2018年4月23日に東京に来たワタシ。
沖縄から出て生活したことはこれまで無くて、今が人生で初めての体験❗

四季が無い沖縄に比べると、春夏秋冬のコントラストがハッキリしている東京。
太陽の光の強さも違えば、日照時間も違う。
東京の冬の気温なんか、生まれて初めて体験してる(笑)
亜熱帯地域の沖縄はいろんな面で本州とは異なっていて、その違いを東京で毎日感じている。

目に見えるモノの他にも時間の流れ方や感覚の違いなど、沖縄はやっぱ外国みたいだ。




そんな沖縄に5泊6日で今回帰省したワタシ。
那覇空港に到着してすぐOTOBOLAに入り、
パーティ出店したあとそのまま仲間の部屋に泊まって、翌日の月曜日に実家に帰った。

沖縄に帰る前に父から電話があり、
月曜日は母の病院に行くことになってるから付いてくるようにと言われていたんだけど、
母の容態については特に詳しい話はなかった。

実家に帰るなり目に飛び込んできたのは、想像もしてなかった光景。。。

骨と皮だけにやせ細った顔の母、その目はうつろで明らかに尋常じゃない様子。

その母に、大きな声で少しでも食事をさせようとがんばっている弟。
心配そうに落ち着きなく母の様子を見守る父。




んんん???
なんだ?この光景は。。。




OTOBOLAのパーティが感動&感激で大成功に終わり、
さっきまで幸せな気持ちで仲間の部屋にいたワタシは、
実家で目の当たりにしてる現実に面食らっていた。

戸惑うだけのワタシに誰も声をかけない。

うつろな目の母はワタシの方に視線すら向けない。

何が起こってるのかまったく分からないままクルマに乗り込む。
後部座席に座る母がマフラーを忘れたと言ったので振り向いたら、
「あれ。サヨコだったんだね。。。ヘルパーさんかと思っていたさ。」
独り言みたいな小さな声で母が呟いた。

母はどうやらワタシが帰って来たことすら分からなかったようで、ワタシはますます混乱した。

アタマがボケているのか、単に思い違いなのか。
ボケているとしたら通常の会話はできないのか。

疑問が次から次に頭に浮かぶけれど、弟からも父からも何も話がない。
病院に向うクルマの中は変な緊張感が漂っていて、全員が無言。
何一つ会話がないまま病院に到着。
この日は診察はなく、医師からの話を家族で聞くというコトだった。

医師は開口一番、すぐにホスピスへの入院を薦めた。
治療目的の病院で出来ることは
回復の見込みのない今の母には辛いだけの治療にしかならないから、
終末医療に切り替えて最期の時間をなるべく穏やかに、
そして母が少しでも楽に過ごせるように、ホスピスに入院する方が良いと。

母は自宅で最後を迎えたいと強く願っていたのだけど現実は厳しくて、
父と弟で介護するのも難しいだろうし、
十分なケアという点でもホスピスを勧めるという話だった。

弟と父は医師からの勧めに納得し、母の説得を医師からしてもらったんだけど、
意外なほどあっけなく母はホスピス入院を承諾した。

麻薬の痛み止めが効いてるからなのか、
思い通りに動かない体に諦めがついてるのか、
そのあたりの心情は分からないけれど、
母は自宅から出て、あんなに嫌がっていたホスピスへの入院をあっさり了承した。




このとき、ステージが切り替わった瞬間のように感じた。
もうこれからは少しでも良くなるようにではなく、
死を迎える具体的な準備の日々になるのだ。




いきなりの展開に気持ちがついていかない。
悲しいとかいう感情より、ただもう戸惑うばかり。

沖縄に帰る日の朝まで高円寺でやってたパーティも感動の嵐で、
寝ずにそのまま沖縄に帰ってOTOBOLAでやったパーティも感動の嵐。

ところが実家に帰ってみれば会話はひとつもなく、
母の終末医療宣告という想像してなかった現実。




実は沖縄に帰るのを見据えてお正月に帰省した妹に母の様子について聞いていたんだけど、
その時の話ではこんなに悪くなっていなかったんだ。

どうやら、ワタシが帰る1週間前くらいからガクンと悪くなったらしい。。。

病院から戻るクルマの中でも一切会話はなく、
家に到着するとケアマネージャーと介護職員の方、
他にも二人ほどがやって来て、
バタバタと慌ただしく母を囲んで何やら行われていく。

