概念:佐藤篤代/西暦2015年後半(33)
西暦2015年11月7日:土曜日

後半(33)
【『A・Course・in・Miracles』
隠された内側へ向かう実践】

①【A・Course・in・Miracles】隠された内側へ向かう実践的内容引用
②恐怖は常に、真実に対する抵抗だ。同時に、恐怖は真実へ向かうのを妨げようとするエゴの妨害でしかない。大概の人間は内側へ向かう恐怖の最初の心理学段階で目をそらしているから、内側へ向かえる実質的な心理学内容を知ることもない
③この知覚ある世界の実態はおぞましい。世界にあるように見える全てには欺きの目的が根底にある。なぜならエゴが欺きの目的でこの知覚ある世界を作ったからだ。その世界の内側の、隠されているおぞましい事実を知らなくてはならない


【①【A・Course・in・Miracles】隠された内側へ向かう実践的内容引用】

今回は前回に引き続き【A・Course・in・Miracles】についての「内側を見ること」に関する概念の内「内側へ向かう実践」的方向性について、【A・Course・in・Miracles】原書を用いて引用し提示する。

この周辺の概念で、外側と内側、答えや真実を探し求め見出すべきところはどこか、に関する内容を書いている。


前回も掲載し、度々掲載しているが、『神の使者』の【A・Course・in・Miracles】引用部分を以下に示す。

(▽以下引用)
―エゴは内側を見るなと声高に叫ぶ。もし見たら罪を見てしまうし、神が鉄槌を下してあなたを盲目にするだろう、と。

Jが説明しているとおり、エゴがほんとうに心配しているのはそんなことじゃない。
(本物:佐藤篤代の注意:「J」とは「Jesus:イエス・キリスト」)

―罪ゆえに内側を見ることへの恐怖の下にはもう一つの恐怖があり、それがエゴを震撼させる。

もしあなたが内側を見て、そこに罪がなかったらどうなるのか?この「恐ろしい」疑問こそ、エゴが決して問いかけないものである。それを問いかけるあなたは、エゴの防衛システム全体を痛烈に脅かすから、エゴはもうあなたの友人のふりをしなくなる。
(△以上引用)

「神の使者」P225~226
ゲイリー・R・レナード
吉田利子訳
西暦2007年1月30日:日本語版初版発行
(原書名:The Disappearance of the Universe)


以下の概念記事にも深く関わるのでリンクを提示しておく。
西暦2015年段階の概念:佐藤篤代
http://simplog.jp/comment/19063121/23
後半(31)【A Course in Miracles】内側を見ること
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12090295213.html

西暦2015年段階では本物:佐藤篤代は【A・Course・in・Miracles】自体を歪みだと見ている。神概念も癒しも歪みだ。聖なるキラキラもエゴのアメだと疑ってかかる必要がある。
「student」、「teacher」は矛盾であり、歪みでしかない。
故に『神の使者』も同様だし、日本語訳で更に歪んでいる。
それを踏まえた上で引用するのは、知る過程では欠かせないからだ。

また、原書にある「brother」は「あらゆる他者、個々の存在」、「the Father」は「神」を指すが、これは特別性を温存するための理由で書かれている場合がほとんどだ。
歪みだが【A・Course・in・Miracles】の「the Kingdom」や「Heaven」は「the Kingdom=Heaven=神=神の創造物=神と1つの状態」だ。
「I」等の一人称はJesus(イエス・キリスト)。
「Friend」は「聖霊」。
少なくとも「learn」は「知る」、「teach」は「知らせる」と意味を取らなくては歪みにハマり込む期間がそれだけ長くなる。
故に「teacher」は「知らせる者」、
「learner」は「知るべき者」。
しかも「知らせる(段階の)者」、
「知るべき(段階の)者」。

「idol」とは「偶像」であり、「偶像」とは「あらゆる個々の存在」を指す。

▽以下引用

LESSON131

No one can fail who seeks to reach the truth.

1. Failure is all about you while you seek for goals that cannot be achieved.
You look for permanence in the impermanent, for love where there is none, for safety in the midst of danger; immortality within the darkness of the dream of death.
Who could succeed where contradiction is the setting of his searching, and the place to which he comes to find stability?

2. Goals that are meaningless are not attained.
There is no way to reach them, for the means by which you strive for them are meaningless as they are.
Who can use such senseless means, and hope through them to gain in anything?
Where can they lead?
And what could they achieve that offers any hope of being real?
Pursuit of the imagined leads to death because it is the search for nothingness, and while you seek for life you ask for death.
You look for safety and security, while in your heart you pray for danger and protection for the little dream you made.

3. Yet searching is inevitable here.
For this you came, and you will surely do the thing you came for.
But the world can not dictate the goal for which you search, unless you give it power to do so.
Otherwise, you still are free to choose a goal that lies beyond the world and every worldly thought, and one that comes to you from an idea relinquished yet remembered, old yet new; an echo of a heritage forgot, yet holding everything you really want.

4. Be glad that search you must.
Be glad as well to learn you search for Heaven, and must find the goal you really want.
No one can fail to want this goal and reach it in the end.
God's Son can not seek vainly, though he try to force delay, deceive himself and think that it is hell he seeks.
When he is wrong, he finds correction.
When he wanders off, he is led back to his appointed task.

