概念:佐藤篤代/西暦2015年後半(14)
西暦2015年8月26日:水曜日

(14)【『A・Course・in・Miracles』miracle】

①【A・Course・in・Miracles】の「miracle」―奇跡は時間を消滅させる為に時間をどう使うかを知らせる、知るための手段だ
②【人間レベル:成功法則】―願いを叶える力の源、無限の力(広大無辺の力:神)が、願いを叶える為に必要な全てを動かし、用意し、調えて叶える。無限の力は法則に従い全てを動かす。この著しいプラスの結果が「奇跡」と呼ばれる
③奇跡が生じるメカニズムと同じように、渡り鳥が季節ごとに本能的に移動して飛ぶように、人間を動かしているのは例外なく全てエゴだ。世界の全てを動かし、成功法則、自然の法則、あらゆる世界の法則を動かしているのはエゴだ


【①【A・Course・in・Miracles】の「miracle」―奇跡は時間を消滅させる為に時間をどう使うかを知らせる、知るための手段だ】

今回は、【A・Course・in・Miracles】の「miracle(奇跡)」に関する概念を引用し、【A・Course・in・Miracles】原書を用いて提示していく。

【A・Course・in・Miracles】の「miracle」は歪みだし、「奇跡」という言葉自体が必要ないと思う位だが、知るための段階的な概念としては必要だと考え、提示する。

よくよく考えてみれば、今、西暦2015年では当たり前に理解している作用についてを知るには、土台として「奇跡」的な概念は欠かせない。

【A・Course・in・Miracles】の「聖霊」の作用、そしてその歪みを取り除いた【終わらせる為に作用する何か】と本物:佐藤篤代が呼んでいる、エゴとは正反対の作用について知るには、段階的土台が必要だ。

そしてそれ以前に【人間レベル】での奇跡の意味、法則下引き起こされる奇跡のメカニズムについても同時に提示する必要がある。

故に、今回も奇跡に関して提示したいのはむしろ【人間レベル】。無論過ぎ去らなくてはならないものだが。これにより目に見えない世界の法則もはっきりさせたい。

それで【終わらせる為に作用する何か】の作用について知る方向への段階的知るべきこととして過去で受け取られるように与える。

故に、今回も【人間レベル】の領域がやりやすくて仕方ないだろうが、【A・Course・in・Miracles】の主旨は『知覚ある世界はエゴが作った幻想』とみて全ての価値と特別性を棄てなくてはならないのだと書いておく。

西暦2015年段階では本物:佐藤篤代は【A・Course・in・Miracles】自体を歪みだと見ている。神概念も癒しも歪みだ。聖なるキラキラもエゴのアメだと疑ってかかる必要がある。
故に『神の使者』も同様だし、日本語訳で更に歪んでいる。
それを踏まえた上で引用するのは、知る過程では欠かせないからだ。

また、原書にある「brother」は「あらゆる他者」、「the Father」は「神」を指すが、これは特別性を温存するための理由で書かれている場合がほとんどだ。
歪みだが【A・Course・in・Miracles】の「the Kingdom」や「Heaven」は「the Kingdom=Heaven=神=神の創造物=神と1つの状態」だ。
「I」等の一人称はJesus(イエス・キリスト)。
「Friend」は「聖霊」。
「learn」は「知る」、「teach」は「知らせる」と取らなくては歪みにハマり込む期間がそれだけ長くなる。
故に「teacher」は「知らせる者」、
「learner」は「知るべき者」。
しかも「知らせる(段階の)者」、
「知るべき(段階の)者」。

まずは【A・Course・in・Miracles】テキスト1章lとllの引用だが、この部分は原文をテキスト1章lllまで書き出したことがあるので、リンクと部分的な引用をする。
原文はテキスト1章lllまで書き出してあり、「miracle」についての内容なので一応lllもリンクを置いておく。

【A・Course・in・Miracles】
テキスト1章l
http://sns.gree.net/#urn=urn%3Agree%3Ablog%3Aentry%3A650316921_52622697&view=stream_permalink

▽以下引用

1. There is no order of difficulty in miracles.
One is not "harder" or "bigger" than another.
They are all the same. All expressions of love are maximal.

3. Miracles occur naturally as expressions of love.
The real miracle is the love that inspires them.
In this sense everything that comes from love is a miracle.

5. Miracles are habits, and should be involuntary.
They should not be under conscious control.
Consciously selected miracles can be misguided.

13. Miracles are both beginnings and endings, and so they alter the temporal order.
They are always affirmations of rebirth, which seem to go back but really go forward.
They undo the past in the present, and thus release the future.

14. Miracles bear witness to truth.

15. Each day should be devoted to miracles.
The purpose of time is to enable you to learn how to use time constructively.
It is thus a teaching device and a means to an end.
Time will cease when it is no longer useful in facilitating learning.

17. Miracles transcend the body.

28. Miracles are a way of earning release from fear.
Revelation induces a state in which fear has already been abolished.
Miracles are thus a means and revelation is an end.

32. I inspire all miracles, which are really intercessions. They intercede for your holiness and make your perceptions holy. By placing you beyond the physical laws they raise you into the sphere of celestial order. In this order you are perfect.

38. The Holy Spirit is the mechanism of miracles.
He recognizes both God's creations and your illusions.
He separates the true from the false by His ability to perceive totally rather than selectively.

