概念:佐藤篤代/西暦2015年後半(34)
西暦2015年11月11日:水曜日

後半(34)
【『A・Course・in・Miracles』
たくさんの型;1つの修正】

①【A・Course・in・Miracles】テキスト26章『II. Many forms; one correction』引用
②根底にあるこのエゴがこの知覚ある世界を作り続ける理由―それこそが限界にならない限り、世界は作られ続け、問題は永久に終わらない


【①【A・Course・in・Miracles】テキスト26章『II. Many forms; one correction』引用】

今回は【A・Course・in・Miracles】についての「たくさんの型;1つの修正」に関する概念について、
【A・Course・in・Miracles】原書テキスト26章『II. Many forms; one correction』
を用いて引用し提示する。

この知覚ある世界の中で、問題は沢山の型を取るように見える。

解決を1つ1つ試みても、また再発、また別の型として形を変えて問題はあらわれてくる。
根っこの問題を解決するまでそれが続く。

【A・Course・in・Miracles】では、その根っこの問題を『神からの分離』としている。
神の息子が神から分離したと考えた誤創造により、この知覚ある世界がエゴにより作られたように見え、故に、『神からの分離』という根っこの1つの問題が型を変えてこの知覚ある世界の中で表現されているように見える。

この『神からの分離』という根っこの誤思考を修正することが『唯一の答え』であり『唯一の解決』だとされる。

この根っこの問題を解決しない限り、問題は沢山の型を取って、世界にあらわれる。

しかし、西暦2015年段階では本物:佐藤篤代は【A・Course・in・Miracles】自体を歪みだと見ている。神概念も癒しも歪みだ。聖なるキラキラもエゴのアメだと疑ってかかる必要がある。
「student」、「teacher」は矛盾であり、歪みでしかない。
故に『神の使者』も同様だし、日本語訳で更に歪んでいる。
それを踏まえた上で引用するのは、知る過程では欠かせないからだ。

また、原書にある「brother」は「あらゆる他者、個々の存在」、「the Father」は「神」を指すが、これは特別性を温存するための理由で書かれている場合がほとんどだ。
歪みだが【A・Course・in・Miracles】の「the Kingdom」や「Heaven」は「the Kingdom=Heaven=神=神の創造物=神と1つの状態」だ。
「I」等の一人称はJesus(イエス・キリスト)。
「Friend」は「聖霊」。
少なくとも「learn」は「知る」、「teach」は「知らせる」と意味を取らなくては歪みにハマり込む期間がそれだけ長くなる。
故に「teacher」は「知らせる者」、
「learner」は「知るべき者」。
しかも「知らせる(段階の)者」、
「知るべき(段階の)者」。

「idol」とは「偶像」であり、「偶像」とは「あらゆる個々の存在」を指す。

▽以下引用

1. It is not difficult to understand the reasons why you do not ask the Holy Spirit to solve all problems for you.
He has not greater difficulty in resolving some than others.
Every problem is the same to Him, because each one is solved in just the same respect and through the same approach.
The aspects that need solving do not change, whatever form the problem seems to take.
A problem can appear in many forms, and it will do so while the problem lasts.
It serves no purpose to attempt to solve it in a special form.
It will recur and then recur again and yet again, until it has been answered for all time and will not rise again in any form.
And only then are you released from it.

2. The Holy Spirit offers you release from every problem that you think you have.
They are the same to Him because each one, regardless of the form it seems to take, is a demand that someone suffer loss and make a sacrifice that you might gain.
And when the situation is worked out so no one loses is the problem gone, because it was an error in perception that now has been corrected.
One mistake is not more difficult for Him to bring to truth than is another.
For there is but one mistake; the whole idea that loss is possible, and could result in gain for anyone.
If this were true, then God would be unfair; sin would be possible, attack be justified and vengeance fair.

3. This one mistake, in any form, has one correction.
There is no loss; to think there is, is a mistake.
You have no problems, though you think you have.
And yet you could not think so if you saw them vanish one by one, without regard to size, complexity, or place and time, or any attribute which you perceive that makes each one seem different from the rest.
Think not the limits you impose on what you see can limit God in any way.

4. The miracle of justice can correct all errors.
Every problem is an error.
It does injustice to the Son of God, and therefore is not true.
The Holy Spirit does not evaluate injustices as great or small, or more or less.
They have no properties to Him.
They are mistakes from which the Son of God is suffering, but needlessly.
And so He takes the thorns and nails away.
He does not pause to judge whether the hurt be large or little.
He makes but one judgement; that to hurt God's Son must be unfair and therefore is not so.

5. You who believe it safe to give but some mistakes to be corrected while you keep the others to yourself, remember this: Justice is total.
There is no such thing as partial justice.
If the Son of God is guilty then is he condemned, and he deserves no mercy from the God of justice.
But ask not God to punish him because you find him guilty and would have him die.
God offers you the means to see his innocence.
Would it be fair to punish him because you will not look at what is there to see?
Each time you keep a problem for yourself to solve, or judge that it is one that has no resolution, you have made it great, and past the hope of healing.
You deny the miracle of justice can be fair.

