バックパックとテクテク。

バックパックとテクテク。

ずっと憧れていたバックパッカー。2014年3月からマレーシア・クアラルンプールからスタートして、トルコはイスタンブールを目指します。旅のワクワクを届けられますように。バックパックと一緒に、テクテクいろいろ見てきます。

Amebaでブログを始めよう!

140904

3ヶ月滞在したオーストラリアの出国が近づいてきて、エアーの街で過ごせる日曜日も残り2回。一週間後の最後の日曜日は出発前日ということで忙しくなると思ったので、この日は
カメラを片手に街をテクテク散歩して、写真を撮ってきた。

朝は階段に腰掛けながらレモネード。スーパーで箱買いしてたっけ。


朝のうちに洗濯も済ませた。風が強くて、よく吹き飛ばされる。


いつも賑やかな広場も、朝早くなので誰もいない。みんな寝ているのだ。


スーパーで70¢の安売りになってたお~いお茶。散歩のお供に。


出発前、友人が携帯でゲームをやってたので一緒に攻略。日本発の、あのマスターソードを使える緑の帽子を被ったキャラクターが世界を救うゲーム…


さぁ出発だ!


名前を知らない花。なんという花なんだろう。


こちらは白塗りの壁に沿ってこっそりと咲いていた花。


オーストラリアの50¢硬貨はどうしてこんなに大きいのだろう。重たくて、大変だ。


消防署。オーストラリアの空の青さが大好き。


歩き疲れたので、ビールを昼間から。いつもネットをしていたバーで。


それで、そこへ登場したDanとAmanda。今日は僕、カメラマン気分だから。と言って一枚。


散歩が終わって、宿に帰ってくると賑やかになっていた。宿の日曜日は、音楽が鳴り響いて、自由な空気で包まれる。この時間が、とてつもなく心地よいのだ。


140901

9月になった。今月で日本を出て半年になる。半年、って口にしてみるとなかなか長いように感じるけれど、感覚としては全然半年という気がしない。オーストラリアの3ヶ月もあっという間だったし、このまま旅はまるであっという間に季節が移ろうように、過ぎていくのだろう。

昨日8月最終日は、同じ宿についこの間まで滞在していた日本人のカップルのお二人のエアー最終日ということで、同じ街の中にある「いわきファーム」と呼ばれる場所へと遊びに行ってきた。

僕らが「いわきファーム」と呼んでいた場所は正確には「Iwaki World Tambo Project」というNPO法人が活動する場所。僕はそこで活動する人々が滞在する宿泊施設に遊びに行っただけだったので、実際に田んぼを目にすることは無かったのだけれど、IWTPでは所有する田んぼで日本人はもちろん、地元の住民や農業関係者なども交えてコメの田植えから収穫までを取り組むそう。 さらに驚いたことに、オーストラリアでは年に四度収穫することができるとのこと。 水田栽培で、無農薬。土と、水と、太陽の力でコメを育てる。

僕が訪れた日は休みの日だったので、みんなが宿でのんびりしていた。そこで僕にはもちろん初体験の納豆づくり、用意してもらったうどんの生地をみんなで足で踏んでこねて、寝かせて、切って。クイーンフィッシュと呼ばれる「にべ」に似たような魚を捌いて、刺し身にして、晩御飯の支度をする。汗をかいて、苦労して、協力しあって取り組んだ全てが自分の食事に直結していたことに晩飯時になってようやく気付いて、驚いた。全部自分たちで作り上げれるのだ、ということと、そのためにはかなりの労力を要するということに。

夕方になって、IWTP代表の白圡さんも戻ってきて、合計7人で晩御飯を囲む。釜玉うどんにたこ焼き、クイーンフィッシュの刺し身。もちろんビールも欠かさずに。まさかオーストラリアで刺し身を食べられるなんて思ってもみなかった。久しぶりの魚に、舌鼓を打つ。

すっかり気持ちよく酔っ払って、夜に宿まで送ってもらって、エアーを出てもお元気で、と別れを告げる。別れはいつも寂しい。けれど「いつかきっと何処かで出会える」そう思って、その日を信じて、僕らはまた前に進んでいくのだ。

みんなで日本食を囲んで、日本語で話して、随分と心が暖かくなる一日だった。とっても懐かしくて、ほっこりした時間。オーストラリアで見た日本の風景に、とても心が癒やされた。

