告別式を終えた翌日のきのう、妹家族が北九州に帰っていった。
妹の旦那さんのご両親も告別式に参列するために沖縄に来てくれて、
ワタシを含めて家族一同ありがたい気持ちでいっぱいだった。
妹家族は毎年、冬休みを利用して帰省していたのだけど、
母が末期の膵臓がんであることが判明してからは夏休みにも帰省してくれてた。
今年などは例年通りの冬休みに加えて、
1月半ばに容態が悪化したときと2月に入ってからの危篤状態の時と、
振り返れば毎月沖縄に家族で来てくれた。
それができたのは妹の旦那さんと、そのご両親の大きな理解があるからで、
なかなか簡単にできるコトじゃないなと思ってる。
また今回は、
離婚したワタシの元旦那さんのご両親も参列してくれた。
離婚後、元旦那さんの家族とは絶縁状態だったんだけど、
ワタシが子供たちにラインで連絡してたから、母の急逝を知って参列してくれたのだった。
ワタシの両親は、次男が成人式を迎えた今年お祝いを何もしなかった。
三男が高校に入学したときも、何もしようとしなかったのでワタシが激怒。
妹を通してお祝いするように強く促したところ、
相手ご家族の大ヒンシュクを買うようなやり方をしたため、またまたワタシが激怒。
このとき、どれだけワタシが傷ついたのか両親はまったく知ろうとしなかった。
そういう経緯があるにも関わらず、元義理のご両親は母の告別式に参列し、
麻疹で参列出来なかった三男を初七日もしくは二七日に連れてきますと言ってくれたのだ。
母の告別式でワタシが涙を流したのは、このときだけだった。
ワタシの両親には友達がいない。
母にはまだ、交友関係にあるといえる人が数人いるけれど、父には一人もいない。
母にしたって表面上のつきあいだけで、
友達は信用するもんじゃないと何度もワタシに言い聞かせてたほどだから、
心を許せる友なんか一人もいなかった。
人を信用しない。
両親はお互いでさえ、信用しあってはいなかった。
そういう両親の影響を長女であるワタシが受けないワケがなく💦
人づきあいが長い間苦手だったワタシ。
人を信用することができず、
誰からの愛情も疑うばかりで受け入れることが出来なかった。
それに気づけたのは、
2017年の春に精神的に壊れて、秋に復活できた一連の体験を通して。。。
人生に起こる出来事に、何一つ無駄はない。
精神的に壊れたのも、交通事故で負傷して一年間無職でいたのも、
振り返ればすべて完璧な流れだったんだ。
「人が亡くなると、その人がこれまでどのように生きてきたか、全部目に見えて出てくる。
だから、立派に生きないと!」
ワタシが子供の頃、葬儀屋としていろんな人の葬儀の現場を見ていた両親は、
この言葉をワタシたちに繰り返していた。
実際に、2016年の8月から交通事故で負傷する2017年の2月までの半年間、
ワタシ自身が葬儀屋に従事して見聞きした事柄も、
生前の生き様が死後、顕著に現れるコトを示す事例ばかりだった。
その生き様とは、
人によって解釈は何通りもあるんだと思う。
父の解釈と母の解釈も違うだろうし、当然ワタシの解釈とも違うだろう。
母の告別式の参列者数が予想より下回っていたコト。
一方で義理堅く参列した人たちが多数いたコト。
これをどのように解釈して、自分のこれからの生き方にどのように反映するのかは、
家族一人一人で異なるんだろう。
そういう人生の学びの機会として考えても、
人の死は忌み嫌うものではないとワタシは考えている。
きのうは食事をつくる他は日中、横になって過ごした。
眠れなくても、横になるだけでだいぶ休める。
おかげで夜にはかなり疲れがとれた。
母が亡くなり、妹家族もいなくなり、だいぶ寂しくなった昨夜の食卓だったけれど、
父とワタシの他に弟も加わってくれたコトで、
ギスギスした雰囲気が柔らかいものになった。
一昨日父に激怒した弟だったけれど、
ワタシが東京に戻ったあとは父と二人で暮らしていかなきゃならない。
なんとかして家の空気を少しでも心地良いものにしようと、
身を呈して努めようとする弟に頭が下がる思いのワタシ。
その努力が行き過ぎて、弟の体が壊れないかと本気で心配してるくらいだ。
49日までは修行だ。
きのうの朝、唐突に父が呟いた。
これはまさに、ワタシがブログで何度となく繰り返している言葉そのもの。
口にこそ出していないけれど、弟もまったく同じような気持ちだろう。
家族の誰にとっても修行であることが間違いない日々。
みんなそれぞれに、分かり合いたいと切に願っているんだ。
その思いが同じであれば、きっと少しずつでも良い方に前進するだろう!
それぞれが、それぞれの修行に励む日々はまだまだ続く。