概念:佐藤篤代/西暦2015年後半(32)
西暦2015年11月4日:水曜日

後半(32)【『A・Course・in・Miracles』
内側を見る恐怖】

①【A・Course・in・Miracles】テキスト21章『IV. The fear to look within』引用―エゴは内側を見るなと声高に叫ぶ。もし見たら罪を見てしまうし、神が鉄槌を下してあなたを盲目にするだろう、と。 罪ゆえに内側を見ることへの恐怖の下にはもう一つの恐怖があり、それがエゴを震撼させる。もしあなたが内側を見て、そこに罪がなかったらどうなるのか?この「恐ろしい」疑問こそ、エゴが決して問いかけないものである
②自分の心の奥底について知ろうとし、内側の奥底へ向かっていくのに恐怖を感じるのは、認めたくないものが内側にあると誰もが無意識に知っているからだ。その内側へ向かう多大な恐怖を超えられない限り、本当には自分の無意識下にあるものを探り出すことはできない


【①【A・Course・in・Miracles】テキスト21章『IV. The fear to look within』引用―エゴは内側を見るなと声高に叫ぶ。もし見たら罪を見てしまうし、神が鉄槌を下してあなたを盲目にするだろう、と。 罪ゆえに内側を見ることへの恐怖の下にはもう一つの恐怖があり、それがエゴを震撼させる。もしあなたが内側を見て、そこに罪がなかったらどうなるのか?この「恐ろしい」疑問こそ、エゴが決して問いかけないものである】

今回は前回に引き続き【A・Course・in・Miracles】についての「内側を見ること」に関する概念の内「内側を見る恐怖」について、
テキスト21章『IV. The fear to look within』を引用して、【A・Course・in・Miracles】原書を用いて提示する。

この周辺の概念で、外側と内側、答えや真実を探し求め見出すべきところはどこか、に関する内容を書いている。

『内側』に関する概念は、『内側に向かう恐怖』に関してこの概念記事の他にもう1つ位はできれば書きたい位だ。
まだ書き足りない。

この人物についてのリンク情報が相当歪められているのが多々見えるから情報はまだ出せないが(だから自伝も読んだのだな)、心理学の巨匠カール・グスタフ・ユング(Carl Gustav Jung)が多分言ったのだと思うが、『心理学は内省の心の旅』だとか言ってたような気がする。
因みにユングは主に自ら内省することで「無意識」の研究を行っていたんですけど?重点は「無意識」なんですが?執拗な陰湿な関連づけをするなと言いたいな。因みに、ユングの全てが役に立った等とは言っていない。「無意識」と自分で内側へ向かう方向性が役に立ったのだ。それと患者に対する姿勢とユング自伝も役に立ち精神心理学分野の「偽物」がはっきり区別できた。

確かに心理学からは心の内側へ向かう模索の旅だ。

だが、内側へ向かうには必ず恐怖が伴う。誰でもだ。そうでないと言うならばそれは【異世界】の何でもありだから、あるいは内側に向かうフリをしているからだけであり、恐怖を伴わないと主張するのは何も解っていない証拠だとゆくゆくは必ず判るだけだ。
当然だからだ。

エゴは、知覚ある世界全てという『外側』で、その『内側』に真実をひた隠しにしてきた、とこれまで書いてきた。

だからこそ、エゴはどうにかこうにか内側へ向かわせないように仕向けてきたのだ。

だからこそ、個体は外側に注意を向けるように、夢中になるように作られている。だから個体は外側を飾り立て、外側の何かで欲求を満たそうとするのだ。だから外側に魅力的な何かがあるように見える。これは外側に焦点を置かせ、内側へ向かわなくさせ続けさせる為に施したエゴのトリックだ。

外側で誤魔化しにくくなると個体は内側へ向かおうとする。そうでなければ生きにくい世界だと個体が気づいてからだ。この時点で外側ではもう満たされ憎くなる。だが、そう簡単にエゴは内側へ向かわせるわけにはいかない。

だからこそ、内側には汚い何か、目を背けたい何か―【A・Course・in・Miracles】では『罪』としている―があるとエゴは信じさせてきた。

その内容が判る『神の使者』の【A・Course・in・Miracles】引用部分を以下に示す。

(▽以下引用)
―エゴは内側を見るなと声高に叫ぶ。もし見たら罪を見てしまうし、神が鉄槌を下してあなたを盲目にするだろう、と。

Jが説明しているとおり、エゴがほんとうに心配しているのはそんなことじゃない。
(本物:佐藤篤代の注意:「J」とは「Jesus:イエス・キリスト」)

―罪ゆえに内側を見ることへの恐怖の下にはもう一つの恐怖があり、それがエゴを震撼させる。

もしあなたが内側を見て、そこに罪がなかったらどうなるのか?この「恐ろしい」疑問こそ、エゴが決して問いかけないものである。それを問いかけるあなたは、エゴの防衛システム全体を痛烈に脅かすから、エゴはもうあなたの友人のふりをしなくなる。
(△以上引用)

「神の使者」P225~226
ゲイリー・R・レナード
吉田利子訳
西暦2007年1月30日:日本語版初版発行
(原書名:The Disappearance of the Universe)

エゴはどんな手を使っても内側に向かわせたくはない。内側の奥底に何があるのかを知られるわけにはいかない。だから内側へ向かう際に恐怖伴うのは当然なのだ。人は恐れる対象に近づきたくはない。

