先輩の背中 | 月刊歌の手帖 編集部ブログ

皆さんこんにちは。

 

久々に巻末特集を担当いたしました。
責任重大でプレッシャーはありますが、
ボリューム感があるので、
担当し甲斐があるのも巻末特集です。

 

そんなわけで、
作曲家の故・中川博之先生のエピソードを、
奥様でもある作詩家・髙畠じゅん子先生に伺いました。


中川先生の生まれは、
日本の統治下だった頃の、現在のソウルです。
そこで少年時代に戦争を経験し、
朝鮮北部への疎開、終戦と同時に、
今度はソ連軍からの逃避行、
そして、安全地帯だったソウルにたどりついてすぐ、
お母様を亡くされました――。

 

過酷な経験を少年心に抱いて、音楽を志した先生。

 

今までにも何人か、作家の先生を特集しましたが、
昭和の偉大な先生の多くが、戦争体験を胸に秘めつつ、
その後の復興の時代の歌や音楽に、
人生を懸けて情熱を注いできたお話しを伺い

(または本などの資料を読み)、静かに心を打たれてきました。

 

今回も、そんな出会いを、髙畠先生を通じてですが、
させていただいたなぁと思っています。


中川先生は、つらい思い出のあるソウルに、
引き揚げ後、ずっと訪れることがなかったそうです。

 

それが、北京での仕事があった時に、

飛行機の上からソウルの街を見て、

行ってみようという気になったのだとか。

 

当時、中川先生がラジオ番組をやっていた東海ラジオの社長さんに、

番組をソウルでやっては?と誘われ、

元演歌ジャーナルの編集長・森島さんが取材で入るからということで、

ソウルへの旅が決まったそうです。

 

日本への引き揚げからおよそ50年――。

 

その地に立った時の中川先生の想いを、

髙畠先生が詞に書き上げたのが『我が心のソウル』で、

この歌は後に『ソウル・愛ふたたび』と改題され(内容も少し柔らかくなって)、

シングル発売されています。

 

…で、本題なんですけど、

この話の中で出てきた「森島さん」の名前に、

ああ!と思ったのです。

 

そうだ、生前、森島さんは、

中川先生とのソウルの旅と特集のことをよく話していた、

と思い出しました。

 

後発競合誌だった歌の手帖の、

しかもペーペーの私にもいろいろと教えてくれた、良き先輩編集者、森島さん。

 

昼間からお酒を飲まされるとか(笑)、

今の時代には考えられない型破りな名物編集長でした。

 

改めてこの話の中で、もう亡くなってしまったけど、

先輩の背中を、大仕事を垣間見て、

取材中ではありましたが、密かに感動していた次第です。

 

私もそういう仕事しないとなぁ…。


長くお付き合いいただいてありがとうございます。

個人的に思い入れがあって長文になってしまった(汗)。

 

山崎