10月に入ってすぐ、
オーナーから話があると切り出された。

当初予定していたランチ営業ができずにいること、
経営維持に必要な売上が追いついていないことから、
店に正社員を二人雇うことはこれ以上できないので、
時給計算のバイトでこのまま続けるか、 
試用雇用期間満了をもって退社するかを選んでほしい。。。というものだった。

当時、お店にはワタシの他に店長さんがいて、
その方は3年前から正社員として勤務していた。
どちらを切るかとなれば、ワタシが切られるのは当たり前💦

一方、この頃にはワタシの方でも心は決まっていて、
安定した社会人としての生活より、
不安定でも自分の道を追求する生き方を選びたいと思っていたので、
退社する旨を告げて10月23日をもって退社した。





退社を決めたのはいいけれど、
本当に辞めたあとの仕事をどうするか全然決めてなかったワタシ(笑)

そんな時、またまた奇跡的タイミングで救いの神が現れた(笑)

9月から毎月第二金曜日にknockで開催の矢部さんのパーティに出店してたんだけど、
knockのオーナーさんから他のパーティにも積極的に出店しないかと声がかかったのだ❗

打ち合わせの席でこれまでの経緯や沖縄でやってたコトなどを話し、
ワタシからknockを活動拠点にさせてほしいとお願いしたところ、快く快諾してくれた✨

路頭に迷う寸前のところで、
東京で何かやるならこのハコでやらせてもらいたいなと思ってたknockに拾われたワタシ(笑)

人生の完璧さにはいつも驚いてきたけれども、
ここでもその完璧さに狂いはなかった。




そうと決まれば部屋も三軒茶屋から高円寺に引っ越したくて、
紹介された不動産屋さんに行ってみた。

正社員を辞めたらもう不安定極まりない生活が待っているのだから、
とにかく安い部屋を探したかったワタシ。

不動産の担当者にいろいろ条件を話したところ、提案された部屋は風呂無しだった😅
(詳しくはコチラのブログ参照)

沖縄には銭湯の文化が無いから、
お風呂の無い部屋に住んで銭湯を利用するということはめっちゃ新鮮(笑)

興味しんしんのワタシはその部屋の中を見たくて、
内覧の案内をしてもらったところ、全然悪くない(笑)

とゆーか、味わい深いその部屋が妙に気になってしまった(笑)

とりあえず他にも3,4件ほど同じような条件の部屋を内覧したのだけど、
1件目の部屋に比べると日当たりが悪いとか畳が波打ってるとか(笑)
どれもこれも住みたいとは思わない物件だった。

一応、毎日銭湯を利用することを考えると、
もう少し家賃を引き上げてお風呂のある部屋も検討してみたんだけど。。。

内覧したどの部屋のお風呂も、カビが目立っていたりと心地よく使えそうにないものばかりで(笑)




とはいえ、
風呂無しの物件に飛び込むまでに数日かかった(笑)
本当にその部屋でやっていけるかめっちゃ考えたんだけど、
その部屋の残像が妙に心に残っていて。。

アタマで考えて判断するよりも、
心で感じるコトを信頼してるワタシは、
その部屋を借りることに決め、11/1に引っ越したんだ。





鍵を渡すときに不動産担当者も笑っていたんだけど(笑)
平成の時代に、魔女が使いそうな棒カギ❗(笑)

しかもカギにはFRONTIERと書いてある(笑)

ここでもなんだか完璧さが現れているように思えて、この部屋に決めてよかったなと思った。

高円寺のこの部屋をワタシは昭和の部屋と名付けた(笑)
沖縄には少ない木造の建物は独特の味わいがあるし、
この部屋の白壁と古い木の柱の色のコントラストがなんとも美しい。




そして生まれて初めての銭湯生活がこの上なく贅沢で、素晴らしい❗

銭湯行くたびに2時間くらいかけて楽しんでるのだけど、こんなに素晴らしいものがあるなら、
むしろ自宅にお風呂を設置しない方がいいんじゃないかと思うほどだ。
(銭湯についてはコチラの過去のブログ参照)





昭和の部屋&銭湯、そしてknockでの出店やバーカンのお手伝いなど、
今の生活すべてが刺激的で、感性をビンビン刺激しまくる(笑)

いつ仕事が発生して、それがいくらになるのか、
まったく予定が立たない(笑)

だからとにかく、一回一回の仕事を丁寧に全力でやるしかない。

そこで満足してもらえたら、次の仕事に繋がる可能性が出てくる。

その連続。

こんな生活が長く続けられるとは思ってないんだけど、
とにかく行けるとこまで行ってみようという気持ち(笑)

不安定極まりない生活で大切になってくるのは、信頼。

自分に対する信頼や自分の人生に対する信頼だけじゃなく、
周りの人に対する信頼も含めて、信頼がないとやっていけない。

その信頼は思い込みで築けるものではなく、
その時々を心して向き合って、丁寧に接していくことの積み重ねでしか築けないもの。

もしかしたら、
ワタシの魂がこの生活に踏み切らせた意図は、こういうところにあるのかもしんない。








正社員を辞めた翌日、
ありがたいことに南青山のメガネギャラリーにて、
ケータリングの依頼があった。

福井県鯖江市に由来する食材山うにを使ったものというオーダーで、
その時旬のシャインマスカットとVeganツナマヨに合わせてアレンジ。

来客のみなさんに食べてもらったところ大好評で、めっちゃ自信に繋がった仕事だった。










そして10月の印象深い出来事は、
沖縄のパーティ仲間TRIPTYCHのムサシとタカマサと渋谷で再会したコト。

上京直前にやらせてもらった曼陀羅はTRIPTYCHのパーティだったし、
2017年に精神的に病んでパーティから離れていたワタシが音場に戻るキッカケとなったのも
TRIPTYCHのパーティだった。

