こんにちは!
はしもと まゆみ です
お会いした方から
たま~に言われる
わたしの印象の一つ
「正しいことを言う人」
※あくまで印象なので
確かに、これまで
「正しさ」基準で生きてきたし、
これからも、そうかもしれませんし、
そうじゃないときもあると思います。
ただ、この「正しさ」の定義は
時間の経過とともに常に変化しています。
経験することによって、変化するしかないからです。
まぁ~、頑ななときもありますが
実は、
その「正しさ」、大丈夫?
っていうときがあるんですね~
□ 誰かに何を言われても納得できない
□ 誰かに価値観や考えを押し付けられているように感じる
□ 誰かに言われたことにイラッとする
逆の立場も同じです
□ 誰かに何を伝えても納得してもらえない
□ 誰かに価値観や考えを伝えたくなる(教えたくなる)
□ 誰かに話したらイラッした態度をされる
そんなときは、
自分の中にある「正しさ」センサーが
反応しているんですね~
何かを見直すときかもしれません
まっ、見直した結果、
「正しさ」を変えても、変えなくてもいいんです。
気になった方は
とにかく、見直してみる作業をしてみてください。
で、その作業とは?
そこに、「いい」「悪い」はない
そこにあるのは、事実だけ
ジャッジではなく、そのままを観る
そのままを観る・・・
以上!
先日、尊敬する大好きなある方とのお話・・・
「 あなたの言うことはきっと正しい。 その通りだと思う。
ただ、それができないときもあるし、できない人もいる。
人はいろんなことを学んで、影響を受けて、考え方が変わったり、進化していくんだと思う。
大切なのは、そのとき、その波に乗れなくて、変われない人(自分)をどう思うか?だよね。
この話知ってる? ホトトギスの俳句の話。
信長は、
「鳴かぬなら、殺してしまえ、ホトトギス」
(攻撃的でどんどん攻めていくタイプ?)
秀吉は、
「鳴かぬなら、鳴かせてみよう、ホトトギス」
(積極的に動かしていこうとする(コントロール)タイプ?)
家康は、
「鳴かぬなら、鳴くまで待とう、ホトトギス」
(周りの空気を読むタイプ?)
この3つの句の共通するところは、
常に、「鳴くホトトギス」が【善】ということ。
逆に、「鳴かないホトトギス」は【悪】であるということ。
【善】【悪】という前提があるんだよね。
あと、もう一つ知ってる?
「鳴かぬなら、それもまたよし、ホトトギス」
鳴いても、鳴かなくても、いいよ~という感じ
ちなみに、この句を詠んだのは、
経営の神様、松下幸之助氏だそうですよ。
わたしは、この句が好きです。
こういう気持ちを持ってると、結構、楽ですよ~ 」
なんとまぁ、いいタイミングで、
こんなお話を聞かせてもらえる私は、
本当にラッキーです
周りの目を気にして、
周りの声を気にして
できることを、したいことを全う・・・できない
日常の中では、思考優位であることが多いですね。
それで流れに乗っているとき、
それはそれでいいんですよ~
ただ、窮屈さを感じたとき
たま~に、ゆるくなってもいいかなぁ~って思います