ワタシにとって占星術は、宇宙を知るための羅針盤。
印象的な出来事が起こると時間を覚えて、その時のホロスコープを確認するようにしているワタシ。

母が息を引き取った瞬間、時間を確認したら午前2時41分だった。

 



母の息が止まった瞬間、腹水に関係すると思われるドロドロのものが口に溢れ出したので、
ブザーを押して看護師さんを呼んだ。

すぐに最終的な処置が施され、
知らせを受けた医師が瞳孔と心臓の鼓動を確認しにやって来た。

医師の判定した母の死亡時刻は3時11分。





 
母の魂が肉体から抜け出るまでの間、
意識の世界で怯えて足がすくんでいる母を理解し、
勇気づけるのはワタシの役目だった。

家族のみんなも、暗黙の了解でワタシにそれを委託していた。

それはまるで、新しい世界に生まれ出る母のこの世での産婆さんのようなものだった。
  


   
そして抜け殻となった母の肉体をこれから導くのは、
ワタシじゃなく家業である葬儀屋さんを継いだ弟の役目。

目に見えない世界での役割と
目に見える世界の役割は異なる。

母が息を引き取った瞬間、
それまでの感動的な美しい意識の世界から、
喜怒哀楽が蠢く物質的な三次元世界へと空間が変わるのを感じたワタシ。

これからは、怒涛の如く進行していく葬送の儀が始まるのだ。





母の死後、病室で早速父と弟のバトルがスタート。

すべてを滞りなく進めるためには家族みんなの理解と協力が必要なのだけど、
父は弟のやり方にすぐ口を出してしまう。

それが、弟には我慢ならない苦痛の種。

親子関係の他に、創業者である会長の父と現社長である弟という関係でもある二人の間には、
埋めるのが厄介な溝が大きく横たわっている。




母の遺体を病院から実家に連れてきたのが早朝5時頃。
それから一人ひとり焼香したりいろいろやって、一段落ついたのが6時。

覚醒したワタシのアタマはまったく眠気を感じていなかったけれど、
弟が少しでも休むべきだと強く促した。

疲れ切っていた体は横になるとすぐに眠りについた。

目が覚めたのが2時間後の朝8時。

お通夜の間、父は母に人生最後の衣装として着物を着せたいと考えていて、
妹とワタシに母の所有する複数の着物の中からひとつ、選んでほしいとお願いしていた。

母のタンスを初めてあける。

琉球舞踊が趣味だった母のタンスには着物がいくつも見つかり、
片っ端から全部リビングに広げていると妹が、
「これ、ワタシのだ!
あ、これもそれもワタシのだよ。」と言って驚いた。

見ると妹の着物は4枚。

男用の弟のものもある。





それなのにワタシのものは一枚もない。

着物の話すら、母としたことがない。
 
妹の着物が納められていた引き出しには、
大切に保管されていた妹の成人祝の写真があった。。。





改めて、母の気持ちを知る。




これが母とワタシの紛れもない三次元世界での事実なのだ。




ワタシは子供の頃、
両親がワタシを愛さないコトに対して大きな怒りを持っていた。

そしてその怒りはやがて、人間不信や自己不信になっていった。

その痛みに長い間苦しんだ。

ワタシは何度も母の気持ちを確かめようとしたけれど、
母はそのたびに子供たちを等しく愛しているとしか答えなかった。

それを聞いても全然納得しなかったワタシ。

妹と弟に対する態度とワタシに対する時とでは、
確実に違いがあったんだ。


 


それはワタシの間違いや勘違いなどではなく、
やはり本当にそうなのだと改めて思った。





正直ショックを感じたけれど、
数時間前の命の芸術を体験した感動の余韻がまだ残っていたのもあり、
これまでみたいに動揺することはなかった。

すべては間違いなく完璧。

ワタシは怒りや悲しみを感じるコトより、
すべてを許して受け入れるコトを選んだ。







沖縄の風習では人が亡くなると、
49日までの間、3度の食事を故人にお供えする。

亡くなった母に供える食事はもちろん、
父や妹家族、弔問客のみなさまの食事もワタシがつくるコトになっていた。

時計を見るともう10時をまわっていた。

まずはとにかく、お昼ご飯の時間に間に合うように母の食事を作らなければいけない。

着物の後片付けは妹に任せて、急いで買い物に一人でかけた。





お昼前に実家に戻り、すぐに食事の用意をする。

母の分と家族11人分。

なんとかお昼時間に間に合ってホッとしたのもつかの間、早速弔問客がやって来た。

そこから4時頃まで弔問客が絶えない。

お客さんの相手をするのは主に父と妹。

ワタシはキッチンで休む間もなく料理しっぱなし。

こんな展開になるとはまったく予想して無かったけれど、
なんとか状況に対応できたのはパーティ出店やケータリングをしているから。

この時の忙しさを例えるなら、
行列のできるゴハン屋さんのランチタイムみたいな感じ(笑)





ヘトヘトになりながらも来客が途絶えたのを見計らい、今度は全員で遺品の整理。

いろんなモノを捨てずにとっておくタイプの母の持ち物の他にも、
実家は無駄なモノがところ狭しと溢れているのだ。



そうして夕方になると、また弔問客の嵐(笑)


最後はアタマが痛くなるほど疲れた。



思えばまる2日、ほとんど寝てない上に一日中料理していたので疲労困憊だった。

妹家族は火葬後、49日まで北九州に帰る予定。

それまで来週から、ワタシ一人でまわさなきゃならないのだ!

東京での生活費を保証してくれないと無理なので、
父にそのように話したところ、
生活費をワタシが無心していると思われた。

アタマで父はちゃんと理解しているはずなのだけど、
ワタシに対する財布の紐は子供の頃から固いのだ。
 
それは父だけじゃなく、母も同じだった。




ふらっふらになりながら、二階の弟の部屋の一室を借りて寝ようと横になると、
一階で父がワタシの悪口を妹家族に話してるのが聞こえてきた。




。。。これが父とワタシの三次元世界での事実。




小学一年生の頃から、共働きの両親を支えるために家事全般をワタシ一人が担っていた。

料理、洗濯、掃除など、すべてワタシ一人に背負わせていた両親。

その負担が幼いワタシの肩にどれだけ大きな負担となっていたのか、
両親は知ろうともしなかった。

どんなにがんばっても当たり前。

子供の頃に感じていた苦い感情が甦ってくるのを感じた。




これが三次元世界でのワタシの現実。

喜怒哀楽、
悲喜こもごもが渦巻くドラマを体験するのが、この世界に生きる理由なのだ。

だから、怒りや悲しみをおさえたりする必要はないし、恥じる必要もない。

ただ気づいていればいいんだ。

このドラマはリアルな現実じゃなく、
左脳が見せる魅力的なドラマなんだということを。

リアルな現実は目に見えない世界にある。

それはドラマのエンディングロールのあとに現れるもの。




母が見せてくれた命の芸術。

その感動に魂が震えた一方で、三次元世界のドラマも体験するのが人生。

父がワタシを悪く言うのを遠くに聞きながら、
ワタシは改めて生きるということの奥深さを感じていた。