西暦2015年段階の概念:佐藤篤代(32)
西暦2015年5月12日:火曜日

【『A・Course・in・Miracles』幻想の意味】
①『知覚ある世界がエゴが作った幻想』という世界の実態とは柔軟な思考でなければ考えも及ばない
②知覚する世界の全ては閉鎖的(クローズド・システム)なエゴの台本の中にある
③世界が幻想だと言うだけでは何にもならない。世界がインチキだ、と実感に基づく経験が必要だ

【①『知覚ある世界がエゴが作った幻想』という世界の実態とは柔軟な思考でなければ考えも及ばない】

今回、【A・Course・in・Miracles】の核心概念『知覚ある世界はエゴが作った幻想』という意味を、原文とゲイリー・R・レナードの『神の使者』を引用することにより提示する。そこに本物:佐藤篤代のツッコミや付け足しをする。

【A・Course・in・Miracles】自体が歪みであり、『神の使者』も日本語訳は理解していない者がやっているから更に言葉や意味がおかしいし、所々日本語訳が違うという前提で提示する。


▽以下引用
(※「コース」とは【A・Course・in・Miracles】のこと)

アーテン:…神はこの世界をひとかけらだって創ってはいない。「コース」には世界はないと書いてあると言っただろう!ないものの一部を神が創るはずがないじゃないか。聖霊の意図は、世界があるという夢からきみたちを覚めさせることだけだよ!一時的に良い夢や悪い夢があるように思っても、それが真実だ。

結局、真実は一時的じゃないからね。永遠であり、絶対的で、完全だ。だがこのレベルでは、聖霊にきみたちの認識を癒してもらうことが絶対的な解決につながるとりあえずのプロセスなんだ。

ゲイリー:もう一つ質問。どうして心と霊(※注:spirit)との違いを強調するんだろう?

アーテン:簡単さ。エゴはつまり間違った心は、かたちのレベルで起こるように見えるすべてをでっちあげている。霊(※注:spirit)はかたちのレベルでは何もつくらない。だから宇宙の出来事やモノを霊的だと見てはいけないんだ。正しい心はかたちのレベルに聖霊による解釈を与え、きみたちを―このきみたちというのは、心のなかで自分をエゴと一体化させてエゴに縛り付けている観察者の部分のことだが―わが家へ導く。わが家とは変わることのない霊(※注:spirit)だよ。
(P290)

アーテン:きみたちが向こう側とかこちら側と言っているのは、実は同じ幻想というコインの両面にすぎない。すべて概念的な宇宙でしかない。きみたちの身体が死んで停止したように見えても、心はそのまま持続するんだよ。きみは映画が好きだったね?

ゲイリー:誰にも楽しみはあるからね。

アーテン:きみたちが一方からもう一方へ移動するのは、この世からあの世への移動でも再び身体に戻る場合でもそうだけど、一つの映画館を出てべつの映画館に入るようなものなんだ。ただしその映画は未来のバーチャル・リアリティ映画のように、触感まですべてが完璧にリアルなんだよ。

ゲイリー:新聞か何かで読んだな。マサチューセッツ工科大学の研究所には、手を入れると存在しないものに触れた感じがする機械があるって。あんたが言っているのは、そういう技術のこと?

アーテン:そう、ほとんどの発明は心の働きのある面を模倣している。生と死のサイクルの話に戻ると、きみたちが再び肉体として生まれ変わるときにはすべてを、少なくともほとんどを忘れる。みんな心の仕掛け、トリックなんだよ。

ゲイリー:ぼくの人生はみんな頭のなかにあるって、そう言いたいのかい?

アーテン:みんなきみの心のなかにあるんだよ。

ゲイリー:頭も心のなかにあるってこと?

アーテン:きみの頭、脳、身体、世界、宇宙全体、それにパラレル・ワールド、とにかく認識できるものはすべて、心の投影さ。すべて、たった一つの考えを象徴しているんだ。その考えが何なのかはもう少ししたら話してあげよう。もっとわかりやすくというなら、宇宙は夢だと考えればいい。
(P24~25)

△以上引用

『神の使者』
(原書名:The Disappearance of the Universe)
ゲイリー・R・レナード
吉田利子訳
西暦2007年1月30日:日本語版初版発行

【バーチャル・リアリティ】
http://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%AB%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%AA%E3%83%86%E3%82%A3
バーチャルリアリティ(英: Virtual Reality)とは、実際の形はしていないか、形は異なるかも知れないが、機能としての本質は同じであるような環境を、ユーザの感覚を刺激することにより理工学的に作り出す技術およびその体系。略語としてVRとも。
日本語では「人工現実感」あるいは「仮想現実」と訳される。

【パラレル・ワールド】
http://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%A9%E3%83%AC%E3%83%AB%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%89
パラレルワールドとは、ある世界(時空)から分岐し、それに並行して存在する別の世界(時空)を指す。並行世界、並行宇宙、並行時空ともいう。
「異世界(異界)」、「魔界」、「四次元世界」などとは違い、パラレルワールドは我々の宇宙と同一の次元を持つ。
「この現実とは別に、もう1つの現実が存在する」というアイディアは、「もしもこうだったらどうなっていたのか」という考察を作品の形にする上で都合がよく、パラレルワールドはSFにおいてポピュラーなアイディアとなっている。
以上

