日記R6年3月25日(月曜)曇りのち雨

 

母を原爆死没者名簿に記載して貰う為に広島市東区役所を訪れました。

認定被爆者弔慰金を申請する際に死没者名簿へ名前を記載するしないを

選択出来るようになってました。「記載する」にチェック☑️しました。

私の父は被爆者手帳を申請しようにも証人が見つからず、

生前は被爆者手帳取得が叶いませんでした。

生前、父から「山口県防府の部隊に所属して本土決戦に備えてたら広島が大惨事になったけ、

入市して治安維持を兼ねての遺体の収容作業に当たってた」とのエピソードを聞いてたので、

仏さまになった後に広島県庁へ父の軍歴を検索して貰いました。

防府の部隊が被爆後の広島へ入市した旨を記載した文書を見せて貰えました。

其れで母が仏さまになったタイミングで父も原爆死没者名簿への記載をお願いすれば、

同じ死没者名簿に記載されると思い両親を同時に申請しました。

生前はすったもんだ有り離婚したけど父は亡くなるひと月ほど前に自身亡き後の遺族年金を

母に受け取らせる為に再婚を申し出てました。

でもあの頃(2006年)の母はレビー型認知症を患ってた為か理性的な判断が出来ず、

父からの申し出に応じませんでした。

父が仏さまになった事をケースワーカーへ報告したら「遺族年金はどうなりましたか?」と

問われました。受けませんでしたと答えると残念そうな表情をされました。

受けてたら生活保護廃止に出来てたので残念に思われたのかもしれません。

そんな母も歳を重ねるにつれ気性が穏やかになり時々私が父に見えてた様です。

私が外出しようとすると「あんたどこ行くん?」と寂しそうに呼びかけてました。

母は父の事を「あんた」と呼んでました。私の事は「きよっちゃん」と呼んでました。

そういう事も有り私や先に仏さまになった弟の希望でも有った仲の良い両親で有って欲しくて、

死没者名簿の中で仲良く有って欲しくて敢えて同時に記載の申請を行いに広島市役所を訪れて、

手続きをしました。

今年の広島平和記念式典(原爆死没者慰霊式並びに平和記念式)で、

私と弟の両親の名を記した死没者名簿が苗字は違うけど、

原爆死没者慰霊碑の中に納められる事になりました。

あとは遺骨の整理。

父と弟と母の遺骨を私が亡き後に私の遺骨と一緒に広島市営墓地の合葬墓と

広島別院か大谷本廟の祖団納骨へ分骨して納めて貰う手配をする位、

私の力ではそこら辺がこの世で出来る事の限界かなぁ

中学生の時にイジメに遭ってずっと布団にうずくまって家族に暗い雰囲気を齎して、

父にも母にも弟にも迷惑をかけて申し訳なかったなぁ

家族に一番迷惑をかけて来た私が最後まで生き残ってしまって申し訳ない。

私が小学生の頃、バイクとぶつかり気絶して倒れた事が有りました。

あの時、そのまま逝ってれば両親も弟も良い人生を過ごせたと思います(;_;)

 

南無阿弥陀仏

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