西暦2015年段階の概念:佐藤篤代(35)
西暦2015年5月24日:日曜日

【『A・Course・in・Miracles』エゴの台本】
①引用:宇宙の歴史―過去と未来―はエゴが書いてつくり上げて美化した台本でしかない
②エゴの思考システムは、真実・根本的解決へ繋がる道筋を押し留め、その防御壁として権威やインテリを用いる
③エゴの思考システムを崩す為の思考システムによる概念はエゴが作った主人公レベルで移行していかなければならない。それでエゴの台本が全【異世界レベル】で崩されていく


【①引用:宇宙の歴史―過去と未来―はエゴが書いてつくり上げて美化した台本でしかない】

今回は、「エゴの台本」に関する引用を【A・Course・in・Miracles】関連本ゲイリー・R・レナードの日本語訳本『神の使者』を用いて提示していく。

【A・Course・in・Miracles】原書でエゴの台本について書きたい箇所は『「夢の主人公」の実態』概念にあるのでリンクを以下に掲載する。また、エゴの台本についての他の引用を掲載した概念リンクも以下に置いておく。

西暦2015年段階の概念:佐藤篤代
http://simplog.jp/comment/19063121/23
(27)「夢の主人公」の実態
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12017397555.html
(32)【A Course in Miracles】幻想の意味
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12025684819.html

西暦2015年段階では本物:佐藤篤代は【A・Course・in・Miracles】自体を歪みだと見ている。故に『神の使者』も同様だし、日本語訳で更に歪んでいる。
それを踏まえた上で引用するのは、知る過程では欠かせないからだ。

引用中「コース」とは【A・Course・in・Miracles】を指している。「J」とはJesus Christ(イエス・キリスト)を意味する。
引用中、見過ごせない日本語訳の違いの指摘や注意書きの為に、本物:佐藤篤代が「(※注意)」として挿入した。

引用中のアーテンとパーサはアサンディッドマスターらしいが、アサンディッドマスターと神の教師はエゴ概念だと考えている。


▽以下引用

ゲイリー:…それに、たいていの人は、大事なのは意識的な心で信じていることだと思っているよね。じつは無意識の心で信じていることがすべてを決定しているのに。それに、こっちは自分では変えられないんだね。もう1つ質問を思い出した。いわゆるビッグバンってやつ、分離の象徴で宇宙を投影している―あれは宇宙の進行がいずれは逆転して、収縮したあげくに崩壊するってこと?

アーテン:おあいにくさま。ビッグバンが分離の象徴なのはほんとうだが、かたちのレベルでは途方もないしろもので、計り知れないエネルギーを秘めていることを思い出さなければならない。これがすべての物理的法則を事前に決定していて、すべての細胞や分子の運命も、どう進化しどんな方向へ発展していくかも決まっている。映画は製作済みだというのは、起こっているように見えるすべてはもうその瞬間に設定されていて、ほかの起こり方はあり得ないという意味だよ。異なる次元やシナリオはすべて、同じ一瞬に起こった「ビッグバン」のなかの異なるビッグバンの象徴に過ぎない。すべてはその瞬間に終了しているが、きみはこれから目覚め、その現実を認識しなくてはならない。

ゲイリー:すると、このレベルでぼくたちは自分の運命を自分で紡ぐという幻想のもとで苦しんでいるけど、ほんとうは物理的法則は全部、その瞬間にすでに発動されているんだね。ぼくらがどうにかしようとしても、起こったことはすべてその通りに起こらなくてはならないってこと?

アーテン:その通り。身体というロボットが見えない力にどう操られるかというメカニズムは、事前に決定されている台本の上演の一部でしかないんだよ。いいかい、覚えておきなさい。エゴに味方して分離を現実にしようというのはきみの決定なのだから。これも異なるレベルできみが自ら事前決定に同意した一つの事例で、きみは犠牲者じゃない。しかしいまのきみには「コース」があるから、すべてに関する自分の心をどう変えればいいかを教えてもらえる。

ここできみが目撃しているのはエゴのレコーディングのようなものだ。違うメロディを聞きたいのなら、自分で決めればいい。宇宙はべつに収縮して崩壊しなくったって終わるよ。誰もが目覚めさえすれば、夢の宇宙はあっさりと消え失せる―だって無意味な夢に過ぎなかったんだから。
(P409~410)

ゲイリー:身体って言うと、ぼくは人間の身体を考えるんだけど、エゴはすべての身体を―ぼくの愛犬ヌピーやほかのすべての動物を含めて―つくったと考えるべきなんだろうね。それがほんとうなら、それにすべてが一度に起こったのなら、進化も幻想で煙幕みたいなものだってこと?