5. No one remains in hell, for no one can abandon his Creator, nor affect His perfect, timeless and unchanging Love.
You will find Heaven.
Everything, you seek but this will fall away.
Yet not because it has been taken from you.
It will go because you do not want it.
You will reach the goal you really want as certainly as God created you in sinlessness.

(P239)
△以上引用

【A・Course・in・Miracles】
second edition:
WORKBOOK FOR STUDENTS
LESSON131
1~5


▽以下引用

LESSON251

I am in need of nothing but the truth.

1. I sought for many things, and found despair.
Now do I seek but one, for in that one is all I need, and only what I need.
All that I sought before I needed not, and did not eve want.
My only need I did not recognize.
But now I see that I need only truth.
In that all needs are satisfied, all craving end, all hopes are finally fulfilled and dreams are gone.
Now have I everything that I could need.
Now have I everything that I could want.
And now at last I find myself at peace.
(P420)
△以上引用

【A・Course・in・Miracles】
second edition:
WORKBOOK FOR STUDENTS
LESSON251
1のみ


▽以下引用

LESSON309

I will not fear to look within today.

1. Within me is eternal innocence, because it is God's Will that it be there forever and forever.
I, His Son, whose will is limitless as is His Own, can will no change in this.
For to deny my Father's Will is to deny my own.
To look within is but to find my will as God created it, and as it is.
I fear to look within because l think I made another will that is not true, and made it real.
Yet it has no effects.
Within me is the Holiness of God.
Within me is the memory of Him.

2. The step I take today, my Father, is my sure release from idle dreams of sin.
Your altar stands serene and undefiled.
It is the holy altar to my Self, and there I find my true Identity.

(P454)
△以上引用

【A・Course・in・Miracles】
second edition:
WORKBOOK FOR STUDENTS
LESSON309
全部


【②恐怖は常に、真実に対する抵抗だ。同時に、恐怖は真実へ向かうのを妨げようとするエゴの妨害でしかない。大概の人間は内側へ向かう恐怖の最初の心理学段階で目をそらしているから、内側へ向かえる実質的な心理学内容を知ることもない】

ここで、ずっと書き足りなさを感じざるを得なかったので、内側へ向かう際に生じる恐怖について、過程を段階的にもう少しだけ詳しく書いていく。
【人間レベル】心理学から【A・Course・in・Miracles】を超えるまでの過程だ。

(第1段階:心理学レベル)
人が心理学に入ろうとする時、大きく2つのパターンに分かれる。

まず1つ目のパターンが、知識や教養、興味、自分への付属品の為、自分を飾り立てる為に心理学に入る方向性。医者やカウンセラー等の精神心理学を扱う職業に付きたいからという理由ならばこの方向性。人を助けたいという理由でも同じ。
このパターンで心理学に入る場合、必ずマニュアル人間となる。マニュアルが中身が空っぽな内容だったら、肩書きだけの中身が空っぽな職業に就く。この種の人間には心の法則は理解できない。例え本に詳しく書いてあろうが知っているフリしかしていない。
だから何も解らない人間が分類した為に嘘から成り立った症例から患者をカテゴリーに嵌め込み、再発必至の表面的な治療を行う。薬治療をする医者等がそう。彼らは心の法則から見て患者毎にカウンセリングするなんてできないからだ。彼らがやっていることは、ずさんで適当すぎる分類と症例作りとインチキ療法のでっち上げだけだ。何も解らないからでっち上げるしかない。だから、度々、病気でない人を病気にしてしまう。何か病名を挙げて適当に薬を処方したり、適当にカウンセリングしてるフリをして、適当な所で必要なら治りましたと告げる。全てでっち上げのインチキでしかない。反論すれば入院の必要があるとか強行手段に出る。一般人は大概心理学を知らないから何でもありにごり押ししているだけのだ。
何か1つでも本に載っている症例と病名が一致すればその病気にさせてしまうのが、自分の心の内側へ向かったこともない精神科医やカウンセラー等の職種の人間だ。
自分の心の内側に本気で向かわないで心の法則も内側も理解することは絶対にできないからだ。

2つ目のパターンが自分の心の内側を知る為だ。これは必要に迫られて行う。
誰しも大なり小なりそうだが、生まれ育った環境で周囲から本当の自分を否定され、自由に感情や考えを表現出来ず、自分の中で「否定すべきこと」として心の奥底へ押し込めて来たので、押し込めて来た自分の本当の感情や思考に振り回されるようになる為だ。周囲から本当の自分を否定され抑圧が酷い者がそうなる。生きづらくなっていく故に、本当の自分を否定し抑圧するのが限界になる前に、心理学を勉強するか迷う。

本当の自分を否定し抑圧するのに限界に達する人間の方が余程幸運だ。本当に限界が来る時、2択しかなくなる。自殺か自分を変えて生きていくかだけの選択肢に迫られるターニングポイントがやってくる。この時点で、限界になり自殺するのではなく、心理学に入ることを選べば必ず心の法則を実感できる方法を見出せる。役に立たない方法は捨てられ、役に立つ方法だけを採用するからだ。
この点について、前者のパターンとは決定的に異なる選択がなされているということがはっきりする。

自分を飾るために心理学を求めるならば、自分を飾るための、見た目だけで中身がない実質的ではない心理学しか見出せない。役に立つかどうかは二の次だから、役に立たない見た目重視の心理学に走る。