そして2018年の元日に、美しい音楽の体験をさせてくれたのもTRIPTYCHのムサシだった。

ワタシにとってTRIPTYCHは、本当に音楽を愛する仲間。

彼らのパーティにかける情熱はいつも熱く、そしてとても真摯で、
彼らと一緒にパーティやることはワタシにとっていつも刺激的だった。

本当は9月に彼らとパーティするために沖縄に帰る予定だったんだけど。。。
台風チャーミーの襲来によって流れてしまったんだよ (ノД`)シクシク

そんなコトもあって、10月に彼らと会えたのはホントに嬉しかった❗
お土産にお願いしたゆし豆腐も苦労して持ってきてくれて、マジ感激した😍





そうやって10月が過ぎ、
東京でのフリースタイル生活が11月から始まった。

11月はありがたいコトに毎週末、野外パーティでの出店があったのだけど、
一番思い出深いのがCHIIIOUT MOUNTAIN。




この仲間内のシークレットパーティは立ち上げ当初からフードの依頼があって、
オーガナイザーのKENZOクンから「フードジョッキー的ななにか」というオーダーを受けていた。

フードジョッキーという言葉を聞いてピンときたのは、ワタシが前からやってみたかったコト。

それはパーティの始まりから終わりまで、
みんなの胃袋を担う胃袋番長として料理をつくること。

時間帯によって、アルコールのんだり踊り疲れたり、体の具合は刻々と変化する。
その変化を考慮したメニューをパーティで提供するのだ❗

パーティの始まり、そしてピーク、深い時間帯、そして朝方と、メニューを変えていく。
そうして音と体と時間帯とリンクさせていく。

こういうコトが前からしたかったワタシ。 

これをKENZOクンに伝えたところ、まったく同じようなイメージを彼も持っていたようで、
話はすぐにまとまった。





DJブースに対面してフードブースを設置したので、
ワタシが立つ場所が一番音がよかった(#^^#)

まさに音とリンクしやすい環境で料理できたおかげで、
食べてくれたみんなにもワタシたちの意図が伝わり、
パーティ全体が本当にひとつにまとまっていた。
(詳しくはコチラのVol.1 vol.2 vol.3参照)




やっぱりワタシは音場で料理するのが大好きなんだ(#^^#)
コレがお金になるとかならないとかは関係なく、
とにかく料理するのが大好きだし、
それが音場でなら、なお最高❗(笑)

そして食べてくれたみんながハッピーになってくれるなら、もう正直それだけでいい(≧∇≦)b

とはいえ確かに、
現実世界というものがあって、
そこでは生活を成り立たせるという命題があるんだけど、
それは実は幻想だったりもするんだ。




自分がいて、他人がいて、世界があり、
時間は過去から未来に一直線に流れて、
より良い人生とはつまり、より多くの所有物を持つ為の努力の道であるという幻想。

実は他人なんか存在しない。
生まれてから死ぬまで、ワタシはどこにもいかずに今ここにひとりで存在しているんだ。

ワタシを取り巻く世界は
ワタシの内側を投影したもの。

ワタシが体験する現実は
ワタシそのもの。

感情も思考も、あるいは肉体も、
ワタシではない。

ワタシというのは、
感情や思考が生まれては消えていく空間であり、
肉体が体験する時々刻々の変化をみつめる眼差し。

過去も未来もなく、
あるのは無限の一瞬である今だけ。

その永遠の今を
肉体を脱ぎ捨てたあとのワタシの目線で体験した11月の新月。




ハッキリと、すべてが許されているコトを知った。
 
だから常に間違いはなく、
罪悪感は必要ない。

取り返しのつかない失敗というものもなく、
すべてが起こるべくして起こる。

完璧なタイミングで。

だから、理解しあいたいし、
許しあいたいし、
愛しあいたいんだ。

そういうワタシ自身の根源なる思いを体験したコトで、
ワタシは後戻りできない向こう側に渡った。

もう知らないふりはできない。

それとしての自分で生きまくるしかない。





2017年の交通事故をキッカケに住所不定無職の時期を過ごし、
2018年も1か月ごとにまったく異なる世界を体験し、迎えた2019年。

2018年の終わりはknockでの仕事納めだったのだけど、
この一年を象徴するような音に包まれた時間を過ごした。

素晴らしい音場で、
音楽を愛する人たちと、音の粒を体に浴びながら至福を味わった。

2019年の抱負とか、目標とかなんてない。

常にただ、今そしてここ。

夢は未来に託すものではなく、
今、この瞬間が夢そのもの。

何も所有するなんてコトができないこの世界で、
ひとつでも多くを所有したいという思考の幻想に引っ張られないように、
常に今に存在していたい。




2019年、何が起こるんだろう。
どこへ行くんだろう。

何も分からないからこそ、
今を生きてる❗