今日の記事は、3年前に書いた記事を

ちょいと加筆して修正して記事にします。

ええ、そうです。ネタ切れです。毎日記事を書いていますと

そんなことも生じます・・・って訳ではないのですが、

大事なことですので、再び記事にしますね。





人は、自分が良かった思ったことを、他の人に教えたくなります。

中には、自分の善を基準に、相手が間違っているから

変えてあげようとか思う人もいます。





人は人を変えるきっかけぐらいは与えることはあっても、

他人の人生を自ら変えたあげようだなんておごり。

それはエゴなのです。





身近な人に、「これ、よかったよー。使ってみてー」とか「行ってみてー」

ま、お勧めなどは、まー、よくある話で役立つこともございます。

しかし、他の人の決定に対して

「あれはサイアク、やめたほうがいいよ。危険!」など、

自分の主観を全面に押し出し、自信満々に相手の決定を

変えさせようとする人もいます。もし、あなたの決定を、

強く変えようとする人がいたら要注意です。





世の中には、いい食べ物も悪い食べ物も蔓延していて、

さらに言えば、いい人も悪い人もいて、

いい会社もあれば悪い会社もありまして、

私たちの人生そういうものといつも隣り合わせです。





できれば最善の選択をしたいわけです。私たちは。

そして、愛する人にも最善の選択をして欲しい、

苦しい目に合って欲しくない、と思っているかもしれません。





失敗も避けたいし、病気も避けたい。

だからこそ、情報というものが必要で主体的に

その情報の取捨選択をしていく、ということが必要になります。




誰の責任でそれをしますか?




そう。自分の責任なわけです。

アドバイスした人の責任ではないものの、しかし、

それでいながら自信満々にアドバイスをくれるその人の

影響を少なからず受けてしまうことがあるものです。

だから、アドバイスは時に、危険がはらんでいることもあるわけ。





なぜなら、アドバイスする人は、その人の人生観、背景、主観、

そして、その人のあいまいな記憶でアドバイスするわけですから。

記憶は正確ではありません。受け取りたいものしか記憶しておらず、

さらに言えば、その人のフィルターで通している情報、

遮断している情報、さらには、歪曲したり、省略して覚えているから。





もちろん、私のブログも然りです。

ここは完全に私の主観であること、そして、

私は誰かの決定を変えたいわけではありません。





受け取るも自由。拒否るも自由なのです。

その人の決定でその人が苦しい目に合っても、

それすら人生の中での、その人が経験したかったこと、

その人が成長する機会をその人が選択した、
とさえ思っています。





例えば親は、愛する子供につらい目にあって欲しくないことでしょう。

子供のする決定が間違っていたら、間違っているからやめなさい、

という親もいれば、子供の成長を思い、責任を教えるために

決定を許す親もいます。あなたはどちらですか?





私の親は後者でした。というより娘が頑固でしたから 笑

あまりにも不従順な娘で、親の言うことを聞かず、

私は、苦しい目に沢山あいました。親が言った通りです。

しかし、やってみないのに、やめるのは納得がいきません。

経験してはじめてわかる、納得するのです。

そこからたくさんのことを学び、今があります。

子供の前の石ころをいちいち避けてくれない、放置する親でよかった。

親が、私から成長の機会を奪わなかったこと、心より感謝しております。












話を戻しますね。親を例えに書きましたが、

友人でも、夫婦でも恋人同士でも、人生の先輩と言う立場でも、

コーチでもカウンセラーでも講師でも同じです。





ですから、人の生き方を変えようとしたり、

人の決定を間違っているとか、やってはダメだと

阻もうとする人は(親のみならずです)

その人の可能性や学びや教訓を

取り上げてしまうことにもなりかねません。





できれば愛する人に、失敗もしてほしくないし、

危険な目に遭って欲しくない、苦しい思いもしてほしくない。

だから、おせっかいかもしれないけど、ついついアドバイスをしてしまう、

そんなことやっぱりあるかもしれません。

その動機そのものはよいものですが、しかし・・・





もし、失敗からその人は、

とてつもなく大きな学びがあったとしたら、

もしかして、その学びのチャンスを

奪っていることになるかもしれないのです。

困難が人の成長に帰するのものでもあるから。






例えば、コーチはクライアントがしたい、と言ったことが、

自分の経験上例え99%失敗するな、とわかっていても、

クライアントがやりたい、というなら止めません。

1%の可能性を見つめて行動しようとしているクライアントを応援します。





だって1%の可能性が花開くことだってあるわけで。

でも、もしそれで成功しなかったとしても、

そのことから、大きな教訓を得るのです。

その教訓と成長を得るチャンスをコーチは奪えません。





私、以前は、人が苦しんでいるのを見て、

その人以上に苦しみメンタルを壊し、しんどくなっていた時がありましたが、

今、誰かが苦しんでいるのを見たり知ったりしたときに、

以前の100分の1くらいになりました。

それは、世界の裏側で、飢餓で苦しんでいる人々がいたとしても、

彼らには彼らの学びが今生にはあるのです





例え、大人になる前に命を落としたとしても、

魂の長さに優劣はないし死は負けではない

ということも知ってから心が騒ぐことがなくなりました。

そして、心痛めている暇があったら、お金稼いで

できる人ができることをすればいい、と

ニュートラルにも捉えられるようになりました。





情が薄くなったのではなくて、あなたも私も絶対大丈夫!と思うのです。

どんなに苦しい状況でもです。





生きていて目の前に起きることすべては

必要だから起きている、

または自分が経験したくて、

そういうことになっているのだから。





その苦しみを乗り越えることで、一つ成長し(ステージが上がる感じ)

経験値があがっていくんだろうな、と思うから。

あ、これは今直面している自分の問題ですけどね。





今、もし苦しい環境にある方もまた、渦中にある今は

死ぬほどしんどいかもしれませんが、絶対絶対大丈夫ですから。

あなたには、乗り越える力も能力も知恵も精神力もあります。

もし、あまりにも苦しい時は、もうすべてを天に投げてみてください。




なるようになり、なるようにしかならない。

それがもし宿命なら、甘んじて受け入れて、

神様からの宿題だと思って取り組みます。

3年前のこの記事の時も宿題中でした 笑





今日何か拾える点がありましたら幸いです。

ではまた明日ねー。