西暦2015年段階の概念:佐藤篤代(33)
西暦2015年5月16日:土曜日

【『A・Course・in・Miracles』幻想の消滅】
①【A・Course・in・Miracles】レベルの幻想の消滅概念
②知覚ある世界の全てを無意味とさせる為に【A・Course・in・Miracles】ワークブックがある
③幻滅する位のインチキ臭さが証拠として見せられる以外に、世界を完全に無意味と思える筈がない

【①【A・Course・in・Miracles】レベルの幻想の消滅概念】

今回、【A・Course・in・Miracles】の核心概念『知覚ある世界はエゴが作った幻想』という概念を元に【幻想の消滅】を焦点として、原文とゲイリー・R・レナードの『神の使者』を引用することにより提示する。そこに本物:佐藤篤代のツッコミや付け足しをする。

【A・Course・in・Miracles】自体が歪みであり、『神の使者』も日本語訳は理解していない者がやっているから更に言葉や意味がおかしいし、所々日本語訳が違うという前提で提示する。

何にせよ、【A・Course・in・Miracles】に書かれたように「聖霊の声だけに耳を傾け答えを求める」徹底的姿勢を貫けば、いずれ【A・Course・in・Miracles】の中の歪みがはっきり見えてくる。
無論、聖霊の声とは"声"ではない。

引用中「コース」とは【A・Course・in・Miracles】を指している。「J」とはJesus Christ(イエス・キリスト)を意味する。
引用中、見過ごせない日本語訳の違いの指摘の為に、本物:佐藤篤代が「(※注)」として挿入した。


▽以下引用

―あなたが奇跡を実現したとき、わたしはそれにあわせて時間と空間を調節するだろう。

彼が言っているのはここの時間ではないよ。きみが具体的な赦しとレッスンを学んだから、もう将来、必要としない部分を取り去るってことだ。彼はこう言っている。

―奇跡は時間を崩壊させることで時間を短縮させ、それによってある種の間隔を除去する。だが、それはもっと大きな時間的連鎖のなかでのことである。
(P254)

△以上引用

『神の使者』
(原書名:The Disappearance of the Universe)
ゲイリー・R・レナード
吉田利子訳
西暦2007年1月30日:日本語版初版発行

これは歪みだが、【A・Course・in・Miracles】における幻想の消滅の仕組みの概念だから引用した。
実際、時間と時間の間隔を消滅させているというのは、辻褄が合わなくなったエゴの世界の作り直しと合致する。
本物:佐藤篤代が歪みを取り除いて知った実際の幻想の終わり方はこの概念記事の後の方で記す。


▽以下引用

パーサ:…「コース」の本を買って読んだなら、あなたが寝ているときについて、Jがこう教えたことは知っているはずね。

―あなたの別の生は途切れなく続き、あなたがそれから離れようと試みても、まったく影響されなかったし、されないだろう。

あなたがほんとうに目覚めたとき、それまで現実と見えていたものが怠惰な夢だと認識される。次にそれは忘れられるか、少なくとも無意味なものとされるわ。昨夜見たなかでもあなたが覚えていない夢がある。あなたの現在の生やその他すべては消えるでしょう。そしてすべての人が同じ悟りの状態に達したとき、宇宙は消えるでしょう―ただ神の天国という宇宙(※注:the universe:万有)だけが残る。いま強調したいのは、悟りは臨死体験とは何の関係もない、ってことね。

「コース」は分離のあとに最初に心に導入された分裂、それが意識だったと教えている、と話したわね。意識とは分裂した心なの。身体が機能しなくなっても、意識は続く。あなたがたが死を恐れるべきではない理由の1つはそこにあるのよ。人は臨死体験がどれほど美しいものかを聞かされたり、自分で経験したりするけれど、それは身体の生と比較して束の間の美に過ぎないことを理解していない。一時的にであれ身体の苦痛や制約から完全に解放されて、もっと大きな心の分裂に気づいたら、それはもう息を呑む体験のはずよ。でも、人はその体験について語ることはできない。だって、そのためには全体験をしなくてはならないし、それは死んだってことですものね!もちろん死んだように見えるのは身体だけで、次の幻想の生に移行しているをだけど。

それからどうなるかというと、そこで、息を呑む感動はだんだん薄れていく。心のなかに残っている無意識の罪悪感が追いついてくるからよ。そこで、あなたは罪悪感と神への恐怖から逃れるために輪廻する。心が聖霊によって完全に癒されない限り、それが繰り返されるんだわ。仏教徒のなかには明晰夢、つまり夜夢を見ながら自分は夢を見ていると意識することで輪廻から逃れようとする人たちがいます。心を訓練して、身体の死が訪れたとき、もう輪廻しないと決意しようというのね。

これはとても賢明な考え方だけれど、無意識の罪悪感がまったくなくならない限り、うまくいかないわ。無意識の罪悪感が完全に癒されていれば、死の直後ではなく、身体のなかで暮らしているように見えるあいだでも悟りに達することができます。いずれにしても強調したいのは、報告されている臨死体験というごく一時的な喜びを悟りと混同してはいけない、ってこと。悟りはあなたの幻想の人生の一つのなかで起こるのよ。身体がきっぱりと放棄されるのは、心が夢から覚めた後だけ。
(P339~340)

