覚がないんか?
糞【スピリチュアル系偽者】が。

しかも、【社会的義務系偽者】はスケープゴート糾弾の為に、ニート等のコメントを作り出して、あらゆる方法で、スケープゴートを糾弾しているのがよく判る影響も来る。

主婦、女子大生、その他一般人が普通の一般生活を送っているらしき【人間レベル】の多種多様のコメントもストーカーレベルで来る。

「誰に対してコメントしている」という別人に対する内容のコメントばかりだ。
あきらかに、このブログの内容を見てはコメントしていないのが一発で判る。

その為に但し書きをしばらく置いてきたが、更に内容を分かりやすく新しい内容に書き直した。

【異世界レベル】の『偽者崩し』の為の内容であり、設置だ。


【但し書き】佐藤篤代
http://simplog.jp/comment/20217165/23
メール、コメント、いいね等その他全部のコミュニケーション迷惑だからやめて下さい。

このブログは、エゴに作られた最後の偽者:本物:佐藤篤代が、全偽者用の領域を見せられてる『1つの自己※』へ向けて【知らせる手段】として全ての偽者を終わらせる為に書いています。
同時に過去の本物:佐藤篤代がこれまで知った全てを知る為に書いています。

これが【A・Course・in・Miracles】にある概念『自分が与える全てを受け取る』の真相です。
逆に言えば、『受け取ってきた全てを与える』という意味が含まれた本物:佐藤篤代が行う作業が【知らせる作業】です。

そしてだからこそ、真実はあらゆる他者、他の存在とは分かち合えない。
それが実感されている為に一切他者向けには書いてはいません。

来るのは【偽者用コメント】だけであり、【異世界レベル】の偽者用の影響しか来なく、ツッコミ処理作業が増えるだけなので大迷惑です。

なされる全てが【異世界レベル】の【偽者用コメント】でインチキだとこれまでの経験から判明しています。
この徹底的なインチキさはもうどんな現実性でも覆せません。
故に、『偽者用コミュニケーション』だと言う突っ込みしか入れません。

「コメント等その他全て迷惑だからやめて下さい」と機能制限せず言い続けるのは、ツッコミで【偽者用】の異常さを浮上させる為です。

こんなインチキさばかりの中で、まともなコメント等のやり取りをやりたいならば、本物:佐藤篤代の提示する内容以上の新しい概念を書いてみろっつの。
食いついて喜んで読むわ。
あからさまに場違いコメントばかりだからツッコミ入れてるわけだからな。
だが、【A・Course・in・Miracles】でもう知る手段の偏りは限界だから不可能なんだよ。

卑劣にも、コミュニケーションを死守したい偽者用の為に、メッセージやメール手段で広く見えない手段で突っ込まれ被害を少なくさせようとする方向性があるが、ゴミ箱行きです。絶対見ません。
コメントに書け。
多くに見られたら困るのでなければ、コメントに書けるだろう。
容赦なく矛盾をツッコミするがな。

少なくともスピリチュアル以下レベルは失墜覚悟でコメントやれ。

そして、知る手段の偏りを棄てるという意味を突きつけられればいい。

佐藤篤代
西暦2015年


西暦2015年段階の概念:佐藤篤代(21)
【エゴが罪悪感を作った理由】
西暦2015年3月31日:火曜日



西暦2015年段階の概念:佐藤篤代
http://simplog.jp/comment/19063121/23

(1)エゴの隠す特質
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11974654245.html
(2)エゴが隠し取り繕う過程
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11975807518.html
(3)2つの正反対の思考システム
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11976707775.html
(4)知覚ある世界はエゴが作った幻想
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11978246696.html
(5)スケープゴートの世界構造
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11979880043.html
(6)原因と結果の法則
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11982652628.html
(7)繰り返しのサイクルの終わり
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11983485361.html
(8)知覚ある世界の全てを棄てる
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11986007920.html
(9)幻想を幻想として見る『赦し』
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11987258358.html
(10)やり直しのスパイラル
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11989740061.html
(11)『全ての幻想を同じ』と見る視点
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11991064187.html
(12)エゴが作った幻想の再利用
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11993159401.html
(13)身体の脆さと死におけるエゴの目的
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11994375354.html
(14)身体は幻想・死はない
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11995592527.html
(15)【死の超越】の実態
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11998096555.html
(16)『罪の起源』の実態
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11998915374.html
(17)罪は幻想・罪はない
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12000205331.html
(18)罪の投影の世界構造
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12001831249.html
(19)スケープゴートへの罪の投影
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12004677231.html
(20)罪をでっち上げる世界
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12006320153.html


西暦2015年1月
http://simplog.jp/comment/19628362/23
西暦2015年2月
http://simplog.jp/comment/19628500/23
西暦2015年3月
http://simplog.jp/comment/20021719/23


この本物:佐藤篤代のブログは
【A・Course・in・Miracles】の核心「知覚ある世界はエゴが作った幻想」を矛盾なく徹底的に追究し、
【他が幻想であり、他がない】
と証明する、
『世界の起源を扱う』、
『人間レベルではない』、
【自分発信、自分受信】
の自分が知るために自分が自分に知らせる為のブログだ。

敵はいない。
味方もいない。
全部同じだからだ。
全てが同じエゴが作った幻想でしかないからだ。

本物:佐藤篤代は『エゴが作った幻想』という見方でしか何も見ないから、敵も味方もいない。

この『全てはエゴが作った幻想』という視点でしか『全部同じ』としては見ることはできない。

この本物:佐藤篤代のブログは、
『the Foundation for Inner Peace』の
【A・Course・in・Miracles】
原書second editionの概念をベースにしている。

