(2月3日 深夜)
家族みんなは実家に帰って休んだけれど、
母が息を引き取るのをこの目で見届けたいワタシは、実家に帰らず一人病室に泊まった。

付添人用のベッドのそばに母のベッドを並べて、
一晩中息が細い母の様子をみながら過ごす。。。

こんなに長い時間母の顔を見るのは、生まれて初めてかもしんない(笑)




文字通り骨と皮だけになり、
目は深く落ち込み、
頬もコケて、
ワタシの知る母とは別人のようだった。

生きてる間のその人固有の個性というものは、
命が終わる間際に消滅してしまうものかもしんない。。。そんなコトを考えていた。




個性はたぶん、意識により発露される。




意識が変われば、当然個性も変わるんだろう。




元気な頃の母とはまるで別人の弱りきった母を見て、ワタシは意識について考えていた。



(2月4日 朝)
夜が明ける頃、やっと眠気がきた(笑)

いつ息を引き取るのか分からないので一晩中、
横たわる母から目を離さずにいた。

朝日で明るくなる病室の中で母の手を取り、並んで横になっているワタシ。

呼吸が気になりながらも、なんとか1時間ほど眠れた。



(2月4日 お昼)
お昼前になって、実家で休んでた妹家族と父が病室にやってきた。

ホスピスに入ってから何も食べてないワタシを気遣って、
妹がパンでも買って来ようか?と聞いてきたけれど、
ワタシが食べたいのはパンよりも島豆腐の厚揚げとゴボウ、昆布だった(笑)

どれもすべてうちなーむん。
沖縄で昔からよく食べられているお惣菜。

ワタシのリクエストに応えて、妹が惣菜屋さんに行って買ってきてくれた。

久しぶりの沖縄の味。。。めっちゃ油っこくて(笑)
懐かしかった。。。


 

お昼が過ぎると、母の兄家族や甥や姪たちがやって来た。

宮古島の離島である伊良部島出身の母。
親戚間の結びつきがめちゃめちゃ強い。

みなさん、本当に心から母を心配していた。





ラテン系のノリがある伊良部気質の親戚たちが病室にやって来て、空間が一気に明るくなった。

母は危篤状態が続いているけれど、
こうしてみんながやって来て談笑してるのを、
母はとても喜んでいるように思えた。



(2月4日 夕方)
親戚のみなさんが帰ってすぐ、
家族控え室に備え付けのシャワー室で1日ぶりにシャワーを浴びた。

きのうの朝、パーティ明けで帰宅したワタシに父から危篤の知らせが来て、
その日のお昼過ぎの便で羽田から飛び立ち、
夕方に那覇空港に到着してまっすぐ母のいるホスピスに来たワタシ。

熱いお湯を体に浴びると、なんだか疲れが取れたように感じた。




昨夜が山場ということだったけれど、
看護師さんも驚くくらいの生命力をみせている。

血圧が60ギリギリ。
呼吸数は1分間に6〜8回と少なくなっているものの、
まだそのリズムは一定さを保っている。

きのうは朝までもたないんじゃないかとみんな思ったけれど、
母はその状態で一日がんばってくれた。




明日は新月。
そして旧正月の元日。

母の命と宇宙がリンクしてるような気がしてた。


日が暮れる時間に入り、母の容態がまた悪くなった。

一日の間にも、母の状態がどんどん悪くなっているのは目に見えて分かった。




足先は紫色に変色し、脈拍は最低レベル。
呼吸数も少なく、息をする度に胸が大きく動くようになった。

巡回の医師によるとこの状態は、
息を引き取るまで秒読み段階に入ったコトを意味するという。。。

それを聞いてまた緊張感が出てきた。




今回、ワタシは母が息を引き取るのを看取りたいと強く思っていた。

一回一回、母の弱々しい呼吸をじっと観察していた。

日中は割とリズミカルな呼吸だったのが、
日が暮れてから不安定なリズムに変わった。

呼吸と呼吸の間が長く空いたり、
かと思えばまたリズミカルなものに戻ったり。

夜の8時頃に弟が母の足を見たら、
紫色に変色した部分が大きく拡がっていた。





(2月4日 夜)
母の状態は2〜3時間毎に、ますます加速して悪化。

弱々しい呼吸に加えて、
息をするたびに呼吸音がするようになった。

目は微睡むようにとろんとしてる時もあれば、
恐怖に慄くようにカッと白濁した目を見開く時もある。

膵臓から体中に転移したガンが激痛をもたらすようで、痛み止めの麻薬が効かないのか、
苦しそうに顔を歪めたりする場面が増えていった。

その度に看護師さんを呼び、痛み止めの座薬を入れてもらう。

 

