昨日"お金の対話会" 参加してきました!
いやー、これはかなりいい経験をしましたっっ!(≧∇≦)
お金に関することを出してみると、
育った環境のこと
人間関係のこと
苦手意識
無理して意識を変えようとする意識
他人からの目
勇気
断捨離
エゴ
いろーんなことが一緒になって出てきました。いやいや、ここまで詳らかにお金に関する話ができる場というのはないですよね。でも私達は話すべき時かもしれない。あまり人に相談できないからこそ、ハマる視点がある。
貯金が何千万あっても、ないないという人もいるし、財布に1-2万あればとりあえず安心するという人もいる。それぞれの価値観といえばそれまでだけれど、私達はまだ自覚すらしていないなんらかのパワーにコントロールされている。
お金に対する恐怖とは何か。
お金に対する安心とは何か。
いやらしいもので、分捕るものなのか。
生み出して豊かになるものなのか。
ないない、というのは
何故ないの?
いくらないの?
それが向き合うということ。
"使わない"ということも選択できるし、
あえて"使う"ということで循環するエネルギーが生まれるものでもある。
それぞれの視点を持っているのは
私達自身。
発見したこと。
◯私はないないと危機に瀕したような時ですら、お金は豊かに持っていた。
◯正直あると思って鼻を高くしていた時は、特にしびれるようなお金の使い方はしていなかった。
ないないと思っている時でも響く選択の支出をしている時、気持ちは豊かだということ。
◯いくらあれば安心なんてない。必要なら、借りる、頼る、稼ぐ、プライドさえ邪魔しなければなんでもできる。それこそ、お金に対してオープンになれたら、入ってくる。プライドとは、オープンにできないからキツくても周りと遮断している状態。
ただ、必要だから買うではなく、
自分の状態をクリアに知っておく必要がある。
そうすると、
本当に必要な大きな決断はできるし、
本当に不要な無駄使いはなくなる。
◯サラリーマンは自分の値付けを他人がしてくれるから楽チン。だからこそ、もっともっとと要求するけれど、いざ自分でビジネスをしていく上で、自分の値付けを自分でするというのは、かなりキツイ。
お金に対して向き合わなければ、できないこと。
◯お金があるから"ひがまれる"という感情も、「お金あるからいいよねー」と言われたことに対する言われた側の感情で、もしかしたら羨ましいだけだったり、ただ言ってただけだったり、本当はひがんでいないかもしれないということ。
ふむ。
こんなイメージが出てきました。
火が小さくなっている時は、火を守ろうと風をあてまいと手をキュッと小さくするでしょ。でも手をそっと緩めてみると、空気が入り、光が広がる。キューっと自分だけのプライベートなことにしておかずに、言葉にしてみると、消えちゃう!という恐怖心から解放されるのかも。
今、私はお金ストッパーは以前よりかなりなくなった。今の暮らし方に満足している。いくら稼いでどこに暮らしてとか、自立や人を頼ることに対する考え方も変わった。ただ頼る、乗りかかるという関係性だと崩れるが、信頼関係の土台の上にある頼るは持続性を持ち合わす。勿論永久でないことを前提に。
興味深いワークをやったので、近々興味を持ってくれた人ともっとやってみよう。