だから内側の奥底へ向かうには恐怖に制されず、目をそらさずに、直視してそこに隠された何かを見出さなくてはならない。だからこそ相当な覚悟が必要。

内側へ向かい最終的に奥底にあるのは、知覚ある世界はエゴが作ったので全て、他者も、自分も、心すらもエゴの欺きの手段でしかなかった、インチキだったという事実だ。現実だと信じてきた全てがインチキだったという証拠だ。

知覚ある世界という『外側』でエゴが必死に『内側』の奥底に隠してきたのは、聖なるキラキラではなく、単に知覚する全てがインチキだったという証拠だ。

それを実感した後、エゴの欺きの目的を崩すためにだけ残りの時間を使う決意をする。

だから、当然エゴは内側をひた隠しにする。

内側へ向かう恐怖は、まず第一段階で心理学に入るときに超える。ここで超えないとまともな思考システムの心理学には出会えない。
その後心理学、成功法則、スピリチュアルとだんかに内側へ向かう。
【A・Course・in・Miracles】に入る前から入って暫くは内側へ向かう恐怖を伴い不安定になり、【A・Course・in・Miracles】レベルを超える【大混乱期】で最大級の死の恐怖を伴った内側へ向かう恐怖に直面させられ、恐怖もインチキだったと判る。

それから恐怖を感じたとしてもエゴの目的故でありインチキだと判るので、「またかよ」と単に取り合わず笑えるだけとなる。後はその中に必ず含まれたエゴの目的を見出そうとするのみ。


以下の概念記事にも深く関わるのでリンクを提示しておく。
西暦2015年段階の概念:佐藤篤代
http://simplog.jp/comment/19063121/23
後半(31)【A Course in Miracles】内側を見ること
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12090295213.html

西暦2015年段階では本物:佐藤篤代は【A・Course・in・Miracles】自体を歪みだと見ている。神概念も癒しも歪みだ。聖なるキラキラもエゴのアメだと疑ってかかる必要がある。
「student」、「teacher」は矛盾であり、歪みでしかない。
故に『神の使者』も同様だし、日本語訳で更に歪んでいる。
それを踏まえた上で引用するのは、知る過程では欠かせないからだ。

また、原書にある「brother」は「あらゆる他者、個々の存在」、「the Father」は「神」を指すが、これは特別性を温存するための理由で書かれている場合がほとんどだ。
歪みだが【A・Course・in・Miracles】の「the Kingdom」や「Heaven」は「the Kingdom=Heaven=神=神の創造物=神と1つの状態」だ。
「I」等の一人称はJesus(イエス・キリスト)。
「Friend」は「聖霊」。
少なくとも「learn」は「知る」、「teach」は「知らせる」と意味を取らなくては歪みにハマり込む期間がそれだけ長くなる。
故に「teacher」は「知らせる者」、
「learner」は「知るべき者」。
しかも「知らせる(段階の)者」、
「知るべき(段階の)者」。

「idol」とは「偶像」であり、「偶像」とは「あらゆる個々の存在」を指す。

▽以下引用

1. The Holy Spirit will never teach you are sinful.
Errors He will correct, but this makes no one fearful.
You are indeed afraid to look within and see the sin you think is there.
This you would not be fearful to admit.
Fear in association with sin the ego deems quite appropriate, and smiles approvingly.
It has no fear to let you feel ashamed.
It doubts not your belief and faith in sin.
Its temples do not shake because of this.
Your faith that sin is there but witnesses to your desire that it be there to see.
This merely seems to be the source of fear.

2. Remember that the ego is not alone.
Its rule is tempered, and its unknown "enemy," Whom it cannot even see, it fears.
Loudly the ego tells you not to look inward, for if you do your eyes will light on sin, and God will strike you blind.
This you believe, and so you do not look.
Yet this is not the ego's hidden fear, nor your who serve it.
Loudly indeed the ego claims it is; too loudly and too often.
For underneath this constant shout and frantic proclamation, the ego is not certain it is so.
Beneath your fear to look within because of sin is yet another fear, and one which makes the ego tremble.

3. What if you looked within and saw no sin?
This "fearful" question is one the ego never asks.
And you who ask it now are threatening the ego's whole defensive system too seriously for it to bother to pretend it is your friend.
Those who have joined their brothers have detached themselves from their belief that their identity lies in the ego.
A holy relationship is one in which you join with what is part of you in truth.
And your belief in sin has been already shaken, nor are you now entirely unwilling to look within and see it not.

4. Your liberation still is only partial; still limited and incomplete, yet born within you.
Not wholly mad, you have been willing to look on much of your insanity and recognize its madness.
Your faith is moving inward, past insanity and on to reason.
And what your reason tells you now the ego would not hear.
The Holy Spirit's purpose was accepted by the part of your mind the ego knows not of.
No more did you.
And yet this part, with which you now identity, is not afraid to look upon itself.
It knows no sin.
How, otherwise, could it have been willing to see the Holy Spirit's purpose as its own?

5. This part has seen your brother, and recognized him perfectly since time began.
And it desired nothing but to join with him and to be free again, as once it was.
It has been waiting for the birth of freedom; the acceptance of release to come to you.
And now you recognize that it was not the ego that joined the Holy Spirit's purpose, and so there must be something else.
Think not that this is madness.
For this your reason tells you, and it follows perfectly from what you have already learned.