パーサ:おめでとう、よくわかったわね。あなたがたの世代は進化を崇拝し、自分たちはある種の新しいホットな意識を生み出す途上にあるんだと考えるわね。進化をエネルギーと同じくらい高く評価している。進化と呼ばれるものは、エゴがいっぺんに分離したってだけのことよ。細胞の分割、再分割を繰り返して、もっと複雑そうな―それにもっと印象的な―身体や脳をつくり出したように見えるだけ。でも、すべての身体は非現実だという点で同じなの。

あなたの宇宙のすべては、あなたの身体が独特な現実だと思わせ、エゴのシステム全体がまっとうなものだと思わせるようにできている。だからエゴはいつも、神がこの世界を創ったと思わせようとし、あなたが『彼(※注意:神)』を恐れると同時に自分の生命の原因だと思い続けるように仕向けている。エゴは何とかして神の仕事を横取りしようとしているんだけど、その事実と関連するのが、たとえばJの身体のように―J自身にとっては身体は無意味だったのに―身体を霊的なものと考えさせたがり、ある場所やモノをとくに霊的だと思わせたがることなの。そうすれば、あるものがほかのものに比べて特別だ、すべてが現実だってことになるからよ。神がこの世界と身体を創ったのなら、あなたがたは現実のはずでしょう。それならあなたがた個々の存在も正当化されるし、ほんとうの問題から逃げ続けられる。もっと大事なのは、あなたがたの関心を問題に対するほんとうの回答から逸らしておけること。ほんとうの回答とは聖霊で、この世界ではなくあなたの心にあるのだから。

ゲイリー:それじゃ、宇宙をつくったのが心の第四の分裂で、その結果としてビッグバンが起こり、またほとんど無限の分裂が起こったように見える―というか、幾多もの世界が生まれたように見える、ってわけだ。この宇宙が現実だと信じている限り、ぼくは定義によって無意識のうちに自分が神から離れたと信じ、したがって自分はろくでもない罪人だと考えるんだな。

アーテン:そのとおり。きみはうまい言い方をするじゃないか。きみが生まれたという夢を見たときから死ぬという夢を見るときまで、またそのあいだに夢を見るとき、きみが見るものはすべて、きみが神から離れたという考えの象徴なんだ。天国は完全に砕け散って無数のかけらになり、対極であるものと置き換えられたように見える。だが宇宙の歴史―過去と未来―は単純にエゴが書いた―大馬鹿者がつくり上げて美化した―台本でしかない。それが知覚し得るかぎりの方法で分離という芝居を演じているんだよ。
(P196~198)

△以上引用

(※注意:「天国」はいずれにしろ歪みだ。ただ、【A・Course・in・Miracles】レベルでは『天国=神=神の創造物=1つ』という概念であり、この世界で知られる「天国」とは全く違うと判ればいい)

「神の使者」
ゲイリー・R・レナード
吉田利子訳
西暦2007年1月30日:日本語版初版発行
(原書名:The Disappearance of the Universe)

『神の使者』もだが【A・Course・in・Miracles】では、エゴが作った主人公自体がエゴの欺きの全てから脱しなくてはならないという方向性だ。だから主人公のあるレベルでの意志決定が自由意志だと信じさせ、エゴが作った作り物とエゴの欺きの対象を同一視させることにより、個々の意識の特別性から脱することができなくさせている。
「主人公である"自分"が脱しなくてはならない」という状態では、エゴの欺きの全てからの脱出は不可能だ。「作り物が自分」という同一視がエゴの幻想に縛り付けるからだ。
この点が歪みだ。



【②エゴの思考システムは、真実・根本的解決へ繋がる道筋を押し留め、その防御壁として権威やインテリを用いる】

西暦2015年5月23日:土曜日の読売新聞の編集手帳にうまい事が書いてあったので提示しておこう。東芝不正問題ニュースについての内容だ。エゴの思考システムの全体像が判る。

「すべてのインテリは、東芝扇風機のプロペラのようだ。まわっているけど、前進しない」

プロがペラいという象徴的意味だ。

西暦2011年再利用段階から、確かにインテリやプロの実態が薄っぺらいという証拠を見せられてきたから頷ける。

エゴの台本の根底を流れるエゴの思考システムも同じだ。
「まわっているけど、前進しない」

心理学で解る。エゴがやりたい精神医学はスケープゴートを閉じ込めることだった。だから精神医学界全体の真に解決する技術が一切発展しなかった。問題の表面的解決を図るだけの薬療法に走った。

だから、心理学全体は発展せず、見てきたようなユング派が心理学の主力であり主流であって然るべきなのに西暦2015年現在ユング派は「どこへ消えた?」状態だ。
エゴは心の内側へ向かいスケープゴート糾弾を完全否定する方向性を持つ心理学を発展させたくなかったのだ。

精神心理学におけるエゴの目的はスケープゴートを糾弾し閉じ込めることだった。世界の作り手の目的は精神病を根本的に解決することなどではないのだ。根本的解決を図る位ならば世界に精神病を作らなかった。

世界の作り手エゴは世界の中で根本的解決などを目的にはしていない。

知覚ある世界を作ったエゴの目的は、根本的解決をさせずに、欺く対象を世界へ縛り付けることだ。

それ故に、世界の中で根本的解決法が発展することはあり得ない。広く知られた解決法程、エゴの目的を果たしている呪縛法ということだ。

だからこそ、インテリは沢山いて仕事をしているように見えるが、心理学のように根本的解決させる方向性は発展させない。根本的解決への鍵になるような教えは権威が留め、隠せるなら隠す。そうして発展させないように世界は作られている。

