(気仙川)


きょうは7時に出発し、まあ途中でゴミステーションに寄ったりもしたんだけど、お弁当もカメラもバッテリーも用意して、


久々に高速に乗りました。


運転中、78%くらいはBluetoothでiPhoneに入れてある音楽を聴いていました。マラソンをやってた時に練習中音楽を聴いていたので、あー、懐かしいなーという感じでした。ふだんはラジオとかCDなので…。


(陸前高田市立博物館)

休憩もしたので、着いたのは10時ちょっと前でした。

きのうのニュースで、11/5オープンの新しい陸前高田市立博物館を取り上げていたので、


ヨシ!


と菅原も奮起したわけです。高速は速いから高速のはずですが、思いも寄らず工事で50km規制のところがあったりして時間がかかったわけですが、小雨にけぶる紅葉(と言っても黄色と茶色に差し色に紅だが)悪くない!と思って喜んでいたので、そんなに長く運転していたとは思わなかった。



陸前高田市立博物館に来たのは、柳原義達の「岩頭の女」に再会するためです。10年岩手県立美術館の常設展示室の主に入口付近に立っていたので、勝手に身内のように思っていたのに、ある日なんの理もなく忽然と姿を消していたんです(個人の感想です)。


ボランティア研修の折、学芸の方に質問したところ、本来の陸前高田市に還ったということで、伺った時はまだ陸前高田市立博物館の開館情報はなかった。私はジーッと待っていたんですが、ついに来たか!


と勇んでやってきたんでした。


美術館では美術作品らしいライティングと立ち姿でしたが、

博物館では3.11の大津波を伝えるモニュメントとしての役割を背負って、毅然と立っていました。

自分の知っている「岩頭の女」がもう自分の手を離れたようで一抹の寂しさもありましたが、在るべき場所に佇つ彼女は神々しかった(個人の思い込みです)。





企画展では大津波の被害を受けた陸前高田市立博物館の収蔵資料の被災とレスキュー、修復について観ました。


堆積した土砂に細かく入り込んだ資料を、諦めず救い出し、気の遠くなるような作業を重ねて修復したことを思い、


その後の常設展でも、多くの人の手を経て修復された剥製や貝や昆虫の標本に惹きつけられるともに、当時、遺しておかなければ、と行動を起こした人々の勇気と挫けない気持ちを思った。





オオハクチョウ。嘴のあたりに修復の苦心を感じる。



陸前高田市には、陸前高田市立博物館と海と貝のミュージアムの2つの博物館があり、今度一つの博物館になったそうです。


私はもともと貝殻が好きで、水族館や博物館の貝コーナーには親しむ方ですが、こんなに綺麗な豊かな展示は初めてでした。





屋上から一望できる陸前高田市。



今回、貝と同じくらい心惹かれた高田人形。

旧暦三月三日に女の子は土でつくった素朴な雛人形で遊び、



男の子は的打ちをして遊んだそうです。


陸前高田でどういう風に子どもは遊び、育ったのか。仕事の道具や暮らしについての資料がもしすべて無くなったら、復元された昔の高田松原の海水浴場の写真も、もし流されたままだったら。



震災遺構。

米沢商店の上には、津波がここまできました、と書かれた看板が乗っていました。



箱根山展望台まで行こうと思って、時間が足りなくなって途中で引き返した時、目に入った広田湾。


高い堤防で駅前の中心地からは海は見えなかったから、ここで海を見られてよかった。


ここ最近の自分にしてはすごい冒険だったわけですが、全然平気でした。行きたいが勝ったのかな。

デジカメでも写真をたくさん撮った気がしていたけれど、さっき確認したらそれほどでもなかった。心のシャッターを切ってその気になっていたようです。

火曜日休みだったり、セレモニーのため入れなかった施設もあるので出かけられたらいいなと思います。