SFマンガや小説などによく出てくる異世界やパラレル・ワールド等の知識は、この知覚ある世界の実態を知る上で大変役に立つ。そうでなければ、とても想像が及ばないからだ。考えが及ぶようになるための知識は世界の実態を知る上では欠かせない。考えが及ばない故に、物語にしかできないということでもある。そうでなければ世界の普通は崩壊する。

いきなり『知覚ある世界はエゴが作った幻想だ』と言われても、何の前置きもなければ想像もつかない。
先入観で凝り固まったカチカチの価値観で狭量で視野が狭い生き方では、受け入れられる筈がない。
「想像がつく」、思考パターンの柔軟状態でなければならない。
だから、可能な限り思考も心も偏りがない柔軟状態に整えておく必要がある。

ファンタジー小説『ソフィの世界』などは20代の頃に読んだが、世界が幻想という意味を解りやすくさせた前置きのような本だった。哲学がふんだんに込められた内容なので、これまでの既成概念も改めて考え直す柔軟性の方向性としてはうってつけの内容だ。最後辺りで、ソフィの父親が世界の中に表したメッセージなど、特に思考の柔軟性の幅を広げさせた。
コチコチ頭では考えも及ばない。
世界の実態とは柔軟な思考でなければ考えも及ばない。

【ソフィの世界】
http://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%81%AE%E4%B8%96%E7%95%8C
『ソフィーの世界』は、ノルウェーの高校の哲学教師ヨースタイン・ゴルデルによって西暦1991年に出版されたファンタジー小説。少年少女に哲学への手ほどきとして読んでもらうよう構想された作品で、世界各国語に翻訳され、全世界で約2300万部以上を売り上げたベストセラーとなった。
以上

『パラレル・ワールド』や異世界やタイムトラベルやその他の物語もマンガや小説で相当沢山読んだ。これらの物語は思考の幅を広げた。

それで『パラレル・ワールド』はエゴの取り繕いだと西暦2015年では判っている。これは、【異世界レベル】の主人公(偽者)の領域をエゴがやり直しをして作り直ししたことが隠しづらくなった領域の取り繕いだ。エゴの世界の作り直しが『パラレル・ワールド』という取り繕い概念を生じさせたのだ。

【異世界レベル】の主人公(偽者)に関しては以下の概念記事にまとめてある。

西暦2015年段階の概念:佐藤篤代
http://simplog.jp/comment/19063121/23
(24)【異世界レベル】の穴概念
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12013322433.html
(25)エゴが作った全ての再利用
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12014997902.html
(27)「夢の主人公」の実態
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12017397555.html

要するに、「世界はない」、「知覚ある世界はエゴが作った幻想」と言われても、思考システムの段階によって、とても受け入れられないワケだ。
外見ばかり見て額面通りにしか考えられず、先入観で凝り固まり、狭量で、視野が狭く、差別的で偏見に満ちた思考システムでは考えも及ばない。
この【A・Course・in・Miracles】の中心的な概念は、可能な限り受容的で柔軟な、しかし鵜呑みにしない思考システムに移行している段階でなければ、想像も及ばない。

世界の中の全ての概念を疑い、棄てなければならないのだから、思考システムの柔軟性は欠かせない。

▽以下引用
(以下はどれも【A・Course・in・Miracles】の言葉)

このコースを学ぶには、あなたのすべての価値観を疑う意志が求められる。
(P150)

これは心を訓練するコースである。
訓練されていない心は何も成し遂げられない。
(P131)

△以上引用

『神の使者』より引用
原書:The Disappearance of the Universe
ゲイリー・R・レナード著
吉田利子訳


▽以下引用

There is no world because it is a thought apart from God, and made to separate the Farther and the Son, and break away a part of God Himself and thus destroy His Wholeness.
(P244)

【A・Course・in・Miracles】
second edition
WORKBOOK FOR STUDENTS
LESSON132


The world is an illusion.
Those who choose to come to it are seeking for a place where they can be illusions, and avoid their own reality.
(P291)

【A・Course・in・Miracles】
second edition
WORKBOOK FOR STUDENTS
LESSON155

△以上引用



【②知覚する世界の全ては閉鎖的(クローズド・システム)なエゴの台本の中にある】

▽以下引用

パーサ:…でも、時計仕掛けって言葉はおもしろいわ。宇宙は確かに大きなぜんまい時計みたいなもの、というよりぜんまい仕掛けの玩具と言った方がいいかな。太陽系を小宇宙として、自然の力と呼ばれるものの一つを例に考えてみましょうか。これで全体が説明できるわけじゃないけれど、幻想をつくり出すエゴの巧みなやり方が少しはわかるでしょう。

エネルギーでさえ(わたしは「気」と呼ぶことにするけれど)幻想です。心のなかにある見えない考えを見えないけれど測定できるかたちに変形させ、次にあなたがたが見て経験できるかたちで現すというエゴの台本の一部そのものなのよ。これはいっぺんに起こるんだけれど、あなたがたに理解させるためには線型でなければならないのね。