6. If God is just, then can there be no problems that justice cannot solve.
But you believe that some injustices are fair and good, and necessary to preserve yourself.
It is these problems that you think are great and cannot be resolved.
For there are those you want to suffer loss, and no one whom you wish to be preserved from sacrifice entirely.
Consider once again your special function.
One is given you to see in him his perfect sinlessness.
And you will ask no sacrifice of him because you could not will he suffer loss.
The miracle of justice you call forth will rest on you as surely as on him.
Nor will the Holy Spirit be content until it is received by everyone.
For what you give to Him is everyone's, and by your giving it can He ensure that everyone receives it equally.

7. Think, then, how great your own release will be when you are willing to receive correction for all your problems.
You will not keep one, for pain in any form you will not want.
And you will see each little hurt resolved before the Holy Spirit's gentle sight.
For all of them are little in His sight, and worth no more than just a tiny sigh before they disappear, to be forever undone and unremembered.
What seemed once to be a special problem, a mistake without a remedy, or an affliction without a cure, has been transformed into a universal blessing.
Sacrifice is gone.
And in its place the Love of God can be remembered, and will shine away all memory of sacrifice and loss.

8. God cannot be remembered until justice is loved instead of feared.
He cannot be unjust to anyone or anything, because He knows that everything that is belongs to Him, and will forever be as He created it.
Nothing He loves but must be sinless and beyond attack.
Your special function opens wide the door beyond which is the memory of His Love kept perfectly intact and underfiled.
And all you need to do is but to wish that Heaven be given you instead of hell, and every bolt and barrier that seems to hold the door securely barred and locked will merely fall away and disappear.
For it is not your Father's Will that you should offer or receive less than He gave, when He created you in perfect love.

(P544~546)
△以上引用

【A・Course・in・Miracles】
second edition:
Text:Chapter26
『II. Many forms; one correction』
全部



【②根底にあるこのエゴがこの知覚ある世界を作り続ける理由―それこそが限界にならない限り、世界は作られ続け、問題は永久に終わらない】

西暦2015年11月9日:月曜日の朝常現象じみたインチキ影響が来て、心底呆れ果てた。
目覚まし機能に触れたこともないデジタル電波時計(西暦2011年に購入)の目覚ましが朝AM5:58にいきなり鳴り出したのだ。また時計インチキだ。
いや…目覚まし機能いじってないんだから、百歩譲ってスイッチが間違って入ったとしても鳴るのは真夜中AM0時だろ。無論、スイッチが入ってるはずもないのだが。
故に、目は覚めていたが、鳴る筈もないものが鳴ったものだから、初め何が生じたのか判らなかった位だ。
デジタル電波時計は部屋に数個設置してあるが、心霊現象的に鳴ったのはベッドサイドのものではなく、別の場所の時計だ。

ホント、いいかげんにして欲しい。【公的系偽者】を筆頭に『いいとこ取り』歪みが激しくなるとすぐにこういう影響がくる。心霊現象、超常現象だっつーの。
目覚まし時計なんかかけてないと何度言ったかな。元々、【人間レベル】にいた頃は目覚まし時計なんかは保険でかけていたこともあったが、普通は目覚ましが鳴る前に目が覚めて止めてたっつの。
昔から何かに目を覚まさせられるの嫌いだったんだよ。

なんて迷惑な【異世界レベル】の影響だ。

というか、【異世界レベル】の主人公達、何かに起こされなくちゃ朝起きられないワケ?最低な怠惰だな。
言っとくが、学生の頃から体調が悪いとか交通事情以外で遅刻したことないんだけど。しかも滅多になかった。規律的だったから、基本的に早め早めの行動だった。大体さ、仕事してた時は朝に瞑想と成功法則の実践してたんだから、余計に一時間以上は早く起きてたんだけど。

目覚まし時計に頼らないと起きられない【人間レベル】の怠惰なレベルの影響がくるなんて、甚だ迷惑なんだけど。

因みに、デジタル電波時計を買ってから、要するに、再利用段階に入った西暦2011年から少なくとも目覚まし時計なんか一度も使っていない。その前から目覚まし時計や他の目覚まし機能なんか使ってないに等しかったが。

このついでに言っておこう。【異世界レベル】の主人公達がまだ仕事を緩く、しかも自宅で仕事をすることで【間接的関連づけ】かこちらの真似をしようとする傾向がまた増したらしいから、実態を言っておこう。

人と接触しなくてもできるデスクワークを1日黙々とやるような仕事じゃないと、在宅の仕事は不可能だ。

自動車メーカーのトヨタが在宅の仕事を増やそうとしてるらしいが、無理がありすぎて、本当に限定的な仕事内容じゃないとできないだろうに。メインである筈の技術職や販売営業は不可能だ。それ以外はやれるならやはり1日黙々デスクワークの仕事くらいだろう。なんで忙しく厳しい筈のメインじゃなく、比較的楽なサブの仕事を更に楽にさせようとするのか疑問過ぎてやる意味がわからない。だってその領域は楽だから更に楽にさせられるんだろ?
あ、もし1日黙々デスクワークが普通の領域ならば、大量の仕事を家でやるのは非効率的だし、会社で処理した方が効率的だ。家でやったら下手な人は仕事とプライベートの区別つかずに、1日中仕事ざんまいになる。家で仕事やれば楽なんて幻想なんだよ。家でやる方が余程大変。ホント、その領域、仕事全然知らないんじゃないかと思っちゃう。