38. The Holy Spirit is the mechanism of miracles.
He recognizes both God's creations and your illusions.
He separates the true from the false by His ability to perceive totally rather than selectively.

47. The miracle is a learning device that lessens the need for time.
It establishes as out-of-pattern time interval not under the usual laws of time.
In this sense it is timeless.

△以上引用
(P3~6)

【A・Course・in・Miracles】
second edition
TEXT:Chapter1;l,
1,3,5,13,14-1,15,17-1,28,32,38,39,47

【A・Course・in・Miracles】
テキスト1章ll
http://sns.gree.net/#urn=urn%3Agree%3Ablog%3Aentry%3A650581151_52622697&view=stream_permalink

▽以下引用

6. The miracle minimizes the need for time.
In the longitudinal or horizontal plane the recognition of the equality of the members of the Sonship appears to involve almost endless time.
However, the miracle entails a sudden shift from horizontal to vertical perception.
This introduces an interval from which the giver and receiver both emerge farther along in time than they would otherwise have been.
The miracle thus has the unique property of abolishing time to the extent that it renders the interval of time it spans unnecessary.
There is no relationship between the time a miracle takes and the time it covers.
The miracle substitutes for learning that might have taken thousands of years.
It does so by the underlying recognition of perfect equality of giver and receiver on which the miracle rests.
The miracle shortens time by collapsing it, thus eliminating certain intervals within it.
It does this, however, within the larger temporal sequence.

△以上引用
(P8)

【A・Course・in・Miracles】
second edition
TEXT:Chapter1;ll,6

【A・Course・in・Miracles】
テキスト1章lll
http://sns.gree.net/#urn=urn%3Agree%3Ablog%3Aentry%3A651039811_52622697&view=stream_permalink

▽以下引用

5. The ego's opposite in every way,―in origin, effect and consequence―we call a miracle.
And here we find all that is not the ego in this world.
Here is the ego's opposite and here alone we look on what the ego was, for here we see all that it seemed to do, and cause and its effects must still be one.

7. What is miracle?
A dream as well.
But look at all the aspects of this dream and you will never question any more.
Look at the kindly world you see extend before you as you walk in gentleness.
Look at the helpers all along the way you travel, happy in the certainty of Heaven and the surety of peace.
And look an instant, too, on what you left behind at last and finally passed by.

△以上引用
(P81~82)

【A・Course・in・Miracles】
second edition
MANUAL FOR TEACHERS
Clarification of Terms
2. THE EGO-THE MIRACLE
5,7

▽以下引用

11.(1)The miracle abolishes the need for lower-order concerns.
Since it is an out-of-pattern time interval, the ordinary considerations of time and space do not apply.
When you perform a miracle, I will arrange both time and space to adjust to it.

△以上引用
(P27)

【A・Course・in・Miracles】
second edition
TEXT:Chapter2;V,
A. Special Principals of Miracle Workers
11(1)

【A・Course・in・Miracles】の「miracle workers」というのはエゴが特別性を死守する為に作り出した言葉なので、重視すべきではない。
「自分はmiracle workerだ」と考えたい者は特別性の誘引の中にあるといずれ気づかなくてはならない。
ただ「miracle」についての概念的な意味合いを知るようにさせる為にだけ提示するだけだ。ヒントにはなる。

マリアン・ウィリアムソンなど、【A・Course・in・miracles】の何の内容にも触れていないくせに、「miracle worker」という言葉だけ使っていたことから、相当な特別性が誘引されているだけの無意味な言葉だと判る。まったく棄て去るべきだ。



【②【人間レベル:成功法則】―願いを叶える力の源、無限の力(広大無辺の力:神)が、願いを叶える為に必要な全てを動かし、用意し、調えて叶える。無限の力は法則に従い全てを動かす。この著しいプラスの結果が「奇跡」と呼ばれる】

【人間レベル】で、奇跡とは一部「神の奇跡」と崇めるくらいに、絶対に絶望的な状況下でうまくいったり、助かったりする魔法のような状況を言う。
稀であり普通はあり得ないので、神にしか起こせないと信じられる。

だが、【人間レベル】ですらも「奇跡」は世界の法則として説明ができる。「奇跡」となるともはや心理学レベルでは説明はできない。「奇跡」は成功法則レベルからスピリチュアルレベルでしか説明できない。世界を動かす法則レベルを扱わなくてはならないからだ。

成功法則では、潜在意識に願望をインプットして願いを引き渡した後、望みとは真逆の結果になることが多々ある。しかし、その後必ず、それまでより最善最良の結果を受け取ることになる。その結果は、最初に真逆の結果があってよかったと言える位の、思いもよらない結果だ。

ジョセフ・マーフィーの本は成功法則実践と結果の例を示しながら、やり方が説明されている本が殆どだ。マーフィーはもう亡くなってるが、世界的に有名でしかもキリスト教の牧師だったこともあり、相談が後を絶たなかった為だ。

ジョセフ・マーフィーの相談によるたくさんの成功法則実践結果例でも、一時的に真逆の結果を受け取り、後から最良の結果を受け取る人が圧倒的に多かった。

多いのが、仕事に関する成功願望で、実践したら、突然解雇されたという一見最悪な結果を受け取り、その後、最高の出会いがあり、以前より収入が相当増える仕事を見出すという最善の結果を得るパターン等だ。しかも解雇された元の会社は後に倒産したというパターンもある。縁という意味では、これまでの深い関係者との関係突然切れたが、後で犯罪者や結婚詐欺師等だと判明し、その後で出会ったのが最良の出会いだったというパターンだ。