△以上引用

『神の使者』
(原書名:The Disappearance of the Universe)
ゲイリー・R・レナード
吉田利子訳
西暦2007年1月30日:日本語版初版発行

魂とかスピリットとかは単にエゴの欺きの概念だ。ただ過程として知ればいい。
『スピリット=神の創造物=神と1つ』
が【A・Course・in・Miracles】概念だ。

スピリチュアル分野では、「悟り」がメインテーマな部分があるし、『神の使者』でも「悟り」を連発しているが、実質的には、「悟り」という言葉は個体を魅力的にさせることで、特別性を温存するためのエゴ概念であるだけだ。

全てを終わらせる為に必要なのは、「悟り」ではない。
大体、「悟り」とは、「神と1つになる」とか「なんやらかんやらと1つになる」とか「啓示」とか、個体と行為を神聖化させて、「神聖な何かから知る」方向性を取っているが、それはエゴが、エゴの世界の作り方を隠すために誤魔化しで作った概念だ。

キーは以下の【A・Course・in・Miracles】の言葉にある。

To give and to receive are one in truth.
LESSON108(P195)

All that I give is given to myself.
LESSON126(P227)

【A・Course・in・Miracles】
second edition
WORKBOOK FOR STUDENTS

△以上引用

「自分が与えた全てを自分が受け取る」
要するに、「自分が知ったようにエゴに作らせるように、現在で自分が知った全てを提示する」必要があるだけなのだ。
この方向性だと何も特別にはならない。見てきたことを提示するロボットだから誰にでもできるからだ。

啓示とか神秘的体験で他から知らされるのではない。それでは個体の特別性が強化されるだけだからだ。

エゴが作った全てを1つと見ると、その1つに外側から1つの答えが与えられた。それ故に、答えは全体に組み込まれ、エゴが作った全ての中にプログラムのように組み込まれただけだ。要するに、エゴが作った全てはその答えを見る為の手段として再利用されるだけだ。いわば、答えを表現する側。映画全体を見て外側にいて見ている者が映画全体から答えを知る状態。
それが本物:佐藤篤代の考えだ。

以下は西暦2013年11月21日:木曜日に日記掲載した内容だ。
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11709565800.html?frm=theme

では、【A Course in Miracles】にある幻想が消滅するメカニズムを最初に再び明らかにしよう。

「赦す=聖霊に全ての幻想を引き渡す」

「聖霊がもはや不必要となった時間の間隔を消滅させる」
※ここで消滅させるのは、根本的要因となる原因が明らかにされ、聖霊に引き渡せている幻想だ。この根本的原因に起因し起きていた時間の間隔(幻想)は、未来、過去を含めた全時間の中で、消滅する。原因が明らかにされた幻想はもはや不必要となり、在るように見える必要がない。

このプロセスを踏んで、いずれ全ての幻想が消滅する。勿論、僕ら個々の存在全ても消滅する。これは、「A Course in Miracles」原書にもはっきり記されている。以下に示す。


Together we will disappear into the Presence beyond the veil,
not to be lost but found;
not to be seen but known.

And knowing, nothing in the plan God has established for salvation will be left undone.

This is the journey's purpose,
without which is the journey meaningless.

【A Course in Miracles】
second edition:Text:P424
Ⅳ.i.19-1~3

勿論歪みが入っている。「salvation」,「God」といったキラキラ語には注意し、常に何かの歪みだと取りながら見るべきだ。

そして以下は西暦2013年11月18日:月曜日に日記掲載した内容だ。
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11701567252.html?frm=theme

Forgiveness is the end of specialness.

Only illusions can be forgiven, and then they disappear.

And thus his secret guilt would disappear, forgiven himself.

【A Course in Miracles】
second edition:Text P505
Ⅲ.1-1,2,8

【A Course in Miracles】原書では、「赦しを行い、幻想の全てを聖霊に引き渡すことにより、幻想は消滅する」とある。

Text1章で「奇跡は不必要になった時間の間隔を消滅させる」とあるのはこの意味だ。

Time will cease when it is no longer useful in facilitating learning.

【A Course in Miracles】
second edition:Text1章
Ⅰ-15-4とか

※「learning」は「知ること」。

要するに、「聖霊が再利用する必要がない時間の間隔を消滅させる」という意味だ。

幻想を消滅させる為に、私たちがすべきなのが、
「聖霊に見た全てを引き渡す」=「forgiveness」

それで、聖霊は引き渡された全ての幻想のうち、不必要となった幻想を消滅させる。

引き渡したのにまだ消滅しないように見えるものがあるのは、連鎖的に繋がりがある問題が時間の中に点在しているからだとある。だが根本的原因がまだ見られていない状態。つまり、問題の根本的原因の解決が未来にある場合、根本的原因が見えないうちは、同じような出来事が繰り返される。完全に消滅するには、同じような出来事が起こる根っこの原因を見て、聖霊に引き渡す必要があるからだという。

これが【A・Course・in・Miracles】レベルの内容だ。

次は西暦2013年11月13日:水曜日に日記掲載した内容だ。

And all the world he made,
and all his specialness,
and all the sins he held in its defense against himself,
will vanish
as his mind accepts the truth about himself,
as it returns to take their place.