だから職種や肩書きや飾り立てを求める者には心の内側も法則も理解できる筈がない。

本当に役に立つ、実質的な方法は、自分の内側に向かうために必要だからという切実さの中でしか見分けがつかないのだ。

求めるものが与えられる。
求めていないものはやってこないのだ。
それはあらゆる解決法も真実も同じ。

実質的な解決法は、それを自分自身に心から必要とする者にしかやってこない。見出せるまで、役に立たない全てを捨てて役に立つ全てを探し求めるからだ。

だから、自分の為に切実に必要としている者でなければ、実質的な役に立つ心理学には絶対に出会えない。
そして、実質的な心理学に出会えるのは、【他者肯定】の傾向が強い【自己否定】型だ。

抑圧を発散する方向性が外側、他者に向かうタイプは、他者に抑圧の反動をぶつけて発散してしまうので、自分の内側をどうにかしなければとは考えられないので、心理学には向かわない。心理学をやるとしたら自分を飾るためでしかない。
抑圧の反動で自分の感情に振り回されるのは他者のせいだと責任を外側に糾弾する者は、自分は正しいと言い張るので、自分を変えようとはしないからだ。

しかし、【他者肯定】の傾向が強い【自己否定】型は、周囲が正しく自分が悪いのだと自分を責めている。そう教え込まれて育った。だから、自分の内側をどうにかして、自分を変えなければならないという切実な思いに囚われている。だから心理学が必要だと考える。
しかし、彼らは周囲から教え込まれた『周囲が正しく自分が悪い』という信念が染み込んでいるので、自分の内側は悪であり、汚いのであり、罪であり、あらゆるマイナスしかないと信じている。
だから心理学の心の法則では誰しもそうであり当然なことなのだが、抑圧されて心の奥底に押し込まれて溢れだしそうに持て余す感情や思考をまるで化け物のように感じている。
本当の自分の感情や思考を周囲から強制的に押し込まれて生きてきたら必ず抑圧の反動で時々溢れそうになるのは当然なのだが、心の法則を知らなければそれは持て余す化け物でしかない。
心の自然な状態に抑圧が加えられ、それが長年続けば当然だなど知る由もない。当たり前でそれが普通なのだと知るはずもない。
だから、自分の内側へ向かうことを酷く恐れる。

抑圧された心の主は全て、同様に、自分の内側へ向かうことを酷く恐れる。
他者に責任と原因を押し付けることで発散する者もだ。

水道に繋がれたホースを誰かが踏んで水が流れるのを妨害したら、破裂するかホースが勢いよく外れて水が噴き出す。昔からよく使う例えだが、感情や思考も同じだということだ。
そんな簡単なことが解らない人間があまりにも沢山いすぎるということだ。

だから、自然な流れを外側から妨害したら歪むのは当然なのに、ならばどうすれば自然な流れに戻るのか簡単に解る筈なのに、誰しも心の内側を隠すので、こんな簡単なことが解らないし、解らないからこそ内側を恐れているだけなのだ。

ただ、自然な流れを妨害すれば必ずひずみが生じるのであり、心も同じ位の内容は多々物語にも表現されているのだが。なのに何も知らないカウンセラーや精神科医が横行するのは、異世界で領域が違うからとしか言いようがない。説明がつかない。

心の内側にはどす黒い何かがあると無意識に考えるので、ほとんどの者は、心理学を恐れる。本当の自分はどす黒い罪にまみれているだなどと考えたくもないからだ。心理学を知り、本当の自分を知れば自分がどす黒い異常な何かだと知ることになるとありもしないことに怯えているのだ。
だから、一般人は心理学を恐れている。社会人になってから心理学を独学で勉強していると職場で言うと距離を置かれた。余程本当の自分を恐れていたのか、あからさまに「え、じゃあ僕の心の内側全部わかっちゃうの?言ってみてよ」と透視能力を持つ超能力者とかと勘違いした人がしつこく言ってきたりしたこともあった。だから相当警戒されるので言わないようにした。その位本当の自分が暴かれるのを人々は恐れていた。
心理テストと勘違いしている人間が圧倒的に多かった。一般人は心理テストみたいなものでキャーキャーやるかもしれないが、それで自分を暴かれないという程度ならば受け入れられる。
とはいえ、西暦2015年現在では心理学と言っても警戒されない位にはなっただろうが、心理学というより心理テスト的な浅い内容が蔓延しているからだ。
そしてだからこそ、浅すぎて役に立たない精神心理学が横行する。
精神科医やカウンセラーは自分を飾り立てることしか考えていないので、自分の内側を知れるような実質的な精神心理学には近づかない。あるいはやっているフリだけをする。自分の内側を暴かれることのない精神心理学や精神医学しか採用しない。だから何も解らない。本を読んでも無意識に拒否反応が出て、上滑りし理解しているフリをするたけだ。
それも内側へ向かう恐怖からの無意識の方向性拒否反応だ。

誰しも恐れずにはいられない内側へ向かう恐怖の中で、実質的な心の法則を知ることができる自分の内側へ向かう方法を知ろうとするには、『清水の舞台から飛び降りる』位の覚悟が必要だ。

