助けられる一つの命と、見捨てられていく無数の命 | Circle on the other side

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動物と人間と私と・・・

考えてみてほしい。


もし、あなたの目の前で、



猫が人間に蹴られていたら?


犬が狭い檻にぎゅうぎゅうに閉じ込められていたら?


鳥がハンターに撃たれて落ちて、怪我をしていたら?


たぬきが殴られて、皮をはがされそうになっていたら?


アヒルが口から鉄パイプをさされて、鳴き叫んでいたら?


うさぎが罠にかかって動けなくなっていたら?


イルカが沖に打ち上げられて、もがき苦しんでいたら?


牛が倒れて血を流していたら?




見殺しにする?


見殺しに出来る?


かわいそうだけど、仕方がないと言って?




それとも



助けたいと思う?


なんとかして助けようとする?





そこにある目の前の命を助けることと、


目の届かないところで間接的に命を奪うことを止めること



殺されかかっている命を助けることと、


殺されるために生まれる命を生み出さないこと



犬や猫を虐待や殺処分から救い出すことと、


動物を利用しない生き方をして、

動物利用の需要を減らして、

未来の犠牲を減らしていくこと



それぞれにとても大切で、


同じ重みのあること。



そして同じように、



目の前の命を見殺しにするのも、


目の届かないところで行われる虐待や殺害に加担するのも



同じこと。




直接手を下すか下さないか、


自分の手を汚すか、人の手を汚させているか



その違いの、同じ罪。




この子を助けたいんだと、


助けられていく命があれば、


人々の意識から遠くのところで


名前もなく、


だれの記憶に残ることもなく、


殺され、見なかったことにされている命が無数にある。




もう一度、考えてみてほしい。



もし、


ただ、動物の肉や動物から生み出されるものを食べないだけで、


動物を犠牲にするモノを利用しないだけで、


動物が助けられる。



それを知ったら。



どうする?


何ができる?



あなたの力は、あなたが思っているよりも、ずっと大きい。



だから、


あの時、心に生まれた


憐れみや怒りや悲しみや辛さや絶望や希望、


ありとあらゆる感情を



命をかけても、


一生をかけてでも、


守りたいと


何とかしたいと


やらなければならないと


心に誓ったあの思いを



どうか



いつまでも忘れないで、


なくさないで、


諦めないで、


信じていてほしいと


思うのです。


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「ある少女の命」は助けても「大勢の命」からは目をそらしてしまう理由とは?
http://gigazine.net/news/20141107-helping-feeling/