【第3章】身が引き裂かれる想い | ステップファミリー×組織開発

ステップファミリー×組織開発

どん底だったシングルマザーの時代から幸せなステップファミリーを築いた軌跡。現在はパーソナルのコーチング(1on1)と組織開発や関係性のシステムコーチとして、あらゆる組織や家族・カップルの応援をしています。

コーチングの更なる学びがスタートしたころ、私は仕事上で非常に苦しい局面にいた。

キャリアカウンセラーの仕事とはいえ、紹介会社におけるその仕事とは、営業。
キャンディデイトを決定させ、フィーを貰う。その売上の達成がなければ意味をなさない。
決めさせるために、どんなトークをするか。どう説得させるか。会社にノウハウは蓄積されているものの、
私はその考え方に拒否反応が出てきた。

人を経歴と年齢で、売れるか売れないか判断する。売れない人には力をかけない。そう、ビジネスはボランティアではない。

でも、この年齢でこの経歴の人は夢を描いてはいけない?30歳すぎて海外に放浪に出る人はおかしいの?
そんな疑問がわく私は、この仕事しちゃいけないのでは?なんて思えてきた。
自分に素直に夢見て行動する大人を見ていたし、カッコイイとすら思っていたから。
ただ、そういう人生は、人材紹介会社にお世話にならない人なんだろうな。

なんで、この仕事したかったんだっけ。

個人個人の大切な価値観の中で、大事な転機期を向き合うサポートをしたかったんだ。本質に迫る会話が好きだから。人の本気が好きだから。

また、コーチングを学ぶ中で、人と人とが創る「信頼の場」がいかにパワフルでオープンにいられるかを実感していたため、個人個人が自分の業績を追い、チームとして機能しないその「場」を私は信頼していなかった。

信頼をしていないと、悪いことは続いた。
上司との関係もうまくいかない。

「シホさんはね、いつも~~なんだよ。言っている意味分かる!?」

この言われ方、あー私の一番キライなコミュニケーション。決め付け、そして上から目線。(まあ、上司なんですけどね)
「相手から言われて一番嫌な事を言われると想定してコミュニケーションしろ。いつも最悪のシナリオを描き、リスクを潰せ。」
そう、ビジネス上は正しい。
だけど、自分がものすごい嫌な人間を演じなきゃいけない。
グリグリやる。
この表現がピッタリ。
後から考えると、こういうコミュニケーションをしたくなかったということではなかった。言われて琴線に触れていたのは、「決めつけのコミュニケーション」だった。



上司も、会社も信頼していないので、勿論「今私はコーチングに打ち込んでいます」
なんて言えない。しかもそれによって、夜に面談が比較的多く入るこの仕事をしながら、早く帰ることへの後ろめたさもある。
体の拘束と心のバランスがおかしくなっていた。

本当は、本当のことを言って、応援してもらいたい。仕事も、家庭も、自分のやりたいこともやっていると応援して貰えたら、どれだけ力強いだろうか。

私は、360度ワタシを表現したいと渇望していた。

向き合えば向き合う程、私の体は引き裂かれる想いだった。会社での顔、コーチの顔。親としての顔。多重人格者みたいに使い分けている自分は、コーチのあり方としてどうなのか?