大体、家で仕事をするタイプの職業のほとんどが缶詰め状態が必要だからだ。何日も殆ど寝ずに仕事、仕事の状態に陥るからだ。作家や漫画家やアーティスト見れば解るように、1日に半日以上も机にかじりついて、後は寝食のみの状態がざらなわけだ。締め切り前は壮絶な修羅場になるわけ。余程じゃないと乗りきれない。こっちは目指してただけに何度も経験済み。仕事の合間に直ぐに食べられ、寝れる環境が必要な職業が自宅でやる仕事なんだよ。

楽になる為に在宅勤務にしようとするヤツは、甘ったれなんだよ。そういうヤツこそが、何にも全身全霊、人生と命かけて仕事しては生きてない不平不満だらけの甘ったれ。仕事に対する姿勢が甘過ぎなんだよ。

全身全霊をかけて打ち込む仕事の人間が自宅で仕事するんだよ。休んだり、楽になる為じゃない。仕事に集中できる環境を整えるため。

パートタイマーの仕事を短時間の楽な仕事だとさせている領域があるようだからこれも言っておこう。これは公的機関ハローワークで多々調べた結果の内容だ。
普通のパートタイマーは1日7~8時間勤務が普通。8時間が多い。休憩時間はこの時間には含まれない。
ほぼ全体の職種がそう。
それで、事務系ならば終業時間が普通はPM18:00かPM19:00。
PM17:00もあるが少なめ。
普通はこの形態を求められる。
それ以外は特殊。
飲食、販売業はもっと遅い終業時間で7~8時間勤務。
しかも、社員と同じかそれ以上の仕事をさせられることも多々あるから、「なんでこの仕事量と内容で社員の方が給料いいの!?社員は同じかそれ以下しか仕事してないじゃない!」とパートの人の不満が出る位に、普通は大変でキツイ。よくそう言ってる人を見かけた。
要するに、「社員のくせにパートより仕事ができない、あるいはやっていない」という会社は多々あるということだ。
パートやバイトを馬鹿にしている領域があるようだが、余程パートやバイトの方が仕事ができるし、きちんと仕事をしているという会社も多々あるこの領域の事実を突きつけられればいい。

だが、本物:佐藤篤代が見ていた社員のほとんどはきちんと仕事をしていたし、忙しく、大変そうだった。無論、パートやバイトより早く帰宅する社員は皆無。普通は社員は残業だらけで遅くまで残っていた。パートやバイトも、規定時間ではなかなか仕事が終わらないから、度々残業という職種も多かった。

大概の職種では仕事量が多くて、普通は規定時間ではなかなか終わらないのだ。交代制ならば次に引き継がなくてはならないので残業はなかなかなかったが。

普通なら多くて規定時間では終わらない仕事量なのに、休みが増えたりサボったりしたら、どんどん済ませるべき仕事量が加算されていってしまう。だから普通の人は休まず可能な限り残業してその日の分はその日のうちにとやれるだけ済まさなくてはならない。自分が困るだけだから。だから残業時間を制限されると余計に大変になり、手が回らなくなる事態にも陥る。

だから、政府は何もわかっていない。残業時間などを規制し、仕事を緩く緩くさせればさせるほど、やらなければならない欠かせない仕事が後回しになりできなくなっていくのだ。
やらなければならない欠かせない仕事ができなくなれば、基盤がどうしても欠けていく。だから全体を揺るがす大問題となる事態にも陥ることになる。

政府が仕事を緩く緩くさせればさせるほど、その全体を揺るがす大問題を生じさせるボーダーラインを超えて水面下の問題が浮上する企業が増える。

旭化成、三井住友どころの話ではない位に「不正」やその他全体を揺るがす大問題が生じる企業が増えかねない。このままではどんどん増えていきそうだ。

全領域、肩書きや見掛けに惑わされ過ぎだ。どんなに肩書きがあろうが無能は星の数程いる。特に、肩書きとプライドとブランドばかりで身を飾り立てるだけの中身が空っぽな人間ばかりがトップにいる社会ならば、当然上に上がっていくのは大概空っぽな上役を持ち上げる能力にだけ長けた無能な空っぽ人間だらけなのだから。そんな社会で正当な評価がなされにくいのは当然。

西暦2015年10月からのドラマ「下町ロケット」でも、大企業が下町中小企業のずば抜けた技術力を「大企業が中小企業に負けるはずがないというプライド」で、落とすための不当なテストをやろうとしたように。
大概はそういう余計なプライドが正当な評価を邪魔している。
何のための仕事だ?もっと良いものを目指す為に仕事するんじゃないのか?自分たちの「大企業というちっぽけなプライド」を守るために最高の技術力も潰そうとするなど、本当に何のために仕事してるんだ―というような仕事するヤツがこの世界には多すぎるのだ。