This is the only "cost" of truth:
You will no longer see
what never was,
nor hear what makes no sound.

【A Course in Miracles】
second edition:Text:P503
Chapter24:Ⅱ6-4~5

「he」とは原書では「the Son of God」を指すが、「God」という概念自体が歪みなので、何かの歪みだと捉えるべきだ。

「自分自身についての真実を受け入れる時、
作られた(エゴが作った)全世界、
特別性の全てが消滅する」

「消滅した後には何も残らない」

そんな内容が書かれた箇所だが、まだ消滅したわけではないから確証がある文ではない。しかも全消滅したら何も残らないから消滅したあとの真実など、何者も証拠づけて語れる筈はないのだから、単に「A Course in Miracles」にはこのような内容の記載があると認識してもらえれば本望だ。

本物:佐藤篤代としては
「最後には何も残らない。
見える全てが、在るように見える全てが幻想だからだ」
という概念は真実だと思う経験をしているので、至極納得がいく最後だと言える。

全体的に「A Course in Miracles」は歪み自体であるので、一歩距離を置いてよく吟味すべきだ。



【②知覚ある世界の全てを無意味とさせる為に【A・Course・in・Miracles】ワークブックがある】

次に、【A・Course・in・Miracles】のワークブックではどのようなことをやるのかを引用提示していく。

ワークブックを実践するのには、何も心の訓練がなされていない状態ではまず困難だ。
だが、ワークブックを実践する前に心の訓練の基礎ができていれば、「これは今までやってきた成功法則の実践の姿勢基盤の応用だから楽勝だ」となる。
本物:佐藤篤代は成功法則の実践を10年位やってきた後に【A・Course・in・Miracles】のワークブックをやった。10年もやったから心の訓練の実践は日常的になっており、日常生活に染み付いていた。だからワークブックは楽勝だった。【A・Course・in・Miracles】のワークブックは1年のプログラムで1年とちょっとで終わった。

逆に言えば、成功法則等で心の訓練をやっていなかった者は【A・Course・in・Miracles】の準備が整っていない証拠であり無理だ。
マリアン・ウィリアムソン位の【歪み】しか見えない。故に、ワークブックを教える教師などは不必要だし、無駄だ。
「その前に心理学、成功法則で心の訓練の実践をやり尽くせ」だ。
全く準備が整っていないから、【A・Course・in・Miracles】をやる意味すらない。
まず、下準備は欠かせないし、土台がない所に家が建たないように土台を立てずに家を立てる位にすぐに崩れる。

何故、【A・Course・in・Miracles】に下準備が必要かというと、まず自分の思考や感情を点検し尽くし、しかも無意識下にある思考や感情に可能な限り気づく訓練が絶対欠かせないからだ。無意識を意識状態に持っていく訓練は絶対必要だ。

成功法則ではまず無意識の否定的感情と思考に気づかなくてはならず、否定的感情と思考が生じたのを捕まえて、肯定的思考に書き換えなければならない。この感情、思考のコントロールが欠かせない。
このプロセスが欠かせない。

だから生来能天気なプラス思考の主にはこの訓練はできない。訓練をするにはまずマイナス思考がなくてはならない。生来プラス思考の主は両極を知るという点で不可能となり、だから最初から訓練という方向性が不可能故に、【A・Course・in・Miracles】は不可能なユートピアだ。

そして、成功法則では日常的に否定的感情、思考を捕まえて肯定的思考に塗り替え、しかも1日に定期的に肯定的思考か願望の潜在意識のインプットを行う。

故に、生活はそれぞれ独自のプログラム統制下にあるような状態でなくてはならない。要するに、何よりも訓練最優先。無意識に無為に日常をぼーっと過ごしているのでは不可能なのだ。あらゆる誘惑に流されるような心の状態では無理だからだ。

要するに、思考、感情、そして状況全てを意識下へ持っていく訓練だ。【A・Course・in・Miracles】をやる前に何かに没頭しない心の状態を整えなくてはならない。没頭していたら、無意識状態だ。何かをやっていても周囲の状況に気を配り全てを感知できる心の状態が必要なのだ。

因みに、成功法則では没頭はよいことだが、【A・Course・in・Miracles】では誘惑に流されている心の状態だ。
【A・Course・in・Miracles】で「無意識の心に流されず絶えず警戒を怠ってはならない」と何度も言っている理由だ。