6. There is no inconsistency in what the Holy Spirit's teaches.
This is the reasoning of sane.
You have perceived the ego's madness, and not been made afraid because you did not choose to share in it.
At times it still deceives you.
Yet in your saner moments, its ranting strikes no terror in your heart.
For you have realized that all the gifts it would withdraw from you, in rage at your "presumptuous" wish to look within, you do not want.
A few remaining trinkets still seems to shine and catch your eye.
Yet you would not "sell" Heaven to have them.

(P454~455)
△以上引用

【A・Course・in・Miracles】
second edition:
TEXT:Chapter21
『IV. The fear to look within』
1~6



【②自分の心の奥底について知ろうとし、内側の奥底へ向かっていくのに恐怖を感じるのは、認めたくないものが内側にあると誰もが無意識に知っているからだ。その内側へ向かう多大な恐怖を超えられない限り、本当には自分の無意識下にあるものを探り出すことはできない】

以下は、内側(裏側)へ向かうこと、実態や事実が露になることを阻止するためにどれほど世界が隠しているが判る例だ。

西暦2015年10月28日:水曜日
http://sp.mainichi.jp/select/news/20151029k0000m040143000c.html
マンション傾斜:地盤調査地点、2メートルずれ
横浜市都筑区のマンションが施工の不良で傾いている問題で、施工主の三井住友建設が設計の段階で実施した地盤調査が本来調査する場所から2メートルほどずれていたことが28日、分かった。
以上

ツッコミどころがなかなかなくて言及しづらかったが、三井住友建設を含めたグループをこれで追及できそうだ。

三井住友グループも、旭化成グループとやはり同類である証拠であり、被害者にはなれなかったということだ。人の命を左右する仕事であまりにもずさん過ぎてこれでは三井住友グループと旭化成グループ全体の人間性が疑われる。一部の人間の仕業とはもはやできない。企業自体に問題があり、大問題がある証拠だ。



西暦2015年10月30日:金曜日夕方から『香水臭い女』関連の領域が関連づけているらしく、何もしていないのに自分から香水臭さが漂い辟易している。
こういう関連付け多いから嫌なんだよ。
いいとこ取りをしてくる時に来る影響は、美容系の奴らが大多数であり、大迷惑。【偽者用いいね】でセレブ系も疎い場違いとして多々やってくる理由。
まだスケープゴート糾弾用の方がマシだと思える。
エゴが作った初期の領域であればある程、香りやその他が強烈。何にしろ適度を知らない、過度なのだ。中世フランス貴族や日本の平安時代貴族が香水や香をつけまくってたのを考えれば判る。
何もしてないのに、着てるものの洗剤もいつもと同じなのに、いきなり香水臭くさせられる。気持ち悪くて仕方ないし、香水男女を気持ち悪いと思うのは当然。この点でごり押し強度も判る。
だから香水は嫌悪しかないし敬遠する。香りが強いものも敬遠する。
【実父】がジジイのくせに香りが強い柔軟剤や入浴剤とかを自分用に買ってきて以前は家族用にやられて気持ち悪くて仕方なく、抗議して、西暦2015年10月現在では【実父】専用となったが、それでも使用日は家中が強い香りで臭くなる。香りにはうんざりさせられ、気持ち悪くて仕方ないのだ。全てを無臭にして欲しいくらいだ。
レノア系の領域、どうにか崩壊してくれと切に願う位に臭い。
香り、臭いはエゴが作った【異世界レベル】の主人公達の初期さと強固さの度合いを表しているのだろうとこれまでの経験から窺える。香り等臭い程初期、無臭を望む程後。
だからこの影響はどの領域の関連付けかのヒントにもなる。

最近、西暦2015年10月下旬、「外側を追い求めず内側を見なくてはならない」という基本的段階がボーダーラインとして越えなくてはならない領域があるのは間違いなく、それが大きな思考システムにおける移行になる。だからこうしていいとこ取りの影響が酷くなるワケだ。決定的な思考システム移行時点では芋づる式に段階的に各領域毎に大きな変化が起き、故に新たなやり直しが多発するからだ。最近、Ameba写真投稿時にまた妨害されてなかなかできなくされている理由。

このブログ記事が出現するのは、こういった影響がこちらに来ている原因となっている領域。
影響の元の主人公達の領域。
香り問題だけではない。このブログのあらゆる記事が出現し、漏れたということは、影響の主の領域ということだ。

だから影響が来て、こちらはツッコミ、そしてだからこそ【異世界レベル】で漏れる。
エゴが作った全ての領域の主人公の特別性の誘引を限界へ持っていくために。

漏れさせるのはエゴとは正反対の作用【終わらせる為に作用する何か】。【A・Course・in・Miracles】では「聖霊」として歪められた作用だ。

しかし…「香水」は【外側重視】の象徴。物質主義レベルは外側重視。ここでこの影響は象徴的だ。この影響は【外側重視】物質主義レベルの足掻きにしか見えん。

香水は実態を隠す象徴とも言える。



西暦2015年概念:佐藤篤代『後半(31)【A・Course・in・Miracles】内側を見ること』に対し、【異世界レベル】の領域の反発を見たのでツッコミする。こんなあからさまな反発作らなければここまで再掲載込みで掲載しなかったのに。

