概念:佐藤篤代/西暦2016年後半(51)
西暦2016年11月26日:土曜日

後半(51)
【『A・Course・in・Miracles』
『知』の冠の特別性の崩し方】

①【A・Course・in・Miracles】原文引用+『『知』の冠の特別性の崩し方―
「エゴはきみがすることを重要に見せたがる。……きみが幻想は現実じゃないとほんとうに理解していれば、幻想のなかで起こることも重要じゃないだろう」ゲイリー・R・レナード本引用。「知覚ある世界の全ては皆同等にエゴが作った幻想(インチキ)」という視点―そこに一切特別な価値も視点もない。「自分」も例外ではない。全てがエゴの台本通りにしか動けないエゴ・ロボットに過ぎないという実感が全ての特別性を終わらせる』
②ソクラテスは「自分は知らない」と知者ではない証明をしようとしたのではなく有名な知者を潰して自分の特別性と価値を高めようとしただけ。真実において他者との比較や競争は無意味。本質的な方向性は、自分を含めた知覚ある世界の全てを、皆同等に無意味な、エゴが作ったインチキだと知らなくてはならないだけ

【①【A・Course・in・Miracles】原文引用+『『知』の冠の特別性の崩し方―
「エゴはきみがすることを重要に見せたがる。……きみが幻想は現実じゃないとほんとうに理解していれば、幻想のなかで起こることも重要じゃないだろう」ゲイリー・R・レナード本引用。「知覚ある世界の全ては皆同等にエゴが作った幻想(インチキ)」という視点―そこに一切特別な価値も視点もない。「自分」も例外ではない。全てがエゴの台本通りにしか動けないエゴ・ロボットに過ぎないという実感が全ての特別性を終わらせる』】

しばらくは去年西暦2015年の続きで「特別性」に関する概念記事を書いていく。この概念は徹底的に書き尽くし、どれほどエゴが「特別性」を死守し欺きの手段としているかをはっきりさせる。
今回西暦2016年後半概念(51)では、
【A・Course・in・Miracles】原書
second edition
ワークブックLESSON158
9
ワークブックLESSON132
6-(2~5)
を提示していく。
LESSON132の6は入れていた方がいいという判断から添え付けで入れている。
LESSONは158は西暦2016年後半(43)から小分けに全提示する。

今回西暦2016年後半概念(51)では
『『知』の冠の特別性の崩し方―
「エゴはきみがすることを重要に見せたがる。……きみが幻想は現実じゃないとほんとうに理解していれば、幻想のなかで起こることも重要じゃないだろう」ゲイリー・R・レナード本引用。「知覚ある世界の全ては皆同等にエゴが作った幻想(インチキ)」という視点―そこに一切特別な価値も視点もない。「自分」も例外ではない。全てがエゴの台本通りにしか動けないエゴ・ロボットに過ぎないという実感が全ての特別性を終わらせる』
という方向性の内容だ。
【A・Course・in・Miracles】原書引用箇所は直に特別性とは結び付いてはない。
この辺りでは原文引用よりも、②からの内容を書き尽くすことに重点を置いている。

西暦2016年段階では本物:佐藤篤代は【A・Course・in・Miracles】自体を歪みだと見ている。神概念も癒しも歪みだ。聖なるキラキラもエゴのアメだと疑ってかかる必要がある。
「student」、「teacher」は矛盾であり、歪みでしかない。
故に『神の使者』も同様だし、日本語訳で更に歪んでいる。
それを踏まえた上で引用するのは、知る過程では欠かせないからだ。

また、原書にある「brother」は「あらゆる他者、個々の存在」、「the Father」は「神」を指すが、これは特別性を温存するための理由で書かれている場合がほとんどだ。
歪みだが【A・Course・in・Miracles】の「the Kingdom」や「Heaven」は「the Kingdom=Heaven=神=神の創造物=神と1つの状態」だ。
少なくとも「learn」は「知る」、「teach」は「知らせる」と意味を取らなくては歪みにハマり込む期間がそれだけ長くなる。
故に「teacher」は「知らせる者」、
「learner」は「知るべき者」。
しかも「知らせる(段階の)者」、
「知るべき(段階の)者」。

【A・Course・in・Miracles】の『illusion』と『dream』は仏教で言う意味に近い意味。『世界は幻想』という意味。
『knowledge』は『知っている状態』位にとるべき。「知識」だと全体の意味がとれなくなる。

「heal」とは「癒し」ではなく「エゴの思考システムに囚われた状態から正常な(『聖霊』要するに【終わらせる為に作用する何か】の)思考システムへの移行」というようような意味で捉えるべきだ。

▽以下引用

LESSON158

Today I learn to give as I receive.

9. Thus are his sins forgiven him, for Chrirt has vision that has power to overlook them all.
In His forgiveness are thay gone.
Unseen by One they merely disappear, because a vision of the holiness that lies beyond them comes to take their place.
In matters not what form they took, nor how enormous they appeared to be, nor who seemsd to be hurt by them.
They are no more.
And all effects they seemed to have are gone with them, undone and never to be done.

※敢えて強調するが、歪みがある前提で引用してる。

【A・Course・in・Miracles】
second edition:
WORKBOOK FOR STUDENTS
LESSON158
9
(P299)

LESSON132

6. …There is no world!
This is the central thought the course attempts to teach.
Not everyone is ready to accept it, and each one must go as far as he can let himself be led along the road to truth.
He will return and go still farther, or perhaps step back a while and then return again.