その様子を遠くから眺めるだけのワタシ。

そうしてるうちに友達が迎えに来てくれる時間になり、家を後にして出かけた。









ヒカリちゃんと出かけた先は、
友達のユウジさんがご夫婦でコザにオープンしたスパイスカレーパルミラ♬

ユウジさんが出店をこの場所に決めたときワタシに最初に連絡してくれて、
インスタを通して内装の様子などを東京で見ていたワタシ。

昨年11月にオープンしてからも、
コザのみんなに愛されてるのが東京にいるワタシにも伝わってきていたから、
ユウジさんのカレーを食べるのをめちゃめちゃ楽しみにしていたんだ(*^^*)

店に入ると満席で、席が空くまでヒカリちゃんとコザの街を散歩することにした。

懐かしさで胸いっぱいになりながら、
相変わらず人のいないさびれたコザを見て回った。

一番街から中央パークアベニューへ出て、
旧保健所通りからコザしんきんの通りを歩いてゲート通りへ。
アタマの中にはたくさんの思い出が蘇っていた。

ゲート通りから中央パークアベニューに向かっているところにユウジさんから電話があり、
楽しみにしてたパルミラカレーへ(*^^*)

美味しいVeganカレープレートを食べながらおしゃべりを楽しみ、
コザをあとにしてヒカリちゃんとドライブに出かけた。 




ヒカリちゃんと深い話をしながら長い時間ドライブを楽しんで実家に戻った11時すぎ。
玄関のカギが閉められていて中に入れない💦

父のケータイに電話して開けてもらう。

「布団はココにあるから」とだけ言い、父は自室にこもる。
ここでも会話は何も無い。

寝不足といろんな疲れと感動と戸惑いがごちゃまぜになりながら、その夜はぐっすり眠った。




火曜日、お昼前に母に関するコトでまた数人が実家にやって来た。
ホスピスへの入院を前に家族の聞き取りなど、弟がメインで対応する。

誰の目にも明らかに蚊帳の外から見てるだけのワタシに気づいたケアマネさんが小声で、
「何も聞かされていないんですか?」とワタシに聞いた。

素直にワタシも「はい。ほとんど何も聞いてません」と答えた。
そのやりとりを弟は静かに聞いていた。




この日も友達に迎えに来てもらい、仲間の部屋に向かった。
カデナの海が目の前にある部屋でお昼すぎから深夜1時頃までゆっくり過ごした。

おしゃべりしたり音楽聞いたり、DVD観たり。
ソファに横になってダラダラしながら、楽しい時間を満喫した。



途中少し歩こうということになり、深夜の海辺を散歩。
ヤギを見にいって草をあげて、そのあとスーパーでお菓子買ってみんなで食べて。

特別なコトは何もしなかったけれど、めちゃめちゃくつろげた。




そして深夜1時半頃、実家に戻るとまたカギが閉められている。
そうならないようにと夜の9時頃電話して、ちゃんとカギあけておいてとお願いしたのに。。。

父のケータイに電話するも、寝てるのか応じない。

沖縄といえども深夜は寒い。
朝になるのを外で待つのは無理なのでがんばってケータイに電話していると、
弟の飼ってる犬が音に気づいて玄関に向かって吠え始めた。

それを聞いた父がやっと起きてきてカギをあける。
どうやら弟がカギをかけてしまったようなんだけど、重たいモノを胸に感じた。

そして寝てたら朝の8時に弟に起こされた。
「話しよう」

何の話だろうと思いながら眠い目をこすりつつ椅子に座ると
「今の気持ちを聞かせてほしい」といきなり言ってきた。

気持ちを聞かせてと言われても、
実家に帰ってからずっと何も聞かされてないワタシ。
かろうじて医師やケアマネさんから話を聞くことができて、
母の治療が終末医療に切り替わったコトは理解できてるけれど、
それについて弟や父の考えは何も聞いてない。

これからどうするのか、どうしたいのかも何も分からない。

こういうコトを話してると弟が口を挟んで、
ワタシを見てると遠巻きに他人事みたいな感じがすると言ってきた。

ワタシの方でもずっと蚊帳の外に置かれてると感じてると言い、
とにかく戸惑っていると言ったところで弟は話を終わらせた。

結局何もわかり合っていない。
相変わらず弟の考えや今後のコトについて、何も聞かされなかったワタシ。

割り切れない思いを抱えたまま眠れないけど布団に横になっていると、
弟と父が母を連れてホスピスに面談に出かけていった。




水曜日のこの日は、OTOBOLAでパーティやったTRIPTYCHの打ち上げが予定されていた。

夜まで実家で過ごしたくなかったワタシは、またユウジさんのカレー屋さんに(笑)