たとえば月への距離の半分くらいから地球を眺めて、気が見えたとする。そうしたら地球は完全に電磁気に包まれて運ばれているし、その向こうには太陽からの巨大な放射線の流れというかたちの気が見えるでしょう。この気の流れはつねに変化していて、陰と陽が均衡したりバランスが破れたりしているのよ。この気の変化が太陽からの放射線をつねに変化させているのがわかるでしょう。

さて、今度は太陽を宇宙からクローズアップで見たとすると、巨大なガスが渦巻いているでしょうね。でも、このガスの海が地球の海と同じようにふるまっていると気づく人は少ない。地球の海の潮の満ち干が月の動きで引き起こされているように、太陽のガスの海の干満は引っ張ったり押したりしている太陽系の、それどころかもっと遠くの宇宙の―もちろん互いに結びついている―すべての星の相互作用によって引き起こされていて、それが次に放射線の流れの変化を引き起こし、それが粒子となって太陽風を介して、あるいは直接太陽光として地球に運ばれてくるんです。

この変化する放射線の流れは地球と月を含めた太陽系全体の動きで律せられていて、それが地球を包む気の変化となり、地球のすべてに電磁場を生じさせている。あなたがたの目ではこの気の場は見えないけれど、どこにでもあるし、あなたがたは毎日そのなかを歩いているのよ。それがあなたがたの決断やその結果としての動きを含めて、すべてを律しているんです。それは実はまったく違ったレベルで考えられ、気というかたちに変換され、このレベルで何を考えるかをあなたがたに指示している。あなたがたの行動のすべては何を考えたかで決まるし、ときには反射のように瞬時に行われる。これはあなたがたが見ているすべての生物と一見無生物に思われるものに共通した真理なのよ。

単純な例を挙げれば、南米にいるツバメが毎年決まった時期に、そろそろ何千マイルも飛んでカリフォルニアに行くころだとわかるのはどうしてだと思う?

ゲイリー:神さまが教えると言う人もいれば、本能とか自然という言葉を使う人もいるね―でもあんたがたは、小鳥がリモートコントロールで動かされていると言うわけだ?

パーサ:ある意味ではね。あなたがもそれと同じ―ただしリモート、つまり遠隔っていうのは相対的な言葉だってことを忘れないでね。わたしたちが言っているのは、心のまったく違ったレベルからやってくる決断のことで、そのレベルの心には空間というものはないの。あなたがたの経験では決断はここで行われるんだけど、ほんとうはそうじゃない。小鳥が脳で決断していないのと同じで、決断は人間の脳で行われてはいないんです。あなたがたはロボットみたいなものだって言ったのは冗談じゃないのよ。プログラマーがほかにいるわけではない。誰もいはしないんです。わたしたちが言っているのは事前の自己決定のこと。このレベルでのあなたがたの運命は、神ではなくてエゴとの契約で定められている―神は契約はしませんからね。あなたがたのエゴの心全体がプログラマーで、脳に信号を送っている。脳はハードウェアの一部で、信号を身体に、あるいはコンピュータ・ユニットに送って、何を行い、何を見、何を感じるかを指示しているというわけ。
あなたがたの経験とは、神から離れ、兄弟姉妹から離れて、コンピューター・ディスプレイのなかにいて、分裂した心の二元性とともに分離という考えと紛争を行動化しているってこと。あなたがたの兄弟姉妹は、あなたがさせたいと思う通りのことをする。前に、あなたがたは自分で彼らを生み出していることに気づいていない、という「コース」の教えを指摘したわね。

電磁場の変化はあなたが見ているものまで律しているのよ。何かが見えるってことは、電磁気スペクトラムのなかの人間の視覚で認知できる領域にあるってことでしょう。

大事なことは、あなたの決断はほんとうはここであなたがしているのではない、ということ。まったく違ったレベルで、あなたがエゴの計画に同意したときに決断は行われたの。その厄介な状況から脱出する唯一の方法は、正しい心に立ち戻り、見るものについて、あなたを台本の罠に閉じ込めているエゴの解釈ではなく聖霊の解釈を選ぶこと。すべてはレコードの自動演奏みたいなものね。たとえばコンピュータは記録や情報をどうやって保管しているのかしら?フロッピー・ディスクは?

ゲイリー:磁性帯かな?

パーサ:万能だけど変化しやすい方法ね。最初に来たときに言ったように、このレベルの発明はふつう心の働きのある面を模倣したものなの。あなたがたはここで自由意志をもっていて、次に何が起こるかを自分で決定できると思っているかもしれないけれど、ほんとうはすべてがすでに起こっているの。あなたはテープを再生して見たり聞いたりしているだけ―それで、すべてがべつのレベルでお膳立てされたのではない現実で、このレベルでの自分の意志あるいは偶然の結果だと考えている。

ゲイリー:それじゃ、わざわざ何かをする理由がなくなっちゃうんじゃないかな?

