振り返れば仕事においては5月から、
これまでのトントン拍子の速度が急速に落ちていった。

内装工事も含めて、
予定していたコトのほとんどが変更を余儀なくされたり、想定より時間がかかったりした。

その際たるモノがランチ営業。 

当初の予定ではランチ営業から始まってディナーまでやる予定だったのだけど、
夏の始まりと共に気温が上がると店内が灼熱地獄と化していったのだ❗

理由は内装工事の時に取り払った天井板。
太陽光を遮るものが何も無いため店内は45度近くにまで室温が上がり、
とてもランチ営業できる状況じゃなくなってきたのだ。

さらには電気まわりも調子が悪かった。
内装工事中に配線した担当者の手落ちなのか、とにかくすぐにブレーカーが落ちてしまう💦

珈琲ミルとエアコンの両方を使うと、とたんに電気が落ちる。
ランチ営業だけじゃなく、メインの夜間の営業にも支障をきたしていた。






6月の半ばを過ぎてからの店内は文字通りの地獄で、
その環境で当初は日中から火を使った仕事をしていたワタシ。

高い気温に加えて、
キッキン内にある冷蔵庫からの容赦ない温風攻撃を食らいながらの激務。

今年の東京の暑さは酷いねとみんなが口を揃えて話していたけれど、
正直ワタシにとっては勤務環境そのものが酷い暑さだったのだ。

そういう状況もあり7月1日グランドオープン後、
涼しくなる秋まではランチ営業を見合わせて、夜の時間帯のみに変更されることになった。




変更は営業時間だけじゃない。
肝心の食事メニューも二転三転を繰り返した。

プレオープン中、
ワタシはランチ営業とディナー営業をリンクさせたメニューを考えていた。

まったく異なる方向性だと仕入れる食材や仕込みが倍以上必要となるため、
ディナー営業を主体にしてランチメニューを展開する方が効率が良いと考えていたのだ。

しかしながらオーナーサイドの考えは異なっていて、
ランチメニューはバーガーでいきたいという考え。

グランドオープン数日前までメニュー提案を複数提示し、
その都度原価計算もして話あってきたのだけど。。。

グランドオープン前日になって、メニューはバーガーとケーキに絞ると通達が❗

理由は、100種類以上ある薬酒に加えて薬膳珈琲のメニューも多数あるので、
これに加えて料理のメニューが複数あると
お客さんが混乱して迷ってしまうからというもの。

いろいろ意見はあったけれど、
オーナーからトップダウンの指示があればこれに従うのが役目だと思い、
食事のメニューはバーガーとケーキに絞って本営業がスタートした。





スタートしたはいいけれど、
ランチ営業ができない夜だけのバー営業。

そこにフードがバーガーしかないということで、
フードをオーダーしないお客さんが多かったのは仕方ない。

当初の見込みを遥かに下回る売上にメニューの変更を検討することになり、
ワタシから提案したのが薬酒に漬かってる生薬を使ったおつまみ的な料理の展開だった。

事実上バー営業のみだったので、
コース料理のニーズは今は無いなと判断。

それよりも薬酒を呑みに来たお客さんが
一品でもオーダーして楽しんでもらえるように方向転換することを提案。






バーガーは人気もあったのでそのままにし、
冷製パスタや島豆腐を使った前菜的なものを考案。
もちろんコース料理のご予約があっても対応できるメニュー展開にした。

これでいくらかはオーダーが増えたものの、
やはり灼熱の店内での営業はそれだけで厳しかった。

特に7月と8月は深夜11時頃まで店内の室温は下がらず、
エアコンもほとんど効かない状況で、座ってるだけで汗をかくほどだった。

当然お客さんからも不満が出るし、
スタッフであるワタシたちも申し訳ない気持ちでいっぱいで、
とても告知してお客さんを呼ぶ状況になかった。





そういうワケで7月は心身共に疲労困憊だったワタシ。
部屋と店との往復で、休みの日は一日中エアコン効かせた部屋で横になって過ごしていた。

完全に歯車が噛み合わずに、
すべてが停滞しているように感じていた当時のワタシの救いは、
あるデザイナーさんとの交流だった。


その方は20代で高額納税者番付にランクインしたほど、大成功をおさめた経験のある方で、
ワタシがこれまでに知り合った人の中でも群を抜く破天荒な生き方をしている人だった。

