おはようございます!
はしもとまゆみです
みなさんは
「写経」や「写仏」に興味ありますか?
わたしは、10代後半から「写経」をはじめました
書いている内容の意味は解らなくても、
一心に筆で文字を書いていく、という
作業そのものが、ただただ、心地よいのです
その中でも、やはり
「般若心経」を写し書くことが多いですね。
その「般若心経」の中には
「無」が、た~っくさん、出てきます。
(逆に「有」は、たったの1回)
今日は、その中から、
気になる言葉をひとつ・・・・・
『無眼(むげん)』
人がモノ・コトを見て、
浮かんでくる感情や考えは
絶対ではないですよ~ということです。
例えば・・・
私の場合
大好きな乳製品、特にチーズを見れば、
「うわぁ~、美味しそう~」となります。
たとえ、お腹が空いてなくても
目がになっちゃいます
ですが、今、現在
お腹が空いていても
にはならないんです。。。
どういうことかというと、
断食をしてから、
身体が本当に欲しているかどうか?
がある程度分かるのです。
(ここ↑も絶対はありません)
あれだけ、大好きだったチーズに
全くと言っていいほど
見向きもしない
断食前に購入していたチーズもそのまま・・・
(近々、お料理に使わないと)
「チーズ好きな私」という自己認識もあって、
チーズを想像したり、見ただけで、
食べたい感情が上がってくる。
「それ(その感情)は、本当か?」
「チーズ」を
目で認識した時点で
「チーズ食べたい」となる
「チーズ好きな私」は
きっと、
「チーズ」が食べたいに違いない
そもそも、
その感情はあったものなの?
その時の自分の状況によって
感情は変わるもの
だから、
「絶対」というものではないし、
そこに執着もいらない。
「見る」より、
「観る」なんだろな~
と感じた出来事です。
ありがとうございました
追記・・・
「チーズ」と同じくらい大好きな「あんこ」でも
かなり控えめな感覚(量)になってます
いつもなら欲しているだろう「あんこ」(量)も
また今度ね~という感覚に
こうやって、自分を客観的に観ると
いろんなことに反応してるな~~