奈良には色々な神様がいらっしゃるもので  ここは

 

博打神社  じゃなかった

 

相撲神社

 

ミミ     オッサン あんたこんな事ばっかり書いて 罰当たりますよ

 

うさ子    そやけど  すもんとり よう注射うっとるやんけ

 

ミミ     言うてる あんたも何してますんや

 

うさ子    栄養剤やないか

 

ミミ     アホー しまいにしょっ引かれますよ

 

子うさぎ   おかあちゃん 僕らも  ちゅうちゃ  ちゅうちゃ

 

はな     おばはん 頼むから教育に悪いし 子供の前でせんといてんか

 

れおん    よく言いますよ 一番教育に悪い親が

 

はな     れおん あんたいつから そんな悪い事言うようになったんや

 

         そんな 悪い事 言う口はこれで 塞がなあかんな

 

ぷすー

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・   

 

源三     はなさん お尻に栓されて 

 

ごま     それより ここ何の神様ですの 

 

 

相撲神社

 

 

日本の国技とされる 相撲の発祥の地とされる

日本書紀には 垂仁天皇7年7月7日 野見宿禰(のみのすくね)と 當麻蹴速(たいまのけはや)が 
御前相撲をしたと記されています

ここには勝者と伝えられる 野見宿禰が祭られ 二人が勝負したと伝わる土俵跡があります

穴師の丘 兵主神社の境内にある

 

 

しかし 博打神社といわれるが如く 

 

ちんちろりん   おいちょ!  カブ!

 

猪鹿蝶   三十坊主   丁・半 駒揃いました

 

と あちらこちらから

 

ミミ     アホー 何バカな事 書いていますんや

 

うさ     真昼間から 博打 打ってたら 軽率に狙われまんがな

 

子うさぎ      ちょうちょ  ちょうちょ

 

はな      これっ そんな事 真似したら あかんで

 

子うさぎ    お母ちゃん これやで  蝶々やで  猪鹿 蝶々や

 

ミミ      ほれっ みてみなはれ  子供は直ぐに感化されるのですからね

 

 

この相撲神社の 次 は ウサギもビビる 大兵主神社

 


穴師坐兵主神社


所在地         奈良県桜井市穴師1065
位置          北緯34度32分42秒 東経135度51分28秒
主祭神           兵主神(御食津神)
大兵主神
若御魂神        (稲田姫命)
社格等             式内社(名神大・大・小)・旧県社
創建                不明
本殿の様式       流造
例祭 4月8日・10月21日


穴師坐兵主神社(あなしにますひょうずじんじゃ)は、奈良県桜井市にある神社である。式内社で、旧社格は県社。

元は穴師坐兵主神社(名神大社)、巻向坐若御魂神社(式内大社)、穴師大兵主神社(式内小社)の3社で、室町時代に合祀された。現鎮座地は穴師大兵主神社のあった場所である。


歴史 

元の穴師坐兵主神社は、垂仁天皇2年に倭姫命が天皇の御膳の守護神として祀ったとも、景行天皇が八千矛神(大国主)を兵主大神として祀ったともいう。旧鎮座地は「弓月岳」であるが、比定地には竜王山・穴師山・巻向山の3つの説がある。祭神の「兵主神」は現在は中殿に祀られ、鏡を神体とする。神社側では兵主神は御食津神であるとしているが、他に天鈿女命、素盞嗚尊、天富貴命、建御名方命、大己貴神の分身の伊豆戈命、大倭大国魂神とする説がある。

巻向坐若御魂神社の祭神「若御魂神」は稲田姫命のことであるとされる。現在は右社に祀られ、勾玉と鈴を神体とする。元は巻向山中にあった。若御魂神については、和久産巣日神のことであるとする説もある。

上記の2社は、『正倉院文書』に天平2年(730年)に神祭を行った記録があり、貞観元年(859年)に従五位上の神階が授けられた。

穴師大兵主神社については鎮座年代は不詳である。祭神の「大兵主神」は現在は左社に祀られ、剣を神体とする。大兵主神の正体については、八千戈命(大国主)、素盞嗚命、天鈿女命、天日槍命という説がある。

中世ごろから、穴師坐兵主神社が穴師上社、穴師大兵主神社が穴師下社と呼ばれるようになった。応仁の乱のときに若御魂神社と穴師上社の社殿が焼失したことから、この2社を穴師下社(大兵主神社)に合祀した。明治6年(1873年)に郷社に列し、昭和3年(1928年)に県社に昇格した。

