おはようございます!
はしもとまゆみ です
子育て歴(ママ歴)も20年になりますが、
まだまだ、だな~って感じること・・・
結構あります
ここ数年、
上の娘たちとの進学、進路のことに関しては
時間をかけて話しています。
お仕事辞めてよかった~と感じるのもこの瞬間です
お互いに落ち着いていて、
素直に、楽しく、
前向きに、発展的な感じで
すんなりと話せるときもあるのですが・・・
時々、
「いい母親気取りの私」 が出没します
それは、
娘が、ちょっと不安定な状況になるときです
娘が、不安になったり
娘が、イライラしてるとき
私の中で・・・
「それ(不安)を見たくない」
が、もわもわと動き出すんですね
ぎゃ~コワイ~
本当は・・・
母親である私が
「大丈夫」やで~
を表現するだけでいいのに
「大丈夫」って信じきれない私が
反応しているんですね
私自身の中にある「不安」が動き出すんです。
あっ、逆もありますよ!
娘が先か、母親(私)が先か
現象が先か、それに対する反応が先か
どっちが先か後か、わかりません
ニワトリが先か?卵が先か?みたいなものです。
話を戻します。
初めて経験すること、
知らない環境に身を置くこと、
そんなときに
不安が湧き上がるのは、誰にでもあると思います。
不安の大きさは、人によって強弱あるので、違ってきますよ
ただ、タイミング的に、
私自身が不安な状況にいるときに
娘が不安がっているのをキャッチすると
不安がっちゃダメ~
そんなの見せないで~
という態度に出てしまうんです
どんな態度かというと・・・
残念ながら、
娘の思いや感情に寄り添うことなく
理論や理屈で論破しようとしてしまうのです。。。
「正しさ」という剣で話を切ろうとしてしまうのです。。。
これは親子や家族だからこそ、やってしまう反応なのです
この反応が大きくなってくると
娘の言葉が冷静に聞けなくなるのです。。。
ここまでくると、話しながら薄々感じているのです
コレが、
「いい母親気取りの私」の姿です。
母親が「娘のため」という根拠なき、
都合のいい理由を元に作り出されている姿なのです。
そうなった(そうなりかけた)瞬間
・・・・気づかされるんです
私が不安なんやん
自分の中の
「失敗したらアカン」
が反応してるんや
・・・・・と
もしかしたら、大なり小なり
経験したことある方もいらっしゃると思うのですが・・・
ここで
罪悪感に飲み込まれないでほしいんですね。
自戒を込めて言ってます
これも長い時間かけて
経験というものを積み重ねてきて
クセみたいになってしまったものなので
仕方ない反応でもあるんです。
そして、
そう易々と消えることもありません
あっ、小さくはなりますよ!
小さくはなるけれど、ゼロになる可能性は低いです。
これらの反応、
私から始まったことではなかったり
するのですね。
私は、私の親から、
親も、その親から・・・
「失敗したらアカン」
「不安を見せちゃダメ」
と無意識に刷り込まれているのです。
※「刷り込み」とは、主に幼少期に繰り返し覚えこまされてきた結果(一種の学習効果)
当然、時代背景も違いますし、
価値観も今とは随分と違うので、
比較することも無意味なのです。
じゃ、どうすれば?
今、現在を生きている
私たちができること!
ってあると思うのです。
そのことに気づき、
違う新たな選択肢を見つけること
何かに気づいたとき
新たな可能性が拡がると思うのです。
今まで、
自動的に反応していたこと、
反射的に感じてしまっていたこと、
「それしかない!」と思い込んでいたこと
に気づき
それだけじゃないよね?
といい意味で疑問を投げかけることで
別の選択肢を追加していく。
そこから、また新たな可能性が出てくるのです。
私は、子供たちのおかげで
いろいろと気づかされ、学ばせてもらっています
私の人生では欠かせない存在である子供たち
本当に感謝です
母親初心者のときから一緒に過ごしている長女
私とは違った感性で何かと刺激的な次女
異性を育てる経験をさせてもらっている長男
いつも本当にありがとう