和合開催前日の8月31日にTwitterで呟いた言葉を今振り返ってみると、
予言みたいに現実に起きた事とリンクしている。

これは不思議なようでいて、
当たり前みたいな感じもあって、
やはり起こる出来事はすべて完璧なんだなと改めて感じているんだ✨





アフターパーティも含めると
和合が開催されたのは9月1日~4日の4日間。

でもワタシにとっては
1週間前の8月26日の魚座満月から和合はすでに始まっていたんだ‼️




8月25日(土)、
23:30に仕事終わって高円寺に向かいケイコちゃんと落ち合う。

和合のフライヤー撒きも兼ねてknockに行き、
翌朝の10時まで踊りまくったあと和合開催地である霊山に向かった。



一睡もせずに(笑)



到着して和合オーガナイザーチームと合流し、
現場での最終確認や打ち合わせ等をしていると、
近くで開催されていたレイブ帰りの仲間も加わって、
焚き火を囲んでおしゃべりしたり料理してみんなで食べたりしていると、
日が沈み夜になった。




標高1000mの場所にあるので、夜は沖縄の真冬並みの寒さ(>_<)

あまりの寒さに焚き火の前から離れずにいたワタシに、
遠くからケイコちゃんの声が聞こえてきた。




「サヨコさーん‼️ちょっと来て~‼️
スゴいから~~‼️」




え⁉️
マジ⁉️
めっちゃ寒いんすけど💦



と思いながらも、
ケイコちゃんがこうやって呼ぶときには、
間違いなくいつもスゴい体験があることを思い出し、
意を決して声のする方へ歩き出した。


すると、前方の空にフラッシュする光が炸裂しているではないか‼️






この時この場にいた全員が
長時間に渡って繰り広げられた雷と稲妻のスペクタクルショーを目撃して興奮していた✨

雷は龍神の化身ともいわれていて、強い浄化作用があるというけれど。。。
一体どれだけの浄化が行われたのだろうか⁉️

この翌日には東京近郊で同じように無数の雷と稲妻が炸裂し、ニュースにもなった。





魚座満月と龍神、雷と稲妻、そして豪雨。

魚座を司るのは海王星で、やはり海が関連している。


またコチラのサイトによると、
海王星は創造的な視覚化(ビジュアリゼーション)、想像力などを現す象徴です。海王星を解釈する際には「見えないものを見せる」「見えるものを見えなくする」等の概念の他に、「物事の細部や輪郭をぼやけさせる」「境界を消失させる」といった考え方もあります。



海王星の象徴は、
究極な潜在能力による究極な創造力、神秘的な感覚をあらわしていて、
その表現は芸術、神秘感覚、トランス状態等となる。。。





龍神の浄化を目の当たりにした翌日の27日。
オーガナイザーチームが音響機材の最終チェックをしている中、
ワタシは独り離れてじっとしていた。

意図して瞑想なんかしないんだけど(笑)
でもこの時ハッキリと自分の意識がなにか偉大なる大きな存在と繋がり、
言葉でとらえられない感覚で何かをとらえていた。




魚座満月から遡って
8月11日の日食を伴った獅子座新月のあたりから、
ワタシの中の深いところから浮かび上がってきたのが「自己受容」というテーマだった。

これについては前回のコチラのブログを参照してもらいたいんだけど、
自分を丸ごと許して受け入れるという事なくして、
真の自分を体験することはできないと強く感じていたワタシ。

曼陀羅やる1週間前の魚座満月を経て、
ワタシの中に少しずつ自己受容が感じられるほど進んでいたのだった。






自分で自分を罰するのを美徳ととらえる感覚のある日本において、
どんな自分をも許して受け入れるというのは格段に難しいと思う。

ある人がツイートしてたけれど、
自己受容というのは一生かけて取り組む一大事ともいえる。

過去のコチラのブログにも書いたけれど、
曼陀羅やってて重要に思うことは無我の境地。

自分と他との境界をどこまでもぼやけさせていくと、
自分が無くなるのと同時にすべてが自分となる。

その境地に至るのは至難の技なんだけど💦

何故かワタシの中に無我の境地に至ろうとする強い衝動があるんだ(笑)