ランチタイム後の時間から夕方まで、ゆっくりおしゃべりして過ごしていると、
この日誕生日だった友達のバンバンがやって来た❗

あぁ。。。懐かしいなぁ。
誰とも約束してないのに、こうして友達が集まってくる感覚。
ひとりでいても、全然ひとりじゃない感覚って、
当たり前すぎて東京に行かなければ分からなかったモノ。
当たり前のありがたさを感じることができたのも嬉しかった。




打ち上げの時間になりヒカリちゃんにピックアップしてもらって、
せいやーも一緒に買い出しにいってムサシん家に向かう。

TRIPTYCHの三人とワタシ、
そしてエントランスで参加したヒカリちゃんとカメラマンで参加したコウヘイさん、
TRIPTYCHとは幼なじみで前OTOBOLA店長のジュンも混じって楽しい宴が始まった。

普段、ほとんどアルコールは呑まないけれど、
OTOBOLAでも打ち上げでもジンをけっこう呑んで酔っ払った(笑)

9カ月ぶりの仲間とのパーティ、そして打ち上げ。
平日なのに翌日ワタシが帰るということでみんな集まってくれて、
夜中の3時頃までたくさんおしゃべりして、いっぱい笑った(*^^*)

そのままムサシん家で寝て、目が覚めたら朝の10時。
打ち上げの後片付けしてシャワーを借り、身支度整えてお昼に那覇に向かうバスに乗った。




那覇に到着して向かったのは金壺食堂。
たらふく野菜を食べたあと、市場に向かった。





ずっと中部で育ったワタシにとって、那覇の市場は完全に観光客気分で楽しめるトコロ(笑)

コザとは違って人も店も多いし、まだ活気もある。

30分ほど歩いてたら、友達とカラーズで待ち合わせの時間になった。
ワタシが東京にいることを知らずに久しぶりに電話してくれて、
空港に向かう前に会おうというコトになったのだった。







沖縄最期のこの日、
めちゃめちゃ天気よくて気持ちよかった(*^^*)

カラーズで何度か出店したこともあるワタシ。
アッコさんにも久しぶりに会えて嬉しかった♬

スーパーでゆし豆腐と沖縄そばの麺を買い、モノレールで空港に向かう。

いよいよ沖縄を後にして東京に戻るんだ。。。

沖縄で感じた仲間や友達のあたたかさと、実家の家族の温度差のコントラスト。

見慣れた風景、慣れてる道。

ふるさとは遠きにありて思うもの

そんな言葉が浮かんだ。




定刻より早く羽田に到着。
いきなり世界がまた変わった。

16℃の沖縄から6℃の東京へ。
電車を乗り継いで高円寺に帰る。
冷たい空気を久しぶりに感じながら、いろんなコトを思った。

慣れ親しんだ環境で生活する幸せがある一方で、
今のワタシはすべてが初めての環境で生活する幸せも知っている。

どちらが良いかじゃなく、
どちらもそれぞれに良いのだ。





あたたかい家族の幸せがある他に、
他人なのに家族のようなあたたかい関係もある。

今回の沖縄では、その冷たさとあたたかさが入り混じっていた。

冷たいのが悪くてあたたかいのが良いというより、
どちらもそれぞれに良いのだ。

今のワタシはそんな風に思っている。

以前のワタシなら、冷たいのは嫌だと思っていたけれど(笑)





母のコトがあるので、
ただでさえ1ヶ月後どーなるか分からない生活が、
さらにどーなるか分からない状況となっている。

どのタイミングで実家から呼ばれるのか、全然検討がつかない。

とりあえずできるのは、どんな状況になってもいいように柔軟に対応するしかない。

いつまで東京にいられるのか分からない。

フード曼陀羅やパーティのオーガナイズなど東京でやりたいコトあるけれど、
いつまで出来るのか見通しが立たない。

だから今のワタシにできるのは、
東京で今、目の前にあるコトを精一杯やるしかない。

それがフード出店でも、パーティオーガナイズでも、曼陀羅でも。

できるときに、やれることを最大限やる。




いつ終わりが来ても悔いがないように。

これは人生を通していえるコトでもある。




時間はあっという間に過ぎていく。





やりたいコトだけじゃなく、
今目の前にいる人との関係を大切にするコト。

終わりがないことなんか、ひとつもないから。





一瞬一瞬がすべて。




今回の沖縄帰省はいろんな刺激に満ちた旅だったけれど、
今の高円寺での生活が、いつか終わる旅なんだということも教えてくれたように思う。




これからどうなるのか分からないからこそ、
今を生きるようになるのかもしれない。