エゴは【近藤】という名の付く公的人物に「常識は凡人のもの」などと言わせ論説を書きやがった。仕事そっちのけで昼から宴会をしたくて仕方がないらしい。要するに、仕事サボりを正当化したくて仕方がないのだ。

天才スティーブ・ジョブスの例以前ブログで言ったことがあるから使ったんだろうが、その何も知らない【凡人近藤】が何も知らなすぎるから変な使い方をする。

「お前こそが凡人以下でしかもバカだ」と言われるからやめとけ、【凡人近藤】。
スティーブみたいな天才が言うのは、常識で物事を考える癖に囚われていると、劇的なひらめきが来ないし、ひらめきが来たとしても気づけないか押し込めてしまうという意味で言ってるんだよ。

常識に囚われていると視野を狭め、新たな可能性や違う視点を得られなくなる、要するに偏見は視野を狭くして盲目にさせるという意味でスティーブ達天才は言ってるワケ。

固定概念に縛られていたら全く新しい発想は生まれないって意味なんだよ。

そしてだからこそ天才はなかなか理解されない。時には全く理解されない。固定概念に縛られていたら絶対に気づけないこれまでになかった全く新しいことをしばしば掲げるからだ。

簡単な例を挙げると、ある1つの商品を常識では1つの用途で使う。だが、常識で物事を考えずに違う視点で見てみると全く違う用途があることに気づける。

要するに、天才達は固定概念に縛られなく、いつも見ているのと違う見方、視点を持つべきだという意味で言ってる。

いつもこのブログで言ってることだよ。
そして常識に囚われないというのは成功法則の基本。偏見に囚われ視野が狭いとチャンスに気づけないからな。

「やはり凡人には天才の言うことが理解できないんじゃないの、視野が狭くて、偏見に囚われすぎているから」とお前こそが言われるよ、【凡人以下近藤】。
それはお前が凡人を見下したからだ。
見下したら見下される。
そんなこともわからないから天才が言う固定概念の破壊を昼から宴会を押し通す言い訳に使う。
人によるが天才は凡人を見下しはしない。あまりに天才過ぎて理解されない場合は非難してしまうかもしれないが。自分の発見に夢中になって忙しすぎるからだ。

歴史的天才発明家を見てみればいい。普通、天才は寝食忘れて発明に没頭する。言いかえれば、自分の魅力的な発明に夢中になりすぎて、昼から宴会などという無駄な時間を過ごして貴重な時間を溝に捨てたくない。そんな無駄な時間を取るくらいなら発明に時間を使いたい。

仕事をサボりたい言い訳で天才の言葉を使うな【凡人以下近藤】。
そういう言い訳をする奴ほど、基本的な仕事をなおざりにする。
だから、【消えた年金問題】や旭化成マンション傾き問題など深刻な組織全体を揺るがす大問題を生じさせてしまう。全て、このように基本をなおざりにし、仕事をサボる言い訳ばかりする連中が根底を揺るがす大問題を引き起こすのだ。

成功法則本などで天才や成功者の例を読んだことがないんじゃないのか?成功者は基本を決してなおざりにしない。しなくてはならない基盤となる仕事を決して疎かにしていない。彼らは決して緩い仕事などやってない。情熱と信念を傾け、仕事に没頭するのが普通だ。仕事人間が圧倒的に多い。だが、情熱と信念が疲れさせないのだ。仕事をしていると辛いことの方が圧倒的に多くても、楽しくて仕方がない。ワクワクしながら喜びを持って仕事をするから疲れない。無論、適度な休息も必要だが、休息すらひらめいてすぐに仕事に取りかかってしまうような熱意の塊。彼らは固定概念に縛られないから何でもヒントになってしまう。しかも、自分がやると決めた仕事が好きでたまらないから仕事をしていた方が余程癒しにもなるわけだ。マイナスではなくプラスの感情で満ちているからどんなに仕事をしても仕事をしている内は疲れが気にならなず、プラス思考が活力と原動力を与え、それで平気で不眠不休をざらにやってしまう。それが成功法則の本に載っている天才や成功者たちだ。
そして巷で歪んだ浅い概念が広がっているポジティブシンキングという実際。
あるいは異世界の本だから載ってない?

何のために仕事してるのか?
何のために生きているのか?
いつも言ってる通りだ。

仕事をサボる言い訳をするような【凡人近藤】は仕事の不平不満しか言わず、嫌々仕事をしているから休みが必要だと愚痴る。仕事を足枷位にしか考えていない。だから天才の言うことを読み違える。成功法則的天才達は自分がやる仕事は楽しみであり情熱の対象であり好きで仕方ないライフワークなんだよ。
それともわざと歪めた?

【近藤】という名前は、自分の安全や高さを守る為ならば他者を犠牲にし落とす象徴だとこの『内側を見ること』の概念記事に書いたが、その通りだと証明されてしまったが?