それで切れる縁には、祈る。責めてはいけない。それでは潜在意識にマイナスの信念が埋め込まれマイナスの結果を受け取ることになるからだ。

成功法則は離れるべき対象に物理的レベルで何かをしても「変わらない」と知っている段階だから、唯一できることは相手の幸福やプラスを祈ることだけであり、それが一番効果を成すとも知っているから、大概離れるのがベストなのだ。

これまでの悪縁が切られ、最良の縁がやってくるというパターンが多い。一見不幸に見えるが、それは実は自分にとって最良の結果だったということだ。好転反応というわけだ。

だから、どんな不幸に見まわれたと思う結果に陥っても、その出来事に流されない、どんな状況でも諦めない、思考のプラス状態が必要なのだ。そうでなければマイナスの結果に翻弄され、マイナスの感情と思考に苛まれ、故に結果はどんどんマイナスに転じていってしまう。
故に、どんな状況でもプラス思考を保つには訓練が必要。

不幸に見えても結果プラスであることも多々ある。

そして、だからこそ、成功法則ではいつ、どんな方法で叶えられるのかをくよくよ考えてはならない。願いを叶える力の源、世界を動かす力、無限の力(広大無辺の力:神)にそれらの全てを任せ、潜在意識に願望インプットし、マイナスの思考が生じないように、無意識レベルすらマイナスの思考を捕まえては意識レベルに持ってきて、プラス思考に置き換える作業をしなくてはならない。潜在意識は機械的であり、信念レベルの思考や願望が世界に表され、叶えられる。無意識レベルの思考や信念に無頓着では願望達成はできない。かなりの潜在意識レベルの探索が必要。自分に嘘をつくような者にこの作業は不可能。

だからこそ、無限の力(広大無辺の力:神)への信頼と全託には心の訓練が必要。

この成功法則の願望達成の実践と結果により、この世界を動かす法則がよく見えてくる。成功法則の結果は多々奇跡的だ。成功法則レベルでは、奇跡は、潜在意識に信念レベルまでに願望をインプットした結果ということになる。何も知らない人間レベルではこれを奇跡と呼んでいるわけだ。

成功法則下、願望達成には、周囲の人間や状況や出来事すべてがその為に動かされる。ジョセフ・マーフィーの数多くの例を読むと、まるで願望を叶える駒として動かされているのが判る。

潜在意識で世界の全てが繋がっているので、無限の力(広大無辺の力:神)は全てを動かせる。

願いを叶える力の源、無限の力(広大無辺の力:神)が、願いを叶える為に必要な全てを動かし、用意し、調えて叶える。無限の力(広大無辺の力:神)は法則に従い全てを動かすわけだ。
そして、このプラスの結果が「奇跡」だ。そのなかで際立っている結果を人間レベルが「奇跡」と呼んでいる。

「奇跡」にも原因があり結果があるわけだ。

それで、成功法則ではマイナスではなくプラスの結果を得るために法則を用いる。言うなら、奇跡のメカニズムを活用しようという法則だ。

スピリチュアルレベルも大体同じだが、潜在意識で全てが繋がっているからこその、より感情や思考の伝染について扱い、潜在意識のメカニズムを悪用した呪い等も扱う。成功法則にもあったが、プラス思考と祈りの習慣で影響は受けなくなり、呪いの主に返るだけになる。これは呪いだけでなく常にだが、他者の幸福やプラスを祈ることが対処に効果的だ。呪いのようなマイナスの波動を持つ者より強いプラスの波動を出せるようプラス思考で満ちていればよい。そしてその効果はまさに奇跡だろう。

因みに、呪いというものは、自分を呪っている誰かがいて、恐怖などと共にその影響が自分に来ると信じ受け入れなければ、影響は来ず、呪った本人がそのマイナス思考の結果を受け取るだけだ。

共感、煽動、感化等、人間は多々、プラスであれマイナスであれ強い信念を持つ他者の感情思考に影響を受ける。それは信念レベルの思考により無限の力(広大無辺の力:神)が発動し周囲を動かす為だ。
潜在意識で全てが繋がっているから無限の力(広大無辺の力:神)は全てを動かせるからだ。この力が世界の全てを動かして「奇跡」的な結果を作り出すというわけだ。

この【人間レベル】の「奇跡」のメカニズムについてはもう少し解りやすい例があったが、入りきらなくなるので、様子を見て足りないようなら別の概念で書こう。

そして、【A・Course・in・Miracles】レベルになり、【人間レベル】のこれらの成功法則やスピリチュアルレベルで知る、潜在意識で繋がっているから全てを駒のように動かしている無限の力(広大無辺の力:神)も、エゴが作ったに過ぎないと知り、受け入れる。

この考えの転換により、全てはエゴが作っているので、世界の全てはエゴの意図の下、駒のように動かされているだけだったという考えに移行できる。最初は裏切られた気分になるが、真実と欺瞞―どちらが重要かという問題であるだけだ。