本物:佐藤篤代がブログで言う核
【A・Course・in・Miracles】の核心
・知覚ある世界はエゴが作った幻想
・他は無い・他は幻想
・エゴが世界に留める為の最大の欺きの手段は特別性だ。
故にエゴの欺きから脱するには特別性を棄てなくてはならない。
・知覚もエゴが作った。
エゴの作った世界の終わりとは知覚の終わりだ。

本物:佐藤篤代はこの【A・Course・in・Miracles】の核心を基本に、【A・Course・in・Miracles】の歪みを削ぎ落としながら、『世界は幻想』という実体験に基づきながら真実へ向かっている。
この点を徹底的に矛盾なくしながら追究している。

矛盾がない概念を採用し、その方向性を目指す。こうして矛盾と歪みをそぎおとしていけば、いずれエゴの欺き(幻想)の完全な終わりへ向かえると本物:佐藤篤代は考えるからだ。

※本物:佐藤篤代が言う「1つの自己」とは【A・Course・in・Miracles】の意味とは違う


西暦2015年(年号:平成27年)
未(ひつじ)年現在

【佐藤篤代について】

西暦2012年7月16日:月曜日:海の日
【A・Course・in・Miracles】セカンドエディション(1976年発行:※生まれ年)の2回目日本語直訳、意訳をやめて直訳でやり直し始める。西暦2011年秋にある所へ送付し自分用が手元にないので、これは自分用。(西暦2012年10月末頃から中断し、西暦2013年11月2日:土曜日にやめた)

理由:【A・Course・in・Miracles】は本という型なので真実を完璧に表現できない。エゴは視界レベルで作り直せると気づいた為。
エゴはあいまいな記憶の水面下をいかようにも作り変えられる。時にはあからさまに作り変える。

同じ理由から【A・Course・in・Miracles】原書は全部はブログ掲載はしない。

この佐藤篤代が手紙を送った宛先のA Course in Miraclesに関連する組織とはthe Foundation for Inner Peace(Mill Valley;アメリカのカリフォルニア州)とthe Foundation for A Course in Miracles(Buecking Drive;Temecula:アメリカのカリフォルニア州)のみ。手紙のみのやり取りだった。
だが、後半ではやり取りは上記組織の個体ではなく、他の存在達こと過去の時点の自分達だけだと考えていた。実際は組織には届いてないと思われる。
西暦2009年から西暦2012年6月29日(金曜日)付の手紙で一切のコンタクトを終了し、以後、今後一切どのA Course in Miracles関連組織とは関わらない。

佐藤篤代はあらゆる全ての思想的布教や教えの組織も含め、A Course in Miraclesに関するあらゆる機関、組織、同人誌を含めた全ての出版、講演、workshop、慈善事業、ボランティア、あらゆる公的活動には一切関わっていないし、永久に関わらない。その他相談的なもの、カウンセリング、ヒーリング等同等の行為にも一切関わっていない。また、イエス キリスト的な偉人系、隠れ偉人や仙人系でもない。

佐藤篤代は生涯本籍変わらない。小学高学年で新築した際1年位近い親戚の家にいた以外、ずっと同じ場所に住んでいる。栃木県宇都宮市。

西暦2013年に新車購入全プロセスは終了済。日本車(国内車)。

佐藤篤代はパスポートを生涯取せず、海外渡航歴なし。

佐藤篤代は生まれてからずっと大病なし、入院もなし。

本物の佐藤篤代は36才(西暦2012年)から風邪も引かない。何らかの症状は代用の偽物の一過性の影響に過ぎないので病気ではない。アレルギーもならない。

本物の佐藤篤代は清潔。潔癖。

まだパソコン持ってなく、基本はスマートフォンがメインでブログ書いてる。あとは祖母の携帯電話をたまに使用。スマートフォンは機種交換し現在XPERIAに。

西暦2012年冬から今ずっと通販してない。めったにしていなかったが。西暦2014年1月19日:日曜日にNissen登録削除しもう通販しない。通販は他でもやってない。
(西暦2015年1月現在)

本物:佐藤篤代は43才になったら、ピンクと可愛い系(フリルやリボンやハートや星等マーク含め)や短いスカートやパンツ系をやめる。
現在の髪型をガラリと変え茶髪もやめる。前髪はなくし、髪色は黒。 現在の髪型(おかっぱ、前髪パッツン、茶髪 )は35才(西暦2011年夏の終わり)から継続中。
暖色系は極力やめ寒色系を主にする(白アイボリー系は多少やる)。ババアはババアらしくする。若づくりやらない。

西暦2007年12月から西暦2008年秋までが第1次インターネットblog活動。西暦2012年1月17日から現在に至るまで第2次インターネットblog活動。それ以外何もない。

本物は将来性のないニート
(西暦2015年)。
佐藤篤代は西暦2015年1月17日(土)で39才。
日本人(血縁すべて日本人)。
生まれてからずっと中肉中背。
普通の容姿。
西暦2009年から無職。それ以前は全部バイトかパート。
生涯未婚で子無し。

メール、コメント、いいね等その他全部のコミュニケーション迷惑だからやめて下さい。
なされる全てが【偽者用コメント】でインチキだと判明している為です。
故に、『偽者用コミュニケーション』だと言う突っ込みしか入れません。
(西暦2015年現在)

佐藤篤代

西暦2015年段階の概念:佐藤篤代(21)
【エゴが罪悪感を作った理由】
西暦2015年3月31日:火曜日

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