他者を、しかも低位を落とそうとするからこうしてお前も落とされるのだ、【凡人以下近藤】。

凡人を見下して否定するから自分こそが凡人、あるいは凡人以下だったという証拠を突き付けられるのだ。

大体、【凡人近藤】がやったように、仕事をサボる為に常識を否定したら、世界は無秩序になり混沌に陥るだろうが。

常識的でなくては許されない仕事もある。公務員、政治家、医者、警察、司法、報道関係等だ。一番常識的でなくてはならない連中が常識を否定したら無秩序になると言っている。仕事は成り立たず、行政も秩序も崩壊する。

だから【近藤=confusion=エゴ】なのだ。自ら証明してどうなる。

世界が現実ならば、世界が常識から成り立っているのも本当だ。常識や固定概念に縛られていたら新しい発想や物事の見方ができなくなるが、常識を完全否定したら混沌としかならない。

お前は、天才がやってはいけないという固定概念と偏見に凝り固まり過ぎてるんだよ、【凡人以下近藤】。だから天才の言う真意が掴めない。

履き違えもいいところだ。

凡人を馬鹿にして見下すな【凡人近藤】。凡人の方がお前なんかより余程まっとうに汗水足らしながらやるべき仕事きちんとやってる。仕事の基本をきっちりと基盤をなおざりにせずきちんと仕事の全体を成り立たせる為にな。
お前は凡人を見下せるような立ち位置にもいない。仕事をサボることしか考えず、ずさんな仕事の取り繕いしか考えない。

【凡人近藤】のようにサボる言い訳で仕事に休みが必要という奴ほど凡人以下だと考えればいい。成功法則すら知らないのだから。休んでばかりいたら基本的な基盤となる仕事がずさん化し、構造的大問題となり、全体の仕事を揺るがすとも解らないのだから。

実質的な仕事の基盤がなおざりにされて成り立つ仕事などはない。それは天才も同じことだ。

子供以外これ知らないと【異世界】の証拠だが、いや今時子供でも知ってるか、
「楽で条件が良い仕事には裏がある」要するに「甘い話には(必ず裏があるから)気を付けろ」という一般常識。
投資の世界でもよく言われるね。
世界が現実ならば、世の中そんなに甘くないんだよ。

楽な仕事には必ず裏があるんだよ。ずさんだから、サボるから楽に仕事ができるだけ。いい条件で楽な仕事なんかないんだよ。そんな会社は裏がありすぎて危なすぎるということさ。水面下に必ず大問題を抱えている。
公務員の仕事がいい例じゃないか。次々に組織的構造的大問題が出てくる。【消えた年金問題】なんてあり得ない仕事のずさんさだ。

異世界ならば魔法のご都合主義的になんとかできるかもしれなくとも、この領域ではあり得ない。通用すると思うな。

【近藤】に象徴されるのはやはり「混同」と「エゴ」なのだという実感がただ単に更に増しただろうが。
【近藤】はいいとこ取りで概念を盗む盗み方が【混同】しているという事実も判明した。歪め方が激しい。

このように、ブログ中を通して、特定の個人でなく【近藤】とは象徴的意味合いでしか使っていない。


西暦2015年11月1日:日曜日
http://www3.nhk.or.jp/lnews/utsunomiya/1093164552.html?t=
栃木県、県職員を万引き容疑で逮捕
31日夜、宇都宮市のスーパーマーケットで、和菓子や菓子パンなどを万引きしたとして、県職員の女が窃盗の疑いで逮捕されました。
逮捕されたのは、栃木県の職員で宇都宮市鶴田町に住む福田沙矢加容疑者(33)です。
警察によりますと、福田容疑者は31日午後9時半ごろ、宇都宮市睦町のスーパーマーケットで、和菓子や菓子パンなど合わせて48点、4000円相当の商品を万引きしたとして窃盗の疑いが持たれています。
警察によりますと、福田容疑者が、持ってきた袋に商品を入れてそのまま店から出たのをスーパーマーケットの警備員が見つけたということです。
調べに対し、福田容疑者は容疑を認めているということで、警察で動機などを調べています
以上ニュース

西暦2015年11月2日:月曜日はまたこちらの外出日に北隣【近藤】(仮:40代後半~50代前半:西暦2015年/公務員夫妻)の内、役所系男の方がサボり。またしてもこちらの外出日に北隣【近藤】(仮:40代後半~50代前半:西暦2015年/公務員夫妻)がサボりで、しかもこの頻度が高すぎてストーカーは絶対に否定できない。あまりにも多すぎる。
しかも、また朝カーテンを開けた途端に慌てたように北隣【近藤】(仮:40代後半~50代前半:西暦2015年/公務員男) がメルセデス黒ワゴン車で外出した。その前に外出したからサボりは決定的。カーテンの真下が北隣【近藤】の玄関と駐車場だから、もうその異常過ぎるタイミングに悲鳴を上げた位だ。気持ち悪くて気持ち悪くて仕方がない。しかも一度や二度や三度の話ではない。多すぎて狙ってタイミングを合わせていなければ不可能だ。
こちらは北隣【近藤】活動時間を避けに避けているのだから。仕事サボらないとまず不可能。有給休暇なんか西暦2015年では前半にはとっくに使い果たしていなくてはおかしい位だからサボりは決定的。毎年そう。サボりを頑強に押し通してまでストーカーしているということになるこの必死さ。
北隣【近藤】のストーカー的な動きは絶対に決定的なのだ。

無論、現実の北隣【近藤】という個体がこの個体を人間的な理由でストーカーして執拗にサボりをごり押ししてまで付きまとっているだなどとは考えていない。
が、【人間レベル】にいた西暦2010年の一番酷いあからさまな時には、そう考えたし、命の危険を感じざるを得なかったということだ。想像を絶する執拗さで、北隣の異常な【近藤】のストーカーっぷりを、家族は(都合が良い時や認めざるを得ない時々だけ)たまに信じてくれ、大体は否定した。今日は認めざるを得なかったらしい。
ま、そのせいで誰にも頼れなかったし死の恐怖は超えられたし、この個体をエゴは抹消できないのだと判ったのが。当時は何故かはわからなかったが。