そしてこの内側へ向かう恐怖の中で、自分の内側へ向かう為にだけ心理学を知ろうとする決意ができるのが、自分を責める方向の抑圧に振り回される限界寸前の人間だ。

全段階の中で、内側へ向かう最初の段階で、その多大な恐怖を超えて、内側を知る為に先に先に進もうとする扉が開かれるのは、この自分の内側へ向かい、自分を変えようと心理学に入る決意する段階だ。見たくないものを目をそらさずに見ようとする覚悟によってだ。
これが最初の大きな第一歩だ。

この大きな第一歩を踏み出せば、実質的な心理学に出会い、自然の法則、心の法則が理解できるようになる。
それで自分が他の全ての人々と同じだったのであり、特異でもなく、罪もなく、ずっと周囲に自分を責めさせられてきただけで、自分は何も悪くなかったのだと理解し、ホッする。
周囲の感情の責任を取らされて生きてきたが、彼らの感情の責任は自分にはないのだと解り、重い鎖の荷が降ろされたかのように解放される。

長年、周囲からの圧力で本当の自分の感情や思考を抑圧し過ぎて生きていく内にわからなくなった本当の自分の感情や考え方を取り戻していく。これは本当の自分が全くわからなくなっているからこそ1つ1つやるしかない大変な作業だ。
周囲から押し付けられた周囲の望む期待通りの人間になる為に心を殺し続けるのをやめて、心の内側へ向かいながら本当の自分を見つけていく実践が心理学レベルでは行われる。

周囲に押し付けられた生き方、考え方、感情ではなく、本当の自分の自然な生き方、考え方、感情を取り戻し、見出していく。そうすることとで生じたひずみは消えていく。持て余していた内側で暴れ溢れだしそうな何かも、抑圧のひずみでしかない、と正体が解れば怖くもなんともない。

症例や病名などのカテゴリーや治療薬や治療法など、一切必要ないのだと、心の法則と自然の法則を理解できれば解る。
ただ、心を自然の状態へ戻すための抑圧を取り除き、自然の心の状態へ戻せばいいだけだ。誰でもだ。そしてこの作業は他の誰にもできない。自分にしかできないことなのだ。

ホースを踏まれているならば、ホースを誰かが踏んでいる状態を受け入れずに許さなければいい。
踏まれる選択を自分がやめればいい。
踏まれる選択を自分がしなければ、誰も心を踏みにじれない。
そんな簡単なことなのだ。

だが、その為に心のどの部分をどのように誰に踏まれるのを許しているのか、自分で心の中を探し求めなくてはならない。本当の自分がわからないということは自分の心がわからないということであるために、自分の心の実態を知らなくてはならないということだ。
それこそが心理学レベルでやらなくてはならない内側へ向かう方向性。

心の奥底に見たくなかったものなど、蓋を開ければ何もなかった。当然の当たり前のことから、自分は普通だったのだと知るだけだ。

目を背けてきたものをきちんと直視すれば、色々な問題点と解決法、原因と結果が見えるので、解放される。

内側へ向かう恐怖は、簡単な事実と真実を知るのを妨げる為の足止めに過ぎなかったということだ。

故に、心理学レベルでやらなくてはならない全ては、心の内側へ向かう決意をし、心の内側の奥底に隠した全てを見出し、自分の心に正直に、自他共に否定されてきた本当の自分の自然な感情や考えを探し、それらに従うことだけだ。
これこそが、本当の自分の願いを見出していく方向性の第一歩となるからだ。

(第2段階:実践的な心理学、成功法則、スピリチュアル)

心理学、成功法則、スピリチュアル…と内側へ向かい自分が隠してきた無意識を直視して見ていく際に、大なり小なり恐怖を伴うことがある。これは1つ1つ、無意識に隠してきたものに気付く前に生じる。

だが、もはや最初の大きな第一歩で大きな恐怖は超えているので、1つ1つを徹底的に見出していく覚悟が続く限り、妥協しないで無意識を探索していく限り、これらの恐怖には負けずに一歩一歩進んでいける。

成功法則段階では、内側(無意識)は人類共通の意識と繋がっていて、自然の法則、世界を動かす法則である無限の力(神、広大無辺の力)と繋がっていると知る。善悪のない力、法則、作用というような認識だ。故に聖なる何かの対極的な方向性よりも中立的だ。時に"聖"よりになる。だからこの点においては、内側へ向かう恐怖はなくなる。

ただ、成功法則では、無意識、潜在意識に習慣的に植え付けられた思考パターンに気付く訓練をしながら、マイナスの習慣的思考を見出して、プラス思考に転じていくので、マイナスの習慣的思考に気付く前には抵抗が生じたりもする。

この段階では、より自分の潜在意識に埋め込まれたマイナス思考、汚さ(認めにくい感情)に直面する意欲も必要だ。

これは意欲の問題であり、恐怖はプラスへ変換すべき1マイナス対象を発見する際に生じたりもする。が、ここまでくれば立ち止まることはなく、次々にマイナスをプラスへ転換していくだけだ。
成功法則では、概念を熟知した上での実践。知るだけでは何も起きない。実践せずには何も得られないし、内側の探索も実質的にはできない。

スピリチュアル段階では、内側はより聖なるキラキラへ向かう方向性となりがちなので、足止めにならない程度に取り組んで役に立たないことがわかってから、【A・Course・in・Miracles】本道段階へ進める。
スピリチュアルの長居は無用。成功法則レベルの延長線が少しあるだけだからだ。

(第3段階:【A・Course・in・Miracles】本道に入る前)