この「下町ロケット」の主人公達とその仲間達は、仕事をする姿勢からして、根本的に、変にプライドばかり高く楽に緩く思考をして沢山休みたいという不平不満だらけの甘ったれとは全く違う。
会社のほぼ全員で自ら2日も徹夜して一丸となって大変でも期限に間に合わせる為に仕事をするなんて、想像もつかないんだろう。それが喜びだなんて想像もつかないんだろう。
西暦2015年11月8日:日曜日の「下町ロケット」4話は【人間レベル】にいたら胸が熱くなってただろう。どこにでもその団結を突き落とす身内は登場するのは当然として。全体の仕事をより良い方向へ持っていく為に全員が一つになり力を合わせて団結して力を尽くすこの情熱と信念に満ちた最高の状態がどれほど喜びに繋がることか。

楽に、緩く仕事をしようとし、休むことばかり考えている領域には、想像もつかないんだろう。

張りぼての見せかけに目を奪われずに、ちゃんと中身に注意を向けろってことだ。

こんな反吐が出る理不尽過ぎるこの領域で良かった。だからこそ、この知覚ある世界の実態に気づけたのだからな。
そうでなければ持っている【A・Course・in・Miracles】の本に辿り着くなどあり得なかった。
だからこそ、何の未練もなく真実だけを追い求められる。



視野が狭いから一面的な物事の見方しかできない。故に盲目。
ある視点に偏っていれば、その視点の内側でしか物事が見えないからだ。
漫画も専門書も同じ物質に過ぎない。
物質レベルでの視点でしか、物質の違いなどに囚われる事はない。
「何のために」という目的自体に2つの決定的な方向性だけがあるとは、盲目故に気づくことはできない。


暫く【公的系偽者用】『いいとこ取り』で歪められた影響の場違いコメントが続いて、どうにか全崩しできないかなと考えていたら、今度は【A・Course・in・Miracles】をやっているフリをしたいちゃもん付けコメントが来た。

偽者用コメント(68)
http://s.ameblo.jp/universalacim/comment-12093616800/
【らら】という名前。
西暦2015年11月9日:月曜日の日常日記分に対するコメント

【らら】1つ目
無題:
こんにちは
いきなり質問させていただく無礼、お許しください。
佐藤さんは一体なんのためにACIMを学んでいるのでしょうか?
コースは内面的な幸せを追求するものであるはずなのに、"妨害""インチキ"という攻撃的な言葉が目立つので純粋に疑問に感じて質問いたしました。コースを学んだ先に、エゴを克服した先にに具体的にどんな事が起きると考えていらっしゃるのでしょうか?
この質問は、"物質主義者"としてではなく、純粋な疑問とした理解していただきたいです。

【らら】2つ目
Re:Re:無題←【偽者用コメント】:
>佐藤篤代さん
返信ありがとうございました。
ブログに度々登場する“物質主義者“という言葉ですが、佐藤さんは日常生活で物質を活用していますよね?いくらエゴが作り出したとはいえ、ご飯を食べたり、買い物をしたりしなければ生活ができません。
そしてこのブログはいったい誰に対して発信しているのでしょうか?まさに“物質主義者”に対してではないのでしょうか。もちろん、佐藤さんが私のコメントに返信しなければならない義務など全くないのですが、ネット上のブログに書くというのは発信したい対象がいるからではないのですか?そうでなければ日記帳にでも書くほうがネットブログに書くより適していると感じました。
以上

この『らら』といういちゃもん付けコメントの言う【A・Course・in・Miracles】は【異世界】の別内容だ。
コメント内容よく見たら、内容が違うのがよく解る。

【A・Course・in・Miracles】は内面の幸福なんか目指してない。
エゴを克服する、とか何言ってる?

本物:佐藤篤代の持つ【A・Course・in・Miracles】とまず内容が決定的に違いすぎる。そりゃ理解できる筈がない。
マリアン、大内博の領域レベルだろう。そりゃわからないだろうよ。日本語訳本【A・Course・in・Miracles】レベルだな。まず、原書を自分で読んでないんじゃ無理だよ。とはいえ原書も【異世界】用だろうから無理だが。

世界自体が違うから、理解できなくて当たり前だ。

内容が違うんだから、まず本物:佐藤篤代をこき下ろす自体が無理だ。べつにこき下ろしてもいいが。痛くも痒くもない。一切他者に信頼してもらうために書いてるワケじゃないからな。

下手に【A・Course・in・Miracles】でいちゃもんつけてくるからだよ。あからさまな【物質主義者レベル】の領域に突っ込みするより余程言いやすい。

決定的に異世界の別内容【A・Course・in・Miracles】の領域。

で、以下が見えないのは異常だから。で、納得しないでいちゃもん付けはもっと異常。

【但し書き】
コメント、「いいね」、メッセージその他全てのコミュニケーション手段は、例外なく迷惑だからやめて下さい。
自分だけ特例、例外だと思わないで下さい。それは傲慢過ぎる独り善がりの思い込みです。

【忠告】
このブログは【自分発信・自分受信】のブログであり、一切他者向けには書いていません。

故に、このブログに行き着いたら、このブログを読まず、直ちに去って下さい。読んでも確実に歪められたものしか見えません。
これは【例外なく】全ての個体、個々の存在に言っています。