何故、こんなにまで執拗にあからさまにストーカー的なつきまといをするのか、ずっと考えに感じざるを抜いた。

【A・Course・in・Miracles】を読んでいたからこそ、その意味がわからないストーカー的なつきまといという『外側』の『内側』に含まれたエゴの意図と目的を見出す為によく事態を観察し、必死で考えてきた。

その中に含まれたエゴの目的が解れば、その目的を崩すために何を言動すればよいのかが解る。だから、崩すために過去、現在見聞きしたこと提示をする。崩すために崩すにはどうすればよいか考え、崩す為の材料集めをする。だから概念記事を書いている。

これほどまでに異常であからさまなストーカー的なつきまといをされなければ、間接的にしろ直接的にしろ、関係の中に含まれたエゴの目的、その答えには到達できなかった。

それほどまでに、世界が現実で普通ならば考えもつかない、想像もつかない、エの意図と目的が全ての視界の内側に含まれていたとは思いもよらない。
追い詰められなければ、決定的な思考システムの移行は絶対にできない。何故なら個体もその思考も例外なく、エゴが欺きの手段として作ったからだ。キラキラした聖なる何かが個体や思考を作ったのではないのだから、簡単に思考システムが移行できるわけがないだろう。

楽に成し遂げられることなど全て誤魔化しだから楽にできるだ。

実際経験しないと何もわからないことばかりなのだ。しかも実態は壮絶な経験しかない。

どの領域であれ、誰もが認めざるを得ない状況下でしか世界の思考システムの決定的移行はなされない。だから説得力しかない段階的経験をエゴは否応なしに作らされる。エゴとは正反対の作用【終わらせる為に作用する何か】によって。

そしてこの個体はあらゆるエゴが作った領域の決定的な思考システム移行の為に言動し、提示させられるよう作られている。最後の個体の最終ルートならば当然だ。

全てはエゴの欺きの目的を全て終わらせる為の作用により、各領域で段階的に決定的思考システムの移行が否応なしになされていく。


西暦2015年11月2日:月曜日
http://sp.mainichi.jp/select/news/20151103k0000m040149000c.html
名古屋市西区の市営地下鉄庄内通駅で1日、同区の市立中1年の男子生徒が「いじめがあった」との遺書を残して電車にはねられ死亡した問題で、生徒の家族が県警に「いじめについて聞いたことはなく、自殺するそぶりもなかった」との趣旨の話をしていることが捜査関係者への取材で分かった。市教委はいじめの有無を調査している
以上ニュース引用

つい先日、岩手中2いじめによる自殺により行われたいじめの再調査で、元の調査数から約3万件増もの新たな隠されていたいじめ実態が浮上したばかり。これでいじめの実態数は氷山の一角に過ぎないと証明された。

いじめは隠蔽され過ぎている。この結果は教師達がいじめを隠蔽し過ぎているという証拠だ。もうこの教師が自分だけが大事で生徒や児童などどうでもいいからいじめが隠蔽されるという事実は逃れられない。いじめられた者に気づけないというのは、余程自分しか見えていないか、言い訳に過ぎないからだ。

いじめられた者の異変に気づけない周囲の者は、余程自分のことしか考えてない他者などどうでもいいという生き方をしているから気づけない。
普通の人間ならば、必ず異変に気付く。どんなに当人が隠そうが、絶対に隠しきれないから必ず兆候は出ている。その兆候に気づけないのは、その対象をどうでもいいと考えているからだ。
ただ、どうでもいいと考えている対象にでも、普通は家であれ学校であれその他であれ、一緒に顔を合わせて会話して生活していれば兆候にきづくぞ?要するに、大概は気づいていても気づかぬフリをしてきたということだ。

教師も家族も友達も、気づいていても自分のことしか大事ではないから気づかぬフリをしてきたから、「周囲からはわからなかった」と言って誤魔化しているだけ。

もし、気づいて心配して理解しようとしたと言っても、それは表面上のこと、自分の本心も解らない奴も多すぎるから自分では気づかないのだろうが、本当は心配を与える対象をどうでもいいと考えており、自分のことだけが大事だから、本心ではないから伝わらない。

本当に理解されていたら必ず伝わる。それが希望となり、人生を諦められない。一人でも本心から理解してくれる人がいるならば、世界を諦めきれない。それが人間だ。現在、誰にも理解されなくてもいつか理解してくれる人に会えるかもしれない、と希望が失われない内は死ねないのだ。

本当に自分の無意識下の思考、感情を把握しきっている者など、過去、現在、未来全体の世界でも稀だ。相当な決意と長期の心の探究と訓練が必要であり、それ以外の者は全員、不都合な真実を心の奥底に隠している。奥底に汚いものがあるとは誰も認めたくない。自分の心の奥底は綺麗だと思いたい。
だから誰もが隠しているのだから、世界には自分の心の内側が解らない者ばかりなのだ。そして隠しているから、隠しているという事実すら認められない。
自分の心の奥底について知ろうとし、内側の奥底へ向かっていくのに恐怖を感じるのは、認めたくないものが内側にあると無意識に知っているからだ。
その内側へ向かう多大な恐怖を超えられない限り、本当には自分の無意識下にあるものを探り出すことはできない。
認められないならば、また無意識の隠蔽がなされ、何かを発見したフリをして、真実とは別の偽りを真実だと言いふらす。大概は妥協がなされ、徹底的に心の奥底の探索がなされることはない。
それが自分の心の内側へ向かって行くことすらできないカウンセラーや心理学者や精神科医がやっていることだ。
だから心について誰も何もわからない。過去、現在、未来の世界ずっと。