そうでなければ、エゴが作った知覚される全てに込められたエゴの意図には気づけない。

流されるということは、エゴの欺きにはまっているということだ。流されずに立ち止まり、エゴの意図を見出そうとしなければならない。
それには心の訓練が必須なのだ。

あらゆる煩悩の誘惑に流されるような心の状態では、全ての中に含まれたエゴの意図などに気づけるはずがない。

「何よりもまず自分がすべきことを行う」、この統制された日常が欠かせないのだ。

これは【A・Course・in・Miracles】ではエゴか聖霊かの2択だ。

この2択で聖霊を選べる心の状態に【A・Course・in・Miracles】をやる前からなっていなくてはならない。

そして【A・Course・in・Miracles】のワークブックは、見る(知覚する)全てを無意味として見て、全てをエゴが作った幻想だと見る為のレッスンだ。
要するにこれが赦しのレッスン。
このワークブックの基礎から、全てをエゴが作った無意味で欺きの手段でしかない幻想として、知覚する全てを見る心の状態に徹底的にさせていく。
これはずっと続くプロセスだ。
このプロセスを踏み、レッスンのように意識してやらなくとも、全部エゴが作った欺きの幻想だと見れるようになる。

エゴが作った全ての幻想が終わる為には個体としては必ずこのプロセスを踏まなければならないということだ。

だから物質主義者には【A・Course・in・Miracles】は絶対不可能なのだ。物質主義の意味すらわからないヤツは問題外だ。物質主義と精神主義の区別ができない時点で不可能。
精神主義に物質主義が混ぜられている種類に気づけないのでは、無理なんだよ。

だから【偽者用コメントやいいね】に対して物質主義は場違い過ぎだと常に言っている。


▽以下引用

LESSON1

Nothing I see in this room(on this street, from this window, in this place) means anything.

1. Now look slowly around you, and practice applying this idea very specifically to whatever you see:

This table does not mean anything.
This chair does not mean anything.
This hand does not mean anything.
This foot does not mean anything.
This pen does not mean anything.

2. Then look farther away from immediate area, and apply the idea to a wider range:

That door does not mean anything.
That body does not mean anything.
That lamp does not mean anything.
That sign does not mean anything.
That shadow does not mean anything.

3. Notice that these statements are not arranged in any order, and make no allowance for differences in the kinds of things to which they are applied. That is the purpose of the exercise. The statement should merely be applied to anything you see. As you practice the idea for the day, use it totally indiscriminately. Do not attempt to apply it to everything you see, for these exercises should not become ritualistic. Only be sure that nothing you see is specifically excludeed. One thing is like another as far as the application of the idea is concerned.

4. Each of the first three lessons should not be done more than twice a day each, preferably morning and evening. Nor should they be attempted for more than a minute or so, unless than entails a sense of hurry. A comfortable sense of leisure is essential.
(P3)

LESSON4

These thoughts do not mean anything.
They are like the things I see in this room (on this street, from this window, in this place).
(P6)

LESSON10

My thoughts do not mean anything.
(P16)

LESSON14

God did not create a meaningless world.
(P23)

【A・Course・in・Miracles】
second edition
WORKBOOK FOR STUDENTS

【A・Course・in・Miracles】のワークブックで行うのは、このように、知覚する世界の全てを無意味として見る方向性だ。

だから、エゴが作った欺きの幻想の世界をまだ現実とさせたく、現実とさせて生きている者には【A・Course・in・Miracles】は不可能だ。

【A・Course・in・Miracles】は世界を無意味にさせる為に執着と特別性を完全に棄てる方向性だからだ。
まだ世界に愛着や執着がある者には絶対にできない。

Jesus Christ(イエス・キリスト)や仏陀やその他の悟りに達したと言われる全ての偉人よりも、世界を無意味にさせ、世界への全ての特別性と執着を棄てなければならないのが【A・Course・in・Miracles】を超えたコースだ。

個々の存在全てへの特別性を徹底的に棄てる方向性だからだ。



【③幻滅する位のインチキ臭さが証拠として見せられる以外に、世界を完全に無意味と思える筈がない】

西暦2015年5月11日:月曜日のニュース
5月に台風が沖縄に接近するのは、2011年以来、4年ぶり。台風6号。
http://www.yomiuri.co.jp/national/20150511-OYT1T50046.html

西暦2015年5月13日:水曜日、5月なのに日本列島に差し掛かって通るとされていた稀過ぎるか前代未聞の台風6号は、栃木県には普通の雨しか影響を与えずに、夜中のうちに去り、朝は快晴。風もほとんどなかったのに、台風が過ぎて快晴の中、朝も平気だったのに、取り繕うかのごとく、昼前に一時的に風が吹いて、あまりにもインチキ臭かった。ばっかじゃないの!?インチキ台風。

このごり押し台風は見過ごさない。後で徹底的に追及する。去年、西暦2014年10月のごり押し台風にしろ、こちらの外出日に焦点合わせ過ぎだ。

そのごり押し台風の影響か、西暦2015年5月13日:水曜日は周辺全てが朝から理不尽さごり押しだ。5月の前代未聞台風のごとく理不尽でごり押しの影響が来ている。
【異世界レベル】の主人公(偽者)達の影響はこのように理不尽なごり押しだ。
何もかもが問答無用。
ほとんどがスケープゴート糾弾の為に。
この影響が迷惑過ぎるから、対処する為に大変すぎるのだ。ツッコミも大変。