パーサ:行動する理由は二つあるわ。第一に、閉鎖系(クローズド・システム)ではあっても、人生には異なるシステムが可能だということ。夢のなかで聖霊と関係のない異なる選択をしても、無意識の罪悪感を解消してシステムの外に出ることはできない。でも一時的に違う経験をすることは可能だわ。複数の選択肢があるシナリオみたいなものよ。違う選択をすれば違うシナリオが進行する。ある決断をすれば彼女をゲットして楽しく過ごせる―でもべつの決断をすればチャンスはふいになって落ち込む。同じ人生をもう一度生き直して、この世界でべつの結果を出すことだってできるのよ。でもそれではほんとうに望むところに行き着くことはできない。ここに張り付いて、一時的な幸せを得ようとするだけ。

自分で意志決定をするべきだというもう一つの大事な理由は、正しい心に戻り、エゴではなく聖霊を選択し、ほんとうに望むところに行くこと。
(P242~246)

アーテン:…それは、きみにはいくつかの次元が開かれていて切り替えることができるという事実とかかわっている。それでも閉鎖系であることには変わりはないし、それが限定され固定されているというのが、われわれが言っていることの裏付けでもある。エゴの台本は飴と鞭のようなものだ。きみに台本の範囲内で自由があると思わせようと図っているが、じつはきみに発見できるほんとうの自由はその混乱の外にあるんだ。

ゲイリー:マルチ・シナリオのことだけど、違う決断をしたら、ある朝目覚めると自分でも気づかずに違う次元にいるがもしれない、ってこと?その次元はこの世界と同じに見えるけど、ただそこには全体のビッグバンのなかのそこなりのビッグバンがあって、べつの台本が展開しているわけ?

アーテン:そう、そういうこともあり得るね。もう一度言うが、それも依然として固定されたシステムのなかの幻想だってことを忘れちゃいけない。エゴの台本は要するに時間、時間、時間なんだが、それはすでに終わっている。聖霊の台本はきみの人生の―どこにいるように思えても―すべての人々を赦すということ。それによって時間は消えるんだよ。

パーサ:エゴの時間と聖霊の無時間とを区別するいちばん良い方法は、真の赦しという聖霊のレッスンはときを不要にすることでときを解体すると覚えていることよ。この解体は心のレベルで―時間の外で―行われ、時間を変える代わりに崩壊させるの。
(P412)

パーサ:…だってエゴの台本に則った宇宙レベルでの因果関係にきちんと対応しているんですからね。占星術や数霊術、それに似た多くのものがその台本と対応することがあるのは事実だけれど、そういうものは当たることもあれば外れることもある―なぜなら「台本は決して完全に予測可能ではあり得ない」というのも台本の一部だからよ。そうでなければ偶然っていうものがあるように見えないでしょう。偶然は台本に必ず出てくる不可避の衝撃や混沌や恐怖の維持を助けているのよ。

ゲイリー:システムに組み込まれているんだね。

パーサ:そう。混沌というエゴの性格のせいで、宇宙には長続きする統一理論は決して生まれないわ。だって宇宙は統一という考え方に拠って立ってはいないから―分離と分裂という考えがベースですからね。でも、統一という幻想を与えるのに役立つ魅惑的で巧妙なパターンは含まれているわ。
だから宇宙に関する新しい発見や理論にいちいち感心してちゃいけないのよ。超ひも理論がニュートン力学と量子レベルの両方で重力を説明できるとしても、それが何なのかしら?幻想はやっぱり幻想よ。研究や分析をするなというんじゃないのよ。そうしたいなら、そうしなさい。でも、それは事前にプログラムされた夢の台本のなかの出来事だってことを忘れないようにね。
(P248)

△以上引用

『神の使者』より引用
原書:The Disappearance of the Universe
ゲイリー・R・レナード著
吉田利子訳

このように、知覚ある世界の全ては、全部エゴの意図の中にあり、全てがエゴの支配にある。
それが解れば、この世界の中で、うまく生きようとすること、良く変えようとすることも含めた全てがどれ程無意味かが解るだろう。
だから、結局、この世界の中でうまく生きようとするあらゆる全ての教えでは限界なのだ。

この知覚ある世界で現実とさせて生きていくあらゆる言動が無意味だ。
この世界のクローズド・システムの実態を知ればこの無意味さが理解できる。

西暦2015年段階の概念:佐藤篤代
http://simplog.jp/comment/19063121/23
(7)繰り返しのサイクルの終わり
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11983485361.html

この概念記事に、知覚ある世界は運命の監獄でしかないと判りやすい例を示してある。漫画『マギ』や『裏切りは僕の名前を知っている』等を例にあげて説明している。

必要なのは、うまく生きる方法でも、改善策でもない。
世界の作り手であるエゴの欺き全てからの脱出だ。要するに、幻想である知覚ある世界からの脱出だ。
脱出というより「終わり」だがな。

全てがエゴの欺きから作られていると知って尚、この知覚ある世界を存続させ、留まりたいと願うのか?