 

 

この神社は2000前の創建ともいわれる 日本で一番最古の神社 だとか

 

 

うさ    師匠 こんな気味の悪いとこ はよ出まひょ

 

源三    うささんでも 怖いもんてあるんですね

 

れおん   もう一人 ごまちゃんも いてますし

 

ぼかっ

 

ごま     お姉ちゃん 止めたり 可哀想でしょ

 

ミミ     ほんと 憑りつかれそうですし もう逝きましょ  って

 

うさ      師匠 何してまんねん

 

うさ子     ちょっと 腹具合が悪なってのう

 

うさ      あきまへんて こんなとこで チビッたら  祟られまっせ

 

うさ子     わしゃもう 仏さんになったんじゃ 怖いもんあんかあるけー

 

ミミ      あーあ またムチャクチャ言うて  とりあえず れおん

 

れおん     何で 僕ばっかりこんな事せなあきませんの

 

うさ      こいつ ウンコばら撒いていまっせ 祟るんやったら れおんでっせ

 

れおん    うささん 何言いますのん  堪忍して下さいよ

 

うさ     いいや  堪忍 できんな

 

源三     うささんのそのフレーズ 久し振りですよ

 

と  兎に角  こんな怖い神社は バイバイ じゃぁー

 

さて 一行は日本最古の道とされる 山の辺の道を 石上神宮へと ぼつぼつと

 

子うさぎ    お母ちゃん 遠足みたいやな

 

はな      そうやな ええ天気やし ハイキング日和やな

 

やっとの事で 丹波市町へと

 

    

      鉄道唱歌 第5集 関西・参宮・南海編

 

   32  都のあとを教えよと         みやこのあとをおしえよと

 

       いえど答えぬ賤の男が        いえどこたえぬしずのおが

 

       帰るそなたの丹波市        かえるそなたのたんばいち 

 

       布留の社に道ちかし        ふるのやしろにみちちかし

 

 

賤の男   ➡ 身分の低い貧しき  下賤な男 の意

 

丹波市   ➡ 現 天理市  当時は丹波市町

 

布留の社 ➡ 石上神宮

 

 

ここ 天理市は 天理教でも有名です

 

布留の橋からは 天理教の立派な施設も望めます

 

また 天理は 天理教の信者が いつも綺麗に掃除をして下さっています 

 

 

うさ子     ありゃ はなえもん の姿が見えんがな

 

れおん     はなさんなら 商売や  ってすっ飛んで行きましたよ

 

うさ       師匠 また嫌な予感しまっせ  

 

 

石上神宮

所在地       奈良県天理市布留町384
位置        北緯34度35分52秒  東経135度51分07秒
主祭神       布都御魂大神
社格等       式内社(名神大)・二十二社・官幣大社・別表神社
創建        崇神天皇7年
本殿の様式     流造
札所等       神仏霊場巡拝の道19番(奈良6番)

石上神宮(いそのかみじんぐう)は奈良県天理市にある神社。式内社(名神大社)で、旧社格は官幣大社(現在は神社本庁の別表神社)。中世には二十二社の中七社のひとつとされた。

別名、石上振神宮、石上坐布都御魂神社、石上布都御魂神社、石上布都大神社、石上神社、石上社、布留社、岩上大明神、布留大明神、等。付近で立教した、天理教の初期資料で、幕末 - 明治期に地元では『いわがみさん』と呼ばれていた事が判る。

尚、『日本書紀』に記された神宮は、伊勢神宮と石上神宮だけであり、その記述によれば、日本最古設立の神宮となる。

祭神 布都御魂(ふつのみたま)神 布留御魂(ふるみたま)神 布都斯御魂(ふつしみたま)
神配祀 宇摩志麻治(うましまじ)命 五十瓊敷(いにしき)命 白河天皇 市川臣主祭神の布都御魂神は、また佐土(さじ)布都神ともいい、神代に武甕雷神がおびていた霊剣で、平之剣(くにむけのたち)ともいわれる。「記紀」によれば、神武天皇御東征の時に天降られ、邪神を破り、国々を平定された威徳により、物部氏の遠祖、宇摩志麻治命をして、宮中に奉斎された。 のち崇神天皇七年、物部の伊香色雄命が大臣の職にあった時、詔により天社(あまつやしろ)、国社(くにつやしろ)を定めて八百万神を祀らしめられて、布都御魂神と共に石上の高庭の地に祀られ、石上大神と称えたのが、石上神宮の創めである。


