2018年を振り返るにあたっては、
さかのぼって2017年から語らなければならない💦

というのも、
2017年2月に起こった交通事故による影響がベースとなって、2018 年の展開があったから。

米軍所属の女性兵士が運転する自家用車が、高速のまま赤信号を無視して交差点に侵入。
そして、Uターンしようと徐走しながら交差点上を走ってたワタシのクルマに激突❗
(この事故に関してはコチラの過去のブログ参照)

この事故により心身共に深いダメージを受けたワタシは、
2月いっぱいで勤めてた実家の葬儀屋さんを辞め、
カラダの回復を最優先にするべく無職となり、
一日のほとんどをリハビリにあてていたんだ。

精神的にも壊れたワタシは、
身を寄せていた実家を飛び出し丸2か月の間、当時つきあってた彼の家に入れてもらい、
病院から処方されていた精神薬を飲みながら廃人同様の生活をしていた。
住所不定無職という、ワタシの人生史上初めての生活をここで経験した。
(この時の様子はコチラの過去のブログ参照)

そんな生活も突然6月に終わり、
ワタシは飛び出した実家に戻りノンデュアリティにハマりながら、心身共に徐々に回復していった。

相変わらず仕事はせず、
8月まで相手運転手の契約してる保険会社持ちで通院してリハビリ。
当然ながら収入はほとんどゼロ❗

精神的にも壊れていた為に、8月いっぱいまでフード出店などもせずにいたんだけど、
9月からポツポツとパーティに出店のお誘いが入るようになり、
秋からはほとんど毎週末パーティで出店するようになっていた。

このおかげで金銭的になんとかしのげただけじゃなく、精神的にも助けられた。
音楽を介した仲間との交流と、音場で料理するという体験を通して、
ワタシは改めて音楽&パーティに救われたのだった。

相手運転手が米軍所属ということと事故当初、
相手運転手が赤信号無視を否定していたことから保険会社とのやり取りを弁護士に依頼。

その交渉は当時のワタシの予想を遥かに超えて長期に渡り、
結局金銭面で折り合いがついて決着したのは2018年の3月になってから。

相手自賠責保険からの保険金がおりたのが2017年の12月で、
このお金でワタシは海外に一人旅したかったのだけど諸々のタイミングが合わずで断念💦

海外が無理ならばと、東京に遊びに行くことにしたんだ。
というのも、DJ HOBOBRAZILのアルバムYELLOWにハマりまくっていたワタシは、
実際に生でHOBOBRAZILの音を浴びたいと強烈に望んでいたから。
 
そういうわワケで2018年の1月、
ワタシは音を浴びるために東京にやってきた。
bonoboでHOBOBRAZILを体験する数日前にUNITでTHOMASHがプレイすることを知り、
本命の前に沖縄で3回体験していたTHOMASHの音を浴びにUNITに一人で出かけたのだった。

DJ THOMASH@UNIT


生まれて初めての東京のハコに、一人で乗り込んだワタシ(笑)
UNITの音響システムのクオリティの高さに、まずヤられた❗
PA/HIRANYA ACCESSのデザインする音を、
UNITの音響で体に浴びるという刺激に覚醒したワタシ。
この夜、一番クラったのはDJ SHHHHHさんの音世界だった。


DJ SHHHHH


いきなり爆音の鐘の音から始まった音世界に完全にヤられたワタシ。
(この時のコトは、コチラの過去のブログに書いてあります)

この日、沖縄では体験できない音場を体験したワタシは、
これまでの人生で一度も憧れた事のない大都会 東京のスゴさに触れたのだった。

そして迎えた今回の旅の目的、本命のHOBOBRAZILを体験しにbonoboへ。
この時は一人でじゃなく、東京在住のお友達エヌラーさんが案内役を引き受けてくれて、
一緒にbonoboへ向かった。
(bonoboでの体験については、コチラの過去のブログ参照

DJ HOBOBRAZILとエヌラーさん、そしてこの夜ダンサーで参加してた方と一緒にパチリ。


憧れのHOBOBRAZILと。



UNITといい意味で全然異なるbonoboの空間もまたとても刺激的で、
東京の音楽シーンの幅の広さ、底の深さの一端に触れ、
ワタシは生まれて初めて、東京に住んでみたいと思ったのだった。

というのも、
2017年に心身共に壊れたワタシを救ったのは間違いなく音楽とパーティと料理だったし、
2018年の元日に仲間の部屋で過ごした時間の中で、
改めて音楽の素晴らしさと美しさに心を打たれたワタシは、
DJでもミュージシャンでもないんだけど、本気で音楽に自分を捧げたいと思ったから。

そんなワタシが東京で体験した音場の刺激は、沖縄には無いもの。
数カ月でもいいから、またコンビニでバイトしながらでもいいから、
とにかく東京に住んで刺激を受けたい。。。それも、東京のアンダーグラウンドシーンを❗
と、心から願うようになったのだった。

とはいえ、1月の時点では交通事故の決着がついておらず、
賠償金がいつ入金されるのかも分からず、
しかもパーティ出店してるとはいえ当時のワタシは無職(笑)
当然ながら貯金なんか1円だってない状態(笑)

どうやって東京に行くのか、
そして暮らしていくのか、
何のアテもないけれど、とにかくワタシは東京に住みたいと
FBやTwitter、ブログなどで呟いてみたりしていた。
(その時の呟きはコチラの過去のブログに書いてあります)



人生がワタシに提供する現実は、
常にワタシの予想や想像を遥かに超えている。



東京に住みたいというワタシの呟きを見た方から、ワタシに東京での仕事を紹介できるかもしれないと突然連絡が入り、
3月に仕事の話をしに東京に行くことになったのだった❗



次回に続く。。。