親に忠実に従うことを示す道徳概念のことで、
儒教の信奉者が、それを徳に価すると認識しているものの一つです。
身近なところから段階的に進められる儒教の徳において、
まず家庭で守られるべき徳として「悌(兄や年長者によく従うこと)」とともに重視されました。
「孝悌(親と兄、年長者によく従うこと)」と併用され、
「孝悌は仁(他人に対する親愛の情、優しさ)を為すの本」とされているそうです。
現代では、子供を一方的に蔑む概念だとか、
「子供にとって有害な親(いわゆる毒親)はいない」という虚妄だとか、
親への絶対の服従を促す概念だとか、
否定的にとらえられている見解が少なくありませんが…
古代の中国では、祖先崇拝の観念の下に、
血族が同居連帯し、家計をともにする家父長制家族が社会の構成単位を成していました。
この家族の構成員たちは、
卑劣で有害な親であっても、親に無条件に服従することと、
先祖の祭祀に奉仕することを、「孝」として強制しました。
孔子が、親を敬し、親の心を安んじ、礼に従って奉養祭祀すべきことを説き。
また、
親族間の社会的犯罪についても、
『父は子の為に隠し、子は父の為に隠す』と述べました。( ;´Д`) 凄い教えです…
やがて「孝」は、
『孝教(儒教でとても大切にされている教えの一つで「孝」について詳しく説いた物)』において、
道徳の根源、宇宙の原理として形而上化され、
親への無条件服従と、罪の父子相隠は、法律にも明文化されました。
又、祖先を祀るにあたって、孝は重要な原理となり。
孝を守る振舞いである「親孝行(おやこうこう)」が高く評価され、
これを実践する人を「孝子(こうし)」と呼ばれました。
なので。
西遊記が成立する以前から
親の大切にしている物を壊したり、
親の承諾を得ないで結婚するなど、
親不孝でしかなかったわけです。(・ω・)ノ
そして、三蔵法師一行も、
兄弟弟子たちは、「悌」に従って、
兄弟子の悟空や、二の弟子の八戒を尊重しています。
…白龍馬が二の弟子のなんですけど、一番歳が若いらしいので、末席扱いですけどね( ;´Д`)
さてさて。
この「孝悌」の考え方は、日本にもかなり影響を与えています。
親・兄弟・親族、年長者を大切にしよう! と、いう精神は、
親から子へと受け継がれています。
ただ、中国ほど重視されてはいません。
それはなぜかというと、
日本では、鎌倉時代初期に朱子学が伝来し、以後武士の時代が長く続く中で、
「忠」を「孝」より貴くする方が便利であることから、
「孝」よりも「忠」が貴いという思想が発達しました。
「忠」とは、儒教の徳の一つで、
主君に対して裏表の無い態度を意味する概念です。
この考えが入ってきた鎌倉時代は、まだ、それほど君主に対して忠義に厚い物ではなく。
主従関係は、主君と郎党間の契約関係であり、
とする観念が根強く残っていました。
ところが、「忠」は、徳川幕府体制下になると、公的な見解として採られるようになっていました。
そして、江戸時代の元和年間(1615年–1624年)以降になると、「忠」を元に、新たな士道の概念が確立されます。
これによって初めて、儒教的な倫理(「仁義」「忠孝」など)が、武士に要求される規範とされるようになったと言われています。
士道論と呼ばれるこの倫理は、この後、多くの武士道思想家に影響を与えることになりました。
なので、日本では、家族の事よりも、会社優先になってしまうのです。
また、明治政府体制下では「忠孝一致」のスローガンの下で、「孝」を「忠」の付属概念とする思想が国家的に唱えられました。
でも、子供や孫を「卑属」と呼んで蔑み、
子供を「親権」の下に無権利状態にしてみたり、
親殺しを子殺しよりも刑を重くする「尊属殺人罪」が制度化されました。
「親は何をやっても許される、子供は不利になるのが当然だ」という、子供への一方的な軽侮が社会全体に広まりました。
これを象徴する語として、
「親孝行」という尊称に加えて、「親不孝」という蔑称が存在するのです。(・ω・)ノ
2015年現在でも、
「尊属」「卑属」という語は、法律から撤廃されていません…
…ちょっと、脱線気味なので、この辺で。
要は、
日本では江戸時代に「忠」の精神を叩き込まれたため、
中国ほど「孝」に対して厳しくない、ということです。
そして、
親不幸をした者は、親から何をされても文句が言えない・殺されても致し方ない、という妙な点では一致するのです ( ̄∩ ̄#
もっとも、儒教が広がった国において、
どんな徳を重視するかは、それぞれ違い。
それこそ、お国柄がよく表れているそうですよ(・ω・)ノ
続く。