石上神宮

 物部氏が累代奉仕の任務につき、素盞鳴尊が八岐大蛇を退治された天羽斬剣(あめのはばきりのつるぎ)も祀られ、我が国の霊剣は草薙剣(くさなぎのつるぎ)を除き当宮に祀られることになった。ついで五十瓊敷命が剣一千口を作り神庫(ほくら)に納め、さらに丹波国桑田村の人甕襲(みかそ)が八尺瓊(やさかにの)勾玉を献じ(「日本書記」垂仁天皇87年の条)「釈日本紀」に引く天書には、天日槍(あめのひぼこ)の所来の神宝も納められ「神宮」の称号と共に古代史上独歩の地位をしめていた。下って平安時代末期にいたり、白河天皇の尊信あつく、永保元年(1081)鎮魂祭のために、宮中三殿の一つ、神嘉殿を拝殿に寄進され、神門を改めて、今日の機構に築造され、寛治6年(1092)上皇として親しく神宮に参詣された。
 本社の称号は石上神宮・石上振神宮・石上布都御魂神社・石上布都大神・石上神社などと称され、また岩上大明神・布留大明神ともいわれ、略して布留社・石上社とも呼ばれた。
 延喜式神明帳には、石上坐布都魂神社と見え、早くから官幣に預ったが、明治4年に改めて官幣大社に列し、同16年に、神宮号の復称が許された。
 例祭並びに渡御祭は10月15日で、神剣渡御祭(でんでん祭)6月30日、榜示浚・鎮魂祭・玉の緒祭などの神事が古来から行なわれている。

 

 

ここ 石上神宮には ニワトリの成る木があるのです

 

 

ミミ     それって神社で飼っているニワトリさんが木に登っているだけでしょ

 

うさ      師匠 ええ匂いしてきまっせ

 

うさ子     ホンマじゃのう この匂いは

 

ミミ      やっぱり 今回もやっていますわ

 

ごま      焼き鳥屋 がありますやん

 

子うさぎ    おかあちゃん 焼き鳥 食べたい

 

ミミ       あれ やっているの  あんた達の お母ちゃんなの

 

うさ子      流石に はなくその子だけあって よう食うのう

 

ミミ        あんたに言われたら 世話おません

 

うさ      師匠 どうでっか 焼き鳥 で 一杯

 

うさ子     わし あいつの焼き鳥で ピッピしたしのう

 

うさ      心配おまへんで 焼いてるのん 源三でっせ

 

うさ子     そうじゃのう 源三やったら 心配ないじゃろ

 

しかし  好事魔多し とはよく言ったもので

 

うさ       どうでっか 今日のは よう焼けてまっせ

 

うさ子       わしのんは よう汁出よるがな

 

ミミ        それって ヨダレちゃいますのん

 

ごま        ところで この鶏肉 どこで仕入れて来ましたの

 

はな       そこにイッパイおるやろ

 

源三       見て下さいよこの傷  つつかれたんですよ

 

ごま       これって 神社で飼っているニワトリでしょ

 

はな        呼んだら飛んできてんがな  何処のんか知らんえ

 

れおん      ものは言いようですね

 

うさ子      いったー  腹が 腹が

 

うさ        えー  また当たったんですか

 

ごま        あれってヨダレじゃなく 生焼けの汁だったんでしょ

 

うさ子       何で わしばっかり当たるんじゃ

 

ミミ         食い意地が張ってるからです

 

            あんたリーダーなんですから代表で バチ当たりなはれ

 

結局は 今回も生焼けを食わされ 当たったのは

 

うさ子       れおん れおんはおらぬか

 

れおん       何で 僕ばっかりこんな事を

 

はな        れおんちゃん これからは高齢化社会やねんで

 

            若いもんが 年寄りの世話 せなあかんねんで

 

れおん         こんな元気な 年寄りいてませんよ

 

 

天理からは再び 特別列車にて

 

 

うさ子       お伊勢さんまで 参ろうぞ

 

 

 

それじゃあまた 逢えたらいいね

 

                うさうさ うさ子