その境地で表現することこそ、目指すとこ‼️






自分だと思ってる自分でさえ、
絶対的な存在ではなく相対的な存在であるというのに、
お金や仕事、人間関係や所有するモノなどに絶対的価値をおこうとするなんて、
やっぱ違うとワタシは思うんだ。

それを改めて強く感じる事ができたのは
やはり魚座を司る海王星の力が働いたからなんだと思う。





和合前日、
twitterにも書いたようにワタシは新たな始まりを感じていた。

それが何の始まりで、
どんな始まりなのかはこの時分からなかったけれど、
確かにもう、始まってるんだなと感じていたんだ。





簡単に自分を卑下したり、罰したりするのは本当に良くない。

これを美徳とする価値観をみんな刷り込まれてるから、
まわりに合わせて生きようとすると、
どうしても簡単に自分を罰することになる。

でもこれは、努めて辞めなければならないとワタシは思ってる。

本当の自分を体験したいなら、
本当の自分で生きたいなら、
自分を罰するのをまずやめたいとワタシは思った。

なぜなら、
自分を罰している限り、自分も世界も分裂したままだから。







過去のコチラのブログにも書いたけれど、
夢で「独尊」という言葉を教えてもらったワタシ。

唯我独尊というのは、
ひとりひとりがみんな尊い存在であるという言葉。
誰かと比較して尊いのではなく、
すべてみんな等しく尊いということ。


存在がそのまま尊いということなんだ。



そんな尊い自分を罰するという事の重大さに気づけたら、
もう自分を簡単に罰したり卑下することはできない。

この大切な気づきに深く感謝しているワタシは、
今回の和合での曼陀羅のテーマを自己受容と決めた。

自分自身が自己受容できるように願うのと同時に、
食べる事で参加してくれる誰かの気づきになってくれることを願って。




魚座は古い周期の終わりと新しい周期の始まりを象徴していて、
輪廻、永遠を示すものでもある。
またそのシンボルマークである2匹の魚は違う方向に行こうとする姿で、
相反する2つのものを意味しているという。


新しい始まりの門出に、
二日間にわたって行われた龍神による浄化。


海王星が示す創造的な視覚化である見えないものを見せるという事と、
境界を消失させる事で促された無我の境地。


7月から8月にかけての新月&満月はすべて日食と月食で、
生まれ変わりを促す三度の食を経た私たち。


曼陀羅やる前の8時間にも及ぶ
自分という宇宙の旅の果てに統合された自分。


その統合された自分で初めてやれたのが今回の曼陀羅だった。。。






曼陀羅やる前、
いつも必ずガラス板を洗浄して清めるのだけど、
いつも緊張で手が震えてしまう(笑)

これからの数時間、
どこまで自分をさらけだせるのかというプレッシャーと、
なんでさらけ出さなきゃいけないんだという拒絶したい気持ちもあって(笑)
いつも逃げ出したくなるんだ。



今回も確かに、
始まる前は逃げ出したい気持ちにはなった(笑)

でもガラスを清めてる時にはもう覚悟が出来ていた。



緊張はハンパなく大きかったけれど、
でも覚悟は決まっていた。




さらけだせる‼️




極限まで自分を無くしてさらけだせる確信を
この時初めて感じていた。









そして形になったのがコチラの曼陀羅。

自己受容を経たワタシが初めてやった曼陀羅は、
壮大な内面の旅と宇宙の星たちの力、
そして霊山の神々や森の精霊たちの力があったからこそ
このような形になったんだと思ってる。


ワタシにとって重要なポイントとなったのが、
今回の和合での曼陀羅だったんだ。