オーナーの友人ということでお店に来店し、
それをキッカケにいろいろ話していく中で意気投合し、
気がつけば毎日のように2,3時間電話で話したりするようになっていた。

文字通りのラグジュアリーを知り尽くした方なのだけど、
ありがたいコトにワタシに大きな可能性と光を見出してくれていた。




ワタシは子供の頃からとにかく自分に自信が無くて、
どんなに誉められてもお世辞じゃないかと疑うタチだったんだけど、
この方に言われたこの一言
「俺も相当の妖怪だけど、オマエも相当なもんだよ(笑)」
に、なぜか不思議と救われたのだ(笑)

この方と並ぶほどの経歴はワタシには無いんだけど、
それでも感覚的にはとても近いモノを感じていたワタシ。

それが勘違いや自惚れじゃなく、
本当に近いモノなんだと認められたように感じて、
それまでの自分に対する自信の無さが消えていったのだった。
(詳しくはコチラのブログ参照)




そしてまたもう一人、ワタシを救った人がいる。
その方はDJさんなんだけど、繋がったのは2017年の11月。
しかもtwitterを介して。

ワタシのツイートをリツイートしてくれた東京在住の方がその人で、 
ワタシが上京するとお店に来店してくれて、それから仲良くなったのだった。

 

7月の停滞中、ワタシは何度も沖縄に帰ろうと考えていて、何人かに相談していた。
その中の一人がそのDJさん。

ラインで相談したらたまたまタイミングが合って来店してくれ、
直接会って話すことができたんだ。

その時、
「あと一年がんばってみてよ。一年後、今とは違う景色が絶対見えてるから!
俺にはそれが見えるから!」と話してくれて、ワタシの心が動いた。

正直、この時は違う景色が見えるなんて思えなかったけれど(笑)
でも、すぐに沖縄に帰るんじゃなくてもう少し東京にいようと思い直したんだ。




そうやって重い7月が過ぎて8月になり、
東京に来て初めてとなるパーティでのフード出店のお誘いがあった。



茨城県の海辺で開催されたこのパーティ。
売上は撃沈だったんだけど(笑)
久しぶりに音場でのフード出店で、
しかも上京して初めての野外での出店ということで、めっちゃ楽しんだ。

出店も楽しんだけれど、音楽もめっちゃ楽しめて、
ワタシにとって音場でのフード提供はやはり必要なモノだなと改めて思った。

この時の出店に関しても、はじめはお店側も協力してくれる方向だったんだけど、
結局お店はノータッチでワタシ個人でやることになり、
荷物の搬入などでどうしてもクルマが必要ということで、
一緒に行ってくれたケイコちゃんが四方八方に手を尽くしてなんとかしてくれたのだった。
(詳しくはコチラの過去のブログ参照)




このお店側の度重なる二転三転の繰り返しに、
ワタシの気持ちはどんどん冷めていった。

いきあたりばったりとしか思えないやり方にも正直、危機感を感じていた。

東京にいるとしても、このお店で勤務するのは考え直そうと思い始めていた8月後半。
9月2日に控えた野外パーティでの曼陀羅の現場の下見や打ち合わせをしに、
ケイコちゃんと何度か群馬を訪れたワタシ。



そこは深い森にあるキャンプ場で、
ただそこにいるだけで心身共にエネルギーが満たされるような場所だった。



ここで曼陀羅やるのかぁ。。。



期待とワクワクとプレッシャーがごちゃまぜになりながら、
心は音場に一直線に向かっていくのを感じていた。





次回に続く。。。