おはようございます。

はしもとまゆみ です照れ

 

 

 

ここ最近、

絵本作家である、のぶみさん作詞の

「あたしおかあさんだから」が炎上中、との

話題があちらこちらで聞こえていますね。

 

 

子育てに勤しむお母さんを描いた歌で、

その内容が・・・

「母親の自己犠牲を賛美し、特定の母親像を押し付けている」と

批判が殺到しているとのこと。

 

 

 

 

子育て経験のある一人として

気が付いたことを少し・・・

 

 

 

かなり大きく取り上げられた、

その批判状況には少し驚いています。

 

 

そんなに批判される内容かな???

 

 

 

 

正直、私も、

子育て中は時間との戦い(?)で必死でしたチューあせる

 

 

自分の思うような段取りで進まないなんて当たり前汗

 

 

下手したら、突発的なことにアタフタあせる

 

 

だから、

子供のことを優先したり、

自分のことは後回しになったり、というのは

 

 

ついつい、やってしまっていたことのほうが多いと思います。

 

 

 

 

ただ、そんな中でも、

「お母さんとはこうあるべきだから」とか、

「自分のお母さんもやってたから、私もしなきゃ」が

ほんの少しでもあったら・・・

 

 

自分のことを優先している人が目の前に現れると・・・

途端に、ざわつきます笑い泣き

 

 

自分の中にガマンがあるということ、です。

 

 

 

思い返すと、

“ついつい、やってしまう”には、

二つの側面があったように思います。

 

 

 

ガマンするとか、しないとか、の別次元で、

ついやりたくなって、気づけばやっていること

 

 

どこかで、やらなきゃ意識が働いて、

ついやってしまっていること

 

 

あ~、今、思い出しても

やっぱり、両方ありますよチュー

 

 

 

前者は、

子供が大好きだから、愛しい存在だから、

本能的に、無意識にしていること

 

 

後者は、

評価や周囲の目が気になりつつ、

~べき、~ねば、と意識的にしていること

 

 

どちらもあっていいし、

どちらもいい悪いはないのですよね。

感情だから照れ

 

 

 

ただ、後者が大きくなると

しんどくなるのは、誰でもそうですよねあせる

 

 

 

子育てに関する相談を受けたことは

これまで何度もありますが、

 

 

その時、必ず言っていたことは、

「(ガマンせず)笑っていられる時間を増やすこと」

でしたね。

 

まっ、自分もガマン強くて

ひとりガマン大会していましたから笑い泣き

 

 

 

日々、出来る限り、

意識して、思い出して

 

ガマンの域から超えそうだな~と感じたら

「周囲に助けや協力を求めること」が大事ですラブラブ

 

 

ガマンの域も、人それぞれですから

自分の感覚で確認しながら、ですね。

 

なんだかイライラして怒っている自分がいたら、

すでに超えてますから笑い泣き

 

 

 

 

笑える域

ガマンの域

 

 

両方行き来して

どちらかに入っている状況だと思います。

 

ただ、

ガマンの域には、短期滞在くらいでチュー

 

 

 

 

ちなみに、“自己犠牲”とは・・・

何らかの目的や他者のために、

自己の時間・労力・身体・生命をささげること

 

 

 

ささげることが尊いことと感じるのか?

 

ささげることが苦痛と感じるのか?

 

本当はどう感じているのか?

 

まず、そこを知ることが大事ですね。

 

 

 

のぶみさんのある日のツイッターでは

「こんなにごめんなさい言った作品は、初めてだった」

とおっしゃっています。

 

 

批判している人の目的は、

のぶみさんの「ごめんなさい」なのでしょうか?

 

それとも・・・

「助けてください。」・・・なのでしょうか・・・