その日はknockで、深夜11時半から朝の7時半までバーカン勤務だった。

ぶり返した風邪がパーティ中にどんどん悪化💦

ダルいカラダで、重い足を引きずるようにして部屋に戻り、
出勤前につくっておいた赤レンズ豆のスープおじやを食べて布団に横になったとたん、
それは始まった。





こういうのは生まれて初めてだったんだけど、
カラダがイキナリ勝手に深呼吸を始めたのだった。

鼻水で呼吸しづらかったから、
深呼吸でカラダがラクになるのを感じたけれども。。。





それは、ワタシがやろうと思って始めた深呼吸ではなかった。

ワタシの意図が不在の深呼吸は、そのまま約25分くらい続いた。

なぜ時間が分かるのかというと、SINKICHIさんのこのMIXを聴いていたから。




このインスタにも書いたけれど、
沖縄でLIFEというタイトルのパーティを2回、OTOBOLAで開催したコトがある。

パーティをオーガナイズするのは、LIFEが初めてだった。

それはワタシがつくる食べる曼陀羅をフィーチャーしたパーティで、
SINKICHIさんの音世界があってこそのものだった。






その頃のワタシは、
LIFEというパーティでDJをお願いするのは、SINKICHIさんの他にはいないと考えていた。

だから、東京に来るときにLIFEは終わったんだと密かに思っていたんだ。





ところがっ!





8月からknockでワタシがオーガナイズするパーティを毎月やらせてもらうことになり、
そのパーティで食べる曼陀羅を毎回やらせてもらうことになり、
音楽に関するすべてをknockオーナーのジュンさんにお任せできる話がまとまり、
さてパーティタイトルどーしよーと悩んでいたら、
ジュンさんからの
「沖縄でやってたパーティタイトルのLIFEでやったら?」
という助言に促されて、LIFEに決めたのがその日だったのだ。




つまり、パーティタイトルがLIFEに決まった数時間後に、あの深呼吸が始まったのだった。





それは自分でも驚くくらい、深〜い深〜い呼吸だった。

吸う息は、お腹が破れるんじゃないかというくらいにカラダを満たし、
吐く息はお腹と背中がくっつくほど、カラダをぺしゃんこにした。

この深い呼吸を繰り返すコトでカラダの隅々に新鮮な空気が入り込むのを感じ、
アタマは少しぼーっとしてた。






両耳からカラダに流れてくるSINKICHIさんの音を聴きながら深呼吸していたら、
過去の記憶が一瞬蘇った。

それはこどもの頃の悲しい記憶で、これまでに何度も蘇るコトがあったけれど、
その悲しみを感じるのが怖くて、蘇ろうとするたびに咄嗟にそっぽを向いていた。





でもこの日は何故か、この悲しみを直視してみようと思ったんだよね。。。





はじめ記憶が蘇った瞬間は、これまでの反応通りにそっぽ向こうとしたんだけど。。。

すぐに気持ちが変わって、悲しみが蘇るままにしてみようと思ったんだ。





すると、ポロポロと涙が出てきた。

泣きながらなぜだか分からないけれど、
これも完璧なタイミングだという気がして、
涙が出るままに悲しみが蘇るのを許した。





蘇る悲しみは次から次へと過去にさかのぼり、
とうとう生まれ落ちてすぐの赤ん坊のワタシにまでさかのぼった。





予定日より一か月早く生まれたワタシは体重が2500gに満たない未熟児で、
生まれ落ちてすぐに保育器に入れられた為、母親の胸に抱かれたのはずっとあとのコトだった。

この赤ん坊のワタシが感じていた漠然とした不安と恐れも、このとき蘇った。




生きるのが怖い。




こどもすぎて言葉にできなかったけれど。

あまりに幼い頃の恐れすぎて、思い出すことは無かったけれど。





生まれ落ちてすぐの赤ん坊の頃からずっと抱えていた、生きるコトへの恐怖。

深いところにあった恐れの根元を直視したのは、このときが初めてだった。





生きるコトへの恐怖は、
母から得られるはずの無償の愛が得られなかったコトも大きく影響している。

ワタシを取り巻くワケ分からない環境の中、
あたたかな愛情を感じられずに、ひとりぽっちで奮闘しながら生きていた。

「何故ワタシを愛してくれないんだ!」

この怒りの炎は、ワタシが小学6年生くらいから今年母が亡くなるまで燃え盛っていた。

深呼吸で蘇る悲しみと共に、この頃の怒りも蘇った。






号泣しながら、母への怒りでこぶしを自分の膝に何度も打ちつけた。





唐突に始まった早朝のこのドラマは、一時間以上続いた。。。





生まれて初めての体験だった。
これまでに何度も両親との確執が原因で泣いたし、
何度も怒りまくったけれど、
このときのそれは、これまでのどれとも異なっていた。

泣きながら、
そして怒りながら、
すべてを許している自分を初めて感じていたんだ。





ひとしきり泣き怒ったあとで、
ワタシを愛せなかった母を許せたし、
その愛を得られないにも関わらず、
母に愛を乞い続けたワタシ自身も許せた。





こんな体験は本当に初めてだった。





許せたあと胸に広がったのは、この体験への感謝だった。

何故だか分からないけれどその日ワタシは幸運にも、
深い深いところにある自分自身の恐れと向き合うことができた。





この体験で得たものを食べる曼陀羅で表現したい。。。





たくさんの涙が過去の様々な感情を洗い流したあと、
ワタシの胸に残っていたのはパーティに対する純粋な気持ちだった。

形のない音と光に満たされた空間で、
深夜から未明という時間帯で表現する自分自身。

無我の境地で曝け出す自分の存在が、
同じような恐れを抱えて生きる誰かの心に響くなら。。。

何の見返りがなくても、
生きてる間はこの表現に取り組みたい。





自分でもびっくりするほど明白に、パーティに対する純粋な動機を確認した。





不思議な体験だったけれど、
揺るぐことのない核を自分の中に感じることができた。





時は令和元年 双子座新月の頃。
赤ん坊の頃からあった恐れが唐突に溶けた。

これからを見据えるワタシの目は、まっすぐ前を向いている。