これは、西暦2015年5月12日:火曜日の概念記事があまりにも利用しづらかったからの迷惑な影響だろう。

そんなにスケープゴート糾弾しなくては、高い位置を保てないか、【異世界レベル】の主人公(偽者)たち。

その上、
西暦2015年5月11日:月曜日と
西暦2015年5月12日:火曜日の2日間の曜日と日付を改竄しまくられた。

明らかに、5月に台風をごり押ししてきた異世界レベルの主人公(偽者)の影響だ。

西暦2015年5月13日:水曜日は特殊だった。本来ならば11日:月曜日に【祖母】の日本舞踊稽古送迎だったが、日にちが変更になり、普通ならば変更される曜日ではなく、変更先が水曜日になった。他の点でもいつもとは違いが多かった。

そのせいなのか、西暦2015年5月13日:水曜日にJR日光線の鶴田駅(栃木県)付近に【祖母】を迎えに行って、乗せて、栃木県宇都宮市の宇都宮高等学校の前で、栃木街道に合流する信号で信号待ちをしていたら、信号が赤のまま動かなくなったのだ。
数分が経ち、前で信号待ちしていた3、4 台の車の内、2台の人たちが動き、1つ前の車の60代位女一人が横断歩道用の信号押ボタンを押しに行った。
しかし、その信号とは別の信号だから無理だろうと思っていたら、やはり横断歩道用の信号は変わっても、こちらが待っている方の信号は変わらなかった。
待ち始めて10分位経った頃、仕方なく前の車が赤信号のまま栃木街道へ進んでいった。
栃木街道には車が往来しているので、前の車が行った後、本物:佐藤篤代も車の流れが切れるのを待ち、赤信号でも行こうとした。すると、栃木街道を往来する車がすぐに止まった。「え?」と思い信号を見ると、壊れたとしか言いようがなかった信号が赤から青に変わっていた(笑)
なんと、本物:佐藤篤代が行こうとした途端に、赤で10分は固まっていた信号が青に変わったのだ。
明らかに本物:佐藤篤代への足止めだ。
他にも沢山ちょこちょここういう足止めはされる。
いつもと違いすぎたから足止めしたいんだな、とは思っていて、呆れて笑っていたのだが、あまりにもインチキ過ぎた。
これほどあからさまなのは、そうそうないが、JR日光線鶴田駅の所の信号では、信号がつけられてから(近年:西暦2015年現在)前々からしょっちゅうやられていた。田舎だから交通量は少ないし問題はなかったが、交通量がそこそこの場所でやられたのは初めてだった。

その上気持ち悪いのには、その10分位のインチキ信号で裏にいた車が、なんと同じ目的地まで付いてきたことだ。しかも、その車は【妹麻美】と全く同じ車で、BMW白だった。

こちらは、JR日光線鶴田駅付近で目的があったから通った道だったが、普通なら、そのルートを通っては次の目的地には行かない。別方向だからだ。鶴田駅付近に用がなければ絶対そのルートは通らないという道だ。そしてJR日光線はその時間帯は普通一時間に1、2本しか通らないし、到着電車はなかった。だから余計にその信号からのルートからついて来られるのは不自然過ぎた。
大体、JR日光線鶴田駅前の道自体、普通途中に目的地がなければそうそう通る道ではない狭い田舎道なのだ。

因みに、JR日光線鶴田駅(栃木県)の中に入ると信号を時間操作でインチキをやられ過ぎるので、鶴田駅が改築されてからは1度も入っていない。こうした時間のコントロールに敢えて付き合うつもりはない。

そもそも【妹麻美】と全く同じ車という時点でインチキ臭い。
【異世界レベル】の主人公(偽者)でやはり【妹麻美】と同じ車でこの本物:佐藤篤代の家に関連づけている主人公(偽者)がまだいることを確信した位にインチキ臭い。【高級車系偽者】ということだ。

そこで、別にそんな不自然な関連づけをしてこなかったら書かなかった事実を書くはめになるワケだ。
【妹麻美】の夫は40才過ぎまで独身だった大企業の会社員だ。結婚前までずっと長年あちこち海外赴任してきたらしい。海外赴任が長いと給料はそりゃ上乗せされる。だからこそ高級車買う位の金はあっただけだろう。これが早い結婚だったらそうはいかないだろうがな。結婚したらあれこれ金がかかるからな。
だから金持ちなわけではない。

というわけで、金持ちしか高級車やるな。【妹麻美】の場合は特殊だったからだ。もし会社員で同じように高級車やりたいなら海外赴任40才過ぎまで独身でやれ。長年独身海外赴任もやってないで普通の会社員がやったら不正か宝くじか【異世界】だ。

西暦2015年5月15日:金曜日
http://www.yomiuri.co.jp/economy/20150514-OYT1T50128.html?from=ycont_top_txt
経営再建中のシャープは、2015年3月期連結決算の税引き後利益が2223億円の赤字(前期は115億円の黒字)だったと発表。
国内従業員3500人の削減や大阪本社の売却などを盛り込んだ経営再建策も同時に発表。主力取引銀行2行から計2000億円の金融支援を受け、2017年3月期の黒字回復を目指す。
以上

大企業だからといっていつまでも安泰というわけではない、とも加えておこう。ある日突然事態は悪化する。マクドナルドだって、あんなに好調だったのが管理のずさんさから異物混入多発で経営は悪化している(西暦2015年現在)。だから普通の一般家庭は貯蓄する。高級車なんかやってられない筈なんだよ。