【③世界が幻想だと言うだけでは何にもならない。世界がインチキだ、と実感に基づく経験が必要だ】

西暦2015年5月10日:日曜日の新聞広告に、また和田秀樹氏の本の広告が載っていた。
一冊は、完全に物理的方向性で『「思考の老化」をどう防ぐか』という本で、精神心理学分野にいる奴が書く内容かよ、とは思うが、精神心理学レベルもまだ物質レベルの範疇だからなくはないから見過ごしたが、もう一冊が見過ごさずツッコミ入れた方がいいだろうと思い、写真にツッコミ入りで掲載した。
「役には立たないがユング・レベルの基礎はできている」と言った手前、和田秀樹氏じゃなかったらスルーしていたが。

『悪口を言う人は、なぜ、悪口を言うのか』
(いじめ、パワハラの撃退方法を教えます!匿名性を利用してネット上で言いたい放題!平気で悪口を言う人たち!)
という和田秀樹氏の本だ。

まさか、概念記事に書いた内容を【異世界レベル】で排他的傾向に歪めて採り入れたのかな、と思うタイトルだな。

確実に、外側にしか原因を見ない排他的傾向の強い、他者否定型の【異世界レベル】の主人公(偽者)の領域が、和田秀樹氏でユング・レベルの内容を歪めたからこそのこの本の広告だ。

この広告におけるエゴの目的は、精神心理学のユング・レベルを外側にしか原因を見ない排他的傾向の他者否定型の内容だと信じさせることだ。故に、かなりの【原始的レベル】の領域が歪めた表れだと判る。

だから見過ごすわけにはいかなかった。
だからこそ、ツッコミを入れる必要がある。知るべきは、この同じ領域の人間ではない。この領域よりもっと前に作られた【異世界レベル】の原始的レベルの領域だ。

これでは和田秀樹氏は別人か、何かを模倣して精神心理学本を書いてきたとしか言いようがない状態だ。
その位に、ユング・レベルでこの排他的傾向はあり得ない。ユング・レベルでは絶対だが、精神心理学レベルを本当に行う者は、絶対にあらゆる他者を撃退しようとしない。方向性が全く異なる。
だからユング・レベルの基礎はできていた和田秀樹を見てきたからには、これは別人としか言いようがない。

精神心理学レベルは、心の内側に原因を見て内側を解決する方向性だ。その為に一時的に必要なら環境を変えることもあるが、解決の方向性は内側だ。

だからこそ、精神心理学レベルは限界でもある。いじめ、パワハラ、苦境はどこにでもあるからだ。
だから外側、他者を変えるのではなく、内側、自分を変える必要がある。
故に精神心理学レベルでは対処しきれない。
あらゆる苦難を乗り越える為の方法は、成功法則の方向性だ。外側や他者を変えるのではなく、内側、自分を変えることで苦難を乗り越える方法が成功法則の方向性だ。

だから、【人間レベル】の精神心理学レベルの領域は、限界を知り、成功法則へ移行しろ、と何度も言っている。
そして、成功法則の限界へ向かえ。全てのこの世界の教えの限界へ向かえ。
こうして、【A・Course・in・Miracles】
の核心レベルの受容段階へ向かっていけ。

【A・Course・in・Miracles】レベルでは途方もない忍耐力が必要な理由だ。


翌日、西暦2015年5月10日:日曜日に精神心理学の限界についてツッコミした。そうしたら取り繕いが見えたので改めてツッコミする。

この知覚ある世界の中で、どこにでもいじめ、パワハラ、苦難はある。
一人で苦難にあったら負けて倒れるのでは、ある場所で他者が外面的に解決してくれたとしても、別の場所で苦難にあったらまた倒れるだけだ。誰かに助けて貰えないと苦難に負けるのでは、外面的に誰も助けてくれないときにどうするのだ、という問題だ。誰かに助けて貰うのを期待した苦難の解決は弱い。何の成長もない。単なる他者依存だ。

だから、精神心理学では限界なのだ。
これは別のレベルの問題だからだ。
故に、この問題に差し掛かった時、必要とするのが、成功法則だ。

精神心理学を本当に扱う者は、他者を撃退しないと書いたので、それを苦難に負けるあきらめとさせた領域がある。

勇気を出せ、立て、闘いをあきらめるな―ではない。それは攻撃の正当化を死守するための言葉だ。

「戦ってはいけない」、だ。

「状況と闘ってはいけない」のだ。それが精神心理学から成功法則へ続く精神分野の絶対的で欠かせない方向性だ。
これはずっと続く方向性だ。

というより「何かと闘って(戦って)はいけない」のだ。

【因果応報】的な方向性を取るからだ。
自分が与えた性質が自分に返ってくる。
成功法則では欠かせない考え方だ。

だから、攻撃性の性質を与えてはいけない。自分に攻撃が返ってくるからだ。
故に、成功法則では愛、親切その他のプラスの全てを与えようとする。
人を喜ばせ、幸せにさせ、良い思いにさせれば、その性質が自分に返ってくる。

成功者の多くは、苦境をプラス思考で乗り切り、苦境をプラスに変える。
よく言う「ピンチをチャンスに変える」だ。
不利な状況をプラスに転じる精神的態度を身に付けている。だから逆境に強い。