エゴが全てを動かしている、というより作っているので、奇跡も勿論エゴが作った。無論、欺きの目的でだ。

この考え方により、【A・Course・in・Miracles】の聖霊の作用も判るようになるが、矛盾が多すぎて説明できなくなる。因みに聖霊の作用による結果を奇跡と言う。
矛盾に気付き始めると、やはりショックを受けるが、最初から再検討していくうちに、聖霊の概念に似たような作用があるのに気付いていく。

エゴが作ったそれら全てを再利用して、エゴの欺き全てを終わらせる為に作用する何かがあるのは確かで、それを本物:佐藤篤代は【終わらせる為に作用する何か】と呼んでいる。

そして、【終わらせる為に作用する何か】の作用もそれまでに知った世界の法則を熟知していれば、知るための基本となり、解りやすくなる。

西暦2015年8月25日:火曜日
http://www.yomiuri.co.jp/world/20150825-OYT1T50141.html?from=ycont_top_txt
韓国朴氏、合意の確実な履行要求…北朝鮮は準戦時を解除

北朝鮮が数日前に48時間の制限を宣言しながら戦闘を韓国にしかけると脅していた。それで2国間は数日話し合いをしていたが、遂に戦争にはならなかったわけだ。戦争になっていたら、北朝鮮は日本も攻撃していた可能性が高い。

だが、北朝鮮は数年前から弾道ミサイルの実験と称して日本に向けて何度も撃ち、その目的は実際は日本への攻撃だったのだろうが、失敗してきた。
そこに来て、この北朝鮮と韓国の一触即発だ。北朝鮮が暴走できるならここでやっていた筈だ。それが解除されたということは、北朝鮮は暴走できないか、暴走しても日本に直接危害は加えられない。尖閣諸島問題の中国も経済がガタガタ状態でそれどころではないだろう。この流れを見るとイスラム国も無理。
この領域の日本はやはり戦争に巻き込まれない。

恐らく何度もこの領域に至るまで、エゴは日本を壊滅させるあらゆる未来を作った。だが、無事な日本の未来が現れ、作り直しを余儀なくされ、幾多ものやり直しを経てこの領域を作ったのだろうと窺える。今後も同じようにやり直しの繰り返しだろう。

世界の法則が解る成功法則、スピリチュアルレベルになれば判るが、世界の法則からして安倍晋三首相が強硬的に主張する物理的な防衛は当然無意味だ。物質主義者レベルは原因レベルをまるで判っていないから物理的な防衛を重視する。それでは何も解決できない。

滅ぼしても滅ぼしても、無事な日本、無事な邪魔者(本物:佐藤篤代)が現れ、エゴは取り繕いで最終的には無事な世界を作り直しをしなくてはならなくなる。その果てに最終ルートが作られていく。

これが【終わらせる為に作用する何か】の作用が成す一部だ。
エゴの欺きを終わらせる為に、終わらせる真実や事実を提示できる領域をエゴに作らせるようにこのように作用する。
これが、エゴが作った未来を過去の時点に漏らすことで、漏れた未来を最終的に作らせていく、「エゴが作った全ての再利用」であり、エゴが作った全てを利用して、エゴの欺きの目的を全て終わらせる。

【A・Course・in・Miracles】は聖霊としてこの作用を歪めて、その作用による結果を「奇跡」と呼んだのだ。



【③奇跡が生じるメカニズムと同じように、渡り鳥が季節ごとに本能的に移動して飛ぶように、人間を動かしているのは例外なく全てエゴだ。世界の全てを動かし、成功法則、自然の法則、あらゆる世界の法則を動かしているのはエゴだ】

西暦2015年8月24日:月曜日
http://www.news24.jp/sp/articles/2015/08/24/07307722.html
大阪・寝屋川市の中学1年の男女が遺体で見つかった事件で、24日午前、星野凌斗君(12)の葬儀が営まれ、親族らが最後の別れを告げた。また24日、2人が通っていた中学校では2学期の始業式が行われ、警察や教職員などが見守る中、生徒たちが登校した。

西暦2015年8月24日:月曜日
http://www3.nhk.or.jp/lnews/utsunomiya/1094290111.html
宇都宮市の小学校の元教頭が危険ドラッグを使用した疑いで書類送検されたことを受けて、栃木県教育委員会は臨時の校長会を開き、教職員を対象にした研修など再発防止に向けた取り組みを行うよう指示しました。
先月、宇都宮市の小学校に勤務していた54歳の元教頭が、法律で規制された指定薬物を含む危険ドラッグを使用した疑いで書類送検され、今月、懲戒免職になりました。
これをうけて県教育委員会は24日、臨時の校長会を開き、小中学校や高校の校長などおよそ640人が出席しました。
この中で、県教育委員会の金井正次長は「教職員の不祥事が相次いで発生していて信頼を揺るがす異常な事態で指導監督を徹底して欲しい」と呼びかけました。
このあと、担当者が再発防止には、教職員が悩みを抱えていないか日頃から把握するとともに、他校の不祥事が自分にも起こり得ると注意することが重要だと説明しました。
そのうえで、すべての学校で来月1日から10日までを服務規律の強化期間とし、教職員向けの研修を行うよう指示しました。
参加した校長の1人は「一人ひとりが考えるようグループ討議を行い、対応を徹底したい」と話していました。
県教育委員会の軽部幸治教職員課長は「教職員としての自覚を高めて、不祥事の再発防止と、信頼回復に努めたい」と話していました。
以上

