こんにちは!

はしもとまゆみです照れ

 

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大阪・都島の個室サロンで

「タロット」「ボイスクリアリング®」などを

使った対面での個人セッションをしています。

詳しくは、コチラ

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今月、

うちの一番下の息子も

小学校を卒業しますランドセル卒業証書

 

 

小学校には、

上のお姉ちゃんのときから数えて、14年間ラブラブ

本当にお世話になりました。

 

 

先生方をはじめ、親御さんや

PTAでの活動を通じての地域の方々、

本当にたくさんの方とつながりがありました。

 

 

保育園時代から含め

その中で、たくさんの方の手をお借りして

子育てさせていただいてきたんだな~と

あらためて、感じていますドキドキ

 

 

 

わたしが、仕事と家事、子育てで

必死の毎日を過ごしていた頃、

 

 

私を含め、周りのママたちは・・・

 

 

核家族化や情報過多により、

お母さんが、何でも一人でやっていかないといけない

ような空気感(?)を感じながら、

 

 

その日、その日のことを

必死でこなしていました。

 

 

そう、「こなしていた」という表現がぴったりでした。

 

 

ギリギリの綱渡り、というか・・・

 

 

ん~

どう表現したら・・・

 

 

これは、

経験するとわかる、微妙な感覚なんですね~

 

 

時間と時間を縫うように、

目の前のこと、次のこと、一日の終わり時間から逆算してすること、

 

それも「子ども中心」で

自分の都合は、ほぼ皆無


自分の動きのうち、ほぼ全部と言っていいほど、

「子ども中心」なんですね。

 

 

 

 

 

 

お仕事だと・・・

 

 

 

 

相手方のあるお仕事では、

いろいろとコミュニケーションを取りつつ、

 

仕事のこと、時間のことを

お互いの状況を踏まえたうえで

調整しながら進めていきます。

 

 

 

 

 

子育てだと・・・

(ここからは、あくまで、私の場合です)

 

 

 

コミュニケーションを取ることに、

すご~~~く、エネルギーを使います。

 

疲れ果てます。

 

いつも気を使っています。

 

子どもの体調の変化には、細心の注意をはらいます。

 

自分の体調変化には気付きづらいです。

無頓着気味?です。

 

コミュニケーションをコチラ(親)の都合で

勝手に切ることができません。

 

しつこいくらいですが、

コチラ(親)の都合は、全く関係ありません。

 

ほぼほぼ、計画通りや予定通りにいきません。

 

計画通り、予定通りにいったときは奇跡だ!と感じます。

 

まるで、その日がサイコーにいい日のように感じます。

 

共通言語は、日本語ですが、伝わりにくいです。

 

見た目は、子どもですが、

中身は、「宇宙人」 「怪獣」 「猛獣」 です。

 

急に、前触れもなくスイッチが切れます(病気・発熱)。

 

スイッチが切れるときは、昼夜を問いません。

むしろ、夜中が多いです。

 

平日朝は、時間との闘いです。

 

仕事をしているときよりも、

子どもに関する準備をしているときのほうが、

計を見る頻度が多いです。

 

時間に余裕がなくなると、気持ちも余裕なくなります。

 

気持ちに余裕がなくなると、

周りの声が聞こえにくくなります。

 

周りの声が聞こえにくくなると、

状況も見えにくくなります。

 

幼少の子どもとは、

ゆっくり連れて歩く、というより

やむを得ず、(荷物のように)抱えこんでることが

時々あります。

 

仕事に行くとき

電車を待って乗ることがありません。

ホームを歩きながら乗ります。(むしろ小走りで)

↑これ分かるかな~汗

 

さらに、走行している車両間でも移動します。

 

朝の支度、保育園送り込みだけで

その日の仕事の半分くらいが終わったと感じます。

 

15時過ぎると、

時間を逆算して、仕事の段取りします。

 

どうしても、(お迎えが)間に合わない場合、

この時点で、サポート隊(両親)に連絡します。

 

場合によっては、

食事の段取りもサポート隊に引継ぎします。

 

17時以降、

急な仕事が入ってきそうな雰囲気は

いつもより、敏感に察知します。

 

(お迎えが)間に合わなかった場合、

延長料金が発生します。

 

まれに、

サポート隊に連絡したつもりになって

保育園から「忘れてます」連絡を受けます。

 

待ちぼうけになってしまった子どもに平謝りすることがあります。

 

帰宅した途端に、雑巾や新聞紙で床を拭いたりします。

 ↑これも分かるかな~汗

それを放置したまま、お風呂に直行します。

 

洗濯のとき、「ドラえもんか!」と突っ込みたくなります。

(洋服のポケットからいろんなモノが・・・)

 

帰宅したら、廊下に壁面画が出没します。

平行に伸びた黒い線の延長線上に・・・・口から舌を出してる蛇の顔?

 

夏になると、虫の抜け殻がブローチになります。

 

 


ココまでくると、笑い話ですね~

 

 

 

 

 

 

 

で、今、振り返ると

 

書いたような(ネタのような)

ところどころの記憶はあるのですが、

 

他のことで過ごした時間より、記憶が少ないのです。

 

すごく長かった時間にもかかわらず、

意外とコンパクトな記憶しかありません。

 

 

その理由の一つとして考えられるのは、


同じようなこと、似たようなことが

何度も何度も繰り返して

起こっているからだとは思います。

 

 

毎日、必死だったんだと想像できます。

 

 




子育てと言えば・・・

 

先日、

ヴァイオリニストの高嶋ちさ子さんが

「お仕事をセーブする」旨のブログを上げていました。

 

 

その中で、クギづけになったのは、

 

 

「一緒にいればわかること、できることが

何もできていなくて、・・・」

 

 

「干されてもいいです。

このままだと息子に干されそうなので。」

 

 

 

 

 

子供は親を見て育つ、と言います。

 

 

今の時代、仕事をしている姿を見せるのもいいことです。


が、その一方で

親が子供のことをあまり見ていない、見れていない状況ばかりが続くのは・・・・


わたし個人的には

ちょっと違うような気がしています。

 

 


親と子との関わりでは、

いろいろと考えさせられることがあります。

 

 

いくら親子でも、合う合わないもあります。


その関わりは、楽しくもあり、しんどくもあります。

 

 

 

感覚は、人それぞれですが、

 

 

血縁という濃ゆい関係性のある家族

そこで何を感じられるか、学んでいけるか

問われているような気がします。

 

 

 

約半世紀生きてきた中で

わたし自身、今、思うのは・・・

 

 

最後まで、

親と子として生きている間は、

期待し合える感覚を、ずっと持っていたいな~と。

 

 

期待・・・「期を待つ」

 

きっと、そのときが来る、ということ 

「期」を信じて待つ。