自分の心の内側へ向かって行くこともせず、隠したまま妥協し奥底を見たくないから理解しきれない者が、他人の心を理解できる筈がないのだ。
そういう奴等が行うのは、常に理解しているフリ。壮絶な覚悟と探究と訓練なく理解は不可能なのだから、人間が大概やっているのは理解するフリだけしかできない。だから、皆、本物ではなく偽物の理解ごっこをしているだけ。

故に、必ず言えるのは、どんなに優しく心配してるような態度で接しようが、それが本当に相手の為でなければ、それが無意識下で伝わるということだ。自分のことしか考えてないというのは無意識に伝わる。
だが、いじめで自殺する者は大概自分を責めているし、やはり自分の心がわからないから、周りの人の自分のことしか考えてない本心を無意識下で感じとっていても、「こんな自分に優しくしてくれてありがとう」とか思ってしまう。何も見えずに自分を責めているから周りが正しいと考えてしまう。だから自殺者から出る感謝の言葉は、本当の感謝ではない。

だから感謝されたからといって、本物の理解が存在したと捉えてはいけない。
自殺したなら、自分がいるそこに、現在にも未来にも希望を一切見出せなかったからだ。全て虚構だったということ。

教師も家族も、周囲の全てが単に自分だけが大事だっただけのこと。

教師は自分の保身だけが大事。自分の高さを守るために、弱者は切り捨てる。時には一緒になって弱者を排除する。だからいじめは不都合故に隠蔽される。隠蔽しきれないものだけを浮上させて取り組んでいるように見せ掛けているだけ。
まるでエゴのやり口そのままだということがよく解る。

隠しきれなくなったら、今度は自分を良く高く見せるために、いじめられている者を助け理解する『フリ』をして弱者を利用し搾取するのが教師の実態なのだ。
ハイエナのようなものが教師。

この教師の実態は毎日のニュースに証拠となって表れている。

西暦2015年のNEWS
10月
①http://simplog.jp/comment/23535317/23
②http://simplog.jp/comment/23535375/23
ニュースリンク(西暦2014年4月~)
http://gree.jp/atsuyo117/blog/entry/764158627

だから教師による事件ニュースが日々絶えない。
教師は自分さえよければいい。自分さえ楽になれればいい【他者否定・自己肯定型】だということだ。


エゴは『外側』である知覚ある世界全体でその『内側』に真実をひた隠す。だからこそ、世界にはこのように隠蔽だらけが横行する。

佐藤篤代

概念:佐藤篤代/西暦2015年後半(32)
【A Course in Miracles】
内側を見る恐怖
西暦2015年11月4日:水曜日



西暦2015年段階の概念:佐藤篤代
前半
(1)エゴの隠す特質
(2)エゴが隠し取り繕う過程
(3)2つの正反対の思考システム
(4)知覚ある世界はエゴが作った幻想
(5)スケープゴートの世界構造
(6)原因と結果の法則
(7)繰り返しのサイクルの終わり
(8)知覚ある世界の全てを棄てる
(9)幻想を幻想として見る『赦し』
(10)やり直しのスパイラル
(11)『全ての幻想を同じ』と見る視点
(12)エゴが作った幻想の再利用
(13)身体の脆さと死におけるエゴの目的
(14)身体は幻想・死はない
(15)【死の超越】の実態
(16)『罪の起源』の実態
(17)罪は幻想・罪はない
(18)罪の投影の世界構造
(19)スケープゴートへの罪の投影
(20)罪をでっち上げる世界
(21)エゴが罪悪感を作った理由
(22)罪悪感の投影の実態
(23)自分自身に対する戦いの実態
(24)【異世界レベル】の穴概念
(25)エゴが作った全ての再利用
(26)真の公平な視点
(27)「夢の主人公」の実態
(28)「攻撃の完全放棄」の実質
(29)与えることと受け取ることは同等
(30)【A Course in Miracles】の実態
(31)【A Course in Miracles】世界はない
(32)【A Course in Miracles】幻想の意味
(33)【A Course in Miracles】幻想の消滅
(34)【A Course in Miracles】エゴの思考システム
(35)【A Course in Miracles】エゴの台本
(36)【A Course in Miracles】エゴと聖霊
(37)【A Course in Miracles】聖霊
(38)【A Course in Miracles】死はない
(39)【A Course in Miracles】身体は幻想
(40)【A Course in Miracles】真実に対する防衛
(41)【A Course in Miracles】無防備は力
(42)【A Course in Miracles】聖霊への全託
(43)【A Course in Miracles】聖霊の計画
(44)【A Course in Miracles】概念:赦し
(45)【A Course in Miracles】実践:赦し