判りやすい例で多々挙げているが、本物:佐藤篤代で言えば、誰もがあきらめきった売りつくされた場所で、台風で客がほとんどいない日に商品を売った経験。営業やってた20代半ば位。その朝はこの「ピンチをチャンスに変える」思考で、「絶対売れる!」と確信して出勤した。
本物:佐藤篤代はこういう成功法則を努力して実践し尽くしてきた。だから苦境でも絶対あきらめない。そしてだからこそ壮絶な信念と忍耐力が欠かせない。

苦境の中でやるべきことは、他者撃退でも、闘いでもない。逆境に対する自分の心を変えることはなのだ。

潜在意識レベルでの成功法則実践の結果の手段として他者は助けてくれることもあるが、まず最初に他者の助けを期待していてはいけない。それは依存だ。求める答えがどのような型で表れるかを期待してはならないのだ。
やらなくてはならない全ては潜在意識への願望入力。自分の内側、思考を変えることだ。行動はその後だ。

まず、原因となる思考があり、結果はその思考の性質だ。

成功法則では思考に原因を見るからだ。だから潜在意識に占められた考えを意識下に置くよう心を追究し、心を訓練する。
「思考が現実化する」という成功法則では欠かせない考えの元でだ。思考というより潜在意識に占める考えだ。

だから状況と闘ってはいけないことは熟知されている。この法則を知らずに何かを行動しても、受けとる結果は、潜在意識に占められた考えの種類だ。

だからこそ、苦境の中で、プラス思考でいる必要がある。そのプラス思考でいる訓練こそをする。それが本当に「あきらめない」ということだ。
人の外面的な助けを期待していては、苦境は越えられない。

思考は現実化するのだから、どのような方向性から答えがやってくるかはわからないが必ず解決できるという方向へ自体は向かっていく。
その信念を持つことが成功法則だ。
そして、この訓練で得たあらゆる状況下での心の姿勢は【A・Course・in・Miracles】を超えた段階でも基礎になっている。

本物:佐藤篤代は何もあきらめてはいない。幼い頃からずっと願っていた唯一の願いにどんどん近づいている。
ずっとあきらめてはいない。
世界のあらゆる全ては代用品だったからいらなかっただけだ。

真に唯一望むのは、「苦しみのサイクルの完全な終わり」、それだけだ。
だから一時的な慰安などいらない。
完全な終わり、それしかいらない。

エゴはスケープゴートを糾弾する為にどうしても攻撃を正当化しようとする。

だが、精神心理学からは絶対に攻撃は正当化されない。精神分野全体を通して、攻撃を棄てる方向へ向かわされるのだ。

何故なら、自分が与えた性質が自分に受け取られるからだ。
この傾向
は【A・Course・in・Miracles】レベルを超えて、個体も、あらゆる個々の存在全てが無意味になり、エゴが作った作り物のロボットとして実感されるまで続く。


西暦2015年5月11日:月曜日に、
【ストーカー女】と化し過ぎた
【異世界レベル】の【偽者用コメント】
がなんと6連続で6種類が来ていたので、さすがにツッコミしよう。

それにプラスして執拗な【ストーカー女】と化し過ぎた【偽者用コメント】も1つ加え、7つ提示する。

もう何度コメントされたかわからない位に多く、これまでに各100以上に達しているのではないか位に多くコメントされているものばかりだ。

そこまで沢山コメントしているくせに、7種類の全てが多々「初めまして」と言う。しかも確実にブログの中身を見ていない。内容自体がまず絶対的に場違いなのだが、それ以前に、ブログを見ていたらツッコミコメントとあちこちに設置した【但し書き】に気づかない筈がない。
これは【異世界レベル】の主人公(偽者)が何度もやり直しているからだ。

ここまでやられると、気持ちが悪い。さすがに【ストーカー女】6連続には悲鳴を上げた。

但し、【異世界レベル】の主人公(偽者)のえげつない特質として、必ずツッコミされた後に、【スケープゴート】用を投入し、ツッコミしやすい社会的弱者を作り出す。
だから、本物:佐藤篤代は普通、あらゆる社会的弱者にはツッコミしていない。意味がないからだ。崩すべきは、【異世界レベル】の主人公(偽者)の魅力と特別性の誘引だからだ。
だから、社会的弱者を【スケープゴート】として利用する【異世界レベル】の主人公(偽者)にツッコミしている。

本物:佐藤篤代がツッコミする対象は、魅力があるから特別性を誘引している対象だ。特別性の誘引崩しをしている。

魅力がなければ、一切騙せない。
魅力がなければ、特別性を誘引できない。
欺きが成立するのは、必ずそこに何らかの魅力が潜んでいるからだ。

その決定的な事実が、見過ごされている。偽者は魅力がなければ、まったくの無意味だと熟知しなくてはならない。

偽者用コメント(35)
http://s.ameblo.jp/universalacim/comment-12024435034/page-2.html
①【なみ☆念願のハワイ在住達成☆】
②【洋子☆主婦の貧乏脱出物語☆】
③【えり17歳でヨーロッパ30ヶ国制覇♡】
偽者用コメント(34)
http://s.ameblo.jp/universalacim/comment-12024435034/
④【きさ☆51ヶ国訪問中】
⑤【リサ ~ニート城を買う~】
⑥【ふみ】
偽者用コメント(33)
http://s.ameblo.jp/universalacim/comment-12024399683/
【優香 ~ちょっとここだけの話~】
以上

