2019 11 01 fri.
LIFE vol.6 @knock高円寺。
この前日、首里城が突然燃えた。





燃え盛る炎に包まれて成すすべもなく焼け落ちてゆく首里城をみて、
ただただ流れる涙を拭うことしかできなかったワタシ。

悲しいといえば悲しいんだけど、
この時の気持ちを正確に表そうとすれば、悲しいという言葉では物足りない。

うちなーんちゅとして沖縄でうまれ、47年間沖縄で暮らしてきたワタシにとって、
沖縄が経験した先の大戦による傷は、心の中にしっかりと継承されている。

燃え盛る首里城をみて、沖縄戦を思い起こした県民は少なくないはず。

単に城が燃えているのとは違って、
沖縄戦で受けた先人たちの想いやご苦労などもそこに見えてしまうから、
悲しいというよりは苦しいという表現が近い。

このブログを書いている11月6日現在、未だ出火原因は特定されていないけれども、
消防は事件性は低いとみているようで、それについてはホッとしている。









今回の曼陀羅は、消失した首里城と哀しみに包まれる琉球に捧げると決めて臨んだ。

捧げる対象を沖縄ではなく琉球と決めたのは、
首里城を建てた先人たちやその頃に生きていたうちなーんちゅも捧げる対象にしたかったから。

慰めるというとおこがましいんだけれど、
うちなーんちゅとして生きてきたワタシにできる唯一のコトが、
この日の曼陀羅を琉球に捧げるためにつくる以外に無いように思われたんだ。。。










この日、曼陀羅を構成する食材にひやごん豆腐を用意していた。

これまでなら曼陀羅の中心は円形だったんだけど、この時は島豆腐の四角形が中心に据わった。

そして中心の四角形を囲むように格子模様で円形が現れ、その周りに回旋する円が、
その円をまた四角形が囲んだ。

この時すでに、LIVEでゲスト出演したMDM COLUMBIA嬢は
「サヨコさん、首里城つくってはる」と分かったそうなんだけど、
やってる本人のワタシはこの時点でこれが首里城だとは全く気づいていなかった(笑)

ただ、(やたら今回は四角形が多いなぁ)としか思ってなかった(笑)








中央の四角形から長く延びる線。。。これも、今まで無かった展開。

曼陀羅やってる時のワタシの意識は無我の境地なので、いわば操り人形のようなもの。

普段のワタシをワタシたらしめている思考や理性、マインドといったものを黙りこませて、
何かにワタシという存在を明け渡している状態でやっている。

何に明け渡しているのかは分からない。

「大いなる存在」ということもできるし、
「神」という言葉を使うこともできる気はするけれど、
「その場」とか「ワタシ自身」の方が感覚的に近い気がする。。。

ワタシ自身、何に明け渡しているのかはどーでもよくて(笑)
とにかく通常のワタシより聡明で深い智慧と洞察力を備えている存在に対して、
自分を明け渡してやっているのが曼陀羅なんだ。

だから、この時なぜ線が延びてるのかワタシ自身は何も把握していなかった。









何も分からないまま、人前で曼陀羅やるってかなり恐怖だ。

今回こそはアタマ真っ白になって何もできず、
公衆の面前で失敗する姿を晒すコトになるかもしれない。。。

そんな不安が毎回、パーティが始まる前に胸を満たす。

けれども不思議なコトに今回は、そんな不安は一切無かった。

もしかしたら曼陀羅やる理由が明確にあったからかもしれないし、
自己受容が進んだからかもしれない。

理由は分からないけれど、とにかく不安要素が今回まったく無いのは予想外だった。



中央から延びた線から先に進めるコトができなかったので、
ガラス板の四隅に取り掛かる事にしたワタシ。

四隅もこれまでなら円形だったのに、今回初めて四角形が現れたのには驚いた。









四隅が一段落ついたところで、再び中央に取り掛かる。
延びた線の外側にアボカドを並べ、トマトソースで中央に赤い線が描かれた。

これは後で気づいたんだけど、首里城の屋根に炎が燃え盛っている様子なんだ。

曼陀羅というのは宇宙を現すもの。



コチラのサイトから引用させてもらうと、
曼荼羅とは仏教の中でも特に密教で考えられている世界を絵柄で表したものを言います。
日本では掛け軸のような形でご本尊として扱われることも多いですが、必要な時にだけ地面に図柄を描く曼荼羅や、模型のような立体的な曼荼羅も存在し、曼荼羅の内容だけでなくその表現方法も大変さまざまなものが存在します。
密教だけでなく日本の神道ヒンズー教でも曼荼羅は存在しており、画一的に「曼荼羅とは」と説明できるものではないようです。

それぞれの曼荼羅によってその内容や表現方法には違いがありますが、どの曼荼羅でも単純な絵柄ではなく、その絵柄や文字が意味をなしており、世界観・宇宙観・悟りの境地などがわかりやすく示されています。