【A・Course・in・Miracles】本道に入る前、要するに、原書を入手する前に、これまでになかった恐怖や不安定さに襲われる。これはこれまでにはなかったので、新たな方向性を見出す必要があると解るくらいに意味がわからない。

【A・Course・in・Miracles】本道に入ればはっきりとその今までになかった恐怖や不安定さの理由が解る。これまでタブーとされて隠されてきた世界の真実を知る段階に入る前だったこその、『真実への抵抗』でしかないと書いてあるので解る。解っていてもこれは辛い。だから【A・Course・in・Miracles】にはっきりと理由が書いてあるのだろう。
大変でも前に進むしかない。前に進まなければこの恐怖や不安定さも終わらない。しかし後退はもうあり得ない。
内側へ、真実へ目をそらさずに向かう決意はもう何があろうが揺らがない。

そのうち、自分だけでは大変過ぎて、そしてこの方向性が本当に真実なのかを確かめたくて、確実性を得たくて、世界で【A・Course・in・Miracles】を一番理解していると考えられる人物との接触を試みる。
これは後から判るが、最後の他への特別性を棄てる為と、組織も本もエゴしか作らないという事実を知るため、要するに【A・Course・in・Miracles】を超える為だ。神の教師は特別性を死守する為のエゴ概念であり、【A・Course・in・Miracles】にすら歪みがあったと気づかなければならない。
だから、本当に、頼りたいのに誰にも頼れない。

本物:佐藤篤代ではその対象は【A・Course・in・Miracles】管理者のKenneth Wapnickで、手紙のやり取りを行った。それは西暦2009年~西暦2012年6月29日:金曜日まで続いた。あまりに異変が生じすぎて返事はいらないと告げた為に西暦2010年10月まで続いた。組織と本もエゴしか作らないとはっきり解ってから、もう組織とも【A・Course・inMiracles】関係者とも関わらないと告げて止めた。
それから1年位が過ぎた頃、【大混乱期】が訪れた。周囲が異常化し、常識、物理的法則、その他の世界の法則では説明がつかないことばかりが起き出し、身の危険を感じて、最大の恐怖に直面する。

これが死の恐怖であり、これを超えて、これまで信じてきた全てが覆る。

他者、自分、出来事、感情、思考、心の内側…全てがエゴが作ったインチキだとはっきりと実感する。

そして、恐怖はとるに足らなくなる。エゴが作ったインチキだから深刻に取らないだけだ。

このように、恐怖は常に、真実に対する抵抗だということだ。

同時に、恐怖は真実へ向かうのを妨げようとするエゴの妨害でしかないのだ。

この全プロセスの中で、自分が本当は何を願っていたのかを知る。
そして、この唯一の願望を満たすことが、この世界の中の何にも不可能だと知る。



【③この知覚ある世界の実態はおぞましい。世界にあるように見える全てには欺きの目的が根底にある。なぜならエゴが欺きの目的でこの知覚ある世界を作ったからだ。その世界の内側の、隠されているおぞましい事実を知らなくてはならない】

西暦2015年11月5日:木曜日
http://news.tbs.co.jp/sp/newseye/tbs_newseye2628527.html
フォルクスワーゲンで新たな不正、9万8千台のガソリン車も
ドイツ自動車大手・フォルクスワーゲンで、新たに二酸化炭素の排出量や燃費の数値でも不正が見つかり、ドイツ運輸省は、対象車のうちおよそ9万8000台がガソリン車だと明らかにしました。
フォルクスワーゲンによりますと、新たに二酸化炭素の排出量や燃料の消費量について、当局や消費者に対し実際よりも低い数値を報告していたことが、排ガス問題をめぐる社内調査でわかったということです。対象となる車はグループ全体で80万台にのぼりドイツ運輸省は、このうち9万8千台がガソリン車だと明らかにしました。
ドイツの自動車税は二酸化炭素の排出量に応じて税額が変わってきますが、この差額についてドイツ運輸省は過去にさかのぼってフォルクス社に請求する考えを明らかにしました。フォルクス社は、今回の不正の対策費用に新たに2700億円を計上するとしています
以上

今となってエンジン車まで発覚となったら、もうフォルクスワーゲンは世界が現実なら企業として終わりだ。もはや何も信頼されない。相手にされない。改革しても、「まだ不正してるんじゃないのか?」という疑いの目しか受けない。もはや払拭は不可能。企業としての存続を願うなら最初に洗いざらい不正を自白すべきだった。誠実さの欠片も無さすぎてこれはもう無理。

これでフォルクスワーゲンその他ポルシェやアウディ等不正に関わった企業が存続したら【異世界】の証拠でしかない。あるいは不正が容認されるキタナイ世界である証拠だ。穢さの証拠になりたいならなればいいさ。単に正義や善が踏みにじられ押し潰されるキタナイ世界である証拠であるだけなんだからな。
世界はそんなに甘くない。