教師の服務規律がずさん過ぎるのは、北隣【近藤(仮)】(40代後半~50代前半位小学校女教師)の仕事ぶりでよく判る。
夏休みだからと1ヶ月はろくに出勤せず、例え出勤したとしてもどう考えても1、2時間位しか行ってない休みの多さ。数年前まではそんなにあからさまなストーカーのようなタイミング合わせをされてなかったから気にもしなかったが、これはサボりと断言できるレベルだ。しかも毎年。
これが教師全体で行われているなら、やはり「教職員の不祥事が相次いで発生していて信頼を揺るがす異常な事態で指導監督を徹底して欲しい」と言われているように、組織的に服務規律のずさんさが容認されているからだ。

だから、大阪などでは報道されているように、小中学校は西暦2015年8月24日:月曜日から始業式なのに、栃木県は8月31日:月曜日からというあり得ない長期休暇の長さなのだ。因みに群馬県は25日:火曜日からだとニュースでやっていた。
教師全体、組織的に問題がありすぎるから、現在西暦2015年だというのに、ゆとり教育時代と同じ位に多すぎる長期休暇になっている。二学期制というのは秋休みをごり押しし、全体の休みの多さを分かりにくくさせる為なのだろうとも思う。
教師はそんなにまで仕事をサボりたいのか、と言われても仕方がない。
だから、大学で教員養成系学部が次々に廃止されていく。
普通に考えたら、この教師の不祥事のあり得ない多さは、採用時に問題があり、無論大学の教職課程にも問題がありすぎるからだと判る。普通なら抜本的改革は急務だ。大学レベルで既に問題がありすぎるのだ。

西暦2015年8月25日:火曜日
http://www3.nhk.or.jp/lnews/utsunomiya/1093542971.html?t=1440535045517
小学6年生と中学3年生を対象に行われた全国学力テストの結果が公表され、栃木県は中学校の理科を除く全ての教科で正答率が全国平均を下回る。小学校は全分野で下回る。
以上

そのゆとり教育並の休みの多さと教師の不祥事続きと教育の崩壊状態の結果は歪みとして、物理的法則下では然るべき当然の結果となって出た。

やはり、物理的法則や世界の法則に従わずに魔法みたいな結果をゆるい過程から出そうとする領域は、この領域ではキッチリ原因と結果の法則に沿った結果を突きつけられざるを得ないわけだ。
原因と結果の法則、物理的法則を無視した結果は正当化できなくされていく。
こうやればこうなるという当然の結果。
年金情報漏れ問題や西暦2020年の東京オリンピックに纏わる諸問題と同じように。

そして、【人間レベル】では上記のように言えるが、実際の問題は北隣【近藤(仮)】(40代後半~50代前半位夫妻)のストーカーのようなタイミング合わせの理由にある。朝から晩までタイミングを執拗に狙われるので、夏は避けるために尽力しまくらざるを得なかった。実際にあれほど狙われれば判る。「絶対に狙えないように動いてやる」となる。決意みたいな感じになる。そこに含まれるエゴの目的を徹底的に崩してやるとなる。

西暦2015年8月25日:火曜日には小学校の教師は介護バリアフリーの研修があるとニュースで言ってたのに、 北隣【近藤(仮)】(40代後半~50代前半位女教師)はまたサボり。 前日も翌日も先週もずっとサボり。

北隣【近藤(仮)】(40代後半~50代前半位夫妻)にどれほど起床就寝や風呂とトイレと洗面所のタイミングを狙われたことか。目的を果たしづらくさせる為の新たな対策を立てなくてはならない位に。
なぜそこまでやるという位に。
あからさまに風呂に入るタイミングで帰宅をされてしかもすぐに風呂に入るという壮絶タイミング合わせをされたことも多々ある。多すぎて、だから変態としか言いようがない。普通の仕事をしている人間には出来ない時間帯に。だから普通の仕事をしている人間にはできない時間帯にしているのに。

目的はタイミング合わせだ。なぜそんなにまでタイミング合わせをするのか、それは【異世界】にこの領域がヴィジョンレベルで漏れて、漏れた領域では【異世界】を隠すために「同じ領域」としなくてはならなくなる。だから北隣【近藤(仮)】(40代後半~50代前半位夫妻)だけでなく、全体の関連づけがストーカーレベルになる。

漏れたヴィジョンを同じ領域の人物のヴィジョンと証明する為に、世界の作り手であるエゴは、漏れた先の領域の主人公になんとか関連づけて、「同じ領域」として作らなくてはならなくなる。これがエゴの世界レベルでの取り繕いだ。
主人公で関連づけられないなら、主人公の家族や知人を使って関連づける。

相当関連づけが難しいから、ストーカーレベルの関連づけになるのだろう。特に北隣【近藤(仮)】(40代後半~50代前半位夫妻)が。だから夏休みが異常化する。一時期ドタドタドタと北隣の間近までタイミング合わせをする為に躍起になりすぎる位にタイミング合わせをされていた西暦2010年には意味がわからなすぎて怖すぎた位だ。当時、風呂を掃除していると間近にある北隣の風呂場にドタドタドタドタ、ガチャっとやって来られていたワケだ。怖すぎるよ、普通。そのレベルを日常的にやられてみろよ。普通避けたくて仕方ないよ。意味がわからなすぎて。