世界はユートピアではない。ユートピアならば作り手であるエゴのアメがたっぷり与えられている原始的領域ということだ。要するに、エゴの欺きが成功し過ぎている初期の領域。

【異世界】は何でもありだから釘さしとく。この領域の普通を提示しないと何でもありだからな。

このように、西暦2014年10月や西暦2015年5月13日:水曜日の台風、信号にしろ、あきらかに【異世界ごと】をこの領域に持ち込んでいるからだ。

台風のせいで会社が休みとしたい【異世界レベル】の主人公(偽者)用、子供が学校休みとしたい主婦系主人公(偽者)…とにかく、台風等何らかの理由で否応なしに休みになったが、台風が早く通りすぎたから晴れたら外出して買い物できるみたいにやりたかった主人公(偽者)用だ。
だが、そんなのをやったら偽者と決定づけてやるがな。

だから本物:佐藤篤代の外出日に焦点を合わせた。2度も季節外れすぎる前代未聞くらいの台風を引き起こしてまで、平日に買い物外出をやりたかった【異世界レベル】の主人公(偽者)が本物:佐藤篤代の外出に関連付ける為だ。

逆に言えばそこまで無理をごり押ししなければ平日を休みに出来ず、関連づけられなかったということだ。
そうでなければ【異世界】がバレるからだ。
だから無理な時期にされたのだ。
『偽者魅力崩し』の為にな。
クソみたいな【物質主義さ】にヘドが出るがな。そんなに買い物や外出が大事か、物質主義者どもが。【仙人レベル】くらいの影響ならまだわかるが、【人間レベル】のドップリ物質主義レベルの影響は迷惑どころの話ではない。

【異世界レベル】の主人公(偽者)の時間のタイミングに合わせる為に、この本物:佐藤篤代とこの領域は相当不自然な、違和感ありすぎる無理があるごり押しをされる。

タッチパネルで注文する飲食店に数ヶ月前に行った時、開店AM11:00丁度に2番目に入って、注文したら、後から入ってきた客の方が先に料理が来ておかしいと思ったら画面がフリーズしていた。
新しく出来たばかりの店で、初めての客なんだから普通はちゃんと注文できてるか店員がチェックするだろうに。
しかもAM11時台だというのに満員になるくらいの客の入り。あらゆる意味でこんな店は初めてだった。
何のために早く飲食店に入るのか意味がなくなる。関連づけ出来づらいように、普通の仕事してる奴にはできないことをやっているというのに。

よくあるのだが、店で何かを頼むのにトラブルが生じて時間が異常にかかったり、日数がかかりますと言われたり(その場合普通やめる)、画面がフリーズしたり、いつも通る信号が異常に長かったり、あまりにも多すぎるこの傾向に、どんなに疎い奴でも気づく。
世界が時間稼ぎしている、と。
何かにタイミングを合わせる為に、世界が時間稼ぎしている。
【異世界レベル】の主人公(偽者)が関連付ける為に、世界が時間稼ぎ。
バカらし過ぎて、『バッカじゃないの!?』と力を込めて言いたくなるわな。

世界がどんだけインチキかが身にしみて解る。

だからこそ、本物:佐藤篤代は無駄に時間がかかるものを避ける。行列があったら並ばない。すぐできるものに変える。
そして、だからこそ、本物:佐藤篤代は時間を合理的に効率的に使う癖が人生でついた。
どうあっても妨害が生じて時間がかかる何かに巻き込まれたりする時に備えて、時間を合理的に効率的に使わざるを得なかったからだ。のうのうと時間を無為に過ごしていたら、妨害が入り、やるべきことが出来なくなる。
そんな連続だったからこそ、時間の使い方は徹底的だ。今何が出来るかを考えて行動する癖がついた。

西暦2015年5月15日:金曜日
http://www.yomiuri.co.jp/politics/20150514-OYT1T50099.html?from=ycont_top_txt
政府は14日夕、首相官邸で臨時閣議を開き、集団的自衛権の限定的な行使を可能にすることなどを柱とした安全保障関連法案を決定した。

※それを受けて反対運動が生じたとデジタル放送画面ニュースに出ていた。「戦争を起こさないで」とか。それはまともだ。
安倍晋三首相はもはや5月に起こした台風6号位に問答無用な【異世界】のごり押しの象徴だからな。
(西暦2015年)

「憲法破壊」というようなことを言われる位の憲法9条、戦争の放棄。軍隊を持たない日本特有の長年守られてきた9条破壊だ。これでは安倍晋三は横暴な独裁者だ。海外の評論家にヒトラーと言われても仕方がない。

この安倍晋三のごり押し、【異世界レベル】の主人公(偽者)の領域に合わせたくて【異世界ごと】をこの領域に持ち込んでいる。何度もブログに書いてきたように。

このように、世界はインチキだ。
季節外れ過ぎ台風、信号、画面フリーズ、安倍晋三の独走…にしろ、世界の作り手の都合が良いように世界が作られている例だ。
そして、この世界の作り手の意図は善ではなく、欺きだ。