この但し書きがありながら読み進めて貴方が受けたとする感情の責任は取れません。歪められた内容を見て勝手に感じた感情をぶつけられるのは甚だしく迷惑です。

忠告はしてありますので、読んで歪みが見えて感情を害していちゃもんつけたくなっても、貴方の責任です。
こちらにはコメントをされても他人へのコメントになっており、意味不明でしかありませんので、やめて下さい。いちゃもん付けコメントに限らず全てのコメントが例外なく同様です。
以上

エゴが作った【異世界】主人公レベルを持ち上げるために不都合なことが書かれると落とすためにスケープゴートが作られる。そのスケープゴートの影響がこのまた違う領域の本物:佐藤篤代にやってきている。

だから、すべてはエゴが作ったインチキに過ぎないと言っている。

まず、このブログに掲載されている【但し書き】が見えろ、【物質主義者】。

この【但し書き】が見えず、言ってることがわからないなら、何を説明してもこの主の領域には解らない。

とにかく、このいちゃもん付けコメントがやってるのは、単に「仕事の実態」について書かれて仕事の甘過ぎる領域の実態が発覚したから、この領域の実態を書いた本物:佐藤篤代を否定し、落とし、発言権を失わせたいだけ。

だが、本物:佐藤篤代はこの領域の事実だけを突き付けているだけだ。この再利用手段とその理由について、そんなことも解らないのでは、何を言っても別内容の【A・Course・in・Miracles】の領域にはわからない。

まず、『個体はエゴが作ったのであり、再利用手段でしかない』と解らないのでは、個体を神聖化させたい視点では何も見えない。

で、このコメント、以前に来た【物質主義者レベル】のあからさまないちゃもん付けコメントの書き方と方向性がそっくりだ。

パターン化し過ぎてるから気を付けたらいいのに、少しは。

そんなにストーカーにさせたいのか?何でこのブログにコメントしてくる全てがマニュアルでもあるかのように、一定のパターンが見え見えなのか?

全部、コメントはエゴが作ったインチキだからだよ。現実の他者なんかがコメントしてないからだよ。

全部、【異世界レベル】の主人公達を持ち上げるために作られた単なる設定に過ぎないから、全部一定の同じパターンしかできない。

パターン同じ過ぎて笑えるんだけど(笑)

こんなので、どうやって現実の人間とまともなコメントのやり取りができる筈があるんだ(笑)?こんなにまで噛み合わないで、相手は確実に別人とやり取りしてるのに(笑)?

不可能だよ。


―というわけで、ここまで過剰反応された日にゃ、この領域の仕事の実態の提示が【異世界レベル】の主人公達に大打撃を与えたということが判りすぎるワケだし、徹底的に提示し尽くしてやる。
(概念記事では前の方に入れ込んだ)

こうしてケンカ売られたら、その領域を的確に崩せる方向性を持ち出して、この領域の事実を突きつければいいのだ。

「だからアベノミクスは支離滅裂だ」という週刊誌の見出し、意味がよく解る。

安倍晋三第2次政権は、バブルをやりたい領域の主人公達の影響が来すぎた。前々から書いているように。

バブル世代は西暦2015年では40代後半~50代位だろう。その親世代の子供達が就職する時期だ。だから、去年、西暦2014年では就職活動方がいきなり変わり、そのひずみが今来ていると報じられ、「朝令暮改」と非難される位に今年もまた方法が変わる。大学の学業の時間がなくなり卒論が書けなければ普通卒業もできない。

あ、日本の大学は入るのは難しいが出るのは簡単と言われているが、卒論が提出できず、単位が取れなければ大学は卒業できない。
アメリカの大学は入るのは簡単だが卒業が難しいらしいが。ちゃんと勉強しないと出られない。

ニュースを見ていると、どうやらバブル時代で行われた就職活動が去年、西暦2014年になされていたらしい。目を疑ったが、あり得ない方法過ぎて【異世界】というか、【場違い】という言葉がよく当てはまる。就活学生に焼き肉接待?バカなのかなと思った。学生達は就活で普通は不必要に厳しいことを言われて度々泣かされているという毎年の現状はどこへ?

もう【異世界】過ぎて駄目だ。だから、新国立競技場白紙撤回問題、消えた年金問題、年金問題流出問題、東芝不正、旭化成・三井住友マンション不正、フォルクスワーゲン不正、東京オリンピックエンブレム盗作白紙撤回問題、STAP細胞はありませんでした問題…後から後から、物理的法則など世界の法則に従えば必ず突きつけられる問題が浮上するのだ。

魔法で誤魔化す【異世界】。だからこの、最後の領域の、物理的法則など世界の法則に従った結果が突き付けられるのだ。

お気楽ご気楽魔法ではこの領域では何も成立しない。基盤の仕事がしっかりできていなければ、全体が崩れる。旭化成、三井住友マンション不正のように。欠かせない仕事を省けば、その欠陥が全体を揺るがす。その欠かせない仕事をするには必ずこれだけは時間がかかるという法則があり、その物理的法則はこの領域では絶対だ。魔法は通用しない。世界が現実ならば必ず縛られる世界の法則がある。
【異世界】はそれを無視して魔法をごり押ししようとし、世界の法則に従った結果を後から突きつけられる。

ご都合主義とはいかない、とエゴとは正反対の【終わらせる為に作用する何か】が作用して矛盾を突きつける。

世界が現実ならば、世界の法則に従った結果が必ず出てくる。仕事量と時間の法則を誤魔化そうとしたら、基盤が欠陥となるので、必ず破綻に追い込まれる。
これは避けられない。

それとも、魔法をごり押しして、世界がインチキだと証明しちゃいますか?

