今日は、フラ語の翻訳講座が終わったあと

ダッシュでDASH!汐留メディアタワーに移動し、

日仏文化協会主催の『第3回フランス音楽留学生GALA CONCERT(ガラコンサート)』を観に行ってきました~音符


$La Vie de Paris



わたしが観た第2部のプログラム矢印 矢印


佐竹 茉梨子さん(ピアノ)
ベートーヴェン:ソナタop31-2 テンペスト

内山 貴博さん(フルート)
伊藤順一さん(伴奏)    
モンブラン:ディヴェルティスモン  
武満徹:Voice
プロコフィエフ:ソナタop.94 より第1楽章 Moderato 
第4楽章 Allegro con brio

松下 蕗子さん(ヴァイオリン)
井後 優弥さん(伴奏)    
パガニーニ:24のカプリスよりNo.24
ブラームス:ヴァイオリンソナタ 1番 作品78 「雨の歌」より1,3楽章
ブラームス:FAEソナタより スケルツォ



このガラコンサートというのはですね、
パリのコンセルヴァトワールなどに留学中の若手演奏家による凱旋コンサートなんですね。

なので、曲も誰もが知っているようなポピュラーなものなど演奏してくれませんよ(・v・)

「こんなに難解な曲だって演奏できるのよ!」というお年頃のみなさんが選んだ曲目ですから、わたくしなんぞ初めて聴くものがほとんどでした(*´・ω・`)



ところで

クラシックのコンサートを観に来ると、いつも思うことがあるんです。

『曲を解釈する』ってどういうことなんだろう!?って。



”のだめ”がフリーダムで独創的な演奏をして、「ちゃんと音楽と向き合っていない」とか「作曲家のことをちゃんと理解しているのか」とかツッコミ入れられるたびに

別にいいんじゃん?

それぞれの解釈があっても。。

って思ってたんですよ。




ところがですね

翻訳講座に通って2ヵ月が経ち、わたしはやっと「解釈する」という意味がわかったような気がするんです。



原文を深く深く読むとですね、作者が言いたかったことがスーッと理解できる瞬間があるんです。

もちろん、100人いれば100人の「表現方法」は存在するでしょう。

でも、作者が言いたかったことはひとつだけ、

つまり、きちんと理解をすれば解釈もひとつに定まるわけなんです[ひらめき電球]



反対に理解が浅いと、

文法的な解釈だけに頼って、なんだか意味が通じない誤訳となったり

「推測」に頼らざるをえず、読者をミスリードしてしまったりしてしまうんですね汗うさ



たったひとつのパズルのピースが埋まらないばっかりに、そのゆがみが作品全体をチグハグなものにしてしまうんですよあいう


ところが、ちゃんと作者の言いたかったことが理解できると、作品が一枚の美しい織物のように織り上がるんですアオキラきらきら


$La Vie de Paris




音楽家たちも、まずは楽譜を読んで全体のイメージをつかみ、

何度も練習をしてその曲と向きあってゆく過程で、作曲家の意思のようなものを理解する瞬間があるんじゃないかと思うのです。

そうなれば、あとはどれだけ自分の方法で表現するか、なんでしょうね~すまいる


聴力を失いつつあったときのベートーベンは、どのような想いでこの曲を創ったのか、

ジョルジュ・サンドと暮らしていたころのショパンが創ったこの曲は?

ラディケはプーランクの創作にどのようなイマージュを与えたのか?


S. Prokofiev: Flute Sonata, op. 94. I. Moderato



う~ん、やっぱり音楽を解釈するほうが難しそうだな(´-ω-`)


言葉を介する翻訳のほうが、作者の意図を理解し、伝えやすいかも。


それでもやはり、講義を受けるたび、

自分の理解の浅さに愕然としムンクの叫び

深淵の森にさまよってしまうわたしなのでした森


Deep Forest - Madazulu



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