世界は作り手のエゴの台本通りに、エゴの思惑通りに作られている。

世界がインチキで欺きの意図から作られていると気づかせるため、そのエゴの台本をこのようにインチキだと判りやすく崩しているのが、【A・Course・in・Miracles】では聖霊と歪められた元の、エゴとは正反対の作用【終わらせる為に作用する何か】だ。

聖霊はもはや不必要となった時間と時間の間隔を消滅させることでエゴが作った幻想を消滅させよ、と【A・Course・in・Miracles】にはあるが、実際は違う筈だ。

これまでエゴが作った世界が全部インチキだとバレやすくする為に、エゴが別の時点で別の世界として作った【異世界】を割り込ませて世界の均衡を崩し、違和感が生じすぎて存続不可能となったその時点で、エゴは世界を作り直す。その連続が最後の主人公(偽者)型まで生じ、もはやエゴが世界を作れなくなった時点で終わりだ。

時間と時間の間隔の消滅ではなく、エゴに世界の作り直しを次々にさせて、もはや欺きが不可能となりエゴが世界を作る意味がなくなった時点で、エゴが作った全ての幻想の世界が終わる、と本物:佐藤篤代は経験から考えている。

世界がインチキだという証拠をバカバカしくも次々に見せられた方が、余程世界がエゴの欺きの手段だと実感できる。

というより、幻滅する位のインチキ臭さが証拠として見せられる以外に、世界を完全に無意味と思える筈がない。

佐藤篤代

西暦2015年段階の概念:佐藤篤代(33)
【A Course in Miracles】幻想の消滅
西暦2015年5月16日:土曜日


西暦2015年段階の概念:佐藤篤代
http://simplog.jp/comment/19063121/23

(1)エゴの隠す特質
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11974654245.html
(2)エゴが隠し取り繕う過程
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11975807518.html
(3)2つの正反対の思考システム
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11976707775.html
(4)知覚ある世界はエゴが作った幻想
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11978246696.html
(5)スケープゴートの世界構造
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11979880043.html
(6)原因と結果の法則
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11982652628.html
(7)繰り返しのサイクルの終わり
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11983485361.html
(8)知覚ある世界の全てを棄てる
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11986007920.html
(9)幻想を幻想として見る『赦し』
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11987258358.html
(10)やり直しのスパイラル
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11989740061.html
(11)『全ての幻想を同じ』と見る視点
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11991064187.html
(12)エゴが作った幻想の再利用
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11993159401.html
(13)身体の脆さと死におけるエゴの目的
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11994375354.html
(14)身体は幻想・死はない
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11995592527.html
(15)【死の超越】の実態
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11998096555.html
(16)『罪の起源』の実態
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11998915374.html
(17)罪は幻想・罪はない
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12000205331.html
(18)罪の投影の世界構造
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12001831249.html
(19)スケープゴートへの罪の投影
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12004677231.html
(20)罪をでっち上げる世界
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12006320153.html
(21)エゴが罪悪感を作った理由
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12008401797.html
(22)罪悪感の投影の実態
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12008405314.html
(23)自分自身に対する戦いの実態
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12011755756.html
(24)【異世界レベル】の穴概念
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12013322433.html
(25)エゴが作った全ての再利用
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12014997902.html
(26)真の公平な視点
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12015380689.html
(27)「夢の主人公」の実態
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12017397555.html
(28)「攻撃の完全放棄」の実質
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12018660133.html
(29)与えることと受け取ることは同等
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12020315340.html
(30)【A Course in Miracles】の実態
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12022798022.html
(31)【A Course in Miracles】世界はない
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12024092595.html
(32)【A Course in Miracles】幻想の意味
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12025684819.html



西暦2015年1月
http://simplog.jp/comment/19628362/23
西暦2015年2月
http://simplog.jp/comment/19628500/23
西暦2015年3月
http://simplog.jp/comment/20021719/23
西暦2015年4月
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西暦2015年5月
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この本物:佐藤篤代のブログは
【A・Course・in・Miracles】の核心「知覚ある世界はエゴが作った幻想」を矛盾なく徹底的に追究し、
【他が幻想であり、他がない】
と証明する、
『世界の起源を扱う』、
『人間レベルではない』、
【自分発信、自分受信】
の自分が知るために自分が自分に知らせる為のブログだ。

敵はいない。
味方もいない。
全部同じだからだ。
全てが同じエゴが作った幻想でしかないからだ。

本物:佐藤篤代は『エゴが作った幻想』という見方でしか何も見ないから、敵も味方もいない。

この『全てはエゴが作った幻想』という視点でしか『全部同じ』としては見ることはできない。

この本物:佐藤篤代のブログは、
『the Foundation for Inner Peace』の
【A・Course・in・Miracles】
原書second editionの概念をベースにしている。

本物:佐藤篤代がブログで言う核
【A・Course・in・Miracles】の核心
・知覚ある世界はエゴが作った幻想
・他は無い・他は幻想
・エゴが世界に留める為の最大の欺きの手段は特別性だ。
故にエゴの欺きから脱するには特別性を棄てなくてはならない。
・知覚もエゴが作った。
エゴの作った世界の終わりとは知覚の終わりだ。

