昔の暮らし | Blessin' Earth

昔の暮らし

現代人があたりまえに思って暮らしている今の生活は、本当にあたりまえなのだろうか。

あたりまえすぎて今まで考えなかったけど、311以降考え出した人も多いと思う。


電気がある生活。石油がある生活。ガスがある生活。

基本的にエネルギーは必要不可欠。コンセントがなければ用無しになるものがほとんどだ。


もとを辿ればだいたいが石油。車はもちろん、スーパーに並ぶ野菜も石油がなければ存在しない。

身の回りの物の99%以上が、石油がなかったら存在しないものかもしれない。

それくらい僕たち現代人は石油に依存しきって暮らしている。

これってあたりまえなのだろうか。これが普通なのだろうか。


こういう話をすると「じゃあお前は電気も車もいらないのか」とか言われることがある。

そう言いたくなる気持ちもわからなくはないけど、使ってるからこそ考え直そうよって思ってる。


例えば僕の親が子供のころの時代。50年前はどうだっただろう。

もちろん今みたいにテレビはなかった。電話も黒電話。車も一家に一台なんてない。その代わり、近所に八百屋があって、魚屋があって、豆腐屋があって、親は自営業で、家と職場が一緒だったり。みんな自分ちの畑があって、そこそこ食べる分を作ってる家がほとんどで。

全国チェーンのコンビニや吉野家なんてもちろんない。セキスイハウスも無いから、地域に必ず大工さん、建具屋さん、加治屋さんなどの職人さんがいて。

大体の物も、お金も地域で回ってたんじゃないかと思う。エネルギーも今の10分の1以下か、もっともっと少ないくらいだと思う。

収入は少ないが、支出も少ない暮らし。


現代を見てみるとどうだろう。

たしかに便利、快適。24時間やってるコンビニやスーパーもあるから、夜中にお腹が減ればすぐに何か食べれる。暑ければクーラーがあるし、寒ければ暖房がある。家を建てたければナントカハウスに頼めば数か月でできてしまう。
僕自身も実家はオール電化だし、東京での生活が人生で一番長い。あたりまえに近代的な生活をしてきたし、疑問を感じることもなかった。

旅に出るようになってから、色んな生活をしてる人に出会うようになって、一般的な生活以外にも色んな生活があることを知った。色んな生き方があることも知った。

そして今、人口800人の過疎化した田舎町で百姓を始め、築百年の家に住んでいる。
この家に住んでからよく思うのが、昔の人はとっても理にかなった暮らしをしてたんだなぁと。

近くの山から採った木や廃材を薪にして、料理したり風呂を沸かしたり暖をとったり。

トイレはぼっとん便所で、醗酵させて堆肥にする。まさに畑の肥やしになって、自分たちが食べる野菜に生まれ変わる。

ゴミになるものはほとんどない。家だって木と土が原材料のほとんど。釘やガラス以外は全て土に還る。

助け合いなんて言葉も必要ないくらい、あたりまえにみんなが助け合い、暮らしてたんだと思う。

不便も知恵出して工夫して。自分でできることはなんでも自分でやって、自立して暮らしてたんだと思う。

そんな昔の暮らしから、学ぶことはめっちゃ多い。


昔の暮らしと現代の暮らし。昔からの知恵と、現代のテクノロジー。

いいとこ取りで、融合させたら、めっちゃいい暮らしができると思いませんか?

考えただけでもワクワクする。


最近の僕の中でキテるキーワードの一つが「いいとこ取り」。

たくさんある農法も、たくさんある宗教も、なんでもかんでも全てにおいて。

答えはひとつじゃないし、道はひとつじゃない。


そんなこんなで、おススメの本を紹介します。
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祝島にもヒントがいっぱい!