おはようございます!
はしもとまゆみです
今日の朝日
「般若心経」の中から
個人的目線でちょこちょこ書いていますが、
個人的趣味なので
興味のある方だけお読みいただけると嬉しいです
これまで、
と書いてきました
「無」関連の記事を書くのも、少し久しぶりなので、
自分でも、「無」シリーズを全部通して読んでみました
そして、
あらためて、それぞれの感覚器官を意識してみると
あ~、みんな、文句も言わずに、
日々、淡々と、
わたし(人間)にいろいろな情報を伝え、
教えてくれている
そう感じると、
なんだか、あったかい気持ちになり
「今、ここ」に戻ってこれる感覚がしました
一方、反省も
その貴重な感覚情報も、忙しいという言い訳の中に
落としていることがあるんじゃないか?
意識し直すスイッチが切れかけてました
また、今日から
スイッチ入れて過ごします
では、引き続き
「無」に関連する言葉について
書いてみようと思います
『無身(むしん)』
これまでは、個々の感覚器官でしたが、
「身」ということで、全体を表現しています。
「身体は一つ」という表現では
説明しきれないんですね。
それは、
身体が60兆もの細胞でできているからです。
生命活動のため
それぞれの細胞、一つ一つが役割を持ち
その一つ一つがその役割を遂行し、
秩序正しく、はたらいているのです。
この細胞一つ一つに、
はたらき続けているその細胞一つ一つに、
私たちは、
生命のあり方、根源、力を
感じているはずなんですが・・・
日々過ごす中で、
外部からの刺激により、右往左往していることがあります
そんな日々の中でもう一度、
自分の身体の60兆の細胞たちに
日々、淡々と、強調し合いながら
はたらき続けている細胞たちに
感謝する時間を持つことが大切だな~と
しみじみ感じました。
このことを強く感じたのが・・・・
先日開催した
でした
また、今後も恒例(?)的に開催したいと思いますので、
ご希望があれば、お知らせくださいね