いちゃもん付けコメントみたいに、世界に統一されていない違う内容の【A・Course・in・Miracles】があると証明しちゃいますか?

但し書きがあちこちにあるのに「なぜか絶対に見えていないコメントばかりがやってくる」という証明をしちゃいますか?

そうして、知覚ある世界がエゴが作ったインチキでしかないから、こんなに支離滅裂なのだと証明しちゃいますか(笑)?

この本物:佐藤篤代の領域は最後に作られた領域だから、いくら違う甘くて緩くて楽園みたいな世界をごり押しして作り出しても、必ず破綻に持っていかれる。

だって、順番的にエゴによって最後に作られたのに、前に作られた領域の何が、最後を超えられるって言うんだ?

最後は最後。覆らないから最後なんだよ。

そして、最後の領域である本物:佐藤篤代の領域は、理不尽で強者が自分を持ち上げるために弱者をスケープゴートとして突き落として生き残ろうとする反吐が出るほど残酷で醜くて酷い世界だ。聖なるキラキラも愛も優しさも、強者が自分を高くさせて弱者を落とすための手段に過ぎなかったといずれ気付く。

世界の根底にあるのは全てエゴの欺きの目的だけだ。穢い、えげつない、どす黒い狡猾な実態を見たら、もうこんな世界なんかいらなくなる。

だからこそ、こんな世界はいらないと実感でき、何にも未練は残らずに棄てられる。


いちゃもん付けコメントも、持ち上げコメントも沢山の型を取るように見える。
しかし、全て同じパターンで同じようなことを言ってくる。時に口調まで似ている。
それは、沢山の別の他者がこれらのコメントの『元』ではないからだ。
沢山の型に見える全てのコメントはエゴが作った。『大元』は同じ。だからパターンも何もかも似ている。

たくさんの型―その大元は1つ
ということだ。

1つ大元、エゴの目的により作られた。
故に、たくさんの型各々という視点で解決を図ろうとしても、そのたくさんの型は終わらない。
1つの大元である、エゴの目的を限界へ持っていき、作る意味を無くさせない限りは、エゴはまた新たに作り出す。
1つの大元、エゴの目的が終わらない限り、たくさんの型が作られるのは終わらないということだ。


知覚ある世界に問題の型はこのように多々あるように見えるし、解決すべき沢山の答えがあるように見える。

だが、根底にあるのは、『エゴが欺きの目的でこの知覚ある世界を作った』という事実であり、その根底から沢山の型、問題、解決法があるように作られているのだ。だからこの世界に浮上する問題の型をいくら解決しようが、何も終わらない。

根底にあるこのエゴがこの知覚ある世界を作り続ける理由―それこそが限界にならない限り、世界は作られ続け、問題は永久に終わらないのだ。

エゴが世界を作る意味を完全に失わせない限り、何も終わらない。

この終わらない問題のサイクルに完全に終止符を打つには、根底にある原因に取り組まなくてはならない。

佐藤篤代

概念:佐藤篤代/西暦2015年後半(34)
【A Course in Miracles】
たくさんの型;1つの修正
西暦2015年11月11日:水曜日




西暦2015年段階の概念:佐藤篤代
前半
(1)エゴの隠す特質
(2)エゴが隠し取り繕う過程
(3)2つの正反対の思考システム
(4)知覚ある世界はエゴが作った幻想
(5)スケープゴートの世界構造
(6)原因と結果の法則
(7)繰り返しのサイクルの終わり
(8)知覚ある世界の全てを棄てる
(9)幻想を幻想として見る『赦し』
(10)やり直しのスパイラル
(11)『全ての幻想を同じ』と見る視点
(12)エゴが作った幻想の再利用
(13)身体の脆さと死におけるエゴの目的
(14)身体は幻想・死はない
(15)【死の超越】の実態
(16)『罪の起源』の実態
(17)罪は幻想・罪はない
(18)罪の投影の世界構造
(19)スケープゴートへの罪の投影
(20)罪をでっち上げる世界
(21)エゴが罪悪感を作った理由
(22)罪悪感の投影の実態
(23)自分自身に対する戦いの実態
(24)【異世界レベル】の穴概念
(25)エゴが作った全ての再利用
(26)真の公平な視点
(27)「夢の主人公」の実態
(28)「攻撃の完全放棄」の実質
(29)与えることと受け取ることは同等
(30)【A Course in Miracles】の実態
(31)【A Course in Miracles】世界はない
(32)【A Course in Miracles】幻想の意味
(33)【A Course in Miracles】幻想の消滅
(34)【A Course in Miracles】エゴの思考システム
(35)【A Course in Miracles】エゴの台本
(36)【A Course in Miracles】エゴと聖霊
(37)【A Course in Miracles】聖霊
(38)【A Course in Miracles】死はない
(39)【A Course in Miracles】身体は幻想
(40)【A Course in Miracles】真実に対する防衛
(41)【A Course in Miracles】無防備は力
(42)【A Course in Miracles】聖霊への全託
(43)【A Course in Miracles】聖霊の計画
(44)【A Course in Miracles】概念:赦し
(45)【A Course in Miracles】実践:赦し