北隣【近藤(仮)】(40代後半~50代前半位夫妻)宅は普通なら台所外の北裏口とかに置くだろうゴミ箱を南の隣接したリビング外に置いている。この位置は家族中一致して異常な位置だと言っているが、その目的も関連づけの為だ。

うちの家族と北隣【近藤(仮)】(40代後半~50代前半位夫妻)が動くタイミングが毎日一致し過ぎているのも、もはや世界がまともとは信じられない理由だ。基本行為に時間的なズレがあろうと一致し過ぎる。世界はインチキとしかもはや信じられない。

普通は、エゴが特別性を死守する為に作った【異世界】レベルの主人公は、漏れたヴィジョンの主をプラスの意味で利用できなくなると、スケープゴート用として利用する。

だから普通はスケープゴート糾弾を正当化させる為に関連づける。だから、家族がやってもいないことをやったと言い、言ってないことを言ったと言い、悪者扱いをする。

大々的にスケープゴート糾弾できる領域ならば、北隣【近藤(仮)】(40代後半~50代前半位夫妻)があからさまに異常さを無視してドタドタドタドタと追いかけるレベルのストーカー的行為を正当化できるということだ。奴隷制が正当化されるような独裁君主制の暴君が持て囃されるような世界では、正当化されるだろう。だから仕事をサボり、サボりを正当化する為に国の制度をゆるくゆるくさせている。全ては関連づけの為だ。そして全てが普通レベルの関連づけなら気づきもせず気にも留めない関連づけを崩すために動かざるを得なくさせられているのは、この【原始的攻撃レベル】の領域の問答無用の関連づけのせいだ。

しかし、攻撃が一切正当化できないレベルの領域では、自分ではスケープゴート糾弾できない。だから、スケープゴートが糾弾されているシーンを主人公レベルや関係者が見聞きする方向性を取る。
それで「自分は攻撃してない、他人がスケープゴートを攻撃してるだけ」とさせる。それで自分は安泰というわけだ。
だが、その見聞きした間接的なスケープゴート糾弾は、エゴが作った主人公レベルの為に世界に作られたのだ。

だから、関連づけによるスケープゴート糾弾を一切正当化できないようにさせる。

スケープゴートが糾弾されたシーンを見聞きした者、間接的に知った者は、スケープゴート糾弾を正当化させ、エゴが作った主人公の特別性を保護する為に動いている。エゴに動かされているからこそ、世界に攻撃を見、世界にスケープゴート糾弾を見る。
自分の家の近くや知り合いの家の近くに堕落者や悪人や悪く言われる者がいると認識したなら、というより、世界にそういう人間がいると認識したなら、それは、紛れもなく、エゴが作った主人公の特別性を保護する為に落とされたスケープゴートが必要な為にスケープゴートが糾弾されなくてはならないという、エゴの目的の中にある。例外はない。世界の作り手エゴの欺きの目的の中だ。

そして、人間、個々の存在は皆、エゴが欺きの目的で作った。例外は一切ない。

自分はエゴの目的で動いていないと言う者は、「自分は存在していない」と言っているのと同じだ。

奇跡が生じるメカニズムと同じように、渡り鳥が季節ごとに本能的に移動して飛ぶように、人間を動かしているのは例外なく全てエゴだ。世界の全てを動かし、成功法則、自然の法則、あらゆる世界の法則を動かしているのはエゴだ。エゴだけが作ったのだ。

これが【A・Course・in・Miracles】で言う『知覚ある世界の全てはエゴが作った幻想』という意味だ。

結局、スケープゴート糾弾だけでなく、佐藤篤代に関連づけてくる全ては、エゴが作った主人公の特別性を保護する為に、エゴの目的の下、動かされているだけなのだ。喧騒的な物音の関連づけも酷い。家族に関連づけるのも同様。

スケープゴート糾弾とは、責めたりすることだけでなく、馬鹿にしたり無視したり等、あらゆる自分より下の下位として見る全てを指す。相手を「現実の人間」として見るなら、相手のプラスを願わない祝福しない行為は糾弾だ。人間以下と見るなら糾弾でしかない。


『佐藤篤代と同じ「場」にいる』と、いくら自然や日常的を装っても、関連づける全てが、【異世界】を隠すための関連づけの取り繕いだ。

そう言いきれる位に問答無用の、物理的法則や確率の法則を無視し過ぎた超常現象としか言いようがない関連づけをやられ過ぎてきている。
ごり押しにも程がある。


そして、ずっと書き貯めしてて入らなくて部分的になっていた、概念記事に入れたかった文章を先に日記の方に入れて、提示しよう。

因みに、本物:佐藤篤代がやっていることを迂闊に真似をすると、単なる他者否定と他者非難になる。

本物:佐藤篤代はもう通り過ぎてきて、根本を解決できないと判断して棄ててきた段階的な概念を提示している。段階ごとにより概念内容は異なる。

【A・Course・in・Miracles】からは、この世界の全ての教えを完全に棄てる方向性へ向かうので、価値として全否定しなくてはならない。真実か、この世界の根本を解決できない全ての教えかの2択となる。
真実かこの知覚ある世界かの2択だ。

故に本物:佐藤篤代がやっているのは、この知覚ある世界全て、ひっくるめた全部を否定することだ。知覚ある世界の中の全てをエゴが作った幻想でありインチキだと全否定しているのだ。