夜の10時頃からは脈拍が測定できなくなり、
36.9度の熱が下がり始めた。

その頃から肩で息をするようになる。

看護師さんによると、
息を吸い込む力が弱くなると肩で息をするようになるという。

そしてその後、呼吸するたびに顎が上がるようになると説明した。



この時間にはもう、
家族の誰もが母の命は朝までもたないだろうと思い始めていた。

実家に帰って休む時間はない。
思いは同じなのか、誰も帰ろうとしない。

ワタシは母の呼吸から目を離さなかった。

母が見せてくれている壮大な命のドラマに、引き込まれていた。




 
(2月5日 0:00)
水瓶座新月。
そして旧正月元日。
新しい年の始まりの新しい月のサイクルがスタートしたとき、
肩で息をしていた母の顎が上がり始めた。

この頃からワタシには明らかに、母が旅立つのを恐れているコトが感じられていた。

何かに怯えながら、子供がイヤイヤするように声を出して何かを拒絶している。

母は未知なる意識の世界を恐れていて、
肉体を離れるコトを拒絶しているのだと分かった。



とはいえ足は壊死し始めているし、
母の肉体は生きるための力をもっていないのは明らか。

怖がる母の白濁した目をまっすぐ見ながら、
ワタシは「大丈夫!怖くないから。
ゆっくり、ゆっくりだよ。」と励ました。

するとこわばっていた母の表情は安心したかのように、僅かながら柔らかくなる。

これの繰り返し。




母は生前、
魂などに興味はあるもののスピリチュアルな教えには、怖れを抱いていた。

意識の覚醒や拡大などの経験は皆無で、
三次元的世界にどっぷり沈潜していた。

それは母だけじゃない。

家族の中でワタシだけが意識の覚醒や拡大について並々ならぬ興味を持ち、
そのような体験を少なからず持っているのだ。




昨年の11月、
疑似臨死体験を通して死後の世界の一部と思われる景色を垣間見た経験から、
ワタシには命の終わりに母が見ている景色が想像できていた。

それは家族の中でただ一人、ワタシだけが知っている世界。

だからこそ母の恐怖が手に取るように感じられたのだし、
怯える母の不安と恐怖を取り去る声掛けの必要性が分かっていたのだった。

母の目を見ながら声掛けするワタシ。 

病室にいた家族にはどのように映っていたのか分からないけれど、
みんなじっとワタシの声掛けを静かに見守っていた。




(2月5日 01:30)
母の呼吸にまた変化が出てきた。

今度は死前喘鳴という、喉の奥がゴロゴロと鳴るような音が聞こえ始めたのだ。

30分置きに巡回してきた看護師さんによると、
この音がするようになると、
その時はもう間もなくということだった。

家族の誰もが、いよいよだと感じていた。

母の左手を握るワタシ。
右手は妹が握っていた。

このとき、母が意識の世界に移行することを決意したのがハッキリと伝わった。

それを表すように、怯えるような表情はこの頃から消えていった。

それと引き換えに、呼吸は明らかに低下していった。

目に見えて吸気がほとんど無くなり、
それに伴って吐気もほとんど出なくなった。



  
 
(2月5日 02:41 )
ワタシは最後の母の呼吸を見届けた。

息が止まるとと同時に、口からドロドロのものが溢れ出した。

そして、母の顔色がみるみる土気色に変わっていった。




誤解を恐れずに言えば、
息を引き取るまでの一連の時間はまさに、
ワタシにとって感動の芸術そのものだった。

命が芸術だということが、よく理解できた。

よく親の死を目の当たりにして狼狽える話を聞いてきたけれど、
ワタシには魂震える感動しかなかった。




母が見せてくれた命の終わり。。。
それは、本当に素晴らしくて美しかった。




肉体から魂が抜け出たのを見届けた瞬間、
母に対する心からの感謝の言葉が
ワタシの内側から自然に口をついて出てきた。

これまでありがとう。 
産んでくれて、ありがとう。
そして、おつかれさま。
心から尊敬していると伝えた。

そして涙ぐむ父にもありがとうと伝え、
弟と妹家族にもお礼を言った。




長かった母と娘の闘いが終わったのを感じた。

これまでの経験から、
物事の終わりにはすべてが美しく昇華する事を知っているけれど、
命も同じであることが分かった。

人生を生きている間、
人はそれぞれの宇宙で
それぞれの世界に生きているけれど。

それはリアルな現実ではなく、
左脳の働きにより生み出された幻想の世界。

それが命の終わりを見届けたことで、
よく理解できた。




三次元的意識には、
目に見える物質だけが現実に感じられるけれど、 
その現実は命が終われば消滅してしまう。。。つまり、夢まぼろし。  

目に見えないものは、
現実には存在しないのだと三次元的意識は判断しがちだけれど、
肉体という物質の終わりにハッキリと感じられるのは、
目には見えないとされる意識や魂の存在。

自分の内側が投影されたものが、この三次元世界なのだ。



水瓶座新月/ 旧正月元日に、
母はこの世で最大級の贈り物をワタシにしてくれた。



それは人生というものの正体。



このコトがハッキリ分かったワタシは、
感動に打ち震えた。



そして、自分が新たなステージに移行したことも分かった。 



もう知らないフリはできない。



自分を信頼して、起こる出来事に委ねきる。



新しい世界に生まれゆく母とワタシ。



すべてが許された瞬間だった。