西暦2015年後半
(1)【A Course in Miracles】赦しの実際
(2)【A Course in Miracles】神概念
(3)【A Course in Miracles】真の世界
(4)【A Course in Miracles】原因と結果
(5)【A Course in Miracles】与える&受け取る
(6)【A Course in Miracles】与える全てを受け取る
(7)【A Course in Miracles】平和を知らせる意味
(8)【A Course in Miracles】6章:聖霊のレッスン
(9)【A Course in Miracles】peace
(10)【A Course in Miracles】第1:平和に対する障害
(11)【A Course in Miracles】第2:平和に対する障害
(12)【A Course in Miracles】第3:平和に対する障害
(13)【A Course in Miracles】第4:平和に対する障害
(14)【A Course in Miracles】miracle
(15)【A Course in Miracles】trust
(16)【A Course in Miracles】神の教師
(17)【A Course in Miracles】teach・learn
(18)【A Course in Miracles】権威問題
(19)【A Course in Miracles】judgment
(20)【A Course in Miracles】聖霊の判断
(21)【A Course in Miracles】夢の主人公
(22)【A Course in Miracles】the dreamer
(23)【A Course in Miracles】自己概念
(24)【A Course in Miracles】What am I?
(25)【A Course in Miracles】picture・frame
(26)【A Course in Miracles】seek・find
(27)【A Course in Miracles】外側を探し求めてはいけない
(28)【A Course in Miracles】偶像=全個々の存在=無
(29)【A Course in Miracles】全ての偶像を超えて
(30)【A Course in Miracles】幻想に隠された真実
(31)【A Course in Miracles】内側を見ること
(32)【A Course in Miracles】内側を見る恐怖
(33)【A Course in Miracles】隠された内側へ向かう実践



この本物:佐藤篤代のブログは
【A・Course・in・Miracles】の核心「知覚ある世界はエゴが作った幻想」を矛盾なく徹底的に追究し、
【他が幻想であり、他がない】
と証明する、
『世界の起源を扱う』、
『人間レベルではない』、
【自分発信、自分受信】
の自分が知るために自分が自分に知らせる為のブログだ。

敵はいない。
味方もいない。
全部同じだからだ。
全てが同じエゴが作った幻想でしかないからだ。

本物:佐藤篤代は『エゴが作った幻想』という見方でしか何も見ないから、敵も味方もいない。

この『全てはエゴが作った幻想』という視点でしか『全部同じ』としては見ることはできない。

この本物:佐藤篤代のブログは、
『the Foundation for Inner Peace』の
【A・Course・in・Miracles】
原書second editionの概念をベースにしている。

本物:佐藤篤代がブログで言う核
【A・Course・in・Miracles】の核心
・知覚ある世界はエゴが作った幻想
・他は無い・他は幻想
・エゴが世界に留める為の最大の欺きの手段は特別性だ。
故にエゴの欺きから脱するには特別性を棄てなくてはならない。
・知覚もエゴが作った。
エゴの作った世界の終わりとは知覚の終わりだ。

本物:佐藤篤代はこの【A・Course・in・Miracles】の核心を基本に、【A・Course・in・Miracles】の歪みを削ぎ落としながら、『世界は幻想』という実体験に基づきながら真実へ向かっている。
この点を徹底的に矛盾なくしながら追究している。

矛盾がない概念を採用し、その方向性を目指す。こうして矛盾と歪みをそぎおとしていけば、いずれエゴの欺き(幻想)の完全な終わりへ向かえると本物:佐藤篤代は考えるからだ。

※本物:佐藤篤代が言う「1つの自己」とは【A・Course・in・Miracles】の意味とは違う



西暦2015年(年号:平成27年)
未(ひつじ)年現在

【佐藤篤代について】

西暦2012年7月16日:月曜日:海の日
【A・Course・in・Miracles】セカンドエディション(1976年発行:※生まれ年)の2回目日本語直訳、意訳をやめて直訳でやり直し始める。西暦2011年秋にある所へ送付し自分用が手元にないので、これは自分用。(西暦2012年10月末頃から中断し、西暦2013年11月2日:土曜日にやめた)

理由:【A・Course・in・Miracles】は本という型なので真実を完璧に表現できない。エゴは視界レベルで作り直せると気づいた為。
エゴはあいまいな記憶の水面下をいかようにも作り変えられる。時にはあからさまに作り変える。

同じ理由から【A・Course・in・Miracles】原書は全部はブログ掲載はしない。

この佐藤篤代が手紙を送った宛先のA Course in Miraclesに関連する組織とはthe Foundation for Inner Peace(Mill Valley;アメリカのカリフォルニア州)とthe Foundation for A Course in Miracles(Buecking Drive;Temecula:アメリカのカリフォルニア州)のみ。手紙のみのやり取りだった。
だが、後半ではやり取りは上記組織の個体ではなく、他の存在達こと過去の時点の自分達だけだと考えていた。実際は組織には届いてないと思われる。
西暦2009年から西暦2012年6月29日(金曜日)付の手紙で一切のコンタクトを終了し、以後、今後一切どのA Course in Miracles関連組織とは関わらない。