△以上引用

【A・Course・in・Miracles】
second edition:
WORKBOOK FOR STUDENTS
LESSON132
6-(2~5)
(P244)



【②ソクラテスは「自分は知らない」と知者ではない証明をしようとしたのではなく有名な知者を潰して自分の特別性と価値を高めようとしただけ。真実において他者との比較や競争は無意味。本質的な方向性は、自分を含めた知覚ある世界の全てを、皆同等に無意味な、エゴが作ったインチキだと知らなくてはならないだけ】

11/24
プラトンの『ソクラテスの弁明』を初めて読んだが、世界史でもやるし、プラトンやソクラテス等の古い哲学者については色々なその他の本やその他手段で言及や扱いがあり少しは知っていたが、やはり個人的な真実追究という【人間レベル】概念としての観点で役には立たなかったという結論は予想通り間違いなかった。ホント古い。【人間レベル】では読む必要がないから読まなかった。読む必要がない本は読まなかったように作られているというのはやはり正しく、【人間レベル】では何も得るものがなかっただろうと判る。

ソクラテスは『他者尊重』が全っっっく出来てない無知だった。ソクラテスがやってたことは、哲学ではなく、ソクラテス自身が武器に使っていたが『自分は知らないと思う』と『知らないフリ』をすることで、『知っている』と言われる者を潰して自分の特別性を高くさせることだ。それこそこの『自分は知らないと常に認識しなければ真実など何も知ることはできない』概念を知っているフリ。そこにあるのは高低、比較、競争。より価値があるとかないとか。「人間は全て同じ」と見る視点は永久に得られない未熟すぎる概念。そんな自分の価値を高くさせる為の卑怯な猿真似中身空っぽ概念など役に立つ筈がない。【人間レベル】で読まなかった筈だわ。物質主義者レベルの下手な猿真似が酷い。エゴの常套手段の下手な概念誤魔化し。
但し、【学術系】崩しの為に、【人間レベル】を超えた今西暦2016年段階ではソクラテスは再利用できると思った。

エゴが作ったより初期の世界のうち、一番強固で、恐らく一番初期の世界は、【学術系】主人公だ。

以前は何故、エゴは、紀元前後という古い時代のイエス(Jesus)の生前設定でより進んだ【A・Course・in・Miracles】に近い概念を採り入れたのかという疑問の答えが不確実だった。
以前ブログにも書いたが、エゴはこの領域と個体から漏れる概念をどこまで隠せるかが判らなかったのだろうと推測していた。
だが、最近やったゲームがヒントになり、主人公には『冠』があり、その掲げた『冠』に反することが絶対にできないのだと判明した。『冠』に反すればそれが致命的で存続できなくなる。
それにより、もしかすると、【学術系】は知能、知力、知識、知恵―『知っている』ということがステータスであり、掲げられた失えない『冠』だからこそ、採り入れざるを得なかったのではないかと思えていた。その『知』という『冠』に縛られているが故、誰かより『知らない』、『無知』、『低レベル』という状態が発覚すると、その【学術系】主人公の特別性の誘引が保てなくなるからこそ、漏れた『新しい概念』を採り入れざるを得なかったということなのだろう。採り入れなければ存続できなくなるからだけ。
パズル的知り方でどんどん不明瞭だった疑問の答えがはっきりしてくるな~σ(≧ω≦*)あは♪

【学術系】の後で作られた主人公の概念レベルが【低レベル】化した理由がやっと判った。

ただ、その【学術系】の『冠』を限界にさせる手段としてはソクラテスは使える。殆どの【学術系】はソクラテス以下だからだ。

ソクラテスはデルフォイの神託で「ソクラテスより知恵ある者はだれもいない」と聞いた。それでソクラテスは自分では知恵ある者とは思えないから、神の意図をめぐって知恵がある者と思われている人々を訪ね回り、「その人は自分よりも知恵ある者だ」と示そうとした。本当に「困った時の神頼み」的なエゴの言い訳だ。ヘドが出る。だが、【学術系】崩しに使える。

『私は、知恵あると思われている人の一人を訪ねました。可能ならそこで神託を論駁して、神の託宣に対してこう示そうと思ったのです。
「この人が、私より知恵ある者です。あなたは、私がそうだ、とおっしゃったのですが」と。
そこで、その人をよく吟味しながら―名前を挙げてお話しする必要はないでしょうが、政治家の一人でした―その吟味で次のような経験をしました。アテナイの皆さん、その人と対話をしていて、私にはこう思われたのです。
「この人は、他の多くの人間たちに知恵あり者だと思われ、とりわけ自分自身でそう思い込んでいるが、実際はそうではない」と。
そこで私は、その人が自分では知恵があると思っているが実際はそうではない、ということを当人に示そうと努めました。このことから、私はその人に憎まれ、また、そこに居合わせた多くの人たちにも憎まれたのです。
私は帰りながら、自分を相手にこう推論しました。
「私はこの人よりは知恵がある。それは、たぶん私たちのどちらも立派で善いことを何一つ知ってはいないのだが、この人は知らないのに知っていると思っているのに対して、私のほうは、知らないので、ちょうどそのとおり、知ら"ない"と思っているのだから。どうやら、なにかそのほんの小さな点で、私はこの人よりも知恵あるようだ。つまり、私は、知らないことを、知らないと思っているという点で」と。
このことから、私は、その人よりもっと知恵があると思われている別の人の所にも行きましたが、まったく同じ状態だと思われたのです。そしてそこでも、その当人と他の多くの人々に憎まれてしまったのです。』
(『ソクラテスの弁明/プラトン』より引用)

