これでこのタイトルの話は最後になります。
そんなわけで不思議だったし、
ありがたい体験もしたライブだったのですが、
その方が見せてくれた世界が見たかった世界だったが故に、
それを今作れていない自分はすごく揺さぶられる部分もありました。
自分というものが揺さぶられる時(じゃないかなと今回思った)に
出てくる言葉があります。
それは
「かわいそう」
と
「かわいい」。
ただそれが、口をついて出るんです。
意味を確かめる隙もなく出てきてしまう。
私はなんでこんなことを口にしているんだろうと浅く思考したりもしますが、
追い切ることができずにいました。
全部全部奪ってしまいたい。
1色で塗りつぶしてしまいたい。思考を。
これの上に上書きしたい、上塗りしたい。
そういう気持ちに襲われます。
そして、
「世界が終わる」
「僕は世界を終わりにする」
といった言葉も同様にして出てくるんです。
ひぇぇぇどんだけ大それてんのーーーー!!!∑( ̄Д ̄;)
「かわいそう」と「かわいい」は
インナーチャイルドが欲した言葉、
世界まで終わりにしようとするのは…
自分について明らかにすることへのとてつもない恐怖なのではないか、
と今回思い当たりました。
きっと自分のことを知るとこれまでのやり方が通じなくなっちゃうから。
これまでのやり方がどれだけ合わないかって話なんですけど(^ω^;);););)
そして、私のミスの件を慰めていただいたことについても。
先日、メイク関連のセッションを受けさせていただいたことがあり、
その時もだったのですが、
初対面の人に、偶然のできごとがきっかけでよしよしされる、
という経験に短期間で2度出会いました。
その時にね…なんだかすごく満たされてしまったのです。
私の望んだ形を見せてもらえた、というんでしょうかね。
ただそこで、
私は親やパートナーに愛されているはずなのに、
それを上手く汲めず、
望む形を見せてくれたほうにばかり
反応するというのか?
という罪悪感みたいなものも出てきてしまったんです。
でも、気づいた。
私には確かに愛は足りています。
足りないのは愛じゃないんです。
愛されてるのは知ってるんです。
私が単純にされたいのは
わかりやすいよしよし(*-ω-)ヾ(・ω・*)
だったんです。
うわーーーこう書くとなんかひどい気がしますけどwww
先日のメイクのセッションの時に、
あなたは猫かわいがりされた方がいい
と言われました。
私もそれは自覚していました。
でもその時に、
パートナーはそれが全く得意ではないし
誰がそんなに深い間柄でもない人を猫かわいがりしてくれるんだろう、
それを望んでも手に入らないのではないか、
と思ったんです。
でも、そういうことじゃなかった。
その辺は一緒くたに考えるものではなかったんです。
私は母からわかりやすく褒められたり、
プラスの手放しの感情を向けられずに育ってきたので
必要なのってそこだけだったんです(笑)
だから、誰かからの一瞬のものでもいいし、
それに過剰に反応するのも納得がいく。
誰かにわかりやすく優しくされたり
ちやほやされたり(笑)
褒めてもらいたい
それが私のインナーチャイルドの望みであるようです。
じゃあ褒めてもらったりするにはどうしたらいいのか。
表現するしかないんじゃないかな?
いや、こう書くとインナーチャイルドケアのために
そういうことするの?って思われてしまうかもしれないですが、
それも込みでってことで(笑)
もちろん表現したい気持ちはたっくさんあるし、
それでインナーチャイルドケアにもなるんだったら
一石二鳥じゃありませんか(。-∀-)ニヤリ
今回のライブでね、
ああ、どんな姿を見てても楽しいなぁって思ったんです。
それはきっと
その方が、自分というものを
ちゃんと生きてるからじゃないかな
って。
私は何度となく、
自分を許し愛することで
周りの人が楽しくなる、幸せになる
って言われてきました。
そのことが今回より深くわかった気がしました。
私は表現したいって気持ちを持っていて、
これまでだって表現をよしとしてくださった方は何人もいて、
つまり、何もしないよりした方が、
自分のためにも誰かのためにもなりうるんですね。
だからライブに行った次の日からなかなか始められずにいた
ツイキャス
を始めました(笑)
心機一転全く違う名前で。
結局これまで作ったオリジナル曲とか歌っちゃうし、
私は私なんですけどね。
ちょっとしがらみを外す仕掛けみたいな感じも意識しています。
今のところどうなっていくか、
方向性もよくわかりませんが、
とにかく自分を出していくってことをまずしよう、
ということで……
たぶん今日も配信してると思います(笑)