全ての問題は、特別性の誘引だ。
エゴの最大の手段は特別性の誘引だ。
特別性の誘引が不可能ならば、エゴの欺きは成立しない。

エゴが作った知覚ある世界は、このあらゆる特別性の誘引により欺きが成立されて成り立っている。

だからこそ、本物:佐藤篤代は全ての特別性を終わらせる為にだけ言動する。


精神心理学では【異世界レベル】で内容を歪められたものが象徴的に表れる。
成功法則もそうなっていくだろう。
そして、ブログなされるコメントは、このように明らかに別人になされた、【異世界レベル】の主人公(偽者)関係のコメントしか来ない点から、全てがインチキだと判るだろう。

知覚ある世界の全てはエゴが作った作り物でしかない証拠だ。明らかに欺きの目的でしか作られていない。
概念的にだけではなく、経験的に実質的に証明されている。

世界が幻想だと言うだけでは何にもならない。世界がインチキだ、と実感に基づく経験が必要だということだ。

エゴが作った各世界の主人公(偽者)については以下の概念記事で説明している。
【A・Course・in・Miracles】を超えた内容だ。

西暦2015年段階の概念:佐藤篤代
http://simplog.jp/comment/19063121/23
(24)【異世界レベル】の穴概念
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12013322433.html
(25)エゴが作った全ての再利用
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12014997902.html

佐藤篤代

西暦2015年段階の概念:佐藤篤代(32)
【A Course in Miracles】幻想の意味
西暦2015年5月12日:火曜日


西暦2015年段階の概念:佐藤篤代
http://simplog.jp/comment/19063121/23

(1)エゴの隠す特質
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11974654245.html
(2)エゴが隠し取り繕う過程
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11975807518.html
(3)2つの正反対の思考システム
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11976707775.html
(4)知覚ある世界はエゴが作った幻想
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11978246696.html
(5)スケープゴートの世界構造
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11979880043.html
(6)原因と結果の法則
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11982652628.html
(7)繰り返しのサイクルの終わり
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11983485361.html
(8)知覚ある世界の全てを棄てる
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11986007920.html
(9)幻想を幻想として見る『赦し』
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11987258358.html
(10)やり直しのスパイラル
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11989740061.html
(11)『全ての幻想を同じ』と見る視点
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11991064187.html
(12)エゴが作った幻想の再利用
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11993159401.html
(13)身体の脆さと死におけるエゴの目的
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11994375354.html
(14)身体は幻想・死はない
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11995592527.html
(15)【死の超越】の実態
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11998096555.html
(16)『罪の起源』の実態
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11998915374.html
(17)罪は幻想・罪はない
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12000205331.html
(18)罪の投影の世界構造
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12001831249.html
(19)スケープゴートへの罪の投影
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12004677231.html
(20)罪をでっち上げる世界
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12006320153.html
(21)エゴが罪悪感を作った理由
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12008401797.html
(22)罪悪感の投影の実態
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12008405314.html
(23)自分自身に対する戦いの実態
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12011755756.html
(24)【異世界レベル】の穴概念
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12013322433.html
(25)エゴが作った全ての再利用
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12014997902.html
(26)真の公平な視点
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12015380689.html
(27)「夢の主人公」の実態
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12017397555.html
(28)「攻撃の完全放棄」の実質
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12018660133.html
(29)与えることと受け取ることは同等
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12020315340.html
(30)【A Course in Miracles】の実態
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12022798022.html
(31)【A Course in Miracles】世界はない
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12024092595.html


西暦2015年1月
http://simplog.jp/comment/19628362/23
西暦2015年2月
http://simplog.jp/comment/19628500/23
西暦2015年3月
http://simplog.jp/comment/20021719/23
西暦2015年4月
http://simplog.jp/comment/20577503/23
西暦2015年5月
http://simplog.jp/comment/21087350/23


この本物:佐藤篤代のブログは
【A・Course・in・Miracles】の核心「知覚ある世界はエゴが作った幻想」を矛盾なく徹底的に追究し、
【他が幻想であり、他がない】
と証明する、
『世界の起源を扱う』、
『人間レベルではない』、
【自分発信、自分受信】
の自分が知るために自分が自分に知らせる為のブログだ。

敵はいない。
味方もいない。
全部同じだからだ。
全てが同じエゴが作った幻想でしかないからだ。

本物:佐藤篤代は『エゴが作った幻想』という見方でしか何も見ないから、敵も味方もいない。

この『全てはエゴが作った幻想』という視点でしか『全部同じ』としては見ることはできない。

この本物:佐藤篤代のブログは、
『the Foundation for Inner Peace』の
【A・Course・in・Miracles】
原書second editionの概念をベースにしている。

本物:佐藤篤代がブログで言う核
【A・Course・in・Miracles】の核心
・知覚ある世界はエゴが作った幻想
・他は無い・他は幻想
・エゴが世界に留める為の最大の欺きの手段は特別性だ。
故にエゴの欺きから脱するには特別性を棄てなくてはならない。
・知覚もエゴが作った。
エゴの作った世界の終わりとは知覚の終わりだ。