「当たり前だろうが!子供か、お前は」
―状態だ。いやぁ、未熟すぎる。『他者尊重』概念を知らないと本当に混同が酷いことがよく判る。
その為、このソクラテスの概念世界は、エゴが作ったより初期の、『他者尊重』という概念すら皆無の概念レベルが未熟すぎる世界の表れだろう。物質主義者レベルの世界がこの領域から漏れた概念をいいとこ採りして歪めるとこうした笑える未成熟な「子供か、お前は」概念が誕生するわけだ。意味わからずに言葉だけ使っているハリボテ。

そりゃ、お前、憎まれるの当たり前だから。どんだけ迷惑行為だ。どんだけ暇人の極みだ。どんだけ未熟な精神だ。だから「ソクラテスの弁明(【言い訳】)」なんてタイトルがつくんだよ。
わざわざ自ら無知な輩を訪ねて自分の価値を高めるためにその輩の無知さを暴露して指摘してまわるなんて、なんて迷惑極まりない行為だ。失礼にも程がある。礼節やマナーが欠落しすぎだ。無知な状態では実態を確かめるために話を聞くぶんにはいいが、面と向かって現実の人間だと信じる相手の間違いを正し非難するなど、明らかに僭越行為だ。
【人間レベル】において、『他者尊重』がちゃんとできてるヤツは相手が自分より無知だと判っても面と向かって間違いを正したり非難しないでその相手から黙って何も言わずに去る。間違いというものは外から指摘されたから受け入れられるものではない。誰も誰かの間違いを正すなどできない。何故なら、自分で間違いに気づき、自分で受け入れなくては本当には間違いは正せないからだ。
『誰も自分以外の誰かを変えることなどできない』という事実が理解できていれば、他者の間違いを正そうと指摘し、非難する等という愚の骨頂で無意味なことはしない。逆にそんなことをすれば、相手は頑なになり、逆効果でしかない。もしかしたら自分で気づけたら簡単に正せたかもしれないのに、その他者は意地になって一生間違いを正せなくなる。ならば、相手の最善を願うなら、間違いに自分で気づくのを待つしかない。大体は、外側から間違いを指摘されるとこじれて頑なになる。だからこそ、放っておくのが最善。成功法則段階からならば相手の為に祈るのが最善。哲学や真実を追究するという目的があるのならば、その間違った他者には何も言わずに去るべきなのだ。間違った他者とその間違いにではなく、真実のみに焦点を向けるべきだからだ。他者の間違いに囚われていては道を見失う。そして、そうでなければ下手に恨みを買い、執拗に付きまとわれる最悪な事態になる。自分にも相手にもマイナスでしかない。自分と相手の最善の為に、黙って去り、祈るのが最善。
だからソクラテスは未熟なんだよ。ソクラテスは相手の最善を何も考えていないどころか、「自分、自分」で自分のことしか考えていない。ソクラテスは相手の無知を示すことで自分の価値を高めようとしかしていない。哲学ではなく、自分の特別性が大事だからこそ、要らぬ無意味な行為をする。解説者は盲目過ぎて言い訳しかしないが、この傲慢な利己主義こそがソクラテスの実態だ。自分のことしか考えず他者の観点に立てない者は真実の足元にすら立っていない。相手に相手の間違いを示しても、自他共に何の利点もないどころか、マイナスしか生じない。だからソクラテスは死刑になり毒杯を飲むはめになったのだ。
何度も何度も書いてるが、他者には他者の生き方と信念がある。それを変えることは他の人間にはできない。無意味どころかマイナスしか生じないから、決して相手を変えようとしてはならないのだ。だから、尊重し、相容れないならば何も言わずに去るしかないだけだ。自分は自分の、他者は他者の道を行くのみ。もし自分が突然押しかけられてまとわりつかれて非難されたらどう思うのか。それを考えたら、自分が自由にさせて欲しいならば、他者を自由にさせる。これが成功法則の黄金率『自分がこうしてもらいたいと思うように人にしなさい』だ。そして同じく『撒いた種を刈り取る』により、相手を自由に解放すれば、自分も自由に解放される。ソクラテスは単にこの因果応報の結果を最終的に受け取り、自由を奪われたのだ。

「何のために」―その目的は隠せない。ある概念レベルの観点からは一目瞭然となる。エゴはこの領域、この個体から漏れた概念を都合よく歪めて、その各世界の主人公の特別性を誘引させる為の手段とする。
ソクラテスも同じだ。ソクラテスは『真実を知る為には「自分は何も知らない」と認識する必要がある』という概念をいいとこ採りした中身のない空っぽ状態。もし中身があるならば、他人がより知ってるとか知らないとか全くの無関係となる。他者間の比較なんか無意味だからだ。他者なんか関係ない。