ワタシは特定の宗教団体に属しているわけではないし、
どこかの宗教の信者でもないんだけど、
子供の頃から生きてきた中で自然に神の存在を自分の中に認めている。

神というと唯一絶対の個なる存在のような感じがするけれど、
ワタシの中に認めている神は個ではない。
 
光と表現できるような曖昧で抽象的な存在のようでもあり、
また先祖と表現できるかもしれない。

うちなーんちゅだからやっぱ、先祖崇拝の土地で生きてきた影響なんだろう。

だからワタシのつくる食べる曼陀羅は、
その時のその場の宇宙を反映したものだとワタシ自身は思っている。

この場合の宇宙とは、地球が浮かんでいる漆黒の空間の事ではなくて、
万物を含むすべてのひろがりという意味での宇宙。

無我の境地で大いなる何かに明け渡してつくる曼陀羅は、
その時その場を満たしている音の粒に反応している。

それらの音の粒はエネルギーで、
サクサクと食材の配置が進むときもあれば、遅々として進まないときもある。

その音の粒のエネルギーが内向きなのか外向きなのか、
また微細なのか粗雑なのか、力強いのか繊細なのか、音の影響は如実に現れる。




今回の曼陀羅は中央部分をLIFE レジデントDJのJunさんの音で緻密につくられ、
ゲストDJお一人目のCOGEEさんとゲストLIVEのMDM COLUMBIA嬢の音で大胆に展開し、
ゲストDJお二人目のSUNGAさんの音で再び緻密に仕上げられていった。








食材の配置を終える直前の曼陀羅。
この段階になってやっと、これが首里城なんだと気づいたワタシ。

ガラス板中央の四角形は建物内部を上から現していて、
四角形から延びた線で星の形にもみえるけれど、これは首里城の屋根を現している。

ちょうど四面体の展開図のように、立体を平面で現しているんだ。

そしてガラス板の四隅は首里城を支える柱。
ひやごん豆腐のちっちゃな四角形にのせられた朱いくこの実は、赤瓦を現している。

消失する前の首里城と、燃え盛る炎に包まれる首里城が重ね合わさって現れたんだ。

この時の時間は、午前5時前。
曼陀羅つくり始めてすでに6時間が経過していたヽ((◎д◎))ゝ

曼陀羅やってる時は時間の感覚が失われるから、あっという間にすぎていく。
この時も本当はあと3時間くらいやっていたかったんだけど(笑)
急いで仕上げに取りかかることにした。





コチラが食材の配置を終えた曼陀羅。


正直、このときまでワタシは曼陀羅を食べたコトが無かった(笑)

やっぱ料理人という意識があるから、
お金を頂いてお客様のために料理したものを、お客様と同じテーブルについて
お客様と一緒に食べるというのはできないんだよね。。。
謙譲するべきという意識が働くんだ。

それでも曼陀羅が残ったら食べようと毎回思ってるんだけど、
ありがたいコトに残ってしまう事が一度もなくて✨

今回は食べる人数が少なかった事もあって、誰も曼陀羅に手を出さない時間があったので、
残ってしまうかなと思って初めて食べてみたんだ。。。



めちゃめちゃ美味しい(笑)

自分でもびっくりしたけど、マジうまかった〜(*^^*)
そして、めちゃめちゃ楽しかった〜(笑)

フロアで音と遊びながらモグモグ食べる曼陀羅は、美味しくて楽しくて幸せにさせてくれた✨

するとまた、みんなも曼陀羅に手を出し始めて(笑)
みんなで一緒になってひたすら食べた。



この時誰かがこう話した。
「食欲という人間の三大欲求のひとつを満足させながら音と遊ぶって、最強だよね〜(笑)」




言われて気づいた!
ホントだね(笑)




悲しい出来事があってもいにしえよりうちなーんちゅは、
音楽と舞で心を慰めながらがんばってきた歴史がある。

ヌチぬグスージさびら🎵

生きているからこそ喜怒哀楽があり、
人生の悲喜こもごもを体験する。

命ある限り形あるものがうまれ、
そしてその形は失われてゆく。

だから命を祝おう
悲しいときほど命のお祝いをしよう

食べる歓びを味わい、
生命の歓びを全身で踊って表現しよう。

〜LIFE〜
それは命。
それは人生。
それは生命。
それは生活。

琴や三線の心預じきやい  

浮世なだやしく渡てぃ行かな


くとぅや さんしんに くくる あじきやい 

うちゆ なだやしく わたてぃ いかな

(※なだやしく=おだやかに)



意味)琴や三線に心を預けて、

穏やかに浮世を渡って行こうではないか



沖縄戦のさなかにもうちなーんちゅは、三線を抱えながら逃げ回っていたほど音楽を愛している。

何かにつけては三線片手にうたい、その音色にあわせて踊る。


嬉しいときも

悲しみにくれるときにも。


沖縄戦後、悲しみに心を打ちひしがれているうちなーんちゅの家を一軒一軒まわり、

弟子の照屋林助と共に「生きている私達が命のお祝いをしましょう」

といって笑いと共に人々を励ましたブーテンさんの言葉そのままに、

LIFEは命を祝うパーティを続けていきたい。


食べることは生きること。

ヌチぬグスージさびら✨