こんにちは!
声の芸術家です。
さてさて、4月27日(月)夜に、東横線都立大学から徒歩7分めぐろパーシモン小ホールにて、
「オペラ座の怪人」
朗読ライブを開催します。
今回は、なんでオペラ座の怪人を選ぶことになったのか、をお話しますね。
オペラ座の怪人、のことをはじめに知ったのは映画を見てでした。
それは、声の芸術家になって、日テレの俳優養成所にいたとき。
俳優養成所。
ビデオカメラに向かって、芝居をする授業。
エチュードといって、与えられたテーマに沿って芝居をする授業。
毎回、なかなかエキサイティングで楽しかったです。
ある日、日テレの講師の方が、授業の中でこんな質問をしました。
「あなたが理想とする役者は誰ですか?」
「あなたが最も好きな映像作品は何ですか?」
よく聞かれそうな質問です。
僕は考えました。
当時、浮かんできたのは、
「単騎、千里をかける」で、高倉健さんの見せた無言の演技。
「ラストサムライ」の渡辺謙さん。
「shall we dance?」の役所浩司さん。
そして、
「オペラ座の怪人」
でした。
「自分は、オペラ座の怪人のジェラルドバトラー(主役)みたいな芝居をやりたいです!」
と、元気な僕は熱弁したわけです(笑)
すると、講師の方には、かなり渋い顔されました。
熱弁したのに、ノーコメントでした(笑)
なぜに??
いい、悪いは抜きにして、講師の方の心情としては、芝居以外の要素が多いオペラ座の怪人が理想というのは、あまり好ましくなかったのでしょう。
オペラ座の怪人の映画を見るとわかりますが、相当お金かかってます。
演出だけで、何億円の世界でしょう。
もっとかもしれません。
役者を育てる講師としては、役者個人の表現力や個性のすばらしい役者を理想にしてほしい、そういうものかもしれません。
自分がヴォイストレーナーをやっていると、その気持ちは理解できます。
やっぱり、すごい歌唱力を持った歌手を目標にしてほしいものですから。
モーニングむす○とか、アイドル歌唱ではなく(笑)
しかし、当時の僕には、それは大きな違和感だったのです。
「どうして?いいじゃないか、オペラ座の怪人!最高だと思うのに・・・・」
という心の声がありました。
「いつか、オペラ座の怪人を朗読したい!」
という想いは、このときに生まれたのです。
オペラ座の怪人は、19世紀のパリ、華やかなオペラ座で繰り広げられる、ファントムと歌姫の、悲しいラブストーリー。
映画では、大勢のキャスト、大掛かりなセットで表現されているが、朗読ならば、もっと聞き手一人ひとりの想像力で無限大の世界が表現できるのではないか。
そう思いました。
しかし、そんなことは、全くの夢物語。
第一、原稿ないし、スタッフいない。役者も自分だけ。音楽とか操作できないし、一人じゃとても無理。
それに、長編を朗読する自信ないし、そもそも、何曲も歌うのは怖い・・・
加えて、当時はアルバイト収入での生活。大きなステージをやる余裕は全くなかったのです。
「誰か、仲間がいてくれたら・・・」
僕は、オペラ座の怪人のファントムを演じたかったのです。正攻法で考えると、
1、劇団四季に入り、主役の座を射止める
2、ブロードウェイに行き、努力する
とかでした。
そう、正攻法は、本当に実現可能性が低く感じられたのです(笑)
世間には、何十万人といます。役者。
その後、俳優養成所を辞めました。
なんとなく、自分はここにいてはいけない、と感じたからです。
ここにいても、埋もれるだけだ。自分で道を開こう、と感じたらからです。
そして、様々な作品に取り組みました。
朗読家として。
中でも、作品として転機になったのは、2008年7月に公演した
「冷静と情熱のあいだ」
でした。
これは、有名作家二人が、主人公の女性・男性それぞれの目線で本を書いた、美しい恋愛小説です。
これを、朗読家ゆかこと朗読しましたら、ヒット!
芝居と、朗読と、歌の要素を組み合わせたおもしろいステージをやることができました。
映像と音楽の演出を、ありがたいことにスタッフにやってもらえたおかげです。
これは、最高に楽しい思い出になりました。
「朗読と歌と芝居を組み合わせたら、かなりおもしろい!幅広い表現が可能だ!」
ということがわかりました。
そして、2008年12月。
100人のお客様を招いて、「今を生きる」という作品を、芝居&朗読で上演したとき。
これは、私たちの朗読会、というステージにて。
僕は出演しませんでしたが、その時感じたのです。
「こんな風にやれば、オペラ座の怪人の朗読が可能だ!」
と。
そして、2年半の地道な活動の結果、一緒に朗読をする仲間が集まりました。
相川リーディングカンパニーの結成。
戦略的に全体を俯瞰できる優秀なプロデューサーチームの結成。
精神的にも、経営的にも絶妙のアドバイスをくれるオーナーの存在。
運営母体となる、自分の会社、ソラオトの存在。
「機は熟した。」
「いける」
そう感じたのは、2008年12月、身内で開いた納会のときでした。
その納会の場所は、銀座のライオンビルの音楽ホール。
なんと、食事を食べながら、ステージの歌が見聞きできるのです。
歌の表現はすばらしいのですが、自分たちには、ちょっと単調に感じられました。
「自分たちもやろう!もっとエキサイティングに!楽しく!」
決意は固まりました。
「オペラ座の怪人を、4月末に上演する。それをもって、相川リーディングカンパニー結成とする」
これが、オペラ座の怪人を、今回上演しようと決めた経緯です。