西暦2015年11月3日:火曜日
http://www.sankei.com/smp/politics/news/151103/plt1511030014-s.html
国会前「アベ政治許さぬ」 一斉に紙掲げ抗議
安全保障関連法を成立させた安倍政権に抗議の意思を示すため、国会前に3日、約800人(主催者発表)が集まり、「アベ政治を許さない」とのメッセージを記した紙を掲げた。
参加者は午後1時、国会議事堂に向け一斉に紙を掲げ、「憲法を守れ」「(臨時)国会を開け」と口々に叫んだ。作家の落合恵子さんは「諦めてはいけない。安倍政権にレッドカードを出し続けて民主主義を取り戻しましょう」と訴えた。
参加した東京都調布市の会社員、藤岡尚亘さん(57)は「今の政治にやり切れない思いでいっぱい。声を上げなければ意味がないので、地道な行動をできる限り続けたい」と話した。
作家の沢地久枝さんが呼び掛けた行動で、メッセージは俳人の金子兜太さんが書いた。安保法案が衆院を通過した直後の7月18日に続き2回目。今後も毎月3日に同様の行動をするという。沢地さん自身も、この日、講演のため訪れた長野県内で紙を掲げてアピールした
以上

良かった、こういうマトモなニュースが出て。最近、どっからどう見ても【異世界】の人間が、公的に「第9条こそ憲法違反」だとか正気とは思えない
【日本国憲法を知らない人】が
我が物顔でのさばってたから、「これどうすればいいわけ?」と頭を抱えていた所だったのだ。

このように日本国憲法の内容知らない領域がやはり沢山あるから、日本国憲法をいずれ全部提示するしかないかな、今そんな時間ないな、と面倒臭さに手を焼いていた。

日本国憲法は戦争の永久放棄、戦力、武力が完全否定された平和憲法であり、憲法第9条は要石だというこの領域の事実を、どうすればそのワケわからないことを言い出す全領域を黙らすことができるか、本当に頭を捻っていたところだった。

このように、【異世界】の影響は、ぎょっとするし、本当に目を疑うし、迷惑過ぎるのだ。


西暦2015年11月7日:土曜日
また『カメ(KM)ハワイ』系のもはや呪いとしか言いようがない、重度のストーカー異常者となっている【なみ☆念願のハワイ在住達成☆】という名の、十中八九【公的系偽者用】コメントが来た。

Amebaブログのブログ情報欄をコメント等が一層しづらくコメントをしたら異常者にしかならない但し書きを掲載した途端にこれだよ。

しばらく止んでたのに復活したのは、また調子よく「いいとこ取り」で歪める方向性を取ってるからだ。こちらを散々スケープゴート糾弾用に使いまくったくせに、以前横行していた持ち上げコメントを同じ個体で復活するこの調子がよいゲスさ。これがエゴのやり口なんだよ。

【なみ☆念願のハワイ在住達成☆】の関係者である領域のエゴが作った主人公は、このブログのいいとこ取りをして歪めたもので、どうしてもこの個体との関係性を成立させたかったが、何度やり直しをしてもできなかった。
だからいつも「初めまして」と何度も壊れた機械のように繰り返し同じようなコメントをしてきた。こいつだけで百回は突っ込みコメントをした。それでも何度も何度も同じような「初めまして」コメントをしてくる。世界が現実なら異常者ストーカーじゃなくて何だ?
しかもこいつだけではない。何人も何人も【但し書き】を突きつけられても同じような「初めまして」コメントをしてくる。
インチキ以外に何なんだ?他の手段も同じ。だからあらゆるコミュニケーション手段でやってくる全てをインチキと判断するのは当然だ。

こういうコメントで関係者との特別な関係性を築き上げようとした領域の主人公達は、これらの「持ち上げコメント」が通用しなくなったら、「イチャモンつけコメント」に移行した。使えないならスケープゴート糾弾用として歪め、非難し叩き落とそうとする。
これらの全て「持ち上げコメント」も「イチャモンつけコメント」も、複数の同じ領域で行われているはずた。

利用できる時にはこのように「いいとこ取り」をして歪めて使い持ち上げるコメントの影響、
利用できずに不都合な時にはスケープゴート糾弾用としていちゃもん付けコメントの影響。
これがエゴのやり口だ。
そしてこのエゴの目的により、これが本物:佐藤篤代のブログや人生になされる全てだ。

そして、これらの「持ち上げコメント」も「イチャモンつけコメント」も、この領域で提示した、エゴには不都合な真実へ向かえる概念を隠すためだけになされているのだ。

「持ち上げコメント」では特別性の誘引の魔力で視界、焦点、向かう方向性を奪い、真実からそらすため。
「イチャモンつけコメント」は、逆の、憎悪と嫌悪という特別性により、嫌悪に注意を払わせることで中身(内側)に注視するのをそらせることで、真実からそらすため。
外側を嫌悪の対象の型として嵌め込むことにより、要するにレッテルを貼ることで、その嫌悪の対象が提唱する全てを全否定させる。だから実際何を提唱しているのかを見えづらくさせ、よく吟味しないようにさせ、先入観に囚われるようにさせて中身を見ない傾向を確立させてきたのだ。「こいつが言ってることは全部間違っている」という先入観を持たせれば、その対象が言うことをよく考えずに全否定してしまい傾向が出来上がってしまう。酷い領域ではその外側だけで判断し、その型を拘束、監きん、あらゆる方法で排除する対象としてしまう。冤罪が正当化される世界ということだ。
エゴはそれを狙って特別の憎悪、嫌悪の対象を作り出し、真実の拡大を阻止し、真実からそらすために尽力しているということだ。