本物:佐藤篤代はこの【A・Course・in・Miracles】の核心を基本に、【A・Course・in・Miracles】の歪みを削ぎ落としながら、『世界は幻想』という実体験に基づきながら真実へ向かっている。
この点を徹底的に矛盾なくしながら追究している。

矛盾がない概念を採用し、その方向性を目指す。こうして矛盾と歪みをそぎおとしていけば、いずれエゴの欺き(幻想)の完全な終わりへ向かえると本物:佐藤篤代は考えるからだ。

※本物:佐藤篤代が言う「1つの自己」とは【A・Course・in・Miracles】の意味とは違う



西暦2015年(年号:平成27年)
未(ひつじ)年現在

【佐藤篤代について】

西暦2012年7月16日:月曜日:海の日
【A・Course・in・Miracles】セカンドエディション(1976年発行:※生まれ年)の2回目日本語直訳、意訳をやめて直訳でやり直し始める。西暦2011年秋にある所へ送付し自分用が手元にないので、これは自分用。(西暦2012年10月末頃から中断し、西暦2013年11月2日:土曜日にやめた)

理由:【A・Course・in・Miracles】は本という型なので真実を完璧に表現できない。エゴは視界レベルで作り直せると気づいた為。
エゴはあいまいな記憶の水面下をいかようにも作り変えられる。時にはあからさまに作り変える。

同じ理由から【A・Course・in・Miracles】原書は全部はブログ掲載はしない。

この佐藤篤代が手紙を送った宛先のA Course in Miraclesに関連する組織とはthe Foundation for Inner Peace(Mill Valley;アメリカのカリフォルニア州)とthe Foundation for A Course in Miracles(Buecking Drive;Temecula:アメリカのカリフォルニア州)のみ。手紙のみのやり取りだった。
だが、後半ではやり取りは上記組織の個体ではなく、他の存在達こと過去の時点の自分達だけだと考えていた。実際は組織には届いてないと思われる。
西暦2009年から西暦2012年6月29日(金曜日)付の手紙で一切のコンタクトを終了し、以後、今後一切どのA Course in Miracles関連組織とは関わらない。

佐藤篤代はあらゆる全ての思想的布教や教えの組織も含め、A Course in Miraclesに関するあらゆる機関、組織、同人誌を含めた全ての出版、講演、workshop、慈善事業、ボランティア、あらゆる公的活動には一切関わっていないし、永久に関わらない。その他相談的なもの、カウンセリング、ヒーリング等同等の行為にも一切関わっていない。また、イエス キリスト的な偉人系、隠れ偉人や仙人系でもない。

佐藤篤代は生涯本籍変わらない。小学高学年で新築した際1年位近い親戚の家にいた以外、ずっと同じ場所に住んでいる。栃木県宇都宮市。

西暦2013年に新車購入全プロセスは終了済。日本車(国内車)。

佐藤篤代はパスポートを生涯取せず、海外渡航歴なし。

佐藤篤代は生まれてからずっと大病なし、入院もなし。

本物の佐藤篤代は36才(西暦2012年)から風邪も引かない。何らかの症状は代用の偽物の一過性の影響に過ぎないので病気ではない。アレルギーもならない。

本物の佐藤篤代は清潔。潔癖。

まだパソコン持ってなく、基本はスマートフォンがメインでブログ書いてる。あとは祖母の携帯電話をたまに使用。スマートフォンは機種交換し現在XPERIAに。

西暦2012年冬から今ずっと通販してない。めったにしていなかったが。西暦2014年1月19日:日曜日にNissen登録削除しもう通販しない。通販は他でもやってない。
(西暦2015年1月現在)

本物:佐藤篤代は43才になったら、ピンクと可愛い系(フリルやリボンやハートや星等マーク含め)や短いスカートやパンツ系をやめる。
現在の髪型をガラリと変え茶髪もやめる。前髪はなくし、髪色は黒。 現在の髪型(おかっぱ、前髪パッツン、茶髪 )は35才(西暦2011年夏の終わり)から継続中。
暖色系は極力やめ寒色系を主にする(白アイボリー系は多少やる)。ババアはババアらしくする。若づくりやらない。

西暦2007年12月から西暦2008年秋までが第1次インターネットblog活動。西暦2012年1月17日から現在に至るまで第2次インターネットblog活動。それ以外何もない。

本物は将来性のないニート
(西暦2015年)。
佐藤篤代は西暦2015年1月17日(土)で39才。
日本人(血縁すべて日本人)。
生まれてからずっと中肉中背。
普通の容姿。
西暦2009年から無職。それ以前は全部バイトかパート。
生涯未婚で子無し。

メール、コメント、いいね等その他全部のコミュニケーション迷惑だからやめて下さい。
なされる全てが【偽者用コメント】でインチキだと判明している為です。
故に、『偽者用コミュニケーション』だと言う突っ込みしか入れません。
(西暦2015年現在)

佐藤篤代

西暦2015年段階の概念:佐藤篤代(32)
【A Course in Miracles】幻想の意味
西暦2015年5月12日:火曜日

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