西暦2015年後半
(1)【A Course in Miracles】赦しの実際
(2)【A Course in Miracles】神概念
(3)【A Course in Miracles】真の世界
(4)【A Course in Miracles】原因と結果
(5)【A Course in Miracles】与える&受け取る
(6)【A Course in Miracles】与える全てを受け取る
(7)【A Course in Miracles】平和を知らせる意味
(8)【A Course in Miracles】6章:聖霊のレッスン
(9)【A Course in Miracles】peace
(10)【A Course in Miracles】第1:平和に対する障害
(11)【A Course in Miracles】第2:平和に対する障害
(12)【A Course in Miracles】第3:平和に対する障害
(13)【A Course in Miracles】第4:平和に対する障害
(14)【A Course in Miracles】miracle
(15)【A Course in Miracles】trust
(16)【A Course in Miracles】神の教師
(17)【A Course in Miracles】teach・learn
(18)【A Course in Miracles】権威問題
(19)【A Course in Miracles】judgment
(20)【A Course in Miracles】聖霊の判断
(21)【A Course in Miracles】夢の主人公
(22)【A Course in Miracles】the dreamer
(23)【A Course in Miracles】自己概念
(24)【A Course in Miracles】What am I?
(25)【A Course in Miracles】picture・frame
(26)【A Course in Miracles】seek・find
(27)【A Course in Miracles】外側を探し求めてはいけない
(28)【A Course in Miracles】偶像=全個々の存在=無
(29)【A Course in Miracles】全ての偶像を超えて
(30)【A Course in Miracles】幻想に隠された真実
(31)【A Course in Miracles】内側を見ること


この本物:佐藤篤代のブログは
【A・Course・in・Miracles】の核心「知覚ある世界はエゴが作った幻想」を矛盾なく徹底的に追究し、
【他が幻想であり、他がない】
と証明する、
『世界の起源を扱う』、
『人間レベルではない』、
【自分発信、自分受信】
の自分が知るために自分が自分に知らせる為のブログだ。

敵はいない。
味方もいない。
全部同じだからだ。
全てが同じエゴが作った幻想でしかないからだ。

本物:佐藤篤代は『エゴが作った幻想』という見方でしか何も見ないから、敵も味方もいない。

この『全てはエゴが作った幻想』という視点でしか『全部同じ』としては見ることはできない。

この本物:佐藤篤代のブログは、
『the Foundation for Inner Peace』の
【A・Course・in・Miracles】
原書second editionの概念をベースにしている。

本物:佐藤篤代がブログで言う核
【A・Course・in・Miracles】の核心
・知覚ある世界はエゴが作った幻想
・他は無い・他は幻想
・エゴが世界に留める為の最大の欺きの手段は特別性だ。
故にエゴの欺きから脱するには特別性を棄てなくてはならない。
・知覚もエゴが作った。
エゴの作った世界の終わりとは知覚の終わりだ。

本物:佐藤篤代はこの【A・Course・in・Miracles】の核心を基本に、【A・Course・in・Miracles】の歪みを削ぎ落としながら、『世界は幻想』という実体験に基づきながら真実へ向かっている。
この点を徹底的に矛盾なくしながら追究している。

矛盾がない概念を採用し、その方向性を目指す。こうして矛盾と歪みをそぎおとしていけば、いずれエゴの欺き(幻想)の完全な終わりへ向かえると本物:佐藤篤代は考えるからだ。

※本物:佐藤篤代が言う「1つの自己」とは【A・Course・in・Miracles】の意味とは違う

【但し書き】
メール、コメント、いいね等その他全部のコミュニケーションは迷惑だからやめて下さい。例外は一切ありません。
全て別人へのコメントにしかなっていません。
なされる全てが【異世界レベル】の【主人公(偽者)用コメント】でインチキだと判明していますので、「現実の他者」に対する対応は一切しません。
容赦なくツッコミします。そのコメント等の目的、大元を崩す為に容赦ないツッコミをします。

真実はあらゆる他者、他の存在とは分かち合えない。それが実感されている為に一切他者向けには書いていません。

このブログは、本物:佐藤篤代が見てきた過去の全てを受けとる為、そして『1つの自己※』へ向けて知らせる手段として、エゴが作った全ての主人公(偽者)と領域を終わらせる為に書いています。
これも【A・Course・in・Miracles】レベルを超えなければ理解できません。

このブログの中身は隠され、物質主義者レベルのスケープゴート糾弾用まで歪められています。故に中身が見える筈もないのです。だから別人へのコメント等になっているのです。

それ以前にブログのあちこちに置かれたこの【但し書き】が見えないのは【異世界レベル】である証拠となります。

見えていてなおコメント等をするならば、他者を尊重できない他人などどうでもいいと考える「自分、自分」の原始性が際立つ精神的未熟な【他者否定・自己肯定型】だと釘をさしておきます。

このブログにコメント等をする者全てがこのレッテルを掲げて行っているということになりますので、ご注意下さい。

いちゃもん付けコメント(いいね等を利用したものも含)を目撃した者とその周辺一帯に関連づけている者全て、スケープゴート糾弾をしエゴが作った主人公(偽者)レベルの個体を高くして特別性を死守するというエゴの目的を達成するためにエゴに動かされているだけだ。

西暦2015年11月
佐藤篤代





佐藤篤代

概念:佐藤篤代/西暦2015年後半(32)
【A Course in Miracles】
内側を見る恐怖
西暦2015年11月4日:水曜日

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