現在、西暦2015年の世界でも各国の国のトップが我が物顔でやっているじゃないか。日本では大々的にやるとこの領域では普通は叩かれるが。
国のトップに不都合な事実は隠蔽され、その不都合な事実を提唱する者をあらゆる手で排除しようとする。北朝鮮や中国、戦争の最中にあるような国々は特にそう。
それはエゴの性質が世界に表現されているからだ。

いいときは持ち上げ、
悪い時には排除する。
この世界に横行するこの性質が、この知覚ある世界を作ったのがエゴでしかないという証明なのだ。

この知覚ある世界の実態はおぞましい。
世界にあるように見える全てには欺きの目的が根底にある。
なぜならエゴが欺きの目的でこの知覚ある世界を作ったからだ。
その世界の内側の、隠されているおぞましい事実を知らなくてはならない。

偽者用コメント(66)
http://s.ameblo.jp/universalacim/comment-12092462260/
【なみ☆念願のハワイ在住達成☆】という名前。 重度の変態ストーカー異常者。

偽者用コメント(51)-1
http://s.ameblo.jp/universalacim/comment-12043301263/
ストーカー8連続【ふみ】【きさ☆51ヶ国訪問中】【なみ☆念願のハワイ在住達成☆】【えり17歳でヨーロッパ30ヶ国制覇♡】【リサ ~ニート城を買う~】【洋子☆主婦の貧乏脱出物語☆】という名前
偽者用コメント(51)-2
http://s.ameblo.jp/universalacim/comment-12043301263/page-2.html

佐藤篤代

概念:佐藤篤代/西暦2015年後半(33)
【A Course in Miracles】
隠された内側へ向かう実践
西暦2015年11月7日:土曜日





西暦2015年段階の概念:佐藤篤代
前半
(1)エゴの隠す特質
(2)エゴが隠し取り繕う過程
(3)2つの正反対の思考システム
(4)知覚ある世界はエゴが作った幻想
(5)スケープゴートの世界構造
(6)原因と結果の法則
(7)繰り返しのサイクルの終わり
(8)知覚ある世界の全てを棄てる
(9)幻想を幻想として見る『赦し』
(10)やり直しのスパイラル
(11)『全ての幻想を同じ』と見る視点
(12)エゴが作った幻想の再利用
(13)身体の脆さと死におけるエゴの目的
(14)身体は幻想・死はない
(15)【死の超越】の実態
(16)『罪の起源』の実態
(17)罪は幻想・罪はない
(18)罪の投影の世界構造
(19)スケープゴートへの罪の投影
(20)罪をでっち上げる世界
(21)エゴが罪悪感を作った理由
(22)罪悪感の投影の実態
(23)自分自身に対する戦いの実態
(24)【異世界レベル】の穴概念
(25)エゴが作った全ての再利用
(26)真の公平な視点
(27)「夢の主人公」の実態
(28)「攻撃の完全放棄」の実質
(29)与えることと受け取ることは同等
(30)【A Course in Miracles】の実態
(31)【A Course in Miracles】世界はない
(32)【A Course in Miracles】幻想の意味
(33)【A Course in Miracles】幻想の消滅
(34)【A Course in Miracles】エゴの思考システム
(35)【A Course in Miracles】エゴの台本
(36)【A Course in Miracles】エゴと聖霊
(37)【A Course in Miracles】聖霊
(38)【A Course in Miracles】死はない
(39)【A Course in Miracles】身体は幻想
(40)【A Course in Miracles】真実に対する防衛
(41)【A Course in Miracles】無防備は力
(42)【A Course in Miracles】聖霊への全託
(43)【A Course in Miracles】聖霊の計画
(44)【A Course in Miracles】概念:赦し
(45)【A Course in Miracles】実践:赦し

西暦2015年後半
(1)【A Course in Miracles】赦しの実際
(2)【A Course in Miracles】神概念
(3)【A Course in Miracles】真の世界
(4)【A Course in Miracles】原因と結果
(5)【A Course in Miracles】与える&受け取る
(6)【A Course in Miracles】与える全てを受け取る
(7)【A Course in Miracles】平和を知らせる意味
(8)【A Course in Miracles】6章:聖霊のレッスン
(9)【A Course in Miracles】peace
(10)【A Course in Miracles】第1:平和に対する障害
(11)【A Course in Miracles】第2:平和に対する障害
(12)【A Course in Miracles】第3:平和に対する障害
(13)【A Course in Miracles】第4:平和に対する障害
(14)【A Course in Miracles】miracle
(15)【A Course in Miracles】trust
(16)【A Course in Miracles】神の教師
(17)【A Course in Miracles】teach・learn
(18)【A Course in Miracles】権威問題
(19)【A Course in Miracles】judgment
(20)【A Course in Miracles】聖霊の判断
(21)【A Course in Miracles】夢の主人公
(22)【A Course in Miracles】the dreamer
(23)【A Course in Miracles】自己概念
(24)【A Course in Miracles】What am I?
(25)【A Course in Miracles】picture・frame
(26)【A Course in Miracles】seek・find
(27)【A Course in Miracles】外側を探し求めてはいけない
(28)【A Course in Miracles】偶像=全個々の存在=無
(29)【A Course in Miracles】全ての偶像を超えて
(30)【A Course in Miracles】幻想に隠された真実
(31)【A Course in Miracles】内側を見ること
(32)【A Course in Miracles】内側を見る恐怖