エゴの思考システムにおいて、権威とは真実を、発展を押し留める為にある。インテリも同様だ。

要するに、エゴの思考システムは、根本的解決へ繋がる道筋を押し留める。
解決できるようにみせて一切根本的解決がなされない方法をぐるぐるまわして発展させない。

全ての表面的解決法というものは、根本的解決の方向性を隠すためにエゴが作っているということだ。
その代表例が薬療法。
薬は魔法だ。ごまかしでしかない。
ごまかしのみで一切根本的解決がなされない、根本的解決を避けさせる為の真実を隠すための覆い隠す魔法だ。

だから権威もプロもインテリも薄っぺらい。エゴの思考システム下、発展したくない為に発展できないから中身が薄っぺらくならざるを得ないのだ。

これは見た目や外見がいかに偉そうに難しく濃いように見えても、中身の実態は薄っぺらいという意味だ。外見だけ厳つい張りぼて。中身がない張りぼて。

根本的解決へ繋がる道筋を発展させないよう最後の最後まで抵抗し、もはや隠せなくなったら、エゴは世界へ採り入れるしかなくなるだけだ。
主人公(偽者)の特別性の誘引要素として利用する為である場合も多々ある。

これ故に、目の前にやってくる全ての中に必ず含まれたエゴの目的が何かを探り出す努力が【A・Course・in・Miracles】レベルから欠かせない。



【③エゴの思考システムを崩す為の思考システムによる概念はエゴが作った主人公レベルで移行していかなければならない。それでエゴの台本が全【異世界レベル】で崩されていく】

本物:佐藤篤代は昔から【祖母】の送迎やその他の面倒を見させられている。無論【祖母】は五体満足で散歩に一人で行ける位の健康さだ。持病は高血圧位。他に車に乗れて暇がある家族がいても、熱が出てフラフラしている時にも、車の運転を強要されてきた。

昔から、家族は何故他人の気持ちを理解しようとしないのか、熱が出てフラフラしているのに運転を強要される者の気持ちを無視して自分達の目的だけ果たせればいいと何故自分のことしか考えられないのか、あまりの理不尽さに、早く家を出たくて仕方がなかった。だから、恩着せがましくされるから、可能な限り自分のことは自分でやってきた。家族などに頼りたくなかった。家族から早く離れて自分の力で生きて生きたかった。
―家族も誰もみな同じであり、どこに行っても同じだと気づくまでは。

【A・Course・in・Miracles】に出会った当初ですら、家族から離れて、理解ある他者がいる世界に行くのだと思っていた位だ。【A・Course・in・Miracles】前も、後の数年も、「今の自分が実践している段階の概念が理解でき実践し尽くし、できれば自分よりもっと進んでいる人々から学びながら分かち合いたい」と望んでいた。
しかしそんな人々はどの段階にいても、いなかった。本を出している人々がいるのだから、確かに概念を分かち合える筈の人々はこの世界の中にいる筈なのに、出会う誰一人として、自分より進んでいる者はいなかった。

その点が「エゴの台本とは何か」の実態を実感して知る鍵になった。

1つの世界は1人の主人公の視界(ビジョン)として作られているという事実だ。

知覚ある全ての世界を作っているのは、エゴだ。

故に、水面下では、相当作り放題ということだ。まだ主人公のビジョンの中に確認されていない全てはいかようにも作り直し放題ということだ。

要するに、主人公のビジョンで確認されていない水面下は作られてはいないということだ。主人公の世界の登場人物の視点としてビジョンを作らなければならなくなった場合にだけ、他者のビジョンは作られる。他者のビジョンではない方向性も必要ならば作られるだろうが、常にではない。取り繕いのために作られるだけだ。

故に、主人公のビジョンに表れていない全ては何も起きていないのだ。

ゲイリー・R・レナード『神の使者』レベルでは、あたかも主人公のビジョン外で他者が活動しているかのように書かれているが、主人公の知覚外では他者に関する全てが何も作られてはいない。主人公のビジョン外では「そう活動した」という情報のみが表現されるだけだ。

そこで、エゴがいかに他者が存在するように信じさせる為に尽力しているかが判る。エゴは他者をどうしても存在するとさせ、現実だと信じさせたいのだ。

だからこそ、『神の使者』でも【A・Course・in・Miracles】レベルでも分かち合いが強調されている。他者を現実だと信じさせる為に、他者と真実が分かち合えると強調しているのだ。

本物:佐藤篤代がどの段階の概念にいた時でも、概念を他者と分かち合えなかった理由だ。他者と分かち合えていたら、他者がエゴが作った幻想だとは信じられていなかったと断言できる。

エゴは世界を主人公のビジョンで作っている。しかも、主人公の型には段階を設けざるを得ないようにされたのだ。
主人公の世界の作り直しだ。作り直しを余儀なくされることにより、主人公の型に段階と順序ができたのだ。

その為に、各主人公の世界には型においても、概念においても、あらゆる段階が生じ、エゴの思考システムがどんどん崩していく思考システムへと移行されてきたのだ。【A・Course・in・Miracles】では『聖霊の思考システム』と歪められている思考システムだ。

『神の使者』や【A・Course・in・Miracles】では、人間が生まれ変わり等でエゴの思考システムから聖霊の思考システムへ移行するように扱われているが、実際生まれ変わりは一切関係がない。