その事実が明らかになるように、知覚ある世界の中の全てを用いて再利用し、提示しているだけだ。

しかも、他者に向けて一切提示していない。過去のルート(コース)が思考システムが段階的に真実まで進んでいけるように段階ごとを提示しているだけだ。

この提示を再利用し、エゴが作った全てを終わらせる為に知るべき全てを知るようになるための段階的な思考システムを最大効果で他の領域に漏らし作用して、エゴが世界に作らざるを得なくさせているのは【終わらせる為に作用する何か】だ。

本物:佐藤篤代は知るべき全てを知った過去のルート(コース)を受け取るために知った全てを与えているだけだ。
そこに【他はない】。

他者を現実だとはもはや信じていない。エゴが作った幻想でありインチキだと、知覚ある世界の全て、例外なく見て否定しているだけだ。

他者を現実にさせながら否定するのと実質的な意味が全く異なるということがわからないと、【人間レベル】でやれば単なる他者否定と他者非難にしかならないと知るべきだ。

いいとこ取りをする【異世界レベル】の主人公(偽者)がよく陥るようだ。
だが、知るべき全てを知るには、知る段階があり、その段階ごとにすべきことが全く異なると知るべきだ。

いいとこ取りをするから言動に首尾一貫が不可能となる。言動に矛盾が生じ、その為に本性を自ら自白する型にさせられる。善人の仮面を被った損得勘定が甚だしい金の亡者の親戚は、このいいとこ取りの【異世界レベル】の主人公(偽者)のこの首尾一貫できない傾向を表している。仮面を付けるタイプ自体が【異世界レベル】の主人公(偽者)のいいとこ取りを象徴しているのだ。

いいとこ取りをしているから、他人の家の玄関へ突然押しかけて長々と機関銃のように他人の噂や悪口を捲し立てる。それで盗んだとすぐに判る人生観なども盛り込み、自分は善人だと証明しようと心配するフリをしながら、実際スケープゴート糾弾に勤しむ。善人のフリした悪口合戦だ。噂などしたり噂に関わる者は全てエゴの目的から間接的にしろ直接的にしろスケープゴート糾弾の目的下動いているのだ。

いちゃもん付けコメント(いいね等を利用したものも含)を目撃した者とその周辺一帯に関連づけている者全て、スケープゴート糾弾をしエゴが作った主人公(偽者)レベルの個体を高くして特別性を死守するというエゴの目的を達成するためにエゴに動かされているだけだ。

それだけではなく、自分の関わりも当然ながら、近所、周囲、知人やその他からの情報など悪い噂や評判がなされている人物がいるなら、それを耳にしたり認識しているなら、それはスケープゴート糾弾というエゴの目的の中で動かされている証拠だ。

スケープゴートは、糾弾されることで、特定の個体を持ち上げ高みを保ち続ける為にエゴが作ったからだ。一方を下げれば常に一方が高くされているのだ。
特別性の誘引を保つために。

そしてエゴの目的で動かされない個体は一切ない。エゴが作ったからだ。

首尾一貫できなければ、何も意味はない。
そして真実は首尾一貫している。
エゴが作った全ては首尾一貫しているふりをするが首尾一貫は不可能。

奇跡というと物質主義者レベルは説明できないから扱いが不可能。
成功法則からスピリチュアルレベルにしかメカニズムの説明は扱えないので、物質主義者レベルの反発が生じ、スケープゴート糾弾が更に高まっている。
だがそれもまた、結局「物質主義者の段階的未熟さ」が露呈し、自分の首を絞めるだけになっていく。
物質主義者レベルであればある程攻撃的。

佐藤篤代

概念:佐藤篤代/西暦2015年後半(14)
【A Course in Miracles】miracle
西暦2015年8月26日:水曜日




西暦2015年段階の概念:佐藤篤代
前半
(1)エゴの隠す特質
(2)エゴが隠し取り繕う過程
(3)2つの正反対の思考システム
(4)知覚ある世界はエゴが作った幻想
(5)スケープゴートの世界構造
(6)原因と結果の法則
(7)繰り返しのサイクルの終わり
(8)知覚ある世界の全てを棄てる
(9)幻想を幻想として見る『赦し』
(10)やり直しのスパイラル
(11)『全ての幻想を同じ』と見る視点
(12)エゴが作った幻想の再利用
(13)身体の脆さと死におけるエゴの目的
(14)身体は幻想・死はない
(15)【死の超越】の実態
(16)『罪の起源』の実態
(17)罪は幻想・罪はない
(18)罪の投影の世界構造
(19)スケープゴートへの罪の投影
(20)罪をでっち上げる世界
(21)エゴが罪悪感を作った理由
(22)罪悪感の投影の実態
(23)自分自身に対する戦いの実態
(24)【異世界レベル】の穴概念
(25)エゴが作った全ての再利用
(26)真の公平な視点
(27)「夢の主人公」の実態
(28)「攻撃の完全放棄」の実質
(29)与えることと受け取ることは同等
(30)【A Course in Miracles】の実態
(31)【A Course in Miracles】世界はない
(32)【A Course in Miracles】幻想の意味
(33)【A Course in Miracles】幻想の消滅
(34)【A Course in Miracles】エゴの思考システム
(35)【A Course in Miracles】エゴの台本
(36)【A Course in Miracles】エゴと聖霊
(37)【A Course in Miracles】聖霊
(38)【A Course in Miracles】死はない
(39)【A Course in Miracles】身体は幻想
(40)【A Course in Miracles】真実に対する防衛
(41)【A Course in Miracles】無防備は力
(42)【A Course in Miracles】聖霊への全託
(43)【A Course in Miracles】聖霊の計画
(44)【A Course in Miracles】概念:赦し
(45)【A Course in Miracles】実践:赦し

