品というのは、示そうと思って示せるものでもなく、

なんとなく漂うもの・・・

その人にある品位、というのは、

ある程度は、家庭環境が関係しています。





子供に、品位ある家庭環境が言葉遣いを教えていたり、

他の人への優しさなどを教えている場合は、

品位ある大人になることでしょう。





私は下品な人が嫌いです。

私が品があるからではありません。むしろ逆。





品がない人を見ると気分が悪くなるのはきっと、

相手を通して自分を見ているかのような気分になるのでしょうね。

よく言う、投影ってやつでしょう。

つまり、自分の中にある品がないところを

客観視しているので、気をつけているところでもあります。





私の場合、育った環境はド田舎ですし、

全く品とかけ離れた家でもありましたから。

私は、言葉遣いも悪かったりしますし、

怒った時は、無茶苦茶だったりします。

ある程度の自覚があるからこそ、

その辺は気をつけるわけです。





ただそれを公害のように触れ広めたりするのは、

自分の中では好きではないのでしませんが、

仲がいい相手ですと、暴言言いまくったりもしますけどね。

しかし、他人様に不快な思いをさせたくない、

という気持ちは大切にしています。

自分が吐き出すことで、他人が嫌な思いをするのは

本意ではないのでね。





いつも皇族のような上品さを示そう、

ってわけではないのですが、人は年齢とともに、

心臓に毛が生えてくる感覚になるものでして、

多少のことでは、動じなくなってくる生き物なのです。





昔は、夫の前でオナラをするのも恥ずかしかったのに、

今ではヘーキでブーブーする女性もいるかもしれませんし、

女性は出産を経験しますと、これまたなんとなく

強くなりますから、産婦人科の前でお股を開く行為にも

慣れが来て取ってことない自分に気付かれる人もいることでしょう。





あ、検診で股を開くことと品は関係ないですが・・・





結局、品位というのは、ただ大人しく、

恭しく謙虚にして言えば品があるのか?

と言えばそうでもなくて、とどのつまりは、





相手を思いやる気持ちや

優しさや温かさが

あるかどうかに現れるもの。






逆に、品の無さというのは、この

相手を思いやる気持ちも温かさも優しさもなく

利己的に振る舞った時に、表面化されます。





よくある、列への割り込み。

しれ〜と来て、サクって入って何食わぬ顔をしている。

今まで私が観察した中でそれをやっていた人は、

ご年配の奥様、ご年配のご主人が多かったです。

海外と違って、若者がご年配者を優先する、と言う

マナーがないので、そういう風になった可能性も否定できませんがね。





事情を察すれば、具合いが悪かったのだろう、

待てなかったのだろう、などの洞察力を働かせてみたり、

「ま、いろんな人もいるもんだ」と自分を納得させはしますが、

たいていの場合は、他人なんてどうでもいい、

早く順番が欲しかったんだもん!と言う利己的な気持ちでしょう。





利己的さと品のなさは比例します。





利己的であればあるほど、何を言ってもいい、

何をしてもいい、間違った意味でのあるがままを表現しよう。

周りなんてどうでもいいから。と言う見方。





一見、自分軸が通っているようで素晴らしく

見えたりすることもあるのかもしれませんが、

この三次元に生まれた、というのは

縦があって横があって、高さや深さがある、

そんな制限がある世界なわけでして、その制限の中で

自由を楽しみ、私たちは他の人との心地よい関わりを持ちながら、

自分に優しく、それができると他人にも優しくできるのです。





品位の話から、ぶっ飛んでしまいましたが、

優しさは品と密接な関係があるのです。





暑いと、つい他人様への気遣いとか思いやりとか

スコーンと抜けて、自己中心的に色々と

やってしまいがちな自分もいるので、

外に出たときこそ、気をつけなきゃと思うのでした。

特に、私は人と関わらないので、気遣いの示し方も

忘れることがあるんですよね。





時に考えたい品についてでした。

今日は、いよいよ広島へGOです!

今夜はお好み焼きが食べたいです。

では明日のセミナーご出席者の皆様、

どうぞよろしくお願いいたします。