お笑い芸人の必要十分条件って何???
【目次】
・はじめに
・何か問題?
・「何で芸人が絵本を描くの?」
・アートとエンタメ
・「誰も求めてない!」
・「アーティスト気取り!」
・解決法
・根本的問題点
・松本さん
・まとめ
・postscript
====はじめに====
6月、キングコングの西野亮廣さんが、芸人引退し、絵本作家宣言……(゜〇゜;)
……が、その後、肩書きを変えただけで、今まで通りの活動を続ける事を報告。o(^-^o)
相方の梶原雄太さんも「解散はしません。」とツイート。(o^-^)o
・・・・・更にその後、パイン株式会社から感謝状、辞令も受けたことから、半日で絵本作家を引退、「パインアメ特命配布主任」に転向宣言。(._.)
更に、絵本「えんとつ町のプペル」に関するゴーストライター疑惑騒動。(`へ´*)ノ
え~とぉ、その後の顛末は………
……あっ、株式会社Sabeevoから「へんてこロボット博士」の肩書きを貰ってますね。(^^;
しっちゃかめっちゃか!!!!!(*_*;
かつ、「どーでもいー」の極致。
┐(´д`)┌
====何か問題?====
きっかけは、芸人である西野さんが、お笑い以外の活動をする事への否定的意見。
「何で芸人が絵本を描くの?」
「誰も求めてない!」
「アーティスト気取り!」
でも、冷静に考えて、西野さんの活動自体は何にも悪くないですよねぇ。
・絵本を発表する……何にも悪くない。
・本人も言及している様に、北野武さんが映画監督したり、ピース又吉さんが小説を書くのは良くて、西野さんが絵本を出版するのは駄目な理由は全く無い。
・ゴーストライター疑惑も、たんに分業制を敷いているだけ……何にも悪くない。
・テレビ番組も映画も漫画も分業制なのに、絵本は駄目というのも理由が無い。
にも関わらず、何故否定されるのか。
上記の批判の表現から考えます。
====「何で芸人が絵本を描くの?」====
マーケティング的には単純に、認識されているお笑い芸人ブランドと、絵本という商品の不一致。
北野武さんは映画監督としてのブランドエクイティの構築に成功したし、又吉さんは小説家としてのブランドエクイティの構築に成功した。
それに比べて……、ただそれだけの事。
ブランドから顧客の期待する商品と、西野さんが供給したい商品のミスマッチ。
結果、「何で芸人が絵本を描くの?」。
====アートとエンタメ====
でも、そんな批判される事?
欲しくなければ、買わなきゃいいじゃん。
これだけ露骨に嫌われるのは、表現が志向するベクトルの認識のされ方。
私見ですが、創作の表現には2つの側面があると考えます。(詳しくは過去の記事「お笑い芸人よ刮目せよ!……【お笑いエンタメ宣言】」→コチラ)
1つは表現者の創作意欲の充足等、表現者がどう感じるかを志向するベクトルであるアートの側面。
その行き着く先は、自己満足。
もう1つは鑑賞者の期待の充足等、鑑賞者がどう感じるかを志向するベクトルであるエンタメの側面。
その行き着く先は、顧客満足。
そして、全ての表現には、2つの側面が併存する。
ただその存在意義や在り方から、一方の側面が本質的な場合もあります。
お笑いはどうでしょう。
お笑いに関しても、もちろん、自分の作りたい笑いを追究するアートの側面もあるでしょう。
しかし、鑑賞者の考えている事を的確につかまないといけないという技術的な面からも、そもそも鑑賞者を笑わせるというその目的からも、鑑賞者に向かうベクトルのエンタメが本質。
つまりお笑い芸人は、顧客満足を目指している表現者と認識されている訳です。
====「誰も求めてない!」====
では、絵本はどうでしょう。
絵本は、両方の側面が大事そうです。
エンタメの側面も当然不可欠ですが、
そのベクトルの向かう先は、絵本の読者として想定される人達。
しかし、お笑いの表現の鑑賞者からすると、自分の方に向いていない絵本鑑賞者向けのベクトルはその存在意義を認められず、無いに等しい。
その結果の批判が、「誰も求めてない!」
====「アーティスト気取り!」====
そして、顧客満足のベクトルの存在感が小さいと、自己満足のベクトルしか見えなくなってしまう。
自己満足の表現を期待する鑑賞者が相当数いて、
自己満足の表現を公にする事を、社会から特権的に認められているのが、アーティストと言われる人達ですよね。
それは、アーティストというブランドの確立に成功した人達。
批判する人達は、ブランドが確立されていない西野さんにその特権を認めていない訳です。
結果的に言われるのが、「アーティスト気取り!」
====解決法====
要するに、顧客満足のベクトルを見せるか、自己満足表現の特権を認められれば、良い訳ですね。
北野武さんや又吉さんの様にメジャーな賞をとるとか、ベストセラーになるとかすれば、
特権を認められるし、
例えその鑑賞者が映画を観たり、小説を読んだりしていなくても、顧客満足のベクトルが存在する事は理解出来ますよね。
そうすると、「誰も求めてない!」「アーティスト気取り!」って批判は不成立。
じゃあ西野さんは……Wikipediaによると……
賞、取ってます。「TDW ART FAIR 2013」の「小川登美夫賞」「川崎健二賞」。
NPO法人デザインアソシエーションの理事でもある。
CDのジャケットも描いてるし、個展も集客出来てる。
顧客満足のベクトルは確実にあるし、自己満足の特権を持っても良い実績もあるんです。
なのに何故?
