こんにちは
咲多 美唯喜ですやる気なしピスケ




から続いています富士山



空港からの帰り道
こどもたちが寝てしまってから
車内で夫が話してくれました


次男坊は、実家で過ごしている間、
一言も言葉を発しなかったとのこと。

ずっと、横たわったまま、
食事も寝たまま

その食事もほんのちょっぴり。


実家の母は、次男坊がすこしでも食べられるものをと、毎日のようにさまざまなものを用意してくれて

実家の父は、すこしでも次男坊が笑顔になってくれるようにと、こども番組を録画してみせるものの


次男坊は、そのどれにも、ほぼ無反応


翌日、電話で父から詳しく聞き、

「とにかく一緒にいてやりなさい

そして、元気になったら連絡しなさい」




泣きました



次男坊はちっとも身体にチカラがはいらないようで

日中も、お漏らしばかり

翌日には、再び話すようになっていましたが、全く変わってしまった



しばらく、幼稚園をお休みしていっしょに過ごすことにしました


そして、
いつも丁寧に診てくださる
アントロポゾフィー医学の先生のところに
行きました



いつも、先生のところへ行くと
どんなに症状がひどいようにみえるときも

その病気や、命そのものに
自然と感謝がわきあがってきて

帰り道には、こどもたちも私自身も
すっかり元気になってしまうのです。


私が絶対的に信頼を寄せている先生


今、ふりかえると、もうどうしようもなく
助けてほしかったのだと思います




次男坊はハワイ島行きの直前、熱が出始めた頃に
先生のところに行っていたので


その後のことを先生に説明しました


・私がしばらく次男坊から離れていたこと
・その間、私の実家に次男坊をお願いしていたこと
・実家では、次男坊は一言も言葉を発せず
すっかりやつれてしまったこと



もう、ただただ悲しくて申し訳なくて

泣きそうになりながら説明しました


先生は、いつもの受診ではとってもシンプル。

高熱を出したあとも、
『遠慮なく出しましたね。お土産(ホメオパシーのレメディー)をあげようね』

とにっこり。

ちゃんと症状として出した身体に感謝しながら褒めてくださるのです。


その先生が、今回は、
次男坊を診察しながら

何かふっと考える仕草をして
そして、次男坊ではなく
私の方を向いて
尋ねられました


『◯◯(次男坊の名前)くんは、今、5歳ですか・・・


お母さんが、このぐらいのときに、


どんなことがあったか覚えていますか?』



・・・


ドキっとしました



・・・



ドキドキして、えーっとえーっと・・・とオロオロしながら答えました。



『毎年、夏になると
肘の内側と、膝の内側に
汗疹が出たりしました・・・』

先生が、うなづきながらカルテに記入しています

そして、
他にも何かたわいもないことを言ったと思います。

でも、それを言った瞬間、自分で自分自身に違うよね・・・それじゃない・・・
とつぶやいていました。


そして、
先生に伝えました



『その頃、両親が離婚しました。そして、私は、父のもとに残りました』


ドキドキしました


『りこん』という言葉にも、
これが、一連の出来事に繋がっていることにも
ぼんやり気づいて

ドキドキしました



先生は

私の目をしっかりと見つめながら話してくださいました。




長くなったので、④につづきます・・・とびだすうさぎ1




今日もあなたとあなたの愛する人が
しあわせでありますようにカナヘイハート

心からお祈りしていますつながるうさぎ
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写真は、3歳の頃の次男坊カナヘイきらきら