本物:佐藤篤代は、まだ【人間レベル】にいた頃、【A・Course・in・Miracles】という本を作ったのは物理的に人間だとまだ現実性に囚われて考えていた頃、Kenneth Wapnickやゲイリー・R・レナードに手紙を書いた。ちゃんと【A・Course・in・Miracles】の意味が取れているか確認したかったのと同じものを共有できる理解者が欲しかったからだ。とにかく誰も理解できる人間がいなかったから、模索と確実性を求めた。しかし、ゲイリーは最初からまだちゃんと意味が取れていないと(無知さを)判っていたから、その知る段階レベルを尊重し、「【A・Course・in・Miracles】の中身を事前に知れる本を書いてくれてありがとう」とお礼だけを言った。Kenneth Wapnickには手紙をやり取りの末に、「エゴしか組織を作らないから、組織を作った者は何も解っていない」と判明し、その段階レベルを尊重し、祝福して、お礼を言い手紙を止めた。理解者がいないと知り落胆したが、その辺りで真実を知る上で理解者は絶対に得られないと判った。何故ならあらゆる存在を作ったのはエゴだけであり、理解者がいれば必ず特別性が誘引され、【A・Course・in・Miracles】にある『特別性を完全に棄てる』という目的が果たせないからだ。
全ての存在は『全部同じ』と見られなくてはならない。そうでなければ『全ての存在も、知覚ある世界の全てはエゴが作った幻想』だという視点で全てを見ることができない。
故に、他者間の比較など、真実を知る上で無意味だ。だからこそ、他者の間違いを指摘するなど無意味なのだ。

個別的であれば、何かが特別であれば、その視点で何か言動をすれば、全体が自分にとっての現実となる。解るかなぁ?
扱いは『全体(知覚ある世界の全て)』でなくてはならないのだ。『何か1つであれ特別な状態(知覚ある世界の中の何か)』で扱ってはならないのだ。そうでなければ、エゴが作ったインチキが現実性を持ってしまうからだ。
だから、ソクラテスは下手な猿真似だと言っている。特別性を死守する、特別性が追求される観点から全てを見ているから、『現実の他者』への非難という未熟者行為と成り下がった。
この個体が、この領域でやっていることは、『現実の他者(知覚ある世界の中の特定の何か)』として一切を見ずに、『全体(知覚ある世界の全て)』のインチキさをインチキだという証拠の提示することだ。その用意されたインチキをツッコミすることだ。
何度も書いてるが、その違いが解らないか隠すから、未熟な他者非難にしかならないハリボテ知恵者が【異世界】に生じるのだ。大変な混同状態だ。その違いが判らずに下手に他者の間違いを正そうとするから、一気に下手な猿真似状態で未熟者となる。
まず、目的が真逆だ。
エゴの目的により特別性の誘引の手段としてツッコミが真似されるから、精神的未熟者と帰す。
こちらの、エゴとは正反対の作用【A・Course・in・Miracles】で『聖霊』と歪められた【終わらせる為に作用する何か】の作用の目的は、その特別性を終わらせること。だから、ツッコミで特別性は生じない。何かを特別にするためではなく、特別性を全部無効にさせる為のツッコミだ。自他共に特別性を誘引されることはない。だから、エゴの全ての手段を終わらせる為の手段となるわけだ。
目的が全く違うと、全く違う結果となる。
ソクラテスは教師ではないし誰にも教えていないと言いながらも、『現実の他者』を非難して自分の特別性を高くさせようとした。だからこそ『現実の他者』を非難し自由を奪った当然の結果を得た。
この個体がやっていることは、『他者も何もかも全てはエゴが作った幻想(インチキ)』という観点から『エゴが作ったインチキ全てをインチキだとツッコミをすることで、エゴが作った全て、全ての特別性の誘引を終わらせること』。だからこそエゴのインチキが発覚し次々に終わっていくのみ。現実の誰も非難していないし自由も奪っていない。もし他者が現実ならば決して他者を非難したり否定したりしない。エゴが作ったインチキをインチキだと指摘しているだけ。それは世界全体で現実だと信じられてきた幻想の囚われからの解放。与えているのは自由と解放と真実。だから縛られそうになったり閉じ込められそうになっても、解放されていく。

大体、こちらに関連づけて来ない限りは、何にも囚われていないから無関心であり、無関係であってくれる限りは放っておくし、わざわざこちらから出向いてツッコミするような無意味なことはしていない。あまりにも執拗に執拗にストーカー的に関連づけて来る対象だけにツッコミしている。その執拗な関連づけを終わらせる為に。こちらに土足で踏み躙って来た無法な対象にだけツッコミしていて後は放っておいている。興味もくそもない。こっちは暇じゃないんだから、自分より遅れた概念なんかに興味持ったり貴重な時間を取るわけないだろ。何も得るものがない。みな、同じエゴが作ったインチキなのに特に興味引かれるものなどない。その全てを終わらせるヒントにしか興味ない。

真実を探求するとか言いながら、後ろを振り返って無意味に自分より知らない人間の間違いを指摘したり正そうとすることが、後退でしかなく、時間の浪費でしかないと知れ、インチキ知恵者どもが。
少しは前を向いて、真実だけに焦点合わせなよ、『知』を冠としたハリボテ【学術系】が。