IWTPでは、福島の人々の心のリフレッシュのために、というのも活動の理由の一つになっているそうだ。農業ができなくなったり、住むことが出来なくなってしまった人々の心の支えに少しでもなれたなら。そんな思いも込められたプロジェクトだそう。3ヶ月で田植えから収穫まで出来るというから、きっと自分で植えたコメを自分で収穫して、食べる瞬間というのは格別なのだろうな。これからも、福島の人はもちろん、日本、そしてオーストラリアの人々を照らすプロジェクトであってほしいな、と思うし、出来ることならいつか僕も参加したいな。

<参考ホームページ>
Non Profit Organization Iwaki World Tambo Project : http://iwtp.jp
IWTP Facebook : https://www.facebook.com/NPO.IWTP

140826

とにかく苦労したインドビザの申請。なんとか8月17日に送って、無事に発行されますように、と祈る日々。インドビザは最悪アライバルでも取ることはできるけれど、アライバルビザの期間は一ヶ月。更に一度出国したら、その後180日は再入国できないという条件がついていた。インドには一ヶ月以上いるかもしれないし(インドに行った人の話を聴く限り一ヶ月じゃ足りそうもなかった)、ネパールに一度抜けるという選択肢も無くなってしまう。とにかく郵送で申請したインドビザが出て欲しかった。

今回、ビザ申請時に「SMS(携帯のメール)で進行状況を受け取るという選択ができたので、それを選んでいた。そのため「Your application is received and under assessment(書類を受理して、審査中です)などといったメールが入って来ていたのだけれど、8月20日に「Application Ready(書類準備完了)」のメールが入った。余りにも早すぎると思った。ブログを読んだりとかメールでセンターに問い合わせした限りでは、最低1週間はかかるはずなのに、3日しかたっていない。「Ready」の意味するところが「ビザ発行して、送り返せます」という意味なのか、「一応書類見たけど、まぁ送り返す準備できたから」という意味なのか、少し困惑してしまうほどだった。

そして8月27日。仕事から帰ると宿のスタッフから「届いてたよー」と不在者通知のはがき。僕は急いでシャワーを浴びて、濡れた髪のまま郵便局へはがきを持って急いだ。「インドビザが、今日手に入るかもしれない」僕は興奮と緊張で胸が張り裂けそうだった。

郵便局に着いて、はがきを局員に渡して、2分ほど経って(実際に郵便局の時計で進んでいたのは2分だったけれど、僕は10分くらいに感じた)局員が僕のパスポートが入っているであろうペラペラのビニールの袋を左手の親指と人差し指で摘んでぷらぷらさせながら持ってきた。ここで僕は拍子抜けしてしまった。あれだけ苦労して書類をレターパックに詰め込んで送ったのだから、相手もレターパックでたくさんの書類と共に僕のパスポートを送り返してくるとばかり思っていたからだ。袋に入っているのは明らかに、僕のパスポート一つだけだった。

受け取って震えた声で「Thanks, have a nice day....」と言って袋を持って僕は郵便局の外のベンチへと向かった。とてもじゃないけれど、こんなに簡単な形でビザが発行されるとは思えなかった。ダメかもな…と思いつつ、一応発行されていた時のためにせっかくなので音楽を聞く準備をする。The BeatlesのWithin You Without You。口がからからに干からびていることに気付いた。水道で水を飲んで、再度構える。いけるか、開ける勇気は整ったか…。

あの日の夕方4時18分。僕は袋を開けて、パスポートを確認した。

最初の1ページ目から1ページずつ確認した。思えばパスポートをこうやって見返すのも久しぶりのことで、スタンプの一つ一つを見るだけでその時の気持ちが蘇る。日本出国、マレーシア到着、陸路でのタイ入国、8年ぶりのオーストラリア…

ページは16ページ目にたどり着いて、そこに貼ってあったのは水色とピンクで彩られたインドビザのシールだった。伸びきった髪の、正方形の僕の顔写真が一緒に印刷されていた。インドに行けるか行けないかの答えは、たった一枚のシールに含まれていた。

インドのイメージってなんだろう。ターバン巻いたヒゲのおじさんが象の上に乗ってカレーを食べている。そんなどうしようもないイメージしか出来なかった。中学校の卒業文集に「とにかくこの国を出てしまいたい」と書いていたけれど、あの時の僕にインドに行くことなんて想像できただろうか。

けれど僕は、一ヶ月後にはインドにいる。