おはようございます!
はしもとまゆみです
あらためて、「般若心経」を観ると
深く理解してなくても、
この2文字、好き
この4文字、ついつい焦点があたる
とかあって、楽しい~
私の好きなことの一つだな~
本当に個人的趣味なので
興味のある方だけ
お読みいただけると嬉しいです
はい、では・・・
般若心経によく出てくる 「無」
前記事の『無眼(むげん)』に続き、
「無」に関連する言葉について
書いてみようと思います。
『無耳(むに)』
耳に聞こえる音や音楽
たとえ、同じモノ聞いていても
感じ方は人それぞれ。
人によって、感じ方は違うよ~ということです。
場合によっては、時間の経過とともに違ってくるよ~
子供たち(3人)がお世話になった保育園の前を
通るたびに聴こえる小さな子供たちの声
笑い声や誰かを呼ぶ声、
そして、泣いている声
どの声も愛おしく聴こえる
それは、
毎日毎日、一分一秒を必死で、過ごしていたな~
という私自身の記憶がよみがえってくるからです。
朝は、それこそ、出勤時間に間に合うよう、
必死の形相で自転車をこいでいたんだと思います
夜は、お迎え時間リミット数分前に、
これまた必死の形相で保育園に滑り込み、
ママ友や先生たちとの会話もそこそこに
夕飯のことを考えながら、
子供たちを抱えスーパーへ向かって行っていたんだと・・・
今だから、プッ!と笑えるくらいですが、
当時の私は、
時間に追われる感覚と、
目の前に流れてくること(仕事・家事・子育て)を
こなしていくことに必死で
それも、一生懸命すぎて、
子供たちの日々の小さな成長を
見落としていたんじゃないか?と
今でも、後悔の想いが上がってきます。
保育園の前を通り
「子供たちの声」が聴こえてくる・・・
たった数秒間に、
そんなことを考えてしまうのです。
そして、
ほぼほぼ、うるっときます。
で、
これは、私の場合だけです。
聞こえてくること音(声)が同じでも
人によって、
経験していることによって、
心の反応は違ってきます。
また、反応しない場合もあります。
上記の例で言うと、
私が独身の時に
「子供たちの声」を聴いても
「子供は元気だな~」
「私もこんな感じだったんかな~」
「先生、大変だろうな~」
という感覚ぐらいだったでしょう。
まさか、
子供たちの声が、
「数秒で泣ける音」になっているとは思いもしなかったでしょう
この音(声)を聞いたら、
こういう反応が正しい
こういう感じ方が一番いい
↑これは、混乱のもとですね
人によっても違うことは当たり前で、
自分自身ですら、年齢や経験と共に
違ってくるのですから
その時のシチュエーション、あり方でも
随分と違ってくるものです。
今日一日、
何の音(声)に、何を感じるか?
ちょっと、意識してみると
おもしろいかもしれませんね