女優の沢尻エリカ氏が逮捕されたというニュース。
原発事故以降、基本的にワタシはニュースと距離を置いてるのだけど、
twitterで流れてくる様々な人の呟きを目にするうち、
彼女が逮捕される数時間前まで渋谷のクラブにいた事等を知って、
自分とはまったく無関係なコトとは思えなくなってきている。







リンク先はyoutubeなんだけど、ワタシがtwitterで最初に見たのはこの映像。
「主役のokadadaよりカメラは沢尻エリカを映してる」みたいな内容の投稿で、
この映像をキッカケにワタシは無関心ではいられなくなっているのだ。





ワタシにとってクラブは、夜遊びする場所というより好きな音を全身に浴びるための場所。

だからもちろん一人でも出かけていくし、
友達と行っても一番良い音のする場所を探してはおしゃべりもせず、
一人で音に没入してガン踊りするのが好き(笑)
アルコールも一杯だけしか呑まないコトがほとんど。

パーティは遊び場だから、いろんな楽しみ方があって自由。
お酒ガンガン飲んで騒ぐのもパーティの楽しみだし、
新たな出会いやご縁を繋ぐのもパーティが提供する楽しみだけれど、
ワタシにとってパーティは、とにかく音を体験する場所。これが一番!

一方で今現在、東京における小箱の現状は厳しいものがある。
警察の取り締まりに加え、今回の逮捕劇により、
クラブやパーティに対するイメージはどんどん悪くなるだろう。

普段パーティに行かない人にとっては、
クラブに出入りする全員が薬物乱用者に見えるかもしれない。






ワタシはいま、活動の場をパーティ中心にしている。
深夜の時間帯の暗がりのクラブで、薄明かりの空間の中で音の粒を浴びながら、
刺激的な食の体験を提供することに、生活のすべてを注ぎ込んでやっている。

食べる曼陀羅をやっても収入はない。
無いどころか、かかる費用の負担は重くなる一方だ。

そこまでして何故ワタシがパーティをやるのか。。。

それは、魂が震える感動がそこにあるからの一言に尽きる。



夢中になってやればやるほど、
自分のすべてを注ぎ込むほど、
かえってくる感動が大きくなる。

それは人の心に触れる感動だったり、
素晴らしい音の体験による感動だったり、
自分の成長をダイレクトに感じたときの感動だったりと様々だけれど、
ワタシがパーティから得られるものは、すべて金銭では買えないもの。

自分の存在を丸ごと注ぎ込める対象が、今のワタシにとってはパーティということなんだ。

だから世間で、クラブやパーティが薬物乱用のイメージと一緒に捉えられるのは心外だし、
パーティをオーガナイズする者として無関係ではいられない気持ちになるんだ。




確かに、音楽だけじゃなく芸術全般と、いわゆる「薬物」は近い関係にあると感じてはいる。

けれどもその事について話そうとすると、
そもそも日本における「薬物」の認識が正しいものなのか?
というところから話を始めなければならず、
そうなると一人ひとり認識が異なる事を前提にしなければならなくなるから、
話が複雑になってしまうのは避けられない。

「薬物」の言葉ひとくくりで全部ごちゃまぜに話すのは、あまりにも乱暴すぎる。

だからワタシは薬物に関して何かを言うコトはしないけれども、
今回の沢尻エリカの逮捕と直前まで彼女が遊んでいたクラブやパーティを短絡的に結びつけて、
クラブやパーティを悪いように受け止めてほしくないなと心から願っている。

また誤解を恐れずにいうと、
パーティで遊んでいた沢尻エリカに対しては、素直に嬉しい気持ちがある。

あんなに忙しい毎日を過ごしていたはずなのに、
パーティで遊ふことはやめずにいたんだなと思うと、正直嬉しい。

音楽がめちゃめちゃ好きじゃなければ、だんだんパーティから足が遠のいていくだろう。

念の為に断っておくけど、彼女の薬物使用について擁護したいワケじゃない。
違法だろうと合法だろうと、薬物と誰がどのような関係でいるかについて
ワタシは断罪する気もないし、興味もなければ口出しする権利も持ち合わせていない。

今回の逮捕によって甚大な影響が多方面に生ずるだろうとは思うけれど、
ワタシはその事についてはまったくの部外者。
だから、言いたいことは何もない。

クラブに出入りし、
パーティをオーガナイズし、
その素晴らしさを享受している人間のひとりとして、
今回の件は考えさせられるものがあるという話。

音を愛し、
感動の共有体験を愛しているからこそ、
パーティに関わる者として、
考えなければならない事があるような気がしているというコト。


だって誰一人として、
繋がってない者はいないから。