そして、執拗犯罪ストーカーねずみ色パーカー北隣【近藤】(仮:50才前後男役所系公務員:西暦2016年)、平日にサボり過ぎて給与不正受給になりすぎてる事実を知れ。お前が数年前に書いた内容そのままパクって後は歪めた【犯罪ストーカー近藤コメント】の主の若~中年時代かジジイかもう墓場系の【学術系】主人公の表れか、その背後に黒幕ジジイがいる象徴だと今日、西暦2016年11月24日:木曜日でやっとわかったわ!風呂やトイレのタイミングをあからさまに狙ってくる嗜虐的快楽志向の【学術系】め、またソクラテス盗んで歪める気だろ。あまりにも例がこれまでに有りすぎてやっとパズルが合わさったわ!この盗っ人変態ストーカーめ!あらゆる象徴のパズルのピースを合わさり【近藤50型】の色濃い可能性が見えてきたぞ。
【学術系】主人公は恐らく男のみ。
だから最後の主人公は真逆の女なんだよ。
『知』を冠としてるくせに無知で思考能力が欠落した【学術系】主人公の足りない論理的思考能力で少しは考えさせたら?エゴ。
1番最初の強烈な特別性の型を崩すには真逆が最善の手段だと解らない?その強烈な特別性型がバカにし糾弾し排除してきたスケープゴート型に『知』において劣っている事実が判明したら崩壊しかない。しかも、その最後の型が特別なのではなく、それ以前にその最後の世界の概念レベルにおいて劣っていたら、ガタガタに崩れ去るだけ。『知』の『冠』なのに『知』において一般人以下。存続不可能だろ。
少しは論理的に考えさせたら?『知』の『冠』の両刃の剣のネックについて。

大体さ、真実を歪めることしかできない初期型が、隠された真実を追究しきって歪みを全部取り除き最終的に提示する最後型に『知』において打ち勝てるわけないじゃんσ(o・ω・o)少し考えりゃ判る。

アホな【異世界】、特に北隣【近藤】(仮)が『祝福』という言葉を歪めて『祝い』にさせたようなので意味を提示しておこう。よくあるんだよ、こういうアホ歪み。

【祝福】しゅくふく
《名・ス他》
1.
前途の幸福を祈り、いわうこと。
2.
キリスト教で、神から賜る幸福。それを求め祈ること。
以上インターネット検索して出てくる辞書引用

『ブログが見えない異常者と化した異世界の住人達』その他28
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12189547785.html

ブログが見えない異常者と化した異世界の住人達(リンクまとめ)
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12115515187.html


11/25
西暦2016年11月24日:木曜日
http://www.sankei.com/smp/politics/news/161124/plt1611240020-s1.html
「国会審議に対する侮辱」「プロレスにも田舎にも失礼」 民進・山井国対委員長、萩生田官房副長官の「田舎のプロレス」発言に反論
民進党の山井和則国対委員長は24日午前、国会内で記者会見し、萩生田光一官房副長官が野党の国会対応を「田舎のプロレス」「茶番」と批判したことについて「極めて不適切。国会審議に対する侮辱であり、強く抗議する」と述べた。
同日午後の衆院議院運営委員会理事会で謝罪と発言の撤回を求める意向も表明し、「謝罪、撤回をしない以上、今後の新たな日程協議の大きな支障になる」と指摘。萩生田氏が求めに応じない場合は、今後の国会審議の日程協議に応じない可能性を示唆した。
特に、野党側の抵抗を「田舎のプロレス」と表現したことについては「私もプロレスファンの一人だが、プロレスに対しても田舎に対しても失礼だ」と問題視。萩生田氏が衆院東京24区選出であることを念頭に「都会のプロレスだったらいいのか。田舎蔑視ではないか」と批判した。
以上ニュースから引用

ふふ。田舎否定、したらいいさ。だが、田舎を否定した以上、生涯田舎に足を踏み入れるなよ、田舎蔑視者。否定したからには田舎にやって来れる資格を失うと思え、全ての田舎蔑視者?バカな【異世界】が不用意に。田舎を肯定しなくてはならなくなった時に、前々に作られた田舎蔑視発言の世界が漏れそうだよね(笑)そういう作用だよ、【終わらせる為に作用する何か】は。あはは。より初期の世界は本当に無思慮過ぎ。こういうのを「自分で仕掛けた地雷を自分で踏むアホな状態」って言うんだよ。こちらは勿論一生涯都会なんか行かない。都会系が関連づけどんどんやりづらくなるだけ。あはは。もっとどんどん田舎蔑視すれば?都会系。結局確実に墓穴掘るから。

あらゆる存在、人間を作ったのはエゴだ。だから、特定の何かを蔑視、差別する。エゴにとって不都合な対象をスケープゴートとして排除する為に。より初期の世界であればあるほど、その排除法が残酷で、この領域では犯罪行為となる残虐行為だ。その残虐行為がこの領域に照らし合わされ続けて、正当化、合法化できなくなっていき、最終的には蔑視、差別自体が否定される世界をエゴは作らざるを得なくなった。
エゴが作った個体の各主人公はより初期であればある程、世界を味方につけながら蔑視、差別を正当化し合法とする。自身でも蔑視、差別する。官房副長官の田舎蔑視のように。女性蔑視、漫画蔑視もそう。エゴが最後の主人公の要素をスケープゴート糾弾対象として蔑視、差別させ、排除してきた表れだ。
だが、官房副長官のように、蔑視、差別発言はこの領域では否定される。だからこそ、各主人公は前々に作られた、不用意に蔑視、差別発言をしていた世界がネックになる。不都合となり、蔑視、差別を否定する世界が後から作り直されても、前々に差別発言した世界がいつまでも漏れる。だから、過ちを認め謝罪するかその主人公が終わるしかなくなる。その表れが、政治家の失言に色濃く表れている。『過去(前々の世界)にやった』ことはいつまでも、その主人公の特別性誘引の価値が終わるまで付きまとい致命的になるということをこれらのニュースでエゴは知ったらいい。
スケープゴート排除のための蔑視、差別づくりはその主人公が自ら仕掛けて自ら踏む地雷にしかならないんだよ。その根強い漫画蔑視、絶対に漫画を否定できなくなる時に必ず致命傷になるから。差別自体が精神的未熟さの表れだからね。