本物:佐藤篤代はこの【A・Course・in・Miracles】の核心を基本に、【A・Course・in・Miracles】の歪みを削ぎ落としながら、『世界は幻想』という実体験に基づきながら真実へ向かっている。
この点を徹底的に矛盾なくしながら追究している。

矛盾がない概念を採用し、その方向性を目指す。こうして矛盾と歪みをそぎおとしていけば、いずれエゴの欺き(幻想)の完全な終わりへ向かえると本物:佐藤篤代は考えるからだ。

※本物:佐藤篤代が言う「1つの自己」とは【A・Course・in・Miracles】の意味とは違う

西暦2015年(年号:平成27年)
未(ひつじ)年現在

【佐藤篤代について】

西暦2012年7月16日:月曜日:海の日
【A・Course・in・Miracles】セカンドエディション(1976年発行:※生まれ年)の2回目日本語直訳、意訳をやめて直訳でやり直し始める。西暦2011年秋にある所へ送付し自分用が手元にないので、これは自分用。(西暦2012年10月末頃から中断し、西暦2013年11月2日:土曜日にやめた)

理由:【A・Course・in・Miracles】は本という型なので真実を完璧に表現できない。エゴは視界レベルで作り直せると気づいた為。
エゴはあいまいな記憶の水面下をいかようにも作り変えられる。時にはあからさまに作り変える。

同じ理由から【A・Course・in・Miracles】原書は全部はブログ掲載はしない。

この佐藤篤代が手紙を送った宛先のA Course in Miraclesに関連する組織とはthe Foundation for Inner Peace(Mill Valley;アメリカのカリフォルニア州)とthe Foundation for A Course in Miracles(Buecking Drive;Temecula:アメリカのカリフォルニア州)のみ。手紙のみのやり取りだった。
だが、後半ではやり取りは上記組織の個体ではなく、他の存在達こと過去の時点の自分達だけだと考えていた。実際は組織には届いてないと思われる。
西暦2009年から西暦2012年6月29日(金曜日)付の手紙で一切のコンタクトを終了し、以後、今後一切どのA Course in Miracles関連組織とは関わらない。

佐藤篤代はあらゆる全ての思想的布教や教えの組織も含め、A Course in Miraclesに関するあらゆる機関、組織、同人誌を含めた全ての出版、講演、workshop、慈善事業、ボランティア、あらゆる公的活動には一切関わっていないし、永久に関わらない。その他相談的なもの、カウンセリング、ヒーリング等同等の行為にも一切関わっていない。また、イエス キリスト的な偉人系、隠れ偉人や仙人系でもない。

佐藤篤代は生涯本籍変わらない。小学高学年で新築した際1年位近い親戚の家にいた以外、ずっと同じ場所に住んでいる。栃木県宇都宮市。

西暦2013年に新車購入全プロセスは終了済。日本車(国内車)。

佐藤篤代はパスポートを生涯取せず、海外渡航歴なし。

佐藤篤代は生まれてからずっと大病なし、入院もなし。

本物の佐藤篤代は36才(西暦2012年)から風邪も引かない。何らかの症状は代用の偽物の一過性の影響に過ぎないので病気ではない。アレルギーもならない。

本物の佐藤篤代は清潔。潔癖。

まだパソコン持ってなく、基本はスマートフォンがメインでブログ書いてる。あとは祖母の携帯電話をたまに使用。スマートフォンは機種交換し現在XPERIAに。

西暦2012年冬から今ずっと通販してない。めったにしていなかったが。西暦2014年1月19日:日曜日にNissen登録削除しもう通販しない。通販は他でもやってない。
(西暦2015年1月現在)

本物:佐藤篤代は43才になったら、ピンクと可愛い系(フリルやリボンやハートや星等マーク含め)や短いスカートやパンツ系をやめる。
現在の髪型をガラリと変え茶髪もやめる。前髪はなくし、髪色は黒。 現在の髪型(おかっぱ、前髪パッツン、茶髪 )は35才(西暦2011年夏の終わり)から継続中。
暖色系は極力やめ寒色系を主にする(白アイボリー系は多少やる)。ババアはババアらしくする。若づくりやらない。

西暦2007年12月から西暦2008年秋までが第1次インターネットblog活動。西暦2012年1月17日から現在に至るまで第2次インターネットblog活動。それ以外何もない。

本物は将来性のないニート
(西暦2015年)。
佐藤篤代は西暦2015年1月17日(土)で39才。
日本人(血縁すべて日本人)。
生まれてからずっと中肉中背。
普通の容姿。
西暦2009年から無職。それ以前は全部バイトかパート。
生涯未婚で子無し。

メール、コメント、いいね等その他全部のコミュニケーション迷惑だからやめて下さい。
なされる全てが【偽者用コメント】でインチキだと判明している為です。
故に、『偽者用コミュニケーション』だと言う突っ込みしか入れません。
(西暦2015年現在)





佐藤篤代

西暦2015年段階の概念:佐藤篤代(33)
【A Course in Miracles】幻想の消滅
西暦2015年5月16日:土曜日

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