わが国日本にとっても(普段このような視点で何かを見たりブログを書いたりすることはめったにない私だけれど)否応なく、シリア問題、東京オリンピック招致、そして何より宮崎駿監督の引退会見・・・自分に直接に関係あることとして捉えないわけにはいかなかった。
私はまだ「風立ちぬ」を観ていない。そしてすべての宮崎作品を観てきたわけではない。でも「ハウルの動く城」を見ないと眠れない日々や、「もののけ姫」のサンに自分を重ねたり「千と千尋の神隠し」では30回は見て自分もハクリュウに乗ったし、息子はもう成長していたが、一人でポニョポニョポニョ♪を3回観た。
「この世は生きるに値するんだよ」と語りかける、宮崎監督の愛そのものに触れていると感じていた。どんなに私を癒してくれたことか・・・どんなに私にとって必要な作品たちだったか。だから宮崎監督がなぜ今引退宣言をしたか、その意図はストレートに伝わった。子どもたちに「この世は生きるに値する」ということを、このあと伝えていくことができない・・・世の中がこのままでは・・・と思ったからだ。町工場のおじさんとして、燃え尽きた・・と思ったからだ。
私も・・・かもしれない。馬は素敵な能力を持っていて、伴侶動物にもなる・・・ってことをもう子どもたちに伝えていくことができない・・・ お金もない・・ もう何にもない・・なんて、偉そうな弱気がよぎった瞬間、大どんでん返しをしてくれたのが、東京オリンピック招致のためのアスリートたちのチームプレーだった。
安倍首相の原発問題に立ち向かった英語のスピーチ、日本を元気にするために今言わねば・・という思いはとても伝わった・・結果発表まで「ドキドキしましたけど・・」首相がドキドキだなんて、ナチュラルでチャーミングだったが、オリンピックメダリストたちの「生きてきて一番うれしいという言葉。東京オリンピック招致をみんなの手で勝ち取ったことは、自身がメダルをとったときより嬉しいという。なぜなら、「こどもたちに、ステージを作ってあげることができたから」。と号泣しながらフェンシングの太田雄貴選手は言った。
ただでさえ、借金まみれの日本が、震災に襲われ原発汚染水に怯え、そんな中、震災復興のために、子どもたちの未来のために東京オリンピック招致を勝取り、7年後に向かって大人も子どもたちのために走れるというのだから。日本も、東京を選んだ世界も、まだまだ大丈夫、ケンジャナかもしれない・・「こどもたちが生きるに値する世の中」と、果たして、世界に通じることば(作品)を持つ
宮崎駿監督は思われただろうか。そんな簡単な問題だろうか・・・
・・私も再び馬のための仕事ができるのなら・・・馬という動物と、目と心で話ができる感動を、子どもたちに伝えたい。宮崎駿監督が町工場のおじさんなら、私は犬小屋の家政婦はみた(みほ)さんだ・・
そして、子どもたち、子どもたち・・というけれど、大人はみんな昔は子どもだった。子どもたちが生きるに値しない世の中には、大人だってみな耐えられない、倍返ししようがどうしようが・・・である。かつてこどもだったおとなもみな「子どもたちが生きるに値しない世の中」には耐えられないのではないか。
まず自分が元気でいなくては、自分以外の人を守れないし癒せない・・。自分だけが元気ならそれでいい・・という人は放っておいて、宮崎駿監督のめがねの奥の瞳は、いまだ少年のように輝いていたことを私は見逃さなかった。彼なりのメッセージを私は読み取れた。太田雄貴選手は、どうかまた新たな目的、夢の実現に向かって、リーダーとしてこれからの時間を刻んでください。あなたの涙がこの先に被災地にまで届けられるものであることを信じたい。
2020東京オリンピック招致が決まって本当に良かったと思うけれど、これまで多くの作品を通して世界中の人を感動させ癒し続けた宮崎駿監督の彼なりの世界への挑戦状が、さまざまな国の子どもたち、そしてかつて子どもだったすべての人の心に、届くことを願ってやまない。