全世界レベル、エゴが最初に作った主人公の世界から『エゴの思考システムを崩す思考システム』の投入による世界の作り直しを余儀なくされ最後に作った主人公までの全世界レベルで、エゴの思考システムは徐々に崩されていく。

だから全ての概念は、最後の世界にそれ以前の世界が合わせない限り、世界毎に異なる。

故に、本物:佐藤篤代は概念を他者と分かち合えなかったのだ。最後が最新だからだ。エゴの思考システムを崩す為の思考システムによる概念は主人公レベルで移行していかなければならない。
だから、他者とは分かち合えない。
その必要がないどころか、他者を幻想だと見れなくされるからだ。概念が分かち合えていたら世界は現実としか信じられない。分かち合えていたら、他者に関しては主人公のビジョン外では何も作られていない、とはとても信じられない。

他者とは、主人公のビジョンの中に表れた時にだけ舞台で演じる役者にすぎない。舞台外では何も演じないどころか、「無」でしかない。
エゴの台本の通りに舞台内でだけ演じるエゴロボットに過ぎない。

だから、どこに行っても、誰と関係しようが同じなのだ。エゴの目的通りエゴが作りたい台本通りに周囲の登場人物は作られるだけだからだ。

エゴの目的が理不尽な他者を作り出すことで主人公を苛むというものならば、家族だろうが何だろうがどこに行っても理不尽な他者が登場人物として必ず表れる。
だからどこに行っても同じだから、「ここではないどこかへ」理解者、分かち合える者を求めて家を出て行くのをやめた。
外側の何かを変えても何にもならない。
問題は外側の全てに含まれたエゴの目的だ。全てはエゴの目的で作られているから、成すべき全ては目の前にやってきたエゴの目的を崩すことだけだ。

世界は主人公のビジョンで作られているからだ。だから、どこにも行かなくてもエゴの目的を含めた外面的事象は主人公の目の前にやって来る。その中のエゴの目的だけを崩せばいいだけなのだ。

【A・Course・in・Miracles】のように【赦し】『知覚ある世界の全てはエゴが作った幻想だと見ること』をやっても、外面的にはほとんど何も変わらない。この見方は絶対的に必要だが、この【赦し】により外面的に良くなり他者がまともになると期待していたら必ず潰れる。

必要なのは主人公の癒しではない。楽になることでもない。世界がユートピアになることでもない。
目の前にやって来る全てに含まれたエゴの目的を知り、それを崩そうとする言動だ。
世界が正常になり、幸せで平和で理解者にまみれていたら、その中に含まれたエゴの目的なんか探せるわけがない。もはやエゴのアメにハマり込んでいる状態で、エゴの目的を崩すことなどできるはずがない。
これが事実であることは世界の作られ方と崩され方が解れば当然だ。
大体、何故エゴの作り物で欺きの手段である個体に癒しが必要なのか意味がわからない。癒しの中になど、エゴのアメの目的しか見出せない。

目の前にやって来る全て、それがエゴの台本だ。
エゴ以外に何も作り手はいない。
エゴが作らなければ、何も作られない。
故に、目の前にやって来る全ての中には必ずエゴの目的が込められている。

『知覚ある世界はエゴが作った幻想』という見方が確立された後、主人公がすべきことは知覚する全ての中にエゴの目的を見出し、それを崩そうとすることだ。
その主人公の姿勢すらもエゴが作る。
しかし、その主人公の、エゴの目的を崩そうとする言動は、エゴとは正反対の作用が再利用できる。
それによりエゴの目的は根本的に崩せるようになる。

その為には、そうする主人公レベルでは、【他はない・他は幻想】という見方が徹底的にされなくてはならず、自他共に、全てのあらゆる個々の存在は例外なくエゴが作った作り物のロボットであり欺きの手段でしかないと実感されていなければならない。

主人公は最終的に主観的ではなく完全客観的な状態にならなくてはならないのだ。「自分がエゴの目的から脱出しなくてはならないのではなく、自分はその為の手段として再利用されるのみであり、脱出すべき対象は意識外に在る」。
「エゴの欺きの対象は自分ではなく、自分はエゴの手段でしかない」という自覚状態が完全客観的な状態だ。

この主人公の姿勢が全てを終わらせる為に再利用できる。その為にエゴとは正反対の作用はエゴに思考システムを段階的に作らせ、最終段階まで尽くさせるように作用する。

エゴとは正反対の作用を本物:佐藤篤代は【終わらせる為に作用する何か】と呼ぶ。もはや聖霊とは呼べない。

これらの理由から、主人公がエゴの目的とエゴの台本を崩すように言動する方向性が再利用できる。

その為に、本物:佐藤篤代は、西暦2011年からエゴの台本を崩すように言動するようになった。

目の前にやって来る全てをよく観て、その中に込められたエゴの目的を探るようになってから、本物:佐藤篤代とは無関係の別人の設定で周囲が動いており、しかもそれは相当複数の設定が交互、あるいは同時になされていることが視えてきた。
それを本物:佐藤篤代は【投影】と呼んだ。

ほとんどはあからさまに別人の設定を無理矢理捩じ込まれて、物理的法則、頻度や確立の法則が崩壊する位に超常現象に多々なってしまうような問答無用な影響が来ているから判った。