佐藤篤代はあらゆる全ての思想的布教や教えの組織も含め、A Course in Miraclesに関するあらゆる機関、組織、同人誌を含めた全ての出版、講演、workshop、慈善事業、ボランティア、あらゆる公的活動には一切関わっていないし、永久に関わらない。その他相談的なもの、カウンセリング、ヒーリング等同等の行為にも一切関わっていない。また、イエス キリスト的な偉人系、隠れ偉人や仙人系でもない。

佐藤篤代は生涯本籍変わらない。小学高学年で新築した際1年位近い親戚の家にいた以外、ずっと同じ場所に住んでいる。栃木県宇都宮市。

西暦2013年に新車購入全プロセスは終了済。日本車(国内車)。

佐藤篤代はパスポートを生涯取せず、海外渡航歴なし。

佐藤篤代は生まれてからずっと大病なし、入院もなし。

本物の佐藤篤代は36才(西暦2012年)から風邪も引かない。何らかの症状は代用の偽物の一過性の影響に過ぎないので病気ではない。アレルギーもならない。

本物の佐藤篤代は清潔。潔癖。

パソコン持ってなく、自分用スマートフォンでブログ書いてる。完全ブログ等インターネット使用のもので通話他はやらない。だから西暦2014年位からは部屋からも持ち出さない。祖母の携帯電話を借りていたのはXPERIAの機種変更まで。

西暦2012年冬から今ずっと通販してない。めったにしていなかったが。西暦2014年1月19日:日曜日にNissen登録削除しもう通販しない。通販は他でもやってない。
(西暦2015年1月現在)

本物:佐藤篤代は43才になったら、ピンクと可愛い系(フリルやリボンやハートや星等マーク含め)や短いスカートやパンツ系をやめる。
現在の髪型をガラリと変え茶髪もやめる。前髪はなくし、髪色は黒。 現在の髪型(おかっぱ、前髪パッツン、茶髪 )は35才(西暦2011年夏の終わり)から継続中。
暖色系は極力やめ寒色系を主にする(白アイボリー系は多少やる)。ババアはババアらしくする。若づくりやらない。

西暦2007年12月から西暦2008年秋までが第1次インターネットblog活動。西暦2012年1月17日から現在に至るまで第2次インターネットblog活動。それ以外何もない。

本物は将来性のないニート
(西暦2015年)。
佐藤篤代は西暦2015年1月17日(土)で39才。
日本人(血縁すべて日本人)。
生まれてからずっと中肉中背。
普通の容姿。
西暦2009年から無職。それ以前は全部バイトかパート。
生涯未婚で子無し。

【但し書き】
メール、コメント、いいね等その他全部のコミュニケーションは迷惑だからやめて下さい。例外は一切ありません。
全て別人へのコメントにしかなっていません。
なされる全てが【異世界レベル】の【主人公(偽者)用コメント】でインチキだと判明していますので、「現実の他者」に対する対応は一切しません。
容赦なくツッコミします。そのコメント等の目的、大元を崩す為に容赦ないツッコミをします。

真実はあらゆる他者、他の存在とは分かち合えない。それが実感されている為に一切他者向けには書いていません。

このブログは、本物:佐藤篤代が見てきた過去の全てを受けとる為、そして『1つの自己※』へ向けて知らせる手段として、エゴが作った全ての主人公(偽者)と領域を終わらせる為に書いています。
これも【A・Course・in・Miracles】レベルを超えなければ理解できません。

このブログの中身は隠され、物質主義者レベルのスケープゴート糾弾用まで歪められています。故に中身が見える筈もないのです。だから別人へのコメント等になっているのです。

また、このブログは型としては日本人の日本語によるブログです。
コメント自体、この但し書きを見てやめるのは正常な人間の判断です。ですがそう書いてもコメントが止まない為書いておきますが、ことわりなしの英語も含め、違う言語でのコメント等は非礼に当たると言っておきます。

それ以前にブログのあちこちに置かれたこの【但し書き】が見えないのは【異世界レベル】である証拠となります。

見えていてなおコメント等をするならば、他者を尊重できない他人などどうでもいいと考える「自分、自分」の原始性が際立つ精神的未熟な【他者否定・自己肯定型】だと釘をさしておきます。

このブログにコメント等をする者全てがこのレッテルを掲げて行っているということになりますので、ご注意下さい。

いちゃもん付けコメント(いいね等を利用したものも含)を目撃した者とその周辺一帯に関連づけている者全て、スケープゴート糾弾をしエゴが作った主人公(偽者)レベルの個体を高くして特別性を死守するというエゴの目的を達成するためにエゴに動かされているだけだ。

西暦2015年11月
佐藤篤代





佐藤篤代

概念:佐藤篤代/西暦2015年後半(34)
【A Course in Miracles】
たくさんの型;1つの修正
西暦2015年11月11日:水曜日

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