昨日も書いたように、西暦2016年11月24日:木曜日、北隣【近藤】(仮:50才前後役所系地方公務員男:西暦2016年)は、給与不正受給になりすぎてるサボり過多すぎ状態の中、またサボりで、また風呂を狙った。完全に犯罪ストーカー風呂狙いの為のサボりだという証明だ。
風呂中、すぐ外北西の北隣【近藤】駐車場であからさまな物音がした。「今、すぐ外で物音がしたけど、雪が落ちる音だよね?じゃなきゃ犯罪者が彷徨いてるということになる」と近くにいた【実母】に言うと、直後車の鍵を開けるピピという音がし、すぐ近くの車が出ていった。
このパターンはあまりにも多すぎて多すぎて、何回もブログに書いてきたし、書ききれない程にある。風呂を狙い済ました外出。北隣【近藤】(仮)は紛れもなくサボってまで風呂を狙っている犯罪者だ。サボる度にやられる位の頻度だ。前々から言ってるように、こちらはあまりにもあり得ない執拗さで風呂を狙われるので、仕事をサボらなくては狙えない時間帯に風呂に入っている。しかも、それをやり出してから年々どんどん時間はずらしている。だから、狙いを定めなければ狙えない。ルーティン言い訳はできないようになっている。故に、偶然とは絶対に言えないし、完全に意図的な狙いだ。北隣【近藤】(仮)全体が、完全にストーカー犯罪行為だ。
更に、北隣【近藤】(仮:50才前後役所系地方公務員男:西暦2016年)が風呂を狙って不正ハスラー(スズキ自動車)で出ていく音が聞こえなかったと言うので、風呂出て着替えてから、風呂の窓を開けて【実母】に見せた。するとそこに風呂直前まであるのを確認してある不正ハスラーはやはりなくなっていたことが証明された。しかし、その駐車場になんと、北隣【近藤】(仮:70~80代老女:西暦2016年)が潜むように立っていて、窓を開けた途端に平屋の方へ歩き出したのだ。それを目の当たりにし、あまりにも酷い狙いなので思考停止した位に呆気に取られた。風呂の近くまでわざわざやってきて、わざわざ風呂に聞き耳を立てていなければそういう状態にならない不自然極まりない状態だった。何故なら雪掻きは必要はない程度であれ、異常な初雪の日だったのに何故外を彷徨いているのか。だからそこまで外を彷徨かなかった北隣【近藤】(仮:70~80代老女:西暦2016年)が何故まるで見計らったようにこちらの風呂の時間帯に近くまでやって来て立ち尽くしていたのか―風呂狙い以外の何だ?北隣【近藤】(仮)老齢の家は、50才前後夫妻の家の北側にある。平日は昼間不在の50才前後の家が近接地にある。老齢の家はこちらの家から離れているから、わざわざ足を運ばなくてはならない訳だが、理由がない。老齢の家は東に玄関があり、東の細道から出入りする。普通なら西の細道、西側には用がない。西方向は田んぼだらけで何の店もない。買い物や外出するなら東方向しかない。東の細道から出入りするのが正常な人間で西の細道には用がある筈がない。だから、尋常でない用事を作らなければ南西部には用はない。雪掻きは必要はなかったものの凍える寒さの雪なら尚更。だからこそ、風呂を狙う意図があってわざわざ近くまでやって来たとしか言いようがないのだ。
というわけで、北隣【近藤】(仮)老母と息子ダブル親子で風呂を狙ったということになる。親子で犯罪ストーカー。しかも役所系公務員。毎日毎日何かしかで風呂を狙ってくるが、本当に凄まじい風呂狙いへの執着だ。
あり得ない嗜虐的快楽志向でなければ誰もやらないことであり、究極の暇人だ。人の風呂を狙う為に仕事を給与不正受給になるまでサボり尽くし、風呂を狙う為に、聞き耳を立ててその瞬間を狙おうとする、変態犯罪ストーカー北隣【近藤】(仮)一家。世界が現実なら、警察が正常に機能していれば、確実に逮捕されてるレベルだ。とても人間とは思えない。

このあからさま過ぎる風呂やトイレその他のタイミング狙い関連づけ、エゴが作ったより初期の【異世界】、【学術系】の領域なんだろうが、あまりにもゴリ押しが最大級に酷い故この領域では犯罪レベルとなる行為となると本当に判らない、犯罪を犯罪と認識できない、アホな思考能力の領域に思えて仕方ない、『知能』を疑いたくなる位の、世界構造のかけ離れ度に愕然とする思いだ。
『知』の『冠』を掲げてるが故に、この領域に照らし合わされて、殆どバカとしか言いようがない、『知能』欠落状態を突きつけられるのだろうな。
『知』を『冠』として掲げたので、その無能さが露呈され『知』の欠片もないと発覚した時、【学術系】は堕ちる。
特別性は誘引不可能となる。
それこそが、【A・Course・in・Miracles】で『聖霊』と歪められた【終わらせる為に作用する何か】の作用の目的。
それを思い知り、風呂やトイレ、あらゆる他者のタイミングを狙い尽くしたら犯罪ストーカーとなること位知りなよ、思い上がりで執拗な執拗なアホな狙いのストーカー【学術系】。更に、北隣設定をやれば北隣【近藤】(仮)の犯罪ストーカー行為が蓄積されていくだけで、やればやる程に、犯罪ストーカー行為が人間離れして異常犯罪一家になり尽くすだけだ、と少し考えりゃ判るんじゃないの?頭がいい筈の【学術系】。そんなことも判らないから、『低レベル』の『知能の低さ』の実態が突きつけられるんだよ。
―となるよ、エゴ。もう遅いが。北隣【近藤】(仮)にしても、トランプにしても、【負の遺産レガシー】は雪だるま式に膨れ上がり続け、破綻の時を待つのみ。