その別人の設定の影響は【異世界】の前に作られてきた主人公達の領域のものだとよく観察する中で気付いていった。

それは【終わらせる為に作用する何か】が【異世界】全てを含めたエゴが作った全てを再利用することによる『漏れ』作用により、エゴが世界に生じた違和感と相違と矛盾を取り繕い、辻褄を合わせて世界を作り直さなくてはならなくなったから故の影響だと判った。

そして、その影響が酷いのは、本物:佐藤篤代の領域からの漏れが大多数で、エゴが後から、恐らく最終的に作ったこの領域でも取り繕いをしているからだと判った。しかも、前に作られてきた全領域へ漏れているらしいから壮絶な影響になっている。

栃木県宇都宮市のシンとしたど田舎に、「今から設定始まります宣言」のように一斉に交通量が急増し、ヘリが飛び出し、喧騒が異常になったと思ったら誰かが外出帰宅する、近隣で車外出帰宅し、後数分すると「設定終わり宣言」のごとく全ての喧騒が止むとという物理的法則を無視しまくった異常現象が多々なされている。
こんなあからさまな異常が日常茶飯事なのだ。否応なしに世界がいかにインチキかに気づくし、自分の周囲に全く異なる別人の設定がなされていることがわからないはずがない。

このあまりにもはっきりとした物理的法則崩壊から、この「総動員」と呼ぶ喧騒を生じさせる【異世界レベル】の主人公は都会でヘリが多々飛ぶ地域に住む社会的義務系だと判る。
無論、これだけではなく多々設定があり多数の主人公の影響が来ている。
いつもは聞こえないのに学校のチャイムが聞こえる場合、学校近くに家か何らかの関係がある主人公の影響だと判る。あからさまな超常現象ばかりなのだ。

少しの距離でも外出の先々に多発する高級車(メルセデス,クラウン,BMW,フォルクスワーゲン,日産シーマ)は、高級車を乗る金持ち系主人公の影響だと判る。あまりにも多すぎてもはやストーカーだ。
栃木県宇都宮市のど田舎にそんなに多発したらあきらかな異常だ。しかも家から片道5分以内のJR.鶴田駅の往復だけのほぼ田舎の細道だけを通る外出の時に2台もメルセデスを見て、1台はJR.鶴田駅の中で信号待ちをしている北隣の【近藤】と全く同じ黒ワゴン車だったのを見た時は相当ぞっとした。

黒ワゴン車とヴィッツは北隣【近藤】の象徴のようだが、大概セットで出現し、見ない日はない。どんなに短距離でも外出先に見かける度に気持ち悪くて仕方ない位の多発っぷりだ。

西暦2014年10月、西暦2015年5月の本物:佐藤篤代の外出日を狙った季節外れの異常台風のように、気象異常を問答無用に引き起こす主人公の影響もある。2回の異常台風をほぼ1週間に1回の外出日に合わさっているのだから確実に狙っている。
西暦2011年にハマり込んで東日本大震災をやり直したい主人公はいつまでも西暦2011年の余震だと誤魔化しごり押しして地震を起こす。大概、決定的な概念的な記事を出す前後に生じる。

家の中では「何かの設定です」と叫び声をあげるかのようなアピール感で、あからさまな関連づけディスプレイがなされる。買い物に行っていないのに買い物に行ったかのように見せかけるトリックも多々なされる。

風呂やトイレのタイミングをあからさまに狙うあり得ない頻度の関連づけは多々書いてきた。確立の法則は崩壊しきっている。
北隣【近藤】による狙いがあまりに酷いので西暦2014年8月には相当時間をずらしたりしてタイミング狙われない努力を尽くしたが、あり得ないことに100%狙われたので時間ずらすのをやめ、ほぼ習慣的な時間にさせた。100%という時点でもはや超常現象だ。
そうすれば夜のトイレや、普通の仕事をしている者には不可能な時間帯の風呂のタイミングを狙う方があからさまに変態ストーカーだ。
西暦2015年5月下旬現在、普通入る方のトイレにデジタル電波式時計を置いた付近でまた100%近くの狙いになっている。

そのような無理のあるあからさまな関連づけが横行された日常から、【異世界レベル】の主人公の関連づけの為に影響が来ているのがよく判るし、大体の型種類も判るので、その取り繕いの為に作られたエゴの台本を崩すように言動すればよいのだと判る。

この領域では普通の仕事をしている者にはタイミングを狙えない早い風呂にしたのはこのエゴの台本崩しの為だ。言っとくが、夜寝る前に風呂に入った方が普通は数百倍も楽なのだ。わざわざ面倒くさい選択をしているということだ。

【異世界レベル】の主人公達は何でもありだ。だからこの領域では普通解雇されるレベルの仕事サボりが横行されてきたのが窺えるように、北隣近藤(40代後半位公務員夫妻:西暦2015年)はサボりまくりだ。
普通は以下のように懲戒免職となる。