西暦2015年後半
(1)【A Course in Miracles】赦しの実際
(2)【A Course in Miracles】神概念
(3)【A Course in Miracles】真の世界
(4)【A Course in Miracles】原因と結果
(5)【A Course in Miracles】与える&受け取る
(6)【A Course in Miracles】与える全てを受け取る
(7)【A Course in Miracles】平和を知らせる意味
(8)【A Course in Miracles】6章:聖霊のレッスン
(9)【A Course in Miracles】peace
(10)【A Course in Miracles】第1:平和に対する障害
(11)【A Course in Miracles】第2:平和に対する障害
(12)【A Course in Miracles】第3:平和に対する障害
(13)【A Course in Miracles】第4:平和に対する障害



この本物:佐藤篤代のブログは
【A・Course・in・Miracles】の核心「知覚ある世界はエゴが作った幻想」を矛盾なく徹底的に追究し、
【他が幻想であり、他がない】
と証明する、
『世界の起源を扱う』、
『人間レベルではない』、
【自分発信、自分受信】
の自分が知るために自分が自分に知らせる為のブログだ。

敵はいない。
味方もいない。
全部同じだからだ。
全てが同じエゴが作った幻想でしかないからだ。

本物:佐藤篤代は『エゴが作った幻想』という見方でしか何も見ないから、敵も味方もいない。

この『全てはエゴが作った幻想』という視点でしか『全部同じ』としては見ることはできない。

この本物:佐藤篤代のブログは、
『the Foundation for Inner Peace』の
【A・Course・in・Miracles】
原書second editionの概念をベースにしている。

本物:佐藤篤代がブログで言う核
【A・Course・in・Miracles】の核心
・知覚ある世界はエゴが作った幻想
・他は無い・他は幻想
・エゴが世界に留める為の最大の欺きの手段は特別性だ。
故にエゴの欺きから脱するには特別性を棄てなくてはならない。
・知覚もエゴが作った。
エゴの作った世界の終わりとは知覚の終わりだ。

本物:佐藤篤代はこの【A・Course・in・Miracles】の核心を基本に、【A・Course・in・Miracles】の歪みを削ぎ落としながら、『世界は幻想』という実体験に基づきながら真実へ向かっている。
この点を徹底的に矛盾なくしながら追究している。

矛盾がない概念を採用し、その方向性を目指す。こうして矛盾と歪みをそぎおとしていけば、いずれエゴの欺き(幻想)の完全な終わりへ向かえると本物:佐藤篤代は考えるからだ。

※本物:佐藤篤代が言う「1つの自己」とは【A・Course・in・Miracles】の意味とは違う


西暦2015年(年号:平成27年)
未(ひつじ)年現在

【佐藤篤代について】

本物は将来性のないニート
(西暦2015年)。
佐藤篤代は西暦2015年1月17日(土)で39才。
日本人(血縁すべて日本人)。
生まれてからずっと中肉中背。
普通の容姿。
西暦2009年から無職。それ以前は全部バイトかパート。
生涯未婚で子無し。

メール、コメント、いいね等その他全部のコミュニケーションは迷惑だからやめて下さい。
全て別人へのコメントにしかなっていません。
なされる全てが【異世界レベル】の【主人公(偽者)用コメント】でインチキだと判明していますので、「現実の他者」に対する対応は一切しません。
容赦なくツッコミします。そのコメント等の目的、大元を崩す為に容赦ないツッコミをします。

真実はあらゆる他者、他の存在とは分かち合えない。それが実感されている為に一切他者向けには書いていません。

このブログは、本物:佐藤篤代が見てきた過去の全てを受けとる為、そして『1つの自己※』へ向けて知らせる手段として、エゴが作った全ての主人公(偽者)と領域を終わらせる為に書いています。
これも【A・Course・in・Miracles】レベルを超えなければ理解できません。

このブログの中身は隠され、物質主義者レベルのスケープゴート糾弾用まで歪められています。故に中身が見える筈もないのです。だから別人へのコメント等になっているのです。

それ以前にブログのあちこちに置かれたこの【但し書き】が見えないのは【異世界レベル】である証拠となります。

見えていてなおコメント等をするならば、他者を尊重できない他人などどうでもいいと考える「自分、自分」の原始性が際立つ精神的未熟な【他者否定・自己肯定型】だと釘をさしておきます。

このブログにコメント等をする者全てがこのレッテルを掲げて行っているということになりますので、ご注意下さい。

いちゃもん付けコメント(いいね等を利用したものも含)を目撃した者とその周辺一帯に関連づけている者全て、スケープゴート糾弾をしエゴが作った主人公(偽者)レベルの個体を高くして特別性を死守するというエゴの目的を達成するためにエゴに動かされているだけだ。

西暦2015年8月改正
佐藤篤代





佐藤篤代

概念:佐藤篤代/西暦2015年後半(14)
【A Course in Miracles】miracle
西暦2015年8月26日:水曜日

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