北隣設定ゴリ押しし過ぎて、北隣【近藤】(仮)はトイレや風呂やその他のタイミングを狙い尽くす犯罪ストーカー尽くし凶悪犯罪者一家で、サボりにサボりが重なりすぎて給与不正受給になりすぎ状態。しかも1人しか運転できないのに2台も車を所有し、1台は高級車メルセデス・ベンツ黒ワゴン車で、1年で4台も新車を購入、3年間で5台も新車を購入し、その間息子は超授業料が高額の医大生(西暦2016年で四年生の筈)。3年間で何千万円もの浪費。完全に不正犯罪行ってる状態にしかならない。サボり尽くし地方公務員一家では不正犯罪確実。富山県をはじめ、様々な自治体で問題となっている公私混同と不正問題が裏付けする。北隣【近藤】(仮)は支離滅裂の滅茶苦茶な状態で、とても現実とは思えない。現実ならとっくに逮捕されてる。
こんな犯罪者一家が正当化されたら、そんな世界でまともな正常な人間が普通に生きていけるわけがなく、生き残れるわけがないだろ。なんせ、不正や犯罪行為、『悪』こそが『正義』とされるわけだからな。
本当に世界がエゴが作ったインチキで、非現実でよかったよ。

【異世界の異常者犯罪レベルコメント】
西暦2016年
http://s.ameblo.jp/universalacim/comment-12114073474/
近藤 さん
04月09日 14:42
^^
ブログ更新してないじゃん
いいねが2264になってるよ
おばあちゃんは元気かな?送迎頑張ってる?
見えてるよお風呂
IP:210.149.125.35
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【異世界の異常者犯罪レベルコメント】
西暦2016年
http://s.ameblo.jp/universalacim/comment-12114073474/
近藤 さん
04月09日 14:46
無題
ゲイリーR.レナードの「神の使者」はA Course in Miraclesの原文(second edition)へ否応なしに運んだ本だ。奇跡のコースが生涯取り組まなければならないものだとわからせた本だ。ただ、その域を超えない。その後、2~3年後には、A Course in Miracles以外は必要ないとわかり、その他の全てを捨てた。もちろん、A Course in Miraclesだけでも足りなすぎる。原文にも「このコースは始まりであって終わりではない。この後は『聖霊(the Holy Spirit)』に従って進んで行く」というようなことが書かれている。書物に頼るのは、コース(本)で終わりということで、後は独自で真実を知る方法がとられる。一つには偏らない。つまり、コース関連本やその他の手段などいらないということだ。人間にとってコース入門書は各自一冊で充分であり、それ以上はあまり意味がない。入門書は今のところまでは、エゴにそらされていく者の本しかない。ゲイリーの本も、奇跡のコースをきちんと訳していくと、だいぶ言っていることが違う、と気づく。ゲイリーはエゴに狙われやすく、だいぶエゴの妨害が入っている。内容も、エゴがそらす方向へどんどん向かった。今のところ(2012年現在原書は別問題で本物購入できる)で見えているコース関連本はみなエゴによるものか、エゴの妨害が入っている。
IP:210.149.125.35
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↑↓数年前に書いた内容を盗んだらしい
【異世界の異常者犯罪レベルコメント】
西暦2016年
http://s.ameblo.jp/universalacim/comment-12114073474/
. さん【=近藤】
04月09日 17:03
無題
この世界の中の一つでも肯定しているうちは、真実を知ることはできない。本当には事実に辿り着けない。この世界とは、ありとあらゆる存在が今いる世界のことを常に指す。
真実を知る為には、今まで信じていた全て、教えられていた全て、知っていた全てを、この世界の全てを全部否定しなければならない。これが真の否定だ。
世界はない。この意味が本当にわかる時、この世界に一切の未練がない時だろう。それまでは「世界がない」というエゴが作った意味を、型を変えられ、歪められたたくさんの意味を教えられ、信じさせられることになる。真実のありとあらゆるエゴにより歪められた型が違う意味を、何度も教えられることになる。そして、あらゆる作り出された偽物や敵をすべての型で攻撃するように仕向けられる。
その末に攻撃は自分にしか向かわなかったと知る。自分自身の攻撃にボロボロになるだろう。そして攻撃的思考を全部棄てなければ何も終わらない事を知る。真実を自分に来ないようにさせていたのは、それが可能だったのは自分自身だけだったと知る。
自分は何も知らない、自分はきちんと見えても聞こえていないと知らなければ、真実を知れない。
IP:210.149.125.35
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↑昨日、西暦2016年11月24日:木曜日のソクラテスの内容盗んで歪めた【学術系近藤】の領域がこれだろ。これが盗用してる証拠だ。