まぁ、一般的にはメジャーじゃない、知られてないのかな?
でも、西野さんの表現行為そのものに否定される所は全く無いでしょう。
====根本的問題点====
問題は、欲求不満。
批判する人は、顧客満足を志向している事が自分にも解る表現を期待している。
結局、自分の方に顧客満足のベクトルを向けてくれない事を不満に思っているって事です。
世の中には、色々な志向のベクトルの表現があります。
アート、エンタメ、そしてそれぞれ異なる顧客を想定したベクトル。
それらを批判しないのに、西野さんを批判するのは、
批判する鑑賞者自身を向いたベクトルが存在し得る事が解っているのに、その期待を裏切られた様に思うからだと思います。
その欲求不満を伝えたいけど上手く表現出来ず、
「何で芸人が絵本を書くの?」
というような、何の反論にもならない事しか言えない訳ですね。
====松本さん====
その批判する鑑賞者自身を向いたベクトルって何かというと、当たり前ですが、結局お笑いですね。
ダウンタウン松本人志さんが「ワイドナショー」(フジテレビ系)でストレートに指摘していました。
松本さんによると、
お笑い芸人には「人を楽しませて嬉しい」気持ちがあるはずで、
「どれぐらいの人を楽しませてるか」「誰を笑わせられたか」を考える事が大事。
お笑いは、本質的に顧客満足を志向するベクトルを持つエンタメであるという考えと、全く同じですね。
ただお笑い芸人が、顧客満足を目的とするエンタメ志向を「資質」として持つなら、舞台の上だけでなく、何時如何なる時も、「鑑賞者がどう感じるか」、つまり「面白いと感じているか」を考えるべきだという意見な訳ですね。
そして今回の騒動に関しては、「別に面白くもなんともないから」とバッサリ!
きっ、厳しいですね松本さん。(/ロ゜)/
顧客満足を目的とするエンタメ志向を「資質」として持つ芸人なら、今回の騒動そのものも笑いに出来なきゃ駄目って事です。
そう考えると、NON STYLEの井上さんとかスゴいなと思います。
バッシングすら笑いにしてますよね。
====まとめ====
足りないのは、批判している鑑賞者の方を向いた顧客満足ベクトル。
顧客満足ベクトルは、結局お笑い。
問題解決法はただ一つ。
面白くあれ!!!
====postscript ====
・・・・・で終わろうと思ったのですが、実は西野さん自身がブログに書いてます。(official blogはコチラ)
【肝心なのは「何をやっているか?」で、さらには『芸人』というのは生き様の名称ですから、私としましては《肩書き》なんぞ、塵ほども興味がない……】(下線は筆者)
書いていることは正論!
でも、………で、その肝心な「何をやっている」んですかね???
『芸人』の生き様って何ですかね???
思うに、西野さんは、
『芸人』は、お笑いに限らない全ての表現者で、
「生き様」「肝心なこと」は、自分の創作意欲の赴くまま表現する事、
とか考えているんじゃないでしょうか?
自己満足の表現こそが『芸人』の「生き様」として追究すべきものと考えているなら、「アーティスト気取り!」の批判も強ち間違っていないのかも知れません。
もう一度言いますね。
肝心なのは「面白くしているかどうか」
『芸人』の生き様は「人を笑わせる事」
漫才しようが、絵本描こうが、肩書き変えようが、炎上しようが、面白ければ何でも良い!
それがお笑い芸人の必要十分条件!
【……《肩書き》なんぞ、塵ほども興味がないので、今この瞬間にでも捨てられるのですが、それに対して、「許せない!」「おかしい!」「間違っている!」と声を上げる人達は少なくありません。
赤の他人の肩書きに対して、「とにかく何屋さんなのかをハッキリしないとダメ!」というクレーマー………】
……(^|0|^)
問題はそっちじゃないぞーーー。。。