この本物:佐藤篤代のブログは
【A・Course・in・Miracles】の核心「知覚ある世界はエゴが作った幻想」を矛盾なく徹底的に追究し、
【他が幻想であり、他がない】
と証明する、
『世界の起源を扱う』、
『人間レベルではない』、
【自分発信、自分受信】
の自分が知るために自分が自分に知らせる為のブログだ。

敵はいない。
味方もいない。
全部同じだからだ。
全てが同じエゴが作った幻想でしかないからだ。

本物:佐藤篤代は『エゴが作った幻想』という見方でしか何も見ないから、敵も味方もいない。

この『全てはエゴが作った幻想』という視点でしか『全部同じ』としては見ることはできない。

この本物:佐藤篤代のブログは、
『the Foundation for Inner Peace』の
【A・Course・in・Miracles】
原書second editionの概念をベースにしている。

本物:佐藤篤代がブログで言う核
【A・Course・in・Miracles】の核心
・知覚ある世界はエゴが作った幻想
・他は無い・他は幻想
・エゴが世界に留める為の最大の欺きの手段は特別性だ。
故にエゴの欺きから脱するには特別性を棄てなくてはならない。
・知覚もエゴが作った。
エゴの作った世界の終わりとは知覚の終わりだ。

本物:佐藤篤代はこの【A・Course・in・Miracles】の核心を基本に、【A・Course・in・Miracles】の歪みを削ぎ落としながら、『世界は幻想』という実体験に基づきながら真実へ向かっている。
この点を徹底的に矛盾なくしながら追究している。

矛盾がない概念を採用し、その方向性を目指す。こうして矛盾と歪みをそぎおとしていけば、いずれエゴの欺き(幻想)の完全な終わりへ向かえると本物:佐藤篤代は考えるからだ。

※本物:佐藤篤代が言う「1つの自己」とは【A・Course・in・Miracles】の意味とは違う



西暦2015年(年号:平成27年)
未(ひつじ)年現在

【佐藤篤代について】

この佐藤篤代が手紙を送った宛先のA Course in Miraclesに関連する組織とはthe Foundation for Inner Peace(Mill Valley;アメリカのカリフォルニア州)とthe Foundation for A Course in Miracles(Buecking Drive;Temecula:アメリカのカリフォルニア州)のみ。手紙のみのやり取りだった。
だが、後半ではやり取りは上記組織の個体ではなく、他の存在達こと過去の時点の自分達だけだと考えていた。実際は組織には届いてないと思われる。
西暦2009年から西暦2012年6月29日(金曜日)付の手紙で一切のコンタクトを終了し、以後、今後一切どのA Course in Miracles関連組織とは関わらない。

佐藤篤代はあらゆる全ての思想的布教や教えの組織も含め、A Course in Miraclesに関するあらゆる機関、組織、同人誌を含めた全ての出版、講演、workshop、慈善事業、ボランティア、あらゆる公的活動には一切関わっていないし、永久に関わらない。その他相談的なもの、カウンセリング、ヒーリング等同等の行為にも一切関わっていない。また、イエス キリスト的な偉人系、隠れ偉人や仙人系でもない。

本物は将来性のないニート
(西暦2015年)。
佐藤篤代は西暦2015年1月17日(土)で39才。
日本人(血縁すべて日本人)。
生まれてからずっと中肉中背。
普通の容姿。
西暦2009年から無職。それ以前は全部バイトかパート。
生涯未婚で子無し。

【但し書き】
メール、コメント、いいね等その他全部のコミュニケーションは迷惑だからやめて下さい。例外は一切ありません。
全て別人へのコメントにしかなっていません。
なされる全てが【異世界レベル】の【主人公(偽者)用コメント】でインチキだと判明していますので、「現実の他者」に対する対応は一切しません。
容赦なくツッコミします。そのコメント等の目的、大元を崩す為に容赦ないツッコミをします。

真実はあらゆる他者、他の存在とは分かち合えない。それが実感されている為に一切他者向けには書いていません。

このブログは、本物:佐藤篤代が見てきた過去の全てを受けとる為、そして『1つの自己※』へ向けて知らせる手段として、エゴが作った全ての主人公(偽者)と領域を終わらせる為に書いています。
これも【A・Course・in・Miracles】レベルを超えなければ理解できません。

このブログの中身は隠され、物質主義者レベルのスケープゴート糾弾用まで歪められています。故に中身が見える筈もないのです。だから別人へのコメント等になっているのです。

それ以前にブログのあちこちに置かれたこの【但し書き】が見えないのは【異世界レベル】である証拠となります。

見えていてなおコメント等をするならば、他者を尊重できない他人などどうでもいいと考える「自分、自分」の原始性が際立つ精神的未熟な【他者否定・自己肯定型】だと釘をさしておきます。

このブログにコメント等をする者全てがこのレッテルを掲げて行っているということになりますので、ご注意下さい。

いちゃもん付けコメント(いいね等を利用したものも含)を目撃した者とその周辺一帯に関連づけている者全て、スケープゴート糾弾をしエゴが作った主人公(偽者)レベルの個体を高くして特別性を死守するというエゴの目的を達成するためにエゴに動かされているだけだ。

西暦2015年11月
佐藤篤代






佐藤篤代

概念:佐藤篤代/西暦2015年後半(33)
【A Course in Miracles】
隠された内側へ向かう実践
西暦2015年11月7日:土曜日

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