『エゴはきみがすることを重要に見せたがる。きみの霊性(スピリチュアリティ)を邪魔し、真実を遅らせようとして、そういう領域でのきみの行動を重要な特別なものに思わせたがる。だが聖霊にとっては、きみが「彼」のため、あるいはイエスや神のためにすることは重要ではない。きみが幻想は現実じゃないとほんとうに理解していれば、幻想のなかで起こることも重要じゃないだろう』
以上引用P280(歪み前提で引用)
『神の使者』
(原書名:The Disappearance of the Universe)
ゲイリー・R・レナード
吉田利子訳
西暦2007年1月30日:日本語版初版発行

「知覚ある世界の全ては皆同等にエゴが作った幻想(インチキ)」という視点―そこに一切特別な価値も視点もない。
「自分」も例外ではない。
本物:佐藤篤代は、この「自分」もエゴが作った台本通りにしか動けないエゴ・ロボットであり、同時に【A・Course・in・Miracles】で『聖霊』と歪められた【終わらせる為に作用する何か】の終わらせる為の再利用手段、道具でしかないという自覚の元に終わらせる為にだけ言動している。
それはこの個体がエゴが【終わらせる為に作用する何か】に作らざるを得なくなった最後の限界型エゴ・ロボットだからであるだけだ。
この視点に一切特別性は生じない。
どちらにしろ、道具である自覚しかない。最後の限界の世界の限界型であるだけに、もう全てが終わることしか望んでいないから、終わらせる道具であることに満足している。
単に、さっさと終わって欲しいだけ。
だからその為なら何でもするだけ。

最後に作られた世界の最後か最後近くの主人公だからだけ、知ってることが真実により近いだけ。だから、この個体が提示したことを前々の世界が言葉だけ使って歪めても単に中身のない無知さが暴露されることになるだけ。
だからこそ、その中身のないハリボテが目の前に関連づけで表されたら、容赦なくツッコミしてその前々の世界の特別性の誘引手段を終わらせるだけ。ハリボテでしかないソクラテスのように、な。

佐藤篤代

概念:佐藤篤代/西暦2016年後半(51)
【A Course in Miracles】
『知』の冠の特別性の崩し方
西暦2016年11月26日:土曜日


西暦2016年段階概念:佐藤篤代
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12115170669.html
後半(50)【A Course in Miracles】混同の理不尽で残酷な特別性

西暦2016年(年号:平成28年)
申(さる)年現在

【佐藤篤代について】

[本物:佐藤篤代がブログで言う核]
【A・Course・in・Miracles】の核心
・知覚ある世界全てはエゴが作った幻想
・他は無い・他は幻想
・エゴが世界に留める為の最大の欺きの手段は特別性だ。
故にエゴの欺きから脱するには特別性を棄てなくてはならない。
・知覚もエゴが作った。
エゴの作った世界の終わりとは知覚の終わりだ。

本物:佐藤篤代はこの【A・Course・in・Miracles】の核心を基本に、【A・Course・in・Miracles】の歪みを削ぎ落としながら、『世界は幻想』という実体験に基づきながら真実へ向かっている。
この点を徹底的に矛盾なくしながら追究している。

矛盾がない概念を採用し、その方向性を目指す。こうして矛盾と歪みをそぎおとしていけば、いずれエゴの欺き(幻想)の完全な終わりへ向かえると本物:佐藤篤代は考えるからだ。

『世界は幻想』とは【人間レベル】で言うと仏教的意味合いに近い。

[佐藤篤代]

佐藤篤代はあらゆる全ての思想的布教や教えの組織も含め、A Course in Miraclesに関するあらゆる機関、組織、同人誌を含めた全ての出版、講演、workshop、慈善事業、ボランティア、あらゆる公的活動には一切関わっていないし、永久に関わらない。その他相談的なもの、カウンセリング、ヒーリング等同等の行為にも一切関わっていない。また、イエス キリスト的な偉人系、隠れ偉人や仙人系でもない。

本物は将来性のないニート
(西暦2016年)
佐藤篤代は西暦2016年1月17日(日曜日)で40才
※しばらく「土曜日」とされていた
栃木県宇都宮市のド田舎生れずっと在住
日本人(血縁すべて日本人)
生まれてからずっと中肉中背
普通の容姿
西暦2009年から無職。それ以前は全部バイトかパート
生涯未婚で子無し



佐藤篤代の現段階の概念
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12102633510.html

A Course in Miracles;世界は幻想という意味/2013.12.31佐藤篤代
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11740124334.html

西暦2016年版プロフィール
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12111502426.html

43才になったらやらない一覧
http://simplog.jp/comment/11771884/23

ニュースリンク(西暦2014年4月~)
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12102638099.html

【但し書き】必ずお読み下さい
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12101838092.html















【但し書き】
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全て別人へのコメントにしかなっていません。
なされる全てが【異世界レベル】の【主人公(偽者)用コメント】でインチキだと判明していますので、「現実の他者」に対する対応は一切しません。
容赦なくツッコミします。そのコメント等の目的、大元を崩す為に容赦ないツッコミをします。
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佐藤篤代

概念:佐藤篤代/西暦2016年後半(51)
【A Course in Miracles】
『知』の冠の特別性の崩し方
西暦2016年11月26日:土曜日