西暦2015年5月21日:木曜日のニュース
http://news.tbs.co.jp/sp/newseye/tbs_newseye2497452.html
東京・多摩市職員が診断書偽造、「病休」820日取得
東京・多摩市の職員が医師の診断書を繰り返し偽造し、あわせて820日の休暇を不正に取得していたとして懲戒免職処分となりました。
懲戒免職となったのは多摩市・健康福祉部の50歳の男性主任で、2011年6月から今年3月までの3年9か月の間に、診断書39通を偽造し、あわせて820日の病気休暇を不正に取得していたということです。
この職員は自宅のパソコンで診断書を偽造し、4日間から60日間の休暇を取った後、しばらく出勤し、また別の病名で偽の診断書を提出することなどを繰り返していました。この職員は「罪の意識はあった」などと話しているということですが、多摩市は有印私文書偽造などの疑いで刑事告発を検討しています
以上

やっと北隣の【近藤】(40代後半位男:西暦2015年)、役所系公務員設定でサボりまくりで普通ならば解雇されているレベルだというこの領域での表面上の実態が象徴的に事件ニュースとなって表された。普通、この領域の世界ならば不正で発見されれば懲戒免職。あれほどのサボりが目立たないわけがないから、発見されなければ公務員全体の腐敗を意味しているだけだ。
世界が普通ならば通用するはずがないのだ。通用するなら公的の腐敗。
【人間レベル】で言えばな。

問答無用にこの領域で取り繕おうとすればするほど、エゴが作った【異世界レベル】の主人公(偽者)達は無理が生じていき、それがネックになり、自滅に追い込まれていく。
問答無用さとごり押しは脆さの誘発なのだ。取り繕えれば取り繕える程、勝てば勝つほど自滅要素となる。

その為に、この領域で見てきたことを提示する。このニュースのように。
その提示を再利用し、【終わらせる為に作用する何か】が効果的に【異世界レベル】の各主人公の領域へ漏らす。

それにより、各世界の各主人公のエゴの台本は次々に崩されていく。

そして、仕事の普通が浸透すれば、【異世界レベル】の主人公達が風呂の関連づけの為のタイミングを狙えなくなる。

そこで家族がごり押しして、時間をコントロールするようになる。

【祖母】が何かにつけてごり押しをする理由だ。言ってたこと、約束を平気で覆し、「そんなの言ってない、約束してない」と言い張る。この傾向は【祖母】だけでなく他の誰にでも当てはまる。
誰もがエゴの台本通り設定で動いているからそうなると解るまでは苦しんだ。
だから他者に期待しないようにはなっていた。「他者に信じて貰いたいならまず自分が他者を信じなさい」というのは成功法則でやり尽くした。与えることは自分が他者にしてもらいたいことだった。ただ、他者には望み通りに動く期待はしなくなっただけだ。だから他者から約束や確証を取ることもなくなっていた。

そして原因が解った西暦2015年現在には、他者が言ったことをそのまま信じ鵜呑みにするワケにはいかない。

他者は言ったこと、約束事を覆し、他者の言い分をごり押ししてくる。それはエゴの台本を押し通そうとする、台本の作り手のエゴの強引さだ。

ごり押しは回避できる場合とできない場合があることがこれまでにわかっている。【A・Course・in・Miracles】の「聖霊の計画が働くのを信頼する」という実践が日常的になっていたので、ごり押しが押し通されるのは、逆に再利用できるシチュエーションだからであり、理由が必ずあるからだと結果から解ってきた。
だから、どんな状況下であれ、「聖霊の計画が働く」のを信じられるようになっていった。西暦2015年現在では「【終わらせる為に作用する何か】が終わらせる為に作用しているのを信じる」となっている。

時々、明らかに時期が集中して、風呂や夕食をごり押しして遅くさせる動きが周囲に生じる。それはトイレや風呂のタイミングを100%位に狙われる時期でもある。明らかにトイレや風呂のタイミングが重要なのだとしか言いようがない位のあからさまな狙いだ。

これは最初意味がわからず変態にしか思えなかったが、【終わらせる為に作用する何か】が【異世界レベル】で漏れを生じさせているからだが、数年経ち、ようやく意味が解ってきた。

エゴが作った主人公達(偽者)の魅力と特別性を崩し、世界がインチキだと最終的には理解できるようにさせるためだ。トイレと風呂を狙っているとしか言いようがない動きを取る主人公など、魅力が失せ最終的に幻滅に至る。エゴは主人公で異世界、世界がインチキだとバレないように躍起になって取り繕う内に、その取り繕いが墓穴を掘る結果となるよう誘導されていたのだ。だから主人公(偽者)達の動きが殆ど全てがストーカー的になっていたのだ。

【終わらせる為に作用する何か】がやっているのは、エゴが作った全ての主人公(偽者)の魅力と特別性崩しであり、それで魅力の限界まで持っていき、欺かれている対象の世界への呪縛を断ち切ることだ。世界がインチキだと解り、主人公(偽者)全てに特別性の誘引ができなくなれば、世界は存続できない。

ということが解れば、こちらがどう言動すればエゴが作ったこの知覚ある世界を終わらせられるかが判る。影響がやってくる【主人公(偽者)崩し】をして魅力を崩せるように言動すればいいのだ。

だから、本物:佐藤篤代は主人公(偽者)達が取り繕えないようになるように言動する。その為には何が関連づけられ、何の取り繕いがなされているのかを目の前にやってくる全てからよく観察して見極めなければならない。そしてどうすれば崩せるかを考えて言動する。
だからこそ、心の訓練と思考・感情のコントロールが欠かせなかった。
まず、自分を棄てていなければできない。何よりも主人公(偽者)崩しに向けなければならない。自分に囚われている者にはできない。自分も他者と同様にエゴロボットであり、【終わらせる為に作用する何か】に再利用されるだけの作り物でしかないと解っていなければできない。

それで、ごり押しされる場合は条件を付ける。条件を付けて後の『偽者崩し』の為に活用したりする。条件をつけても条件を呑まずにごり押しされるならば他の手を考える。それで回避できないならば、この中のエゴの目的を崩せるように自分の動きを変える。

大体、条件付きごり押しが通される場合はそのごり押しが地雷になっていたのだと後から解るので、【終わらせる為に作用する何か】が作用するのを信頼して任せる。ごり押しは常に地雷を生じさせるに過ぎない。だから、やれることだけやって後は任せればいいだけなのだ。経験上解ったことだ。

全ては、全てを終わらせる為に、周囲でなされている【異世界レベル】の主人公(偽者)達の影響を見て、それぞれ設定されて上演されるエゴの台本を崩すように動く―それが最後にエゴに作られた主人公(偽者)がやるべきことだ。
その言動を【終わらせる為に作用する何か】が再利用して、【異世界】を含めた全ての主人公(偽者)の世界を終わりへ向かわせる。

これが【A・Course・in・Miracles】で『聖霊の計画』として歪められていた実態だ。


エゴの台本に関してはまだ書き足りずまだまだ引用したい部分があるから、別の概念記事でも書こう。

佐藤篤代

西暦2015年段階の概念:佐藤篤代(35)
【A Course in Miracles】エゴの台本
西暦2015年5月24日:日曜日





西暦2015年段階の概念:佐藤篤代
http://simplog.jp/comment/19063121/23

(1)エゴの隠す特質
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11974654245.html
(2)エゴが隠し取り繕う過程
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11975807518.html
(3)2つの正反対の思考システム
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11976707775.html
(4)知覚ある世界はエゴが作った幻想
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11978246696.html
(5)スケープゴートの世界構造
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11979880043.html
(6)原因と結果の法則
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11982652628.html
(7)繰り返しのサイクルの終わり
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11983485361.html
(8)知覚ある世界の全てを棄てる
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11986007920.html
(9)幻想を幻想として見る『赦し』
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11987258358.html
(10)やり直しのスパイラル
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11989740061.html
(11)『全ての幻想を同じ』と見る視点
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11991064187.html
(12)エゴが作った幻想の再利用
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11993159401.html
(13)身体の脆さと死におけるエゴの目的
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11994375354.html
(14)身体は幻想・死はない
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11995592527.html
(15)【死の超越】の実態
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11998096555.html
(16)『罪の起源』の実態
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11998915374.html
(17)罪は幻想・罪はない
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12000205331.html
(18)罪の投影の世界構造
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12001831249.html
(19)スケープゴートへの罪の投影
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12004677231.html
(20)罪をでっち上げる世界
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12006320153.html
(21)エゴが罪悪感を作った理由
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12008401797.html
(22)罪悪感の投影の実態
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12008405314.html
(23)自分自身に対する戦いの実態
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12011755756.html
(24)【異世界レベル】の穴概念
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12013322433.html
(25)エゴが作った全ての再利用
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12014997902.html
(26)真の公平な視点
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12015380689.html
(27)「夢の主人公」の実態
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12017397555.html
(28)「攻撃の完全放棄」の実質
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12018660133.html
(29)与えることと受け取ることは同等
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12020315340.html
(30)【A Course in Miracles】の実態
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12022798022.html
(31)【A Course in Miracles】世界はない
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12024092595.html
(32)【A Course in Miracles】幻想の意味
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12025684819.html
(33)【A Course in Miracles】幻想の消滅
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12027300629.html
(34)【A Course in Miracles】エゴの思考システム
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12029267318.html



西暦2015年1月
http://simplog.jp/comment/19628362/23
西暦2015年2月
http://simplog.jp/comment/19628500/23
西暦2015年3月
http://simplog.jp/comment/20021719/23
西暦2015年4月
http://simplog.jp/comment/20577503/23
西暦2015年5月
http://simplog.jp/comment/21087350/23


この本物:佐藤篤代のブログは
【A・Course・in・Miracles】の核心「知覚ある世界はエゴが作った幻想」を矛盾なく徹底的に追究し、
【他が幻想であり、他がない】
と証明する、
『世界の起源を扱う』、
『人間レベルではない』、
【自分発信、自分受信】
の自分が知るために自分が自分に知らせる為のブログだ。

敵はいない。
味方もいない。
全部同じだからだ。
全てが同じエゴが作った幻想でしかないからだ。

本物:佐藤篤代は『エゴが作った幻想』という見方でしか何も見ないから、敵も味方もいない。

この『全てはエゴが作った幻想』という視点でしか『全部同じ』としては見ることはできない。

この本物:佐藤篤代のブログは、
『the Foundation for Inner Peace』の
【A・Course・in・Miracles】
原書second editionの概念をベースにしている。

本物:佐藤篤代がブログで言う核
【A・Course・in・Miracles】の核心
・知覚ある世界はエゴが作った幻想
・他は無い・他は幻想
・エゴが世界に留める為の最大の欺きの手段は特別性だ。
故にエゴの欺きから脱するには特別性を棄てなくてはならない。
・知覚もエゴが作った。
エゴの作った世界の終わりとは知覚の終わりだ。

本物:佐藤篤代はこの【A・Course・in・Miracles】の核心を基本に、【A・Course・in・Miracles】の歪みを削ぎ落としながら、『世界は幻想』という実体験に基づきながら真実へ向かっている。
この点を徹底的に矛盾なくしながら追究している。

矛盾がない概念を採用し、その方向性を目指す。こうして矛盾と歪みをそぎおとしていけば、いずれエゴの欺き(幻想)の完全な終わりへ向かえると本物:佐藤篤代は考えるからだ。  

※本物:佐藤篤代が言う「1つの自己」とは【A・Course・in・Miracles】の意味とは違う



西暦2015年(年号:平成27年)
未(ひつじ)年現在

【佐藤篤代について】

西暦2012年7月16日:月曜日:海の日
【A・Course・in・Miracles】セカンドエディション(1976年発行:※生まれ年)の2回目日本語直訳、意訳をやめて直訳でやり直し始める。西暦2011年秋にある所へ送付し自分用が手元にないので、これは自分用。(西暦2012年10月末頃から中断し、西暦2013年11月2日:土曜日にやめた)

理由:【A・Course・in・Miracles】は本という型なので真実を完璧に表現できない。エゴは視界レベルで作り直せると気づいた為。
エゴはあいまいな記憶の水面下をいかようにも作り変えられる。時にはあからさまに作り変える。

同じ理由から【A・Course・in・Miracles】原書は全部はブログ掲載はしない。

この佐藤篤代が手紙を送った宛先のA Course in Miraclesに関連する組織とはthe Foundation for Inner Peace(Mill Valley;アメリカのカリフォルニア州)とthe Foundation for A Course in Miracles(Buecking Drive;Temecula:アメリカのカリフォルニア州)のみ。手紙のみのやり取りだった。
だが、後半ではやり取りは上記組織の個体ではなく、他の存在達こと過去の時点の自分達だけだと考えていた。実際は組織には届いてないと思われる。
西暦2009年から西暦2012年6月29日(金曜日)付の手紙で一切のコンタクトを終了し、以後、今後一切どのA Course in Miracles関連組織とは関わらない。

佐藤篤代はあらゆる全ての思想的布教や教えの組織も含め、A Course in Miraclesに関するあらゆる機関、組織、同人誌を含めた全ての出版、講演、workshop、慈善事業、ボランティア、あらゆる公的活動には一切関わっていないし、永久に関わらない。その他相談的なもの、カウンセリング、ヒーリング等同等の行為にも一切関わっていない。また、イエス キリスト的な偉人系、隠れ偉人や仙人系でもない。

佐藤篤代は生涯本籍変わらない。小学高学年で新築した際1年位近い親戚の家にいた以外、ずっと同じ場所に住んでいる。栃木県宇都宮市。

西暦2013年に新車購入全プロセスは終了済。日本車(国内車)。

佐藤篤代はパスポートを生涯取せず、海外渡航歴なし。

佐藤篤代は生まれてからずっと大病なし、入院もなし。

本物の佐藤篤代は36才(西暦2012年)から風邪も引かない。何らかの症状は代用の偽物の一過性の影響に過ぎないので病気ではない。アレルギーもならない。

本物の佐藤篤代は清潔。潔癖。

まだパソコン持ってなく、基本はスマートフォンがメインでブログ書いてる。あとは祖母の携帯電話をたまに使用。スマートフォンは機種交換し現在XPERIAに。

西暦2012年冬から今ずっと通販してない。めったにしていなかったが。西暦2014年1月19日:日曜日にNissen登録削除しもう通販しない。通販は他でもやってない。
(西暦2015年1月現在)

本物:佐藤篤代は43才になったら、ピンクと可愛い系(フリルやリボンやハートや星等マーク含め)や短いスカートやパンツ系をやめる。
現在の髪型をガラリと変え茶髪もやめる。前髪はなくし、髪色は黒。 現在の髪型(おかっぱ、前髪パッツン、茶髪 )は35才(西暦2011年夏の終わり)から継続中。
暖色系は極力やめ寒色系を主にする(白アイボリー系は多少やる)。ババアはババアらしくする。若づくりやらない。

西暦2007年12月から西暦2008年秋までが第1次インターネットblog活動。西暦2012年1月17日から現在に至るまで第2次インターネットblog活動。それ以外何もない。

本物は将来性のないニート
(西暦2015年)。
佐藤篤代は西暦2015年1月17日(土)で39才。
日本人(血縁すべて日本人)。
生まれてからずっと中肉中背。
普通の容姿。
西暦2009年から無職。それ以前は全部バイトかパート。
生涯未婚で子無し。

メール、コメント、いいね等その他全部のコミュニケーション迷惑だからやめて下さい。
なされる全てが【偽者用コメント】でインチキだと判明している為です。
故に、『偽者用コミュニケーション』だと言う突っ込みしか入れません。
(西暦2015年現在)

佐藤篤代

西暦2015年段階の概念:佐藤篤代(35)
【A Course in Miracles